★ あの時 神戸に
こんなものがあった!
その1

神戸にこんな建物があった…。
神戸にこんな会社があった…。
しっかりと記憶にとどめたいと思います。

日本初の岸壁用コンテナクレーン




◆1967年(昭和42年)

日本で最初のコンテナクレーンは神戸港の摩耶埠頭に設置されました。
このコンテナクレーンは三井造船株式会社により昭和42年10月に製造され、神戸港に納入されたものです。
アウトリーチは33.5m。
バックリーチは7.0m。

神戸海洋博物館にはこのコンテナクレーンのミニチュアモデルが置かれています。
そしてクレーンの運転室にあった実物銘板が保存されています。

2010.2.16記

神戸市制100年


◆1989年(平成元年)4月1日(土)

1989年神戸市は市制100年を迎えました。
一年を通じていろんな記念の催しが開催されました。
記念式典は神戸ポートアイランド記念ホールにて。
招待客4,000人。

神戸100年記念イベントの主なものは以下の通り。

3月21日(火)〜3月26日(日)
    写真とデータでみるこうべ100年展
4月 1日(土)〜4月 2日(日)神戸産業100年展
4月 1日(土)
  映画100年(映画上映と淀川長治氏の講演)
     4月 5日(水) 水の科学館オープニングイベント 南極の氷等
4月 9日(日)市民ロードレース大会
4月12日(水)神戸100年企業表彰&記念講演会
記念施設として しあわせの村の開村
六甲アイランドの整備
布引公園(現ハーブ園)の建設
神戸市新庁舎の完成(8月)

2008.2.14記

神戸南洋植物パーク



入場チケット 写真提供:hiroさん



当時の南洋パーク内 写真提供:hiroさん


◆1964年(昭和39年)
     〜1983年(昭和58年)頃?

昭和58年10月1日発行 兵庫県大百科事典上巻
(神戸新聞出版センター)によりますと。

神戸南洋植物パークは、 「昭和39年11月(1964年)に開設された。
一の谷丘陵地で鉢伏、鉄拐の両山を背に、東南には神戸の市街地、大阪湾、さらに 紀州の山なみまでも望見できる眺望絶景の場所にある。
この植物パークは、かつて日本から海外移住をした人々の救援事業資金を得ることを 第一目的として設立されたが、熱帯植物に関する総合的な知識の普及、熱帯果樹栽培の 目的があったことはいうまでもない。
栽培されている熱帯植物は百数十種約6,000株である。
主なものはマンゴー、パパイア、アボガード、バナナ、ストロベリーなどの果樹、 ブーゲンビリア、ハイビスカスなど色鮮やかな花を咲かす熱帯花木、クロトン、クマシダ、サボテンなど 各種の観葉植物である。
大温室前には熱帯スイレン、オオオニバスも見られる。
この植物パークでは果樹類の実が熟する頃に訪れるとその佳味を味わわせてくれる特色がある。」

現在は荒れ果て、鬱蒼と茂る熱帯植物の森林地帯となっています。
この付近は大正時代から昭和初年まで異人山と呼ばれるくらい、外国人の住まいが多く 異人館がたくさん建てられていたようで、この南洋植物園への入園者はその異人館見学も させてもらえたそうです。「須磨の歴史」田辺眞人氏

3枚目、5枚目の画像は実際に南洋植物園に入場されたhiroさんにいただきました。
昭和40年代の頃の入場券で入場料は50円だったそうです。

今も付近の案内板には「神戸南洋植物パーク」の名が見えます。

いつ頃まで存在していたのかという確かな資料はないのですが、この南洋パークの記述がみえる 兵庫県大百科事典の発行が昭和58年ですので、この年までは存在していたことは確かなようです。

2008.10.2記

新開地 神戸タワー



◆1924年(大正13年)
     〜1968年(昭和43年)

かつて湊川公園に新開地のシンボルとして、神戸っ子自慢の神戸タワーがありました。
老朽化のため取り壊しになりましたが、建設当時は東洋一の高さで紀淡海峡まで見えると の評判だったようです。

今はその跡地に往時の姿を偲ぶ時計台が建設されています。
新開地 神戸タワーのモニュメント 時計台

2008.2.26

神戸市兵庫区 新開地

川崎重工のガントリークレーン



◆1912年(大正元年)
     〜1962年(昭和39年)11月

当時の神戸の名物はこの川崎のガントリークレーンでした。
ここで民間造船所初の戦艦、金剛型戦艦の3番艦「榛名」が造られました。
4番艦の「霧島」は三菱長崎造船所でこの「榛名」と競うように作られ、なんと1915年4月19日の同日に2艦とも 竣工されました。

「瑞鶴」「大鳳」もここで造られました。
このガントリークレーンは長さ330メートル、高さが50メートルもあり、街のどこからでも見えた神戸っ子自慢のクレーンだったそうです。

神戸市兵庫区 川崎重工

新開地名物 びっくりぜんざい





◆1930年代?(昭和初期)
     〜1950年代(昭和30年代)

新開地名物”びっくりぜんざい”。

新開地には、面白い名物がたくさんあります。

びっくりうどんというのもありますが、それはびっくりするほど大きなアゲが入っているものでした。

このびっくりぜんざいはおわん?どんぶり?いっぱいの小豆に10センチ四方の大きなお餅が、入っていたそうです。

当時”びっくり”はちょっとした流行語で、いかにも面白がりで新し物好き、いちびり精神いっぱいの神戸っ子の好きそうな命名だと思います。

今回、新開地100年を記念したイベントのひとつで1日だけのびっくりぜんざい復活を新開地100年PR委員会が企画してくださいました。

昔と同じく、面白がりの神戸っ子がわんさか集まり、湊川公園は行列でいっぱいになりました。

楽しい企画をありがとうございました!

2006.3.25

神戸市兵庫区 新開地

大井牛肉店 旧建物



現在は明治村


◆1871年(明治4年)
     〜1950年代

JR神戸駅の東、元町6丁目入り口の西に今もある大井肉店。

今の建物の前はこんな洋館のような建物でした。
大井肉店のHPには資料室に昔のその建物の写真があります。
昔の大井牛肉店
こんなりっぱな建物が牛肉店としてあったのかと感嘆するばかりです。

この建物は戦時中の戦火をかいくぐり、戦後の神戸市の区画整理事業のために移転、取り壊しの 話が出ましたが犬山市明治村に移築されることになり、現在尚この姿をとどめています。

---------------------------- 大井牛肉店
木造2階建 延139.19平方米(42.1坪)
旧所在地 神戸市生田区元町7丁目

この建物は、明治の初年から神戸港に入港する外国船や在住外国人などに 牛肉を収めていた岸田伊之助が、神戸の中心地元町通りに、明治20年頃牛肉屋兼すきやき屋として 建てたものである。
様式的には神戸の西洋館によく似ているが、いかにも港町のハイカラな明治の洋風商家の 店構えである。
牛肉を食べるということは、断髪、洋服などと共に、文明開化の一つとして各地に広まり、 江戸時代までの食生活に変化を起こさせた。
寄贈者 岸田伊兵衛殿
----------------------------
元あった場所: 神戸市中央区 元町7丁目

みなと祭りの歌



◆1933年(昭和8年)

第一回みなと祭りは11月7日〜11月8日に行われました。
国際行列、回顧行列、花電車、手踊りが市中を行進。
各区から選ばれた祭りの女王がパレードに。
神戸新聞によりますと、この日の人出は100万を超えたとか。
しかし、迫り来る不況のために戦前のみなと祭りはこの第一回が最高の人出だったようです。
(神戸開港百年史)
このときの、「みなと祭り」の歌のレコードが兵庫区のまちなか倶楽部に展示されていました。

「神戸よいとこ扇の海 ヨンヤサ 
招く入船宝船 ソレ
拍子そろへてヨイヨイヨンヤサ
港おどりをヨイノヨイ」
古賀政男作曲、歌、赤坂小梅

鈴木商店




鈴木商店本社跡に建つ
日本郵便貯金会館


◆1877年(明治10年)
     〜1927年(昭和2年)

この半世紀の間、三井、三菱をもしのぐ怪物のような総合商社が神戸に存在しました。
その場所は本社は数箇所に変わったのですが、その最盛期時の所在地は現在日本郵便貯金会館となっているところです。
当時のミカドホテル新館を買い取り本社としました。(1914年〜1920年)
この場所で鈴木商店は1918年の米騒動による焼き討ちにあい、全焼しました。

明治の初めの砂糖の取引から始まり、樟脳、ゴム、木材、電機と次々に扱う商品を増やしていき 大きな会社に成長しました。

1927年に昭和大恐慌による台湾銀行の破綻によって倒産に至りましたが鈴木商店が設立した会社は 今もそのDNAを伝えています。
神戸製鋼所、帝人、日商岩井(現在の双日)、豊年製油、石川島播磨重工業、サッポロビール、大日本精糖など 300社を越える会社がその後継社なのです。。

元あった場所 中央区 栄町 相生町 

明治378年戦役捕獲砲台 湊川神社前





◆1906年以降(明治38年以降)明治中期

明治中期の絵葉書です。
湊川神社前に大きな砲台があります。
明治378年戦役とありますから、日露戦争の時の捕獲砲台だということです。
写っている人間が小さく見えますのでよほど大きな砲台だと思われます。
楠公さんの前にこんな大きな砲台が飾られていたのですね!

中央区湊川神社前  

オッペンハイマーフレール商会






◆1897年(明治30年代)

オッペンハイマーフレール商会
神戸居留地の28番館。
明治村、神戸山手西洋人住居として飾られています。
1886年(明治19年)にはオペンヘーマル兄弟商会の名が日本絵入り商人録の中に見えます。
1905年(明治38年)にもその名前が確認されています。

居留地28番

元の神戸から離れてしまいましたが、愛知県明治村の静かな湖畔で大切に保存されたたずんでいました。

元あった場所 中央区播磨町  

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