◆ 神戸エムケイ株式会社 2002年(平成14年)〜 |
しのぎをけずるタクシー業界で気を吐く会社があります。
神戸MK株式会社。
最初は神戸市内〜関空までの大型乗り合いタクシーの運行からスタートしました。
荷物を持って飛行機の時間に間に合うように、特に早朝のスケジュールには非常に便利で、
いちやくうわさになりました。
独自の経営でがんばっています。
初乗り550円。
神戸市内のどこよりも安い運賃です。
@プライス(価格)Aハード(車両)Bソフト(接客)のPHSで他社より抜きんでがんばっています。
礼儀正しい接客は非常に好感が持てます。
がんばってほしい会社です〜
本社 神戸市中央区港島
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◆ 神戸コロッケ 1989年(平成元年)〜 |
ロック・フィールド「神戸コロッケ」1号店が南京町に開店。
冷凍コロッケが主流だった当時に、素材へのこだわり、揚げたてでその場で食べられる
南京町という立地が味方し、神戸発が全国ブランドに成長しました。
2010年には1号店を耐震補強し、改装してリニューアル。
店舗設計は安藤忠雄氏です。
ますます神戸コロッケのブランドが大きくなってほしいですね!
神戸市中央区南京町
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◆ 三ツ輪 たこやき 1988年(昭和63年)より前?〜 |
ソースをつけた出したこです。
いわゆる「神戸たこやき」です。
阪神淡路大震災で損壊した神戸でパートの地下にありました。
現在再開発でその場所にできた新しい街、アスタくにづか3番館地下1階で営業されています。
とにかく大きなたこやきがおわんの中に並んでいるのを見ると、びっくりします。
気軽に買い物帰りの主婦や子供達が立ち寄っている我が町のお店。
そんなお店です。
神戸市長田区アスタくにづか
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◆ かつ丼 吉兵衛 1978年(昭和53年)〜 |
1978年(昭和53年)11月に現在の店舗から少し西側の所でカウンター5席の一坪弱の店から始まりました。
そして、平成10年6月に現在の所に移転しました。
ご家族で経営されておりそのチームワークのよさは素晴らしいです。
現在14席のお店で、いつも人気の長蛇の行列ですが、お客をそんなに待たせることなく手際よく仕事を分担されている
様子は気持ちがいいくらいです。
メニューはかつ丼(ソースかつ丼もあり)のみですが、玉子、カツの量はいろんなヴァリエーションがあり、楽しい悩みどころであります。
神戸市中央区センタープラザ地下
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◆ ケーニヒスクローネ 1977年(昭和52年)〜 |
小熊のマークのケーニヒスクローネはいつのまにか全国どこでも見られるようになっていました。
ドイツの街にちなんだ商品の名はユニークです。
ポートアイランド、六甲アイランドにも大きな工場ができました。
それぞれの商品にはこだわりがあり、プリンのベルリンにも渋皮栗が入っています♪
たくさんある街中のどのお店もいっぱいで、その人気の高さがうかがわれます。
おしゃれな紙バッグも人気ですね。
神戸の街はケーニヒスクローネのお店に占拠されました〜(笑)
神戸市中央区御幸通り
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◆ 観音屋 1975年(昭和50年)〜 |
神戸元町3丁目、階段を下りたところにあります。 ここはいつも行列で階段の上にまで待つ人が並んでいるのもしばしば。 観音様のおつげでお店が繁盛しているとかで、さすがに鎮座しておられる観音様にはコーヒーがお供えされておりました。
ここでは数々のチーズ料理が食べられますが、なんといっても有名なのはチーズケーキです。 きめ細かいふんわりスポンジケーキに熱々のトローリとろけるデンマークチーズ。 ほんのり甘いスポンジの味とチーズの塩分が微妙なハーモニーをかもし出します。
アンティークな雰囲気のお店で観音様のにこやかな笑顔で包まれ、なんとなく心落ち着く場所。 今ではすっかり神戸の名所となりました。
元町を歩いていると階段を下りて、またあのチーズケーキと熱い自家焙煎コーヒーを…と頭をよぎってくるのです。 特に冬の寒い日は。。
観音屋ホームページ → http://www.kannonya.co.jp/menu/menu.htm
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◆ 西洋菓子フーケ 1970年(昭和45年)〜 |
1970年創業、1979年「西洋菓子処フーケ」と改称 平成7年度神戸マイスターに認定されました。
フーケ ホームページ → 西洋菓子処フーケ
本店 神戸市須磨区小寺町
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◆ スイス菓子ハイジ 1970年(昭和45年)〜 |
スイス菓子ハイジ
昭和45年開業 素材へのこだわりは播州地鳥で有名な加美町産の有精卵を産地からとりよせるといった具合です。 震災を機に多店舗展開をやめ本店での集客形式で再スタート。 一時経営の危機が伝えられましたがスタッフ一丸となって乗り越えたようです。 そのときのハイジのHPでの掲示板ではスタッフのがんばりが表れていました。 ロマンチストのオーナーの旅の思い出、夕陽に染まるアルハンブラ宮殿を見たときにひらめいたという「アルハンブラ」が有名 口に入れるとあの名曲が…
この店が面する山手幹線は5月の灘のだんじりの通り道にあたります。
ハイジ ホームページ → http://www.heidi-cake.co.jp/
本店 神戸市灘区水道筋
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◆ ジャズ・ライブハウス SONE 1969年(昭和44年)〜 |
神戸出身の曽根桂子さんが戦後北野坂で旅館を経営されていましたが、腰を痛められたため旅館よりも短い
営業時間で運営できるという理由で、同じ建物を利用してライブハウスを始められました。
1995年の震災では大きな被害を受け、直後の様子はTVでも放映されました。
いつも前向きな曽根桂子さんの姿勢に市民は大いに励まされました。
震災から再開後は修学旅行生を受け入れ、神戸を訪れた皆さんと神戸のジャズの楽しみを共有する
画期的な試みを続けられています。
SONEは旅館時代から「神戸のおかあさん」と親しまれている曽根桂子ママをしたって多くの
ミュージシャンやファンが集うジャズの一大拠点です。
しかし、2010年8月に曽根桂子さんは惜しくも亡くなられました。
2008年10月に開店40周年を祝う記念コンサートが催されその楽しい様子はTVカメラに収められています。
着物姿で可愛く踊られる曽根桂子さんの姿が印象的でした。
午後からの「昼下がりのジャズライブ」も好評で、珈琲を飲むついでにジャズを楽しめるうれしプログラムです。
神戸のジャズの中心として多くの人々に支持されています。
ハイジ ホームページ → ジャズ・ライブハウス SONE
神戸市中央区 北野坂
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◆ トーラク 1967年(昭和42年)〜 |
不二製油(大阪)の子会社。
旧社名は「東洋製酪」。
1989年に本社を六甲アイランドに移し、本来業務用牛乳、乳製品を取り扱っていたのを
本格的に洋菓子製造を始めました。
親しい取引先から「東酪」(トーラク)と呼ばれていたのを、1992年に新社名としました。
1993年神戸プリン誕生。
特色ある手提げ袋も人気です。
次々と神戸にこだわる新商品を開発し、神戸のおみやげの人気者になりました。
本店 神戸市東灘区六甲アイランド
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◆ フェリシモ 1965年(昭和40年)〜 |
1965年に大阪市内に設立したハイセンス社が前身。
1978年カタログ誌「ハイセンス コレクション」を創刊し、通信販売を開始。
1987年社名を「フェリシモ」に改称。
1995年神戸市中央区に本社を移転。
1995年秋 「震災で傷ついた神戸から元気を発信したい」と地元のもの作り職人や商店を掲載した「神戸カタログ」を発刊。
2005年神戸カタログ復刻版を出し、10年後の神戸の復興した姿を紹介しました。
そしてルミナリエの時の素敵な飾りつけ、「ハッピートイズプロジェクト」。
これは1997年から続いているフェリシモが世界中の子供達にボランティアが作ったぬいぐるみをプレゼントする
楽しいイベントです。
フェリシモが主催する「神戸学校」は2004年、地域社会や従業員の自己啓発に貢献したとして社団法人メセナ協議会主宰「メセナアワード 文化庁長官賞」を受賞しました。
「神戸学校」とは1995年阪神淡路大震災をきっかけにスタートしたフェリシモ主宰の講演会であり、各界の著名人を招いて盛況です。
近年は中国にも進出。
その企業理念は「永続的、発展的なしあわせ社会の創造」
「幸せは、周りの幸せと共にしかあり得ない」
素敵な言葉です。
神戸市中央区浪花町 朝日ビルディング
2008.12.12記
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◆ おらが茶屋 1965年(昭和40年)〜 |
おらが山の頂上に目立つコンクリ造りの建物が下からもよく見えます。
これは眺め絶景の「おらが茶屋」
「おらが茶屋」は震災の年まで新長田で「印度屋」という店でした。
震災で全壊し、平成10年からこのおらが山で店を開かれています。
ここはハイキングコースの途中にあたるためハイカー達が楽しみに立ち寄るところとなっているようです。
ハイキングではなくバスで行かれる場合は高倉台8丁目で降り、長い階段を登っていただきます。
とてもハードな階段ですが、おいしいカレーとそこからの素晴らしい眺めはその値打ちがあります。
お店は土日、祝日の朝6時から。
カレーは売切れ次第。
お昼遅いと確実に売り切れです。
しかし、おいしい珈琲だけでも♪
おらが茶屋からの絶景風景!
神戸市須磨区高倉山(おらが山)
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◆ 有限会社 ボック 1964年(昭和39年)〜 |
神戸洋藝菓子 「ボックサン」
今はボックサンという名の洋菓子店になりましたが以前は「ボック」の名で親しまれていました。
ドイツ語でビールのジョッキを意味する言葉だそうです。
先代社長で創業者である福原善之助氏が社名と店名に採用されましたが、先に商標登録されていることがわかりました。
それで震災後、地域の皆さんに「ボックさん」と親しまれていたことからそのまま「ボックサン」を店名にしたそうです。
本店は山陽電車の東須磨駅の南側にあり車窓からよく見えていましたし、地元ではかなりおいしいと昔から有名でしたので
非常に身近な存在でした。
近年、三宮、大阪に出店が相次ぎ人気のケーキ屋さんになられたんだなぁとうれしく思います。
神戸にこだわり県外からの出店依頼はすべて断られてこられたそうですが、これからは神戸、大阪から
全国区になられますように期待しています!
本店所在地 神戸市須磨区山陽電車東須磨駅前
2009.1.1 記
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◆ ジュンク堂 1963年(昭和38年)〜 |
1963年 大同書房として元町にて創業。
1976年 センター街に本社を移転。その後展開するジュンク1号店となる。
会社名を父親の"工藤淳"の名からジュンク堂と改名。
1982年 三宮東サンパルビルに300坪の大型専門書店サンパル店がオープン。
ジュンク2号店です。
2001年に閉店しましたが、当時としては驚いたことにここに喫茶店が設置されました。
この店は在庫を増やす「倉庫代わり」だったそうですが、その専門店の雰囲気に多くのファンが惹きつけられました。
その後のジュンクの原点とも言われる伝説の店でした。
その後次々と各地に支店を開店。
大都市に広大な床面積を持ち圧倒的な本の品揃えは驚くばかりです。
店内の喫茶店もそうですが、立ち読み禁止どころか椅子にて本をどうぞと言われたことには
驚きました。
その意表をつく商法はあっというまに全国に広まり、大都市のどこでもジュンク堂の名前を
みることができるようになりました。
神戸から全国へ、本当に大きな会社になりました!
しかし、経営は2009年に株式の51%を大日本印刷に譲り、傘下に入り一族で経営するスタイルを脱しました。
本店所在地 神戸市中央区三宮町
2009.1.19 2010.12.21記
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◆ ピノッキオ 1961年(昭和36年)〜 |
創業1961年。
村上春樹氏の「辺境・近境」にもこのピノッキオのことが載っています。
ー散歩がてらに山の手の小さなレストランまで歩く。。。
このレストランがピノッキオです。
店を入ると少し薄暗く落とした照明の向こうに大きなテーブルの上のベルが目に入ります。
このこだわりは3つ。
生地は水を一切使わずミルクのみで。
ソースは30種のスパイスを使って2日間かけて煮込む。
チーズはデンマークのモッツァレラとオランダのゴーダチーズ。
一枚一枚焼き上げられたピザには三角のピザカードがついてきます。
「IN MEMORY OF YOUR VISIT」
あなたが食べたピザは何枚目かのピザであるということが記録されているのです。
最近のピザはナポリ風の薄い生地が流行りですが、ここのピザ生地は分厚い方なのですが、
味わい深いおいしい生地だといつも感心しているのです。
神戸市中央区中山手
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◆ フジッコ 1960年(昭和35年)〜 |
1960年。創業当時はとろろ昆布の販売でした。
昆布は輸入統制品。
輸入量に限りがあるので、商売の拡張は望めません。
そこで考えたのが昆布と相性のいい豆でした。
そしてこだわったのが無添加、無漂白、合成保存料無添加。
それぞれの時代のニーズに応え、商品は時代が求めるものになっていきました。
2007年、ポートアイランドにある本社ビルの横のビルを買い取り研究棟として、
ますますいろんな方面にユニークな展開を見せてくれると期待しています。
なにしろ近年はお弁当箱の分野にも進出してきました。
ご飯茶碗の形のお弁当箱。
ばかり食い(同じものばかり食べること)を防ぐ、まわるおかず入れ。
いつもあっと驚くアイデアに感心してしまいます。
フジッコの食品はお弁当作りのお母さんの強い見方です!
フジッコHP
本社:神戸市中央区ポートアイランド
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◆ ワールド 1959年(昭和34年)〜 |
神戸のニット卸会社に勤めていた畑崎前社長が上司の木口衛氏を誘って1959年に創業。
二人が勤めておられた会社の名は「エンパイア」
その会社を超えようということでそれよりも大きく、せめて名前だけでも大きなものにという
気概で社名を「ワールド」とされたそうです。
さまざまな新しいアイデア、たとえば上着、スカート、小物などの組合せで服装を考える「トータルコーディネート」
などの提案や自社商品だけを扱う「オンリーショップ」などで大きく飛躍しました。
ポートアイランドに本社を移し、いまや神戸のブランドになっています。
本社:神戸市中央区ポートアイランド
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◆ 新開地トシヤ 1950年代?〜 |
以前は三宮にもあったと言われるトシヤ。 ある時忽然と三宮から姿を消したが実は新開地に移転。 震災後も地元の熱い応援の元、建て替えをした大衆食堂。 そば焼きは、中華そばではなく日本そばを豚肉、野菜で炒めたもので色は真っ黒。まずびっくり。 しかし色は真っ黒がそのそばのしなやかさ、またソースのまろやかさに二度びっくり。
すき焼き定食も実においしいです。 冬になると熱〜いすきやき定食が食べたくなりますねぇ。 定番のそばは、50年前から昆布とイリコで作るシンプルな味付。 こんな麺の感触も他では知りません。 やみつきになるこの味。 見渡すと近所の常連さんが多そうです。 ほっこりできるこんなお店。 お店の方のサービスも気持ちがよく、夏にはお茶とお水が最初にいただけました。うれしいものです。
トシヤに関してはきむちさんより最初の投稿があり、当HPで話題になったとき、玄太郎さんより情報を寄せていただきました。
このたび玄太郎さんより了解をいただきましたので再掲させていただきます。
トシヤ追記2003.6.1
尚、2003年5月26日、ティファさんからも下記の情報をいただきました。
トシヤは新開地本店、三宮支店、元町支店とがあったそうです。
三宮支店は区画整理等により閉店、また夏だけでなく年中お冷とお茶とをだしていただけるそうです。(^0^)v
お店データ
住所 : 兵庫県神戸市兵庫区新開地6-2-25トシヤマンション
電話 : 078-575-6658
営業時間 : 朝11:20〜夜8:30
定休日 : 木曜日
交通手段 : 神戸市営地下鉄、または神戸高速鉄道:新開地駅から 新開地商店街を南へ。徒歩
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◆ ばら食品梶@1955年(昭和30年)〜 |
神戸の地ソースメーカーのひとつです。
長田六間道商店街に店と工場があります。
すじ肉やねぎなどをメリケン粉のといたものを焼いた上にのせたものが肉天。
これにつけるソースとして広まっていきました。
もともとは酒やしょうゆなどを扱う小売店だったようですが、戦後洋食の普及でソースが求められるようになり
店の裏でソースを作り始められたようです。
家族経営のため従業員はわずか8名ですが、現在は全国で2千軒以上の得意先を持って
おられるそうです。
野菜や香辛料の配合の割合を時代に合わせて少しずつ変え、今の味ができあがりました。
近年はヘルシー志向のため塩分や糖分を抑え気味に作られているそうです。
長田はおいしいお好み焼き屋さんがたくさんありますが、そのおいしさの秘訣のひとつは
この地ソースにあるようです。
所在地 神戸市長田区 六間道
2007.8.21 記 2010.12.21追記
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◆ ジャズ喫茶 JAVA 1953年(昭和28年)〜 |
神戸のジャズ全盛の1953年。
阪急三宮の高架下にオープンしました。
多くの人に愛されたジャズ喫茶。
今もボコボコなるバネの椅子と共に、高架下でジャズを聴かせてくれます。
奥に細長い店内は薄暗く、落ち着いた雰囲気です。
床はちょっとかわった作りで高低さがある2つのフロアー。
なんでも音響効果を考えたつくりだということです。
かつては大橋巨泉や江利ちえみも来店したという老舗です。
店内に貼られていたポスター
電車がガタゴト、
それも味、
ジャズの調べと
珈琲と。
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◆ いかりスーパーマーケット 1953年(昭和28年)〜 |
元町駅の北側の小さなバラックで洋菓子メーカー「いかり堂」が出発点でした。
創業者の行光博志氏はお兄さんが興された洋菓子メーカー「いかり堂」に入社。
その後1961年に独立。
尼崎・塚口にスーパーを開くときも「いかり」の名前を選ばれました。
今は関西屈指の高級スーパーになったいかりスーパーマーケットですが、"いかり”は神戸元町から見た碇山のイカリからつけられたそうです。
(行光博志社長談)
丈夫な紙の袋はとても重宝します♪
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◆ アシックス 1949年(昭和24年)〜 |
1949年 鬼塚喜八郎氏、鬼塚商会を創業。
タコの吸盤にヒントを得て、靴底を吸盤状にした国産初のバスケットシューズを商品化。
またオニツカタイガーのブランドで国内はもちろん、国際的にも有名になりました。
1977年 オニツカ梶A潟Wィティオ、ジェレンク鰍ェ合併し、潟Aシックスとなる。
1961年 毎日マラソンに出場のため来日中のアベベにシューズを提供。
そのシューズでアベベは毎日マラソンに優勝。
いちやく、アシックスの名を高めました。
アシックスの社名は、紀元2世紀の初め、ローマの風刺作家ユベナリスの
「Mens Sana in Corpere Sano(もし神に祈るならば、健全な身体に健全な精神があれかし、と祈るべきだ)」のMensを「躍動する精神」という、 より動的な意味をもつ 「Anima」に置きかえ、その
頭文字をとってASICSとされたようです。
鬼塚氏がスポーツを通じて青少年を健全に育成することを願った命名です。
所在地 神戸市中央区 ポートアイランド
2007.10.1 記
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◆ トアロード デリカテッセン 1949年(昭和24年)〜 |
神戸ハイカラのトアロードにあるデリカテッセン。
おいしいハムやスモークサーモンが欲しいとき、ここに来ればきっと満足できるお店です。
昭和24年創業。
ここの2階のカフェでゆっくりとおいしいサンドイッチも。
なんだか本当に神戸を味わえるお店だと思います。
HPをのぞくと、「グルメ神戸」
おぉ〜神戸からの贈り物にぴったりかもです。
所在地 神戸市中央区 トアロード
2006.12.7 記
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◆ 六甲バター 1948年(昭和23年)〜 |
1948年(昭和23年)12月、神戸で平和油脂工業として設立。
1954年(昭和29年)7月、六甲バター株式会社と社名を変更。
主にマーガリン・バターを製造していたが1958年(昭和33年)にオーストラリアから輸入した原料チーズで
プロセスチーズを製造し、全国的に販売されてから有名になりました。
これはQBBブランドとして現在も息の長い人気商品となっています。
QBBとは、"Quality's Best Beautiful"の頭文字からとられ豪州のブランド名でしたが、
このように意味づけられて日本でのブランド名となりました。
1960年(昭和35年)世界で初めてスティックチーズを発売。
1971年(昭和46年)に日本でスライスチーズを初めて発売。
1972年(昭和47年)にはベビーチーズも発売。
社名にバターとついているけれど、9割以上はチーズの売り上げです。
世界で最初のスティックチーズは当時の技術担当者が魚肉ソーセージをヒントに
考え出されたそうです。
それまでのチーズ販売の形態は1ポンド、半ポンド単位の塊で売るのが主流だったのを
衛生的で一人分の個分けにできるというところが画期的で、爆発的に売れました。
この成功が今日の六甲バターの原点だということです。
所在地 神戸市中央区坂口通
2009.12.3 記 2010.5.20加筆
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◆ 神戸にしむら珈琲店 1948年(昭和23年)〜 |
 
以上旧店舗
戦後まもなく代用大豆を珈琲豆のかわりに用いた時代。
そんな時代に極上の一杯を提供したお店。
中山手通のビルの隙間に、ランプなどの生活雑貨を売る店が開業。
それが後に「にしむら珈琲店」となりました。
最初は珈琲もなかったのですが、現オーナーの川瀬喜代子さんが雑貨の他に出身地の京都の菓子を
並べました。
するとハイカラな神戸の土地柄、お客さんからお菓子と一緒に珈琲が飲みたいとの要望があり、
店内にテーブルを並べてお菓子と珈琲を提供しました。
これが「神戸にしむら珈琲店」の原点だそうです。
神戸にしむら珈琲店は日本で初めてストレートコーヒーというメニューを提供しました。
その他いろんなメニューを組み入れ、珈琲店のパイオニアという役割を担ってきました。
北野店は日本初の会員制喫茶店として1974年open。
会員の方に一度連れていっていただきましたが、赤い絨毯と珈琲をもってきてくださる
スタッフの方のエレガントな長いスカートが印象的でした。
震災後は会員制ではなくなりましたが、パーティーなどいろんな用途で使われています。
あの分厚いコーヒーカップは昭和39年に登場したそうです。
中山手の本店は2005年2月1日よりあくる年の2006年5月まで、震災の痛みもあり本店建物を建替える
ために休業しました。
そして以前の店舗より高さも増したりっぱな本店に建替えられました。
上の2枚の写真は建替え前の旧店舗の写真です。
尚、にしむら珈琲店全店に提供するケーキは御影のセセシオンです。
にしむら珈琲店HP
所在地 神戸市中央区中山手
2006.12.9 記
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◆ 元町ケーキ 1947年(昭和22年)〜 |
1947年(昭和22年)創業 「元町のケーキ屋さん」「ママの選んだ元町ケーキ」で古くから親しまれてきました。
名物は「ざくろ」
今風のきらびやかさはないけれど、おかあさんが我が子に選ぶのはこんなケーキ。
ほうらこんな大きなイチゴと差し出したいケーキです。
安くておいしくて素朴なケーキ♪
所在地 神戸市中央区
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◆ イスズベーカリー 1947年(昭和22年)〜 |
1947年(昭和22年)創業 「イスズベーカリー」
1世帯あたりの年間パン消費量は食パン、その他のパンとともに神戸が全国のトップだそうです。
それまで食パンといえば四角い形が当たり前だったときに、この会社はふたをしないで焼いた山食を売り出しました。
「イスズの山食」
イーストの量は少なめ、生地をこねあげる温度を低めにするのがイスズベーカリー流。
発酵に時間はかかるが口どけがよく、ひきのある食感になります。
平成10年度、現社長の井筒英治氏はパン部門で初めて神戸マイスターに認定されました。
イスズベーカリーという名も先代の井筒氏と鈴木氏が共同出資してできた会社で井筒の井(イ)と鈴木
氏の鈴(スズ)とをカタカナであらわした名だそうです。
所在地 神戸市中央区
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◆ 神鋼環境ソリューション 1946年(昭和21年)〜 |
1946年 叶_戸製鋼所山手工場の一部に琺瑯工場を建設。
1954年 米国 ファウドラー社と技術提携。神鋼ファウドラー鰍設立。
1989年 社名を神鋼ファウドラー鰍ゥら神鋼パンテック鰍ノ変更。
1995年 阪神淡路大震災により本社ビル倒壊。
2003年 神鋼環境ソリューションと社名変更。
水処理、廃棄物処理、リサイクル処理など優れた技術によって地球環境への貢献を目指しています。
神戸市他と同社が共同開発を進めてきた「こうべバイオガス活用設備」が完成。
下水処理過程で発生する消化ガスのエネルギーとしての有効活用が実現。
このガス販売が開始された「バイオガスステーション」で自動車に供給されます。
神戸市はこの天然ガス仕様の市バスが7台運行されているので、CO2排出削減に貢献しています。
その他、海水の淡水化や汚染水の浄化などに使われる”膜”の寿命や処理効果を高める研究開発も
手がけ神戸発の環境専門企業として注目されているホープです。
所在地 神戸市灘区
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◆ ひかり 1945年(昭和20年)〜 |
所在地 神戸市兵庫区稲荷市場内
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◆ 星電社 1945年(昭和20年)〜 |
1945年(昭和20年)創業の老舗家電店
家電とエレクトニクスの、三宮を中心とした地域密着の店。
ラジオパーツの専門店として卸と小売を手がけた。
1954年(昭和29年)当時の人気歌手の藤山一郎氏に社歌作曲を依頼。
歌唱も藤山氏で社歌が完成。
う〜ん、これは聞いたことがありません。(笑)
1971年 家電のみではなく住まいと暮らしを提案する総合専門店を目指す。
1972年 1961年以降全国展開を目指していた路線を、店を県下に集約する経営革新を断行。
1995年 阪神淡路大震災
三宮本店をはじめ7店舗が全壊、6店舗が半壊あるいは一部損壊。
2002年経営破たんし、民事再生法が適用される。
民事再生法の適用後、マツヤデンキ(大阪市)の支援で経営再建を進める。
昔からここに来れば家電は揃うと思っていました。
がんばってほしいお店です。
所在地 神戸市中央区三宮センター街
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◆ 有限会社ナダシンの餅本店 1937年(昭和12年)〜 |
創業時より田舎のお母さんが作ってくれたような素朴で懐かしい味が原点。
一番人気のおはぎは毎日手づくりにこだわり、原料は上質の国産もち米、北海道産小豆、砂糖、塩だけ。
添加物を一切使用しないという作り方に支持が集まりました。
甘さは控えめなところが気に入っています。
お月見の頃は特に人気です♪
所在地 神戸市灘区下河原通3-1-8
2014.10.12 記
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◆ 欧風料理もん 1936年(昭和11年)〜 |
三宮生田筋の老舗です。
ここのメニューも調理方法も創業以来からまったく変わっていないそうです。
値段も約20年ほど前から変わっていないとか。
ここの名物はなんといってもビーフカツレツ。
そのデミグラスソースの味と、肉の柔らかさは最高です!
震災では全壊してしまいましたが、あのあたりではいち早く再建し、おいしいお料理を出されました。
レトロな看板は創業以来のものだそうです。
田辺聖子さんが「オール読物」の取材に寄せた一文が看板にありました。
「七夕の前日 通るや 生田ロードの"もん"の味 平成10年7月6日」
あの絶品のビーフカツの写真はどうしても掲載です〜
神戸新聞読者クラブ 欧風料理もん
所在地 神戸市中央区生田筋
2008.12.9 記
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◆ UCC上島珈琲 1933年(昭和8年)〜 |
1933年(昭和8年)UCC上島珈琲の前身である上島忠雄商店が創業。
1951年(昭和26年)上島珈琲を設立。
1969年(昭和44年)世界初となる缶コーヒーの製造販売を開始。
1987年(昭和62年)神戸ポートアイランドに「UCCコーヒー博物館」を開設。
1891年 UCC上島珈琲に社名変更。
1969年4月に販売を開始した世界初の缶コーヒーは、現在たったひとつしか残っていないそうです。
それは下から赤、白、茶色のコーヒー缶。
この貴重なサンプル缶は現在ポートアイランドの本社、社長室に保存されています。
現在のようにプルタブで開けるのではなく、缶の上部に細長い缶切りが乗せられているコーヒー缶です。
コーヒー缶のアイデアは創業者である上島忠雄氏がある駅の売店で瓶入りのコーヒー牛乳を電車が来るまでの
時間内に飲みきれず、瓶は当時売店に返さなくてはいけなかったことからなんとか社内にも持ち込めて
瓶を返すわずらわしさなしにどこでも飲める飲料を開発できないかと考えられたことからでした。
開発されたコーヒー缶は折りしも1970年に開催された大阪万国博覧会のパビリオンで爆発的に売れ、一気に認知度が
高まったのでした。
ポートアイランドにあるコーヒー博物館はコーヒーの博物館としては世界唯一だそうです。
所在地 神戸市中央区ポートアイランド
2006.12.7 記
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◆ フロイン堂 1932年(昭和7年)〜 |
神戸のおいしいパン屋さんをあげるなら必ず名前があがるお店です。
1代目の竹内善次郎氏は、テレビ「風見鶏」の主人公で有名な「フロインドリーブ」からのれん分けされ「フロイン堂」を開店しました。
時間によっていくつかの種類のパンの焼き上がりが違います。
食パンが非常に有名ですが、焼きたてのぶどうパンを食べるとそのおいしさは忘れられません〜。
オーブンもミキサーも使わず手でこねて、ドイツ式のレンガ窯で焼き上げる非常に手間のかかったパンなのです。
クヌギの薪を、燃やし余熱が適温になったときに焼くそうです。
初代、2代目善之氏、3代目隆氏によって受け継がれるパン作りはおいしいパン屋さんが多い神戸の中でも一目置かれています。
いつ行っても長い行列ができているお店です。
所在地 神戸市東灘区
2006.12.7 記
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◆ モロゾフ 1931年(昭和6年)〜 |
1931年創業。
ロシア革命後に日本へ亡命してきたモロゾフ氏と日本人が「神戸モロゾフ製菓」を設立。
5年後には全国に通用するようにと「神戸」を社名から消したそうです。
これは残念です。
もう一度「神戸」をつけてほしいです。
喫茶店などを含め全国で約870店を展開。
CS(顧客満足)向上を目指しユニークな研修をしています。
独自の研修は2006年1月からスタートしましたが、非常な効果をあげ出展先の百貨店から表彰されたりという
こともあるそうで、同業他社からも研修依頼が舞い込むほどでその成果は2006年1月から売り上げが
伸びていることからも証明されています。
またバレンタインデーにチョコレートを贈る風習を広めたとされています。
ここのプリンのガラス容器はどこの家庭にでもあるとかの伝説も。(笑)
本社所在地 神戸市東灘区
2008.12.5 記
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◆ 神戸紅茶 1929年(昭和4年)〜 |
1929年(昭和4年)紅茶等食料品卸売業「須藤信治商店」創業 三井物産株式会社の神戸地区の有力特約店となる。
●昭和30年「株式会社須藤信治商店」と改組。
本社を神戸市生田区におく。
●昭和32年 英国・リプトンシャの指定工場となり、紅茶の製造を始める。
●昭和36年 日本で最初のティーバッグ自動包装機械「コンスタンタマシン」をドイツから導入。
国内で初めてティーバッグの製造を始める。
●昭和42年 本社を神戸市東部第二工区に移転。
●平成5年 100%子会社、神戸紅茶株式会社より「神戸紅茶」ブランドで紅茶製品の販売を始める。
●平成18年 株式会社須藤が子会社の神戸紅茶株式会社を吸収合併、新会社名を神戸紅茶株式会社と変更。
本社所在地 神戸市東灘区住吉浜町
2008.10.1 記
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