◆ 神戸エムケイ株式会社 2002年(平成14年)〜 |
しのぎをけずるタクシー業界で気を吐く会社があります。
神戸MK株式会社。
最初は神戸市内〜関空までの大型乗り合いタクシーの運行からスタートしました。
荷物を持って飛行機の時間に間に合うように、特に早朝のスケジュールには非常に便利で、
いちやくうわさになりました。
独自の経営でがんばっています。
初乗り550円。
神戸市内のどこよりも安い運賃です。
@プライス(価格)Aハード(車両)Bソフト(接客)のPHSで他社より抜きんでがんばっています。
礼儀正しい接客は非常に好感が持てます。
がんばってほしい会社です〜
本社 神戸市中央区港島
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◆ 三ツ輪 たこやき 1988年(昭和63年)より前?〜 |
ソースをつけた出したこです。
いわゆる「神戸たこやき」です。
阪神淡路大震災で損壊した神戸でパートの地下にありました。
現在再開発でその場所にできた新しい街、アスタくにづか3番館地下1階で営業されています。
とにかく大きなたこやきがおわんの中に並んでいるのを見ると、びっくりします。
気軽に買い物帰りの主婦や子供達が立ち寄っている我が町のお店。
そんなお店です。
神戸市長田区アスタくにづか
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◆ かつ丼 吉兵衛 1978年(昭和53年)〜 |
1978年(昭和53年)11月に現在の店舗から少し西側の所でカウンター5席の一坪弱の店から始まりました。
そして、平成10年6月に現在の所に移転しました。
ご家族で経営されておりそのチームワークのよさは素晴らしいです。
現在14席のお店で、いつも人気の長蛇の行列ですが、お客をそんなに待たせることなく手際よく仕事を分担されている
様子は気持ちがいいくらいです。
メニューはかつ丼(ソースかつ丼もあり)のみですが、玉子、カツの量はいろんなヴァリエーションがあり、楽しい悩みどころであります。
神戸市中央区センタープラザ地下
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◆ ケーニヒスクローネ 1977年(昭和52年)〜 |
小熊のマークのケーニヒスクローネはいつのまにか全国どこでも見られるようになっていました。
ドイツの街にちなんだ商品の名はユニークです。
ポートアイランド、六甲アイランドにも大きな工場ができました。
それぞれの商品にはこだわりがあり、プリンのベルリンにも渋皮栗が入っています♪
たくさんある街中のどのお店もいっぱいで、その人気の高さがうかがわれます。
おしゃれな紙バッグも人気ですね。
神戸の街はケーニヒスクローネのお店に占拠されました〜(笑)
神戸市中央区御幸通り
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◆ 観音屋 1975年(昭和50年)〜 |
神戸元町3丁目、階段を下りたところにあります。 ここはいつも行列で階段の上にまで待つ人が並んでいるのもしばしば。 観音様のおつげでお店が繁盛しているとかで、さすがに鎮座しておられる観音様にはコーヒーがお供えされておりました。
ここでは数々のチーズ料理が食べられますが、なんといっても有名なのはチーズケーキです。 きめ細かいふんわりスポンジケーキに熱々のトローリとろけるデンマークチーズ。 ほんのり甘いスポンジの味とチーズの塩分が微妙なハーモニーをかもし出します。
アンティークな雰囲気のお店で観音様のにこやかな笑顔で包まれ、なんとなく心落ち着く場所。 今ではすっかり神戸の名所となりました。
元町を歩いていると階段を下りて、またあのチーズケーキと熱い自家焙煎コーヒーを…と頭をよぎってくるのです。 特に冬の寒い日は。。
観音屋ホームページ → http://www.kannonya.co.jp/menu/menu.htm
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◆ 西洋菓子フーケ 1970年(昭和45年)〜 |
1970年創業、1979年「西洋菓子処フーケ」と改称 平成7年度神戸マイスターに認定されました。
フーケ ホームページ → 西洋菓子処フーケ
本店 神戸市須磨区小寺町
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◆ スイス菓子ハイジ 1970年(昭和45年)〜 |
スイス菓子ハイジ
昭和45年開業 素材へのこだわりは播州地鳥で有名な加美町産の有精卵を産地からとりよせるといった具合です。 震災を機に多店舗展開をやめ本店での集客形式で再スタート。 一時経営の危機が伝えられましたがスタッフ一丸となって乗り越えたようです。 そのときのハイジのHPでの掲示板ではスタッフのがんばりが表れていました。 ロマンチストのオーナーの旅の思い出、夕陽に染まるアルハンブラ宮殿を見たときにひらめいたという「アルハンブラ」が有名 口に入れるとあの名曲が…
この店が面する山手幹線は5月の灘のだんじりの通り道にあたります。
ハイジ ホームページ → http://www.heidi-cake.co.jp/
本店 神戸市灘区水道筋
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◆ トーラク 1967年(昭和42年)〜 |
不二製油(大阪)の子会社。
旧社名は「東洋製酪」。
1989年に本社を六甲アイランドに移し、本来業務用牛乳、乳製品を取り扱っていたのを
本格的に洋菓子製造を始めました。
親しい取引先から「東酪」(トーラク)と呼ばれていたのを、1992年に新社名としました。
1993年神戸プリン誕生。
特色ある手提げ袋も人気です。
次々と神戸にこだわる新商品を開発し、神戸のおみやげの人気者になりました。
本店 神戸市東灘区六甲アイランド
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◆ フェリシモ 1965年(昭和40年)〜 |
1965年に大阪市内に設立したハイセンス社が前身。
1978年カタログ誌「ハイセンス コレクション」を創刊し、通信販売を開始。
1987年社名を「フェリシモ」に改称。
1995年神戸市中央区に本社を移転。
1995年秋 「震災で傷ついた神戸から元気を発信したい」と地元のもの作り職人や商店を掲載した「神戸カタログ」を発刊。
2005年神戸カタログ復刻版を出し、10年後の神戸の復興した姿を紹介しました。
そしてルミナリエの時の素敵な飾りつけ、「ハッピートイズプロジェクト」。
これは1997年から続いているフェリシモが世界中の子供達にボランティアが作ったぬいぐるみをプレゼントする
楽しいイベントです。
フェリシモが主催する「神戸学校」は2004年、地域社会や従業員の自己啓発に貢献したとして社団法人メセナ協議会主宰「メセナアワード 文化庁長官賞」を受賞しました。
「神戸学校」とは1995年阪神淡路大震災をきっかけにスタートしたフェリシモ主宰の講演会であり、各界の著名人を招いて盛況です。
近年は中国にも進出。
その企業理念は「永続的、発展的なしあわせ社会の創造」
「幸せは、周りの幸せと共にしかあり得ない」
素敵な言葉です。
神戸市中央区浪花町 朝日ビルディング
2008.12.12記
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◆ おらが茶屋 1965年(昭和40年)〜 |
おらが山の頂上に目立つコンクリ造りの建物が下からもよく見えます。
これは眺め絶景の「おらが茶屋」
「おらが茶屋」は震災の年まで新長田で「印度屋」という店でした。
震災で全壊し、平成10年からこのおらが山で店を開かれています。
ここはハイキングコースの途中にあたるためハイカー達が楽しみに立ち寄るところとなっているようです。
ハイキングではなくバスで行かれる場合は高倉台8丁目で降り、長い階段を登っていただきます。
とてもハードな階段ですが、おいしいカレーとそこからの素晴らしい眺めはその値打ちがあります。
お店は土日、祝日の朝6時から。
カレーは売切れ次第。
お昼遅いと確実に売り切れです。
しかし、おいしい珈琲だけでも♪
おらが茶屋からの絶景風景!
神戸市須磨区高倉山(おらが山)
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◆ 有限会社 ボック 1964年(昭和39年)〜 |
神戸洋藝菓子 「ボックサン」
今はボックサンという名の洋菓子店になりましたが以前は「ボック」の名で親しまれていました。
ドイツ語でビールのジョッキを意味する言葉だそうです。
先代社長で創業者である福原善之助氏が社名と店名に採用されましたが、先に商標登録されていることがわかりました。
それで震災後、地域の皆さんに「ボックさん」と親しまれていたことからそのまま「ボックサン」を店名にしたそうです。
本店は山陽電車の東須磨駅の南側にあり車窓からよく見えていましたし、地元ではかなりおいしいと昔から有名でしたので
非常に身近な存在でした。
近年、三宮、大阪に出店が相次ぎ人気のケーキ屋さんになられたんだなぁとうれしく思います。
神戸にこだわり県外からの出店依頼はすべて断られてこられたそうですが、これからは神戸、大阪から
全国区になられますように期待しています!
本店所在地 神戸市須磨区山陽電車東須磨駅前
2009.1.1 記
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◆ ジュンク堂 1963年(昭和38年)〜 |
1963年 大同書房として元町にて創業。
1976年 センター街に本社を移転。
会社名を父親の"工藤淳"の名からジュンク堂と改名。
1982年三宮東サンパルビルに300坪の大型専門書店サンパル店がオープン。
驚いたことにここに喫茶店が設置されました。
次々と各地に支店を開店。
大都市に広大な床面積を持ち圧倒的な本の品揃えは驚くばかりです。
店内の喫茶店もそうですが、立ち読み禁止どころか椅子にて本をどうぞと言われたことには
驚きました。
その意表をつく商法はあっというまに全国に広まり、大都市のどこでもジュンク堂の名前を
みることができるようになりました。
神戸から全国へ、本当に大きな会社になりました!
本店所在地 神戸市中央区三宮町
2009.1.19 記
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◆ ピノッキオ 1961年(昭和36年)〜 |
創業1961年。
村上春樹氏の「辺境・近境」にもこのピノッキオのことが載っています。
ー散歩がてらに山の手の小さなレストランまで歩く。。。
このレストランがピノッキオです。
店を入ると少し薄暗く落とした照明の向こうに大きなテーブルの上のベルが目に入ります。
このこだわりは3つ。
生地は水を一切使わずミルクのみで。
ソースは30種のスパイスを使って2日間かけて煮込む。
チーズはデンマークのモッツァレラとオランダのゴーダチーズ。
一枚一枚焼き上げられたピザには三角のピザカードがついてきます。
「IN MEMORY OF YOUR VISIT」
あなたが食べたピザは何枚目かのピザであるということが記録されているのです。
最近のピザはナポリ風の薄い生地が流行りですが、ここのピザ生地は分厚い方なのですが、
味わい深いおいしい生地だといつも感心しているのです。
神戸市中央区中山手
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◆ フジッコ 1960年(昭和35年)〜 |
1960年。創業当時はとろろ昆布の販売でした。
昆布は輸入統制品。
輸入量に限りがあるので、商売の拡張は望めません。
そこで考えたのが昆布と相性のいい豆でした。
そしてこだわったのが無添加、無漂白、合成保存料無添加。
それぞれの時代のニーズに応え、商品は時代が求めるものになっていきました。
2007年、ポートアイランドにある本社ビルの横のビルを買い取り研究棟として、
ますますいろんな方面にユニークな展開を見せてくれると期待しています。
なにしろ近年はお弁当箱の分野にも進出してきました。
ご飯茶碗の形のお弁当箱。
ばかり食い(同じものばかり食べること)を防ぐ、まわるおかず入れ。
いつもあっと驚くアイデアに感心してしまいます。
フジッコの食品はお弁当作りのお母さんの強い見方です!
フジッコHP
本社:神戸市中央区ポートアイランド
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◆ ワールド 1959年(昭和34年)〜 |
神戸のニット卸会社に勤めていた畑崎前社長が上司の木口衛氏を誘って1959年に創業。
二人が勤めておられた会社の名は「エンパイア」
その会社を超えようということでそれよりも大きく、せめて名前だけでも大きなものにという
気概で社名を「ワールド」とされたそうです。
さまざまな新しいアイデア、たとえば上着、スカート、小物などの組合せで服装を考える「トータルコーディネート」
などの提案や自社商品だけを扱う「オンリーショップ」などで大きく飛躍しました。
ポートアイランドに本社を移し、いまや神戸のブランドになっています。
本社:神戸市中央区ポートアイランド
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◆ 新開地トシヤ 1950年代?〜 |
以前は三宮にもあったと言われるトシヤ。 ある時忽然と三宮から姿を消したが実は新開地に移転。 震災後も地元の熱い応援の元、建て替えをした大衆食堂。 そば焼きは、中華そばではなく日本そばを豚肉、野菜で炒めたもので色は真っ黒。まずびっくり。 しかし色は真っ黒がそのそばのしなやかさ、またソースのまろやかさに二度びっくり。
すき焼き定食も実においしいです。 冬になると熱〜いすきやき定食が食べたくなりますねぇ。 定番のそばは、50年前から昆布とイリコで作るシンプルな味付。 こんな麺の感触も他では知りません。 やみつきになるこの味。 見渡すと近所の常連さんが多そうです。 ほっこりできるこんなお店。 お店の方のサービスも気持ちがよく、夏にはお茶とお水が最初にいただけました。うれしいものです。
トシヤに関してはきむちさんより最初の投稿があり、当HPで話題になったとき、玄太郎さんより情報を寄せていただきました。
このたび玄太郎さんより了解をいただきましたので再掲させていただきます。
トシヤ追記2003.6.1
尚、2003年5月26日、ティファさんからも下記の情報をいただきました。
トシヤは新開地本店、三宮支店、元町支店とがあったそうです。
三宮支店は区画整理等により閉店、また夏だけでなく年中お冷とお茶とをだしていただけるそうです。(^0^)v
お店データ
住所 : 兵庫県神戸市兵庫区新開地6-2-25トシヤマンション
電話 : 078-575-6658
営業時間 : 朝11:20〜夜8:30
定休日 : 木曜日
交通手段 : 神戸市営地下鉄、または神戸高速鉄道:新開地駅から 新開地商店街を南へ。徒歩
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◆ バラ食品梶@1955年(昭和30年)〜 |
神戸の地ソースのひとつです。
長田六間道の端にあります。
長田はおいしいお好み焼き屋さんがたくさんありますが、そのおいしさの秘訣のひとつは
この地ソースにあるようです。
バラソースを使っている長田の有名店はたくさんあります。
所在地 神戸市長田区 六間道
2007.8.21 記
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◆ いかりスーパーマーケット 1953年(昭和28年)〜 |
元町駅の北側の小さなバラックで洋菓子メーカー「いかり堂」が出発点でした。
創業者の行光博志氏はお兄さんが興された洋菓子メーカー「いかり堂」に入社。
その後1961年に独立。
尼崎・塚口にスーパーを開くときも「いかり」の名前を選ばれました。
今は関西屈指の高級スーパーになったいかりスーパーマーケットですが、"いかり”は神戸元町から見た碇山のイカリからつけられたそうです。
(行光博志社長談)
丈夫な紙の袋はとても重宝します♪
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◆ アシックス 1949年(昭和24年)〜 |
1949年 鬼塚喜八郎氏、鬼塚商会を創業。
タコの吸盤にヒントを得て、靴底を吸盤状にした国産初のバスケットシューズを商品化。
またオニツカタイガーのブランドで国内はもちろん、国際的にも有名になりました。
1977年 オニツカ梶A潟Wィティオ、ジェレンク鰍ェ合併し、潟Aシックスとなる。
1961年 毎日マラソンに出場のため来日中のアベベにシューズを提供。
そのシューズでアベベは毎日マラソンに優勝。
いちやく、アシックスの名を高めました。
アシックスの社名は、紀元2世紀の初め、ローマの風刺作家ユベナリスの
「Mens Sana in Corpere Sano(もし神に祈るならば、健全な身体に健全な精神があれかし、と祈るべきだ)」のMensを「躍動する精神」という、 より動的な意味をもつ 「Anima」に置きかえ、その
頭文字をとってASICSとされたようです。
鬼塚氏がスポーツを通じて青少年を健全に育成することを願った命名です。
所在地 神戸市中央区 ポートアイランド
2007.10.1 記
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◆ トアロード デリカテッセン 1949年(昭和24年)〜 |
神戸ハイカラのトアロードにあるデリカテッセン。
おいしいハムやスモークサーモンが欲しいとき、ここに来ればきっと満足できるお店です。
昭和24年創業。
ここの2階のカフェでゆっくりとおいしいサンドイッチも。
なんだか本当に神戸を味わえるお店だと思います。
HPをのぞくと、「グルメ神戸」
おぉ〜神戸からの贈り物にぴったりかもです。
所在地 神戸市中央区 トアロード
2006.12.7 記
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◆ 神戸にしむら珈琲店 1948年(昭和23年)〜 |
 
以上旧店舗
戦後まもなく代用大豆を珈琲豆のかわりに用いた時代。
そんな時代に極上の一杯を提供したお店。
中山手通のビルの隙間に、ランプなどの生活雑貨を売る店が開業。
それが後に「にしむら珈琲店」となりました。
最初は珈琲もなかったのですが、現オーナーの川瀬喜代子さんが雑貨の他に出身地の京都の菓子を
並べました。
するとハイカラな神戸の土地柄、お客さんからお菓子と一緒に珈琲が飲みたいとの要望があり、
店内にテーブルを並べてお菓子と珈琲を提供しました。
これが「神戸にしむら珈琲店」の原点だそうです。
神戸にしむら珈琲店は日本で初めてストレートコーヒーというメニューを提供しました。
その他いろんなメニューを組み入れ、珈琲店のパイオニアという役割を担ってきました。
北野店は日本初の会員制喫茶店として1974年open。
会員の方に一度連れていっていただきましたが、赤い絨毯と珈琲をもってきてくださる
スタッフの方のエレガントな長いスカートが印象的でした。
震災後は会員制ではなくなりましたが、パーティーなどいろんな用途で使われています。
あの分厚いコーヒーカップは昭和39年に登場したそうです。
中山手の本店は2005年2月1日よりあくる年の2006年5月まで、震災の痛みもあり本店建物を建替える
ために休業しました。
そして以前の店舗より高さも増したりっぱな本店に建替えられました。
上の2枚の写真は建替え前の旧店舗の写真です。
尚、にしむら珈琲店全店に提供するケーキは御影のセセシオンです。
にしむら珈琲店HP
所在地 神戸市中央区中山手
2006.12.9 記
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◆ 元町ケーキ 1947年(昭和22年)〜 |
1947年(昭和22年)創業 「元町のケーキ屋さん」「ママの選んだ元町ケーキ」で古くから親しまれてきました。
名物は「ざくろ」
今風のきらびやかさはないけれど、おかあさんが我が子に選ぶのはこんなケーキ。
ほうらこんな大きなイチゴと差し出したいケーキです。
安くておいしくて素朴なケーキ♪
所在地 神戸市中央区
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◆ イスズベーカリー 1947年(昭和22年)〜 |
1947年(昭和22年)創業 「イスズベーカリー」
1世帯あたりの年間パン消費量は食パン、その他のパンとともに神戸が全国のトップだそうです。
それまで食パンといえば四角い形が当たり前だったときに、この会社はふたをしないで焼いた山食を売り出しました。
「イスズの山食」
イーストの量は少なめ、生地をこねあげる温度を低めにするのがイスズベーカリー流。
発酵に時間はかかるが口どけがよく、ひきのある食感になります。
平成10年度、現社長の井筒英治氏はパン部門で初めて神戸マイスターに認定されました。
イスズベーカリーという名も先代の井筒氏と鈴木氏が共同出資してできた会社で井筒の井(イ)と鈴木
氏の鈴(スズ)とをカタカナであらわした名だそうです。
所在地 神戸市中央区
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◆ 神鋼環境ソリューション 1946年(昭和21年)〜 |
1946年 叶_戸製鋼所山手工場の一部に琺瑯工場を建設。
1954年 米国 ファウドラー社と技術提携。神鋼ファウドラー鰍設立。
1989年 社名を神鋼ファウドラー鰍ゥら神鋼パンテック鰍ノ変更。
1995年 阪神淡路大震災により本社ビル倒壊。
2003年 神鋼環境ソリューションと社名変更。
水処理、廃棄物処理、リサイクル処理など優れた技術によって地球環境への貢献を目指しています。
神戸市他と同社が共同開発を進めてきた「こうべバイオガス活用設備」が完成。
下水処理過程で発生する消化ガスのエネルギーとしての有効活用が実現。
このガス販売が開始された「バイオガスステーション」で自動車に供給されます。
神戸市はこの天然ガス仕様の市バスが7台運行されているので、CO2排出削減に貢献しています。
その他、海水の淡水化や汚染水の浄化などに使われる”膜”の寿命や処理効果を高める研究開発も
手がけ神戸発の環境専門企業として注目されているホープです。
所在地 神戸市灘区
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◆ ひかり 1945年(昭和20年)〜 |
所在地 神戸市兵庫区稲荷市場内
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◆ 星電社 1945年(昭和20年)〜 |
1945年(昭和20年)創業の老舗家電店
家電とエレクトニクスの、三宮を中心とした地域密着の店。
ラジオパーツの専門店として卸と小売を手がけた。
1954年(昭和29年)当時の人気歌手の藤山一郎氏に社歌作曲を依頼。
歌唱も藤山氏で社歌が完成。
う〜ん、これは聞いたことがありません。(笑)
1971年 家電のみではなく住まいと暮らしを提案する総合専門店を目指す。
1972年 1961年以降全国展開を目指していた路線を、店を県下に集約する経営革新を断行。
1995年 阪神淡路大震災
三宮本店をはじめ7店舗が全壊、6店舗が半壊あるいは一部損壊。
2002年経営破たんし、民事再生法が適用される。
民事再生法の適用後、マツヤデンキ(大阪市)の支援で経営再建を進める。
昔からここに来れば家電は揃うと思っていました。
がんばってほしいお店です。
所在地 神戸市中央区三宮センター街
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◆ 欧風料理もん 1936年(昭和11年)〜 |
三宮生田筋の老舗です。
ここのメニューも調理方法も創業以来からまったく変わっていないそうです。
値段も約20年ほど前から変わっていないとか。
ここの名物はなんといってもビーフカツレツ。
そのデミグラスソースの味と、肉の柔らかさは最高です!
震災では全壊してしまいましたが、あのあたりではいち早く再建し、おいしいお料理を出されました。
レトロな看板は創業以来のものだそうです。
田辺聖子さんが「オール読物」の取材に寄せた一文が看板にありました。
「七夕の前日 通るや 生田ロードの"もん"の味 平成10年7月6日」
あの絶品のビーフカツの写真はどうしても掲載です〜
神戸新聞読者クラブ 欧風料理もん
所在地 神戸市中央区生田筋
2008.12.9 記
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◆ UCC上島珈琲 1933年(昭和8年)〜 |
1933年(昭和8年)UCC上島珈琲の前身である上島忠雄商店が創業。
1951年(昭和26年)上島珈琲を設立。
1969年(昭和44年)世界初となる缶コーヒーの製造販売を開始。
1987年(昭和62年)神戸ポートアイランドに「UCCコーヒー博物館」を開設。
1891年 UCC上島珈琲に社名変更。
1969年4月に販売を開始した世界初の缶コーヒーは、現在たったひとつしか残っていないそうです。
それは下から赤、白、茶色のコーヒー缶。
この貴重なサンプル缶は現在ポートアイランドの本社、社長室に保存されています。
現在のようにプルタブで開けるのではなく、缶の上部に細長い缶切りが乗せられているコーヒー缶です。
コーヒー缶のアイデアは創業者である上島忠雄氏がある駅の売店で瓶入りのコーヒー牛乳を電車が来るまでの
時間内に飲みきれず、瓶は当時売店に返さなくてはいけなかったことからなんとか社内にも持ち込めて
瓶を返すわずらわしさなしにどこでも飲める飲料を開発できないかと考えられたことからでした。
開発されたコーヒー缶は折りしも1970年に開催された大阪万国博覧会のパビリオンで爆発的に売れ、一気に認知度が
高まったのでした。
ポートアイランドにあるコーヒー博物館はコーヒーの博物館としては世界唯一だそうです。
所在地 神戸市中央区ポートアイランド
2006.12.7 記
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◆ フロイン堂 1932年(昭和7年)〜 |
神戸のおいしいパン屋さんをあげるなら必ず名前があがるお店です。
1代目の竹内善次郎氏は、テレビ「風見鶏」の主人公で有名な「フロインドリーブ」からのれん分けされ「フロイン堂」を開店しました。
時間によっていくつかの種類のパンの焼き上がりが違います。
食パンが非常に有名ですが、焼きたてのぶどうパンを食べるとそのおいしさは忘れられません〜。
オーブンもミキサーも使わず手でこねて、ドイツ式のレンガ窯で焼き上げる非常に手間のかかったパンなのです。
クヌギの薪を、燃やし余熱が適温になったときに焼くそうです。
初代、2代目善之氏、3代目隆氏によって受け継がれるパン作りはおいしいパン屋さんが多い神戸の中でも一目置かれています。
いつ行っても長い行列ができているお店です。
所在地 神戸市東灘区
2006.12.7 記
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◆ モロゾフ 1931年(昭和6年)〜 |
1931年創業。
ロシア革命後に日本へ亡命してきたモロゾフ氏と日本人が「神戸モロゾフ製菓」を設立。
5年後には全国に通用するようにと「神戸」を社名から消したそうです。
これは残念です。
もう一度「神戸」をつけてほしいです。
喫茶店などを含め全国で約870店を展開。
CS(顧客満足)向上を目指しユニークな研修をしています。
独自の研修は2006年1月からスタートしましたが、非常な効果をあげ出展先の百貨店から表彰されたりという
こともあるそうで、同業他社からも研修依頼が舞い込むほどでその成果は2006年1月から売り上げが
伸びていることからも証明されています。
またバレンタインデーにチョコレートを贈る風習を広めたとされています。
ここのプリンのガラス容器はどこの家庭にでもあるとかの伝説も。(笑)
本社所在地 神戸市東灘区
2008.12.5 記
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◆ 神戸紅茶 1929年(昭和4年)〜 |
1929年(昭和4年)紅茶等食料品卸売業「須藤信治商店」創業 三井物産株式会社の神戸地区の有力特約店となる。
●昭和30年「株式会社須藤信治商店」と改組。
本社を神戸市生田区におく。
●昭和32年 英国・リプトンシャの指定工場となり、紅茶の製造を始める。
●昭和36年 日本で最初のティーバッグ自動包装機械「コンスタンタマシン」をドイツから導入。
国内で初めてティーバッグの製造を始める。
●昭和42年 本社を神戸市東部第二工区に移転。
●平成5年 100%子会社、神戸紅茶株式会社より「神戸紅茶」ブランドで紅茶製品の販売を始める。
●平成18年 株式会社須藤が子会社の神戸紅茶株式会社を吸収合併、新会社名を神戸紅茶株式会社と変更。
本社所在地 神戸市東灘区住吉浜町
2008.10.1 記
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◆ 好日山荘 1928年(昭和3年)〜 |
大正13年(1924年)日本で初めての登山用品店「好日山荘」が大阪にでき、続いて4年後の1928年に神戸好日山荘ができました。
藤木九三氏を中心として神戸で創設されたROC(Rock Climbbing Club)の仲間が東京店を開店。
神戸・好日山荘はフラワーロードと三宮センター街本通りにありましたが、現在は三宮御幸通りに移転。
以前は山小屋風の店がシンボルでしたが、今はおしゃれなお店になっています。
社名は「人の世の交わりは日々好日でなくてはならない」日々好日とは「天候がどうであれ、よい日と思えば
その日は自然を受け入れて幸せな一日になる」という思いをこめて「好日山荘」としたそうです。
戦後、神戸店が法人化し、全国にチェーン展開しましたが、これは登山・スキー専門店としては初めての
ことだったそうです。
神戸・好日山荘は新田二郎の小説「孤高の人」のモデルである神戸出身の加藤文太郎氏など登山愛好家のサロンとなって
多くの登山家が集まりました。
今もその歴史は続き、登山用品、スキー用品、スポーツ用品専門店として多くの人のよき相談相手、パートナーであります。
その歩みは好日山荘物語 で詳しいです。
一時、取扱商品をテニス、ゴルフなど拡大。
1985年には山のイメージから脱却しようと社名を「コージツ」と変更しましたが、その後売り上げ不振のため
150近くあったチェーン店の7割を閉鎖。
原点にたちかえり「好日山荘」の名を復活しました。
本社所在地 神戸市中央区御幸町
2007.11.5 記(一部2008.12.10追記)
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◆ 潟Eエシマコーヒーフーズ 1927年(昭和2年)〜 |
創業当時はトアロードに面したところにお店を出していたのですが、その後都市計画で現在の場所に
移りました。
お店を開いた頃から外国人のお客様が多かったそうです。
外国人は部屋に写真を飾ったり、絵を飾る習慣があったので神戸に居られる外国人、また観光で来られた
外国人がよく店に立ち寄ったようです。
額縁のことならプロフェッショナルな神戸の老舗です。
本社所在地 神戸市中央区
2008.12.16 記
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◆ 潟Eエシマコーヒーフーズ 1925年(大正14年)〜 |
ユ・コーヒー・ウエシマグループの食材は10,000種類を超えました。
輸入・製造・加工・販売の一連のビジネスをトータルにカバーする企業です。
1970年(昭和45年)潟Eエシマ 設立
1999年(平成11年)潟Eエシマコーヒーフーズに社名変更
珈琲が香る街 神戸から全国へ
上島一泰社長は在神ブラジル名誉領事館の名誉領事です。
潟Eエシマコーヒーフーズ
本社所在地 神戸市中央区三宮町1丁目
2007.1.7 記
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◆ 春陽軒 1925年(大正14年)〜 |
新開地の豚まんのお店。
大正14年創業の老舗です。
豚まんは小ぶりで、珍しいことに味噌味で、タレも味噌味です。
これはおやつというよりビールに合います。
昔は豚まんのお店というより中華料理のお店だったようです。
古い創業の頃の写真が掲げてありましたが、「元祖和風中華料理店」とあります。
本社所在地 神戸市兵庫区新開地
2008.12.10 記
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◆ フロインドリーブ 1924年(大正13年)〜 |
1924年(大正13年)ドイツ人で、敷島製パンの初代技師長を務めたハインリッヒ・フロインドリーブ氏が神戸市中央区に開店。
1955年(昭和30年)有限会社ジャーマン・ホームベーカリーを設立。
1995年の阪神大震災で本店が被害が出、一時休業状態になりましたが、近くの1928年に建てられたゴシック様式の
教会、旧ユニオン教会を買い取り2年かけて改築。
1999年11月11日、新本店としてオープンしました。
1階を店舗、2階の礼拝堂をカフェとした素敵な本店です。
実はこの教会は現フロインドリーブ代表取締役社長であるヘラ・フロインドリーブ上原さんご夫婦が38年前に
結婚式を挙げられた思い出深い教会でした。
7歳から「神戸っ子」、いえもう生粋の神戸っ子である、ヘラさんは「もっと神戸を愛してほしい」と
おっしゃいます。
どれほど人気が出ても「基本は神戸でしか売らない。」、百貨店への出店も「神戸だけ」。
神戸にこだわったお店です。
本社所在地 神戸市中央区生田町
2008.12.7 記
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◆ ばら食品 1920年代?(大正時代)〜 |
神戸の長田にはお好み焼き屋さんがたくさんあります。
そしてそのお好み焼き屋さんはそれぞれ、おいしい地ソースを使っています。
その中の神戸が誇る地ソースのひとつに、ばらソースがあります。
昔のお好み焼きは醤油かウスターソースを塗っていたそうなのです。
さらりとしてすぐ鉄板の上に流れてしまいます。
昭和30年、このばら食品の当時の当主である浦野正義氏が流れないとんかつソースを開発
されました。
今では明石から大阪まで約200店のお好み焼き屋で使われているそうです。
ばらソースはウスターソース、とんかつソース、焼きソバソースがあります。
長田に行くとこのお店がある六間道の端にまで足を伸ばすのですが、残念なことに
よく行く日曜日はこのお店はお休みなのです。(泣)
また、次の機会まで。
お好み焼きソースが切れてしまいました。
所在地 神戸市長田区 六間道
2006.12.7 記
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◆ 富士通テン 1920年(大正9年)〜 |
1920年(大正9年)川西機械製作所創立
1949年(昭和24年)財閥解体により解散、神戸工業株式会社設立
このころ、江崎玲於奈氏が神戸西代の社員寮に住まい、神戸工業株式会社でカソード(陰極)から の電子放射の研究をされていた。
1968年(昭和43年)神戸工業株式会社、富士通株式会社が合併。
ラジオ部門は富士通株式会社神戸工業部の所属となる。
1972年(昭和47年)富士通株式会社からラジオ部門が分離・独立。
富士通テン株式会社設立。
「富士通テンは音を通じて社会に貢献します。」
この音へのこだわりからコンサート主催・協賛など音楽を通じたさまざまな社会貢献活動に取り組んでいます。
神戸ジャズストリートでもおなじみの協賛会社です。
また1997年から市社会福祉協議会と連携し、楽器を福祉施設に贈り続けています。
所在地 神戸市兵庫区
2008.12.22 記
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◆ 新明和工業梶@1920年(大正9年)〜 |
ー1920年 川西機械製作所
神戸市兵庫区に開設された川西機械製作所の一部門として飛行機部を設置。
これが川西航空機鰍フ母体となった。
ー1928年 川西航空機
世界的な優秀機である二式飛行艇、海軍局地戦闘機紫電改など多数の航空機を製作したが
終戦により航空機の製造を中止。
ー1949年 新明和興業
航空機の製造を中止したので、社名を変更。
「明るく和していく」という意味を込めたそうです。
川西航空機鰍フ蓄積された飛行艇、航空機作りのノウハウを基に航空機、産業機械、
特殊車などの産業分野に進出
ー1960年 新明和工業鰍ノ社名変更
US-1A型 救難飛行艇
水陸両用飛行艇「US-1A型救難飛行艇」「US-1A改」
甲南工場(神戸市東灘区)で製造する飛行艇は海上自衛隊が運用。
新明和の開発した消防飛行艇は山火事等の消火に内洋や湖水等からだけでなく外洋に着水、取水し
消火にあたることができる画期的な飛行艇です。
この飛行艇は13秒間に15トンの水を取水することができ、何度も往復して消火にあたることができます。
また空港ロビーと航空機とを結ぶ航空旅客搭乗橋は圧倒的なシェアを誇ります。
本社は宝塚市新明和町ではありますが、神戸市生まれの会社として掲載させていただきました。
写真は「US-1A改救難飛行艇」けろさん撮影です。
2003年12月18日、神戸六甲アイランド東で初飛行に成功。
本社所在地 宝塚市新明和町
2007年2.4記
★★★追記 2007年3月5日 up
2007年2月、神戸市東灘区青木で見つかった不発弾は、1945年5月11日米軍が空襲で使った
250キロ爆弾だということです。
攻撃目標は現在の東灘区深江南町にあった川西航空機甲南製作所。
投下された爆弾は計460トンに上りました。
多くの市民が犠牲になりました。
この不発弾は時を超え、62年後の2007年3月4日処理されました。
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◆ ビオフェルミン製薬株式会社 1917年(大正6年)〜 |
1917年(大正6年)2月12日
神戸市中央区北長狭に叶_戸衛生実験所として設立。
乳酸菌整腸薬「ビオフェルミン」を製造。
販売を兜嵩c長兵衛商店(現在の武田製薬梶jに委託。
1919年(大正8年)5月、神戸市長田区2番町2丁目に社屋移転。
1949年(昭和24年)6月、商号をビオフェルミン製薬鰍ノ変更。
1995年(平成7年)1月 阪神淡路大震災により被災。本社、工場の倒壊。
1996年(平成8年)3月 本社を神戸市長田区三番町に移転。
お腹にやさしい下痢止めで全国に有名です。
長寿研究で注目される乳酸菌を日本で商品化した。
創始者は海外から乳酸菌を取り寄せて活性培養に成功し、乳酸菌製剤の製造に着手した。
震災の時は、本社、工場が全壊。
会社の命の乳酸菌は会社近くに住む社員が倒壊した社屋に入り埋まっていたところを掘り起こし
リュックに入れて運びだしました。
温度の変化に弱い乳酸菌なので、社員の協力で電源が確保できるところまで
運ばれました。
命をつないだ社員のリレーで現在の会社があるのですね。
この会社が神戸の会社だと知ったのは最近のことでした。(恥)
小さい頃よく飲んだ記憶があります。
ビオフェルミン ホームページ → http://www.biofermin.co.jp/
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◆ 老祥記 1915年(大正4年)〜 |
南京町 老祥記
1915年(大正4年)1代目曹松h氏が神戸南京町に開店。
「ぶたまん」とう名の発祥の店です。
その歴史は老祥記の軌跡に詳しいです。
店の前にある南京町広場は区画整理前にはなかったようです。
今、南京町広場にはこのお店のぶたまんを買うために、いつ行っても行列が作られています
長い歴史を経て、ガラス戸口にあいた穴はあまりにも有名。
ぶたまんは非常に小さく、ぶたまんの皮はパンのようというよりもまさしく皮という気がします。
最近、南京町広場を隔てて2店舗目を出店しました。
南京町 南京町広場前 |
◆ 海文堂 1914年(大正3年)〜 |
店内は二階に通じる階段のところにいつも神戸の風景の絵が飾られ、うれしくなるお店です。
本を探す時以外でも展示にいろんな工夫がしてあり、ぶらっと立ち寄ると何がしかの楽しい思いをします。
2階の海事書コーナーはさすが、海文堂の名のとおり、海に関する書物であふれ貴重なコーナーとなっています。
1981年から使われている現在のブックカバーは帆船が描かれいかにも港神戸を表しています。
書店のブックカバーの収集団体である「書皮友好協会」より「第22回書皮大賞」に選ばれました。
個性的な神戸の書店、自慢の書店であります。
HPも充実しており目が話せません。
また「本屋の眼」は隠れたベストセラーと思います。(笑)
海文堂 HP
神戸 元町商店街 |
◆ 住友ゴム工業 1909年(明治42年)〜 |
1909年10月4日
住友ゴム工業の前身、住友護謨(極東)株式会社は英国ダンロップが浪速町62に本社を置いて
創業。
この会社の創業は神戸に大きな影響を与えました。
神戸港の生ゴム輸入は、ぐんと増え明治14年には国産タイヤ第一号が生産され、ダンロップはタイヤの
代名詞にもなりました。
本社:神戸市中央区脇浜3-6-9
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◆ バンドー化学 1906年(明治39年)〜 |
1906年 前身の阪東式調帯合資会社が創業。
1906年4月14日
阪東直三郎氏が発明した我が国初のコンベアベルト…阪東式木綿調帯の伝動ベルトの生産を開始
1909年 広島県海軍工廠から、欧州製鋼板切断機に木綿ベルトを採用するための試験使用の誘いがあり
その試運転の際、阪東直三郎氏はちぎれた調帯の直撃を受け亡くなられるという悲しい出来事がありました。
しかし、神戸で英国のダンロップ社がゴム工場を起し、同社も木綿ベルトにゴムを圧着する改良を重ね1913年に
新製品として発売すると安くて丈夫なこのベルトは大いに売れ、第一次世界大戦の影響で海外からの輸入ベルトが
入ってこなくなるとさらに同社のベルトは売り上げを増しました。
1937年 株式会社に改組。阪東調帯護謨に社名変更。
1961年 阪東調帯ゴム
1970年 バンドー化学と社名変更。
1995年 3月本社を三宮グランドビルに移転
2007年 10月本社をポートアイランド新社屋に移転
2006年4月、創業100周年を迎えたのを機に2007年10月にはポートアイランド二期に本社を移転。
同社は運転中のベルトの蛇行を防ぐ制御部品を開発したり、ベルト自体も素材を見直すなどの改良を重ねています。
現在も従来の断面がV字型伝道ベルトに変わり断面が平型の伝動ベルトを使った稼動システムを開発しました。
創業者が開発した木綿製品のベルトは今も本社ショールームに飾られています。
ベルトをはさんだアクリル製の箱には「1910年(明治43年)当時の阪東式木綿調節帯 カットサンプル」との
説明文が記されています。
本社:神戸市中央区ポートアイランド
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◆ ドンク 1905年(明治38年)〜 |
2008年4月にドンクのパン職人、西川さんがフランス・パリで開かれるパンの世界大会、ベーカリー
ワールドカップに日本代表で出場されます。
今までもたくさんの優秀なパン職人を生み出してきたドンク。
神戸市兵庫区御旅筋商店街に1905年、藤井パンを開業。
当時は神戸造船所の外人技師向けのパンでした。
1918年陸軍省のパン供出命令で差し出したパンが広く世間に知られるようになりました。
それまでは一般の人はあまりパンを食べなかったようです。
1923年現在の神戸電鉄湊川駅の隣にミルクホール併設のパン店を開業。
戦災で兵庫区の店が全焼したため1946年2月元町通に店を開店。
1947年に三宮センター街3丁目に移転。
1951年商標をドンクと改めると共に本店を三宮トアロード筋角に構えました。
ドンクの名はドンキホーテからとったそうです。
1995年1月 阪神淡路大震災で本社屋全壊。
が、くじけず翌1996年には早くも本社屋を再建。
2005年には創業100周年を迎えました。
今や全国、全世界に乗り出す神戸の自慢のパン屋さんです!
ドンクには商品開発部門というのはなく国内外のグループ180店がそれぞれパンや菓子を企画・製品化しています。
そのためグループの店から独自のヒット商品が次々と生まれ、全国で商品化されているのです。
京都店が開発したうぐいす豆入りの「アリコベール」、九州の店の明太子入りのフランスパン。
銀座発祥のチョコブレッド。
静岡市内の店舗から生まれた「コーンパン」など各地のアイデアが商品となって実りました。
また現「ビゴの店」の社長であるフィリップ・ビゴ氏による店舗と工場とを直結させるアイデアにより
焼きたてのパンを出すことができるようになり大いに人気を得ました。
ドンクは各地グループのパン職人によって新しいアイデアが次々と生まれ進化していっています。
ドンク
神戸市中央区三宮街2丁目 本店
2007.7.24記 2008.12.14追記
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◆ 三菱重工業 神戸造船所(神船) 1905年(明治38年)〜 |
三菱重工の基幹造船所の一つ。
「長崎は長男坊、神船は次男坊」と例えられる。
コンテナ船、潜水艦、深海潜水調査船などを得意とする。
兵庫区にある本工場、明石市二見町にある二見町、三菱神戸病院(神戸市兵庫区)からなる。
戦後の過度経済力集中排除法による旧三菱重工業の分割で誕生しました。
1905年(明治38年)8月8日のことです。
船の修繕基地としての出発でした。
翌年1906年、新船建造。
1917年にはなんと量産自動車を製造。
この日本初の技術は後年の三菱自動車工業となります。
蒸気機関車D51(デゴイチ)を生産したのも神船です。
潜水艦を作る技術にも長けた神船ですが、1930年のロンドン軍縮会議で日米英で軍艦の保有数を制限。
潜水艦の製造中止に追い込まれた神船は、日露戦争で沈んだ巡洋艦「アドミナル・ナヒモフ号」の金塊を引き揚げる
仕事の注文を請負ました。
そしてこれを機に探査船の建造をすすめるきっかけとなったのです。
探査船の初号機は秘法探しの「開洋」(かいよう)、1989年には神船が造船した「しんかい6500」が有人探査船では
世界最深の6527mの潜航に成功しました。
これはチタン加工のノウハウを持つ神戸製鋼所との技術の結束のたまものでした。
掘削技術でも得意のシールド掘削機で1989年貫通のドーバー海峡トンネルで威力を発揮しました。
環境対策にも力を入れ、プロペラや船体の設計で多くの特許を持っています。
たとえば自動車運搬船の船首や側面の角を落とす船体、プロペラの後ろの羽根車あのような装置
「ステータフィン」(プロペラを回して船が動いている間、回転に伴って水中に巻き起こる渦を、船の
推進力に変える)などの特許です。
神戸港内で、沿岸のどこからでもよく見え、次に進水する船の建造を市民の皆さんが
見守っている神戸の誇りの造船所です。
神戸市兵庫区 本社
2008.11.21記
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◆ 三菱製紙 1898年(明治31年)〜 |
三菱製紙のHPでは岩崎久弥氏がウォルシュ氏兄弟が経営していた製紙会社を譲り受け
合資会社神戸製紙所を設立したときを会社の創立としています。
元は三宮1丁目にウォルシュ兄弟が製紙工場を建設。
米国から製紙機械を輸入し1879年(明治12年)から上質紙(洋紙)の製造を始めました。
これがコーベ・ペーパー・ミル(神戸製紙所)です。
経営は順調でしたが輸入製品のダンピングなどで行き詰まったところに手を差し伸べたのが
岩崎弥太郎氏でした。
岩崎とウォルシュ兄弟は以前長崎での時代からの知り合いで協力関係にありました。
三菱の手にわたった神戸製紙所は工場を高砂に移し、「三菱製紙株式会社」となりました。
1925年(大正14年)、本社を高砂市から東京都千代田区有楽町に移転。
1981年(昭和56年)、本社を東京都千代田区丸の内3丁目4-2に移転
現在に至ります。
古い写真には三宮京町の海側にけむりを吐いているコーベ・ペーパー・ミルの煙突をみることが
できます。
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◆ 神戸風月堂 1897年(明治30年)〜 |
神戸元町で最初に洋菓子の製造販売を始めました。
創業111年の老舗です。
明治30年12月12日、東京風月堂からのれんわけをしていただいた吉川市三氏が、現在の元町通3丁目に
神戸風月堂を開店。
フランス菓子に和のテイストを加えた和洋折衷のお菓子、ゴーフルは昨年で誕生80周年を迎えました。
それを記念してマンゴー・ブドウ・バナナのクリームをサンドした「ゴーフル・オ・フリュイ」が
新発売されました!
ゴーフルは創業者・古川市三氏が考案発売しました。
元は常連客がフランスから持ち帰ったお菓子を日本人好みの味と生地を薄くしクリームをはさむなど
して変えたものだそうです。
第二次大戦時には缶の生産停止、製造中止に追い込まれましたが1951年に復活。
1995年の阪神大震災の時には西区の西神工場や東灘区の工場も半壊。
しかし、生産を再開したのは半月後、神戸市民にあの味の復活で希望を与えてくれました。
1966年頃より缶のデザインを多様化。
神戸の風景など盛りだくさんでお土産に喜ばれています。
本社:神戸市中央区元町通3丁目
2008.12.7記
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◆ 川崎造船所 1896年(明治29年)〜 |
1896年 株式会社川崎造船所設立
1939年(昭和14年)川崎重工業株式会社となる。
2002年(平成19年)川崎重工業株式会社から独立。創業当時の社名、株式会社川崎造船所となる。
神戸工場では民間用船舶のみならず、艦艇や海洋機器の製作、それらに関係する各種部品も扱っている。
大正2年には巡洋戦艦「榛名」が進水。
当時の艦船建造技術からすれば記録ずくめの巨艦でした。
海上自衛隊や海上保安庁の船の修理も行っています。
これらは遊覧船から見ることができ、神戸ならではの風景となっています。
国内工場は神戸と坂出。
神戸工場は潜水艦、高速船、バラ積み運搬船を。
坂出工場はLNG船、コンテナ船など大型で付加価値の高い船を扱っています。
本社:神戸市中央区東川崎町3-1-1
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◆ 本高砂屋 1877年(明治10年)〜 |
    
本高砂屋
神戸元町に「紅花堂」の屋号で瓦せんべいを作り始めたのがその創業。
瓦せんべいは亀井堂も同じ頃より作っておりますが、その頃の神戸で爆発的に人気になったものだったのでしょう。
その後、しばらくたって明治の終わりごろ、丸い形のきんつばである江戸きんつばに変わって「高砂きんつば」を考案されました。
「高砂きんつば」神戸ではきんつばといえばこれしか思いつかないのですが、四角い六面焼きのきんつばです。
昭和45年(1970年)「エコルセ」登場。
今に至るまで神戸の銘菓です。
瓦煎餅の技術が「エコルセ」に伝わっている気がします。
元町6丁目 |
◆ 放香堂 1874年(明治7年)〜 |
元町 放香堂
その前身は天保年間の京や江戸へ出荷していた東源兵衛の和束茶(宇治茶)の商いでした。
和束茶は神戸開港と同時に貿易の主流となり神戸の居留地にも商館が建てられました。
その頃の居留地の建物を調べてみると実に多くの茶貿易の商館、倉庫があったことに驚かされます。
明治7(1874年)年からは茶貿易をおこなう一方で小売りも展開し、
神戸に和束茶(宇治茶)の専売機関として放香堂を創業しました。
明治11年12月26日の讀賣新聞に載っている広告です。
「珈琲豆販売および店頭にて喫茶ご自由」
なんと「コフイー」の字も見えます。
これは日本で初めての喫茶店の広告なのです。
今日も元町3丁目のこのお店からは「お茶どうぞ♪」と元町通りを歩く人にお茶を勧める声が聞こえてきます。
このときばかりは紅茶もコーヒーもいいけれど、日本茶はなんといい香りだろうと引き寄せられます。
そして一杯の熱いお茶をごちそうになるのです。
いつもご馳走様です。
元町3丁目 |
◆ 亀井堂総本店 1873年(明治6年)〜 |
亀井堂総本店
屋根瓦の形に焼いた瓦せんべい。 誰でも知っている神戸の銘菓であります。
神戸では何かというとこのお菓子が目に付きます。 亀井堂総本店は1873年(明治6年)創業。 湊川神社は1872年(明治5年)創建。 そして神戸駅も同じ頃1874年(明治7年)にでき元町から湊川神社への道は参拝客で大いににぎわったそうです。
卵をふんだんに使ったこのお菓子はとても高級で当時はぜいたくせんべいと言われていたそうです。
今ではとても日本的に見えるせんべいが当時はとても目新しい洋風せんべいとさわがれたとか。
同じ頃にできた湊川神社の菊水のマークが入っています。
そして今年は阪神タイガースが活躍しましたが、ここ亀井堂総本店は元町にあって店の前はいつもタイガースであふれていたのです。 今ではどこでもタイガースグッズやタイガースマークの食品があふれていますが、ここはもうずっと前からの本家です。
元町6丁目 |
◆ 菊水総本店 1868年(明治元年)〜2010年1月11日(月)閉店 |
    
菊水総本店
瓦せんべいで有名な菊水総本店。
楠公さんと神戸っ子に親しまれている湊川神社の前にあります。
瓦せんべいは神戸の名物で必ず登場するもので、瓦せんべいで有名なお店はたくさんありますが、
ここは一番老舗でしょうか。
お正月には楠公さんへの初詣客が、店頭に湯気をあげて売られている酒まんじゅうを
ほうばる姿がみかけられます。
熱々のお饅頭は、それはおいしいです♪
震災前は7億円の売り上げをあげましたが、震災で大きな被害を受け工場、店舗等の補修、
建て替え、売り上げの減少で苦境に陥りました。
現在は本社を初め、神戸・大阪の百貨店やホテル、駅売店など18箇所で販売。
経営不振でUCCに支援を要請。
菊水の6代目当主とUCC社長とは大学の同窓のため、由緒ある老舗の名前を残すため支援を決定。
ここに2006年11月9日付けでUCCウエシマ珈琲の子会社となります。
神戸港開港の頃からの老舗。
がんばってほしいです!
創業当時の写真
神戸空港内の菊水茶廊(2010.2.10追加)
神戸市中央区
2006.10.1記
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