★ あの時 神戸に
こんなものがあった!
その2

神戸にこんな建物があった…。
神戸にこんな会社があった…。
しっかりと記憶にとどめたいと思います。

UCC」珈琲本社「がんばろや!神戸」




◆1995年(平成7年)

ポートアイランドにあるUCC珈琲本社。
震災後大きな「がんばろや!神戸」で神戸市民を励ましました。
UCCは世界で初めて缶コーヒーを作って販売した会社です。

ポートアイランドUCC珈琲本社

約5年もの仮設住宅




◆1995年(平成7年)〜1999年(平成11年)

震災から、約5年。
1995年3月頃から始まった仮設住宅入居でしたが、高齢者や障害者から優先入居され兵庫県内で48,300戸の仮設住宅が 建てられました。
ポートアイランドでも3,100戸の仮設住宅が建てられました。
悲しい辛い時期でした。

兵庫県 神戸市 全域

神戸国際会館ハーバーランドプラザホール



◆1995年(平成7年)12月
     〜1999年(平成11年)4月

三宮にあった国際会館が全壊したあと、跡地に新国際会館が再建されるまでの期間、ハーバーランドのキャナルガーデン横(現在のパルティーレ神戸ウエディングビレッジの場所)に「神戸国際会館ハーバーランドプラザホール」が作られました。
「芸術や文化の灯を消してはいけない」といって10ヶ月の突貫工事で作られた仮設の施設ですが、りっぱなもので中に入ると本格的な劇場のように思えました。
簡易工法とはいえ、客席数は旧会館とほぼ同規模の千九百席、照明、舞台装置も完備したりっぱな劇場でした。
1996年(平成8年)12月8日にはシンディ・ローパーのコンサートも行われました。
シンディは被災地神戸へ何度も足を運んで、被災者への寄付もしていただいています。

またロックグループの「シカゴ」のコンサートも行われたそうです。
新国際会館が再建されたあと、この施設は取り壊され現在はウエディング施設となっています。

神戸市中央区 ハーバーランド

ポートライナー装飾列車 ルナ号 走る!




◆1998年(平成10年)12月1日

ポートライナーの装飾列車、ルナ号は最初は1995年12月の阪神淡路大震災の鎮魂のために始められた ルミナリエの装飾が描かれたものでした。

ルナ号とはルミナリエ装飾列車のことです。
その後、列車の上部を1本の電飾で飾るだけのものとなりました。

ポートアイランド線

明石海峡大橋 開通記念 ブリッジウォーク






◆1998年(平成10年)3月21日〜22日

1998年(平成10年)4月5日の開通を前にして、記念ウォークが行われました。
なにしろ車道だけの橋なのです。
最初にして最後のウォーキングは2日間で8万人の参加がありました。

参加は事前申し込みで競争率も高かったようです。
ウォーキングの他にマラソンも行われ、この参加者は2万人でした。
車で通るとあっというまですが、歩くとかなりの距離でしたが、青空の気持ちのよい日、誰の顔も 笑顔だったのが印象的でした。

明石海峡大橋 神戸市舞子〜淡路

◆ 幻の名物 ”へそ” キングスアームスの名物


キングスアームズのお写真は、
またの様よりいただきました。


◆〜1997年?

東遊園地の東側、フラワーロードをへだてて小さな2階建てのイングリッシュパブがありました。
その名はキングスアームス。中に入ると1階はダーツで遊べるところがあり外人がダーツを興じていました。
震災でダメージを受けたようですが、それでも壊滅状態のフラワーロードの建物の中で、健気に建っていました。
震災後2年ほど営業していた記憶がありますが、いつの間にか取り壊されていたのです。
そこで名物の「へそ」がありました。このイングリッシュパブの名物は神戸中央通の地下1階にできた「エンジェルズシェア」に受け継がれ「へそ」も復活しました。
しかし、この「エンジェルズシェア」も閉店し、この「へそ」は本当に幻の料理となったのです。
 
思いがけずご連絡いただいた方から、今となっては伝説となった「キングスアームス」のお写真をいただきました。
そのメモリアルに、ここにupさせていただきます。

キングスアームス所在地:神戸市役所前
エンゼルズシェア所在地:神戸市中央区 神戸中央通地下1階

神戸大橋 仮橋




画像提供DAIさん


◆1995年(平成7年)8月1日
     〜1996年(平成8年)6月27日

神戸大橋仮橋
「ポートアイランドと市街地を結ぶ神戸大橋の北側基部の取り付け道路の復旧を島内交通を遮断しないで行うため 新港第三突堤から神戸大橋北側へ仮橋を架けました。
平成7年8月1日から平成8年6月27日まで使用しました。」

阪神淡路大震災で損壊したポートライナーの復旧工事が終わり1995年(平成7年)7月31日に全線開通。
それまで代替バスが1月24日〜7月30日まで走っていました。
ポートライナーの全線開通と交替に橋の道路の復旧工事にかかりましたが、 急に出現したこの橋を見て本当に驚きました。
まるで戦国時代の一夜城のようでした。
この仮橋を歩いて渡りました。
そして必死に復旧作業をされる方々をすごいと思いました!


所在地:神戸市中央区 

蘇れ!より強く!、よりしなやかに





◆1995年(平成7年)〜

阪神淡路大震災で甚大な被害を受けた神戸港の復興が始まりました。
新港の耐震工事の着工時の写真です。
神戸みなとぴっくすにて、港の復興過程が展示されていました。

新港東岸壁(−12m)築港工事では「蘇れ!より強く!よりしなやかに」と大きく書かれた ケーソンが沈められました。
今も神戸港の海底でこの願いが書かれたケーソンが港を見守っていると思います。

所在地:神戸市中央区 新港突堤

自衛隊のお風呂

ハーバーランドの
震災写真展にて撮影



◆1995年(平成7年)1月
     〜1995年3月

阪神淡路大震災でライフラインが止まりました。
水道の水はポートアイランドでは3月末まで通りませんでしたので、全国各地の給水車にお世話になりました。
しかし、一番困ったのはお風呂です。

寒い冬の日。
小学校の校庭や新港第一突堤に設営された自衛隊のお風呂にお世話になりました。
各地の温泉の湯を運んで入れてくださいました。
お風呂も人数に限りがありますのでバスの中で順番を待ちます。
雪が降る夜でも、自衛隊の方はお風呂への道の案内などのため突堤入り口に立ち お世話してくださいました。
熱々温泉の湯と感謝の気持ちでほっかほかになりました。

立看板には「入浴支援所」
陸上自衛隊 第三師団
 海上自衛隊 第一輸送隊 みうら温泉
奇数日 男性
偶数日 女性
入浴時間 午前9時〜午後6時


所在地:神戸市中央区 新港第一突堤

旧バジャージ邸(ペルシャ館)

2003年背山の北野道から撮影


2003年背山の北野道から撮影


2003年背山の北野道から撮影


◆大正年間
     〜1995年(平成7年)1月17日

木造2階建、切妻造、上げ下げ窓。

北野に残っていた一番古い異人館だったそうです。
阪神淡路大震災で被災したまま修理、解体もされず放置されています。
持ち主は海外にいて市のよびかけにも答えず、建物はこのまま朽ち果てていきました。

北野異人館 ペルシャ館

ペルシャ美術館だった当時は2階にペルシャ帝国時代の陶磁器が飾られていたそうです。
今も二階のステンドグラスは陽に輝き、この建物が生きていたときはどんなに美しかったことかと 想像させます。

朽ち果てていく姿は全国から廃墟マニアの話題にのぼっています。

所在地:神戸市中央区 北野
 

神戸阪急ビル

1995年1月20日撮影
全壊した阪急ビル



◆1936年(昭和11年)
     〜1995年(平成7年)1月17日

阿部美樹志の設計、竹中工務店の施工。
鉄筋コンクリート造り地上5階地下1階。
通学に使った阪急三宮駅のこのビルを最初で最後に撮ったのがこの写真です。
こんなふうに潰れてしまうまでは当たり前のように思っていたビルでした。
しかし、ビルから電車が飛び出るようなすごいビルだったのだとあとになって実感しました。
阪急百貨店、阪急シネマ、阪急会館、阪急文化、三宮劇場(三劇)がありました。
1階東口には映画の大きな宣伝画があり、今思えば懐かしい風景です。

所在地:神戸市中央区 

神戸新聞会館

1995年1月20日撮影
全壊した新聞会館



撮影者不明

作成者DAIさん

作成者DAIさん


◆1956年(昭和31年)
     〜1995年(平成7年)1月17日

1956年新開地よりJR三宮駅前(当時国鉄)に移転。
1995年1月17日全壊、1995年9月取り壊し完了、駐車場に。
地下3階地上9階建て。戦後の三宮復興シンボルとして登場。
震災時、地下にあった印刷工場はもうすでに神戸市西区の製作センターに移転していたが、コンピューターシステムは壊滅。
しかし、幸いにも緊急時の相互支援協定を結んでいた京都新聞社の協力で1月17日夕刊が発行されました。
こんな時でも新聞が来る!新聞社が潰れても新聞が来る!
配達先がなくなっていることもあったでしょう。
ぺらぺらの薄い薄い新聞を新聞配達の方は瓦礫の中を配られました。
新聞会館の北面は入居していた山一證券のシンボルの富士の絵が描かれ、北側のJR三宮駅のホームからも見ることができました。
遠くから帰ってきたとき、このビルの富士の絵を見て、神戸に帰ってきたと実感したということもよくききました。

またポートライナーはこのビルをぐるっとまわりこの富士の絵を眺めてポートアイランドに向かうのでした。
震災から2年後の1997年、その山一證券もバブル崩壊後の金融危機で破綻。
震災がなくてもこのシンボルの富士の絵はなくなっていたかもしれません。

最後に上映されていたのはシュワルツネッガーの「ジュニア」が7Fシネマ1で、シネマ2ではジャッキー・チェンの「酔拳2」でした。
そして雛人形の大売出しの垂れ幕が下がっていました。

震災前のこの新聞会館の風景をDAIさんが描いてくださいました。
懐かしい新聞会館の風景です。
題して「1995年1月16日午後3時」

所在地:神戸市中央区 

ポートアイランド西バース 1.17


◆1995年(平成7年)1月17日

震災の時のポートアイランド西バースの様子です。
液状化でドロの海となっています。
この時のキリンはこんなにたくさんいました。
恐ろしさで震えています。

所在地:神戸市中央区 ポートアイランド

旧海洋気象台





◆1920年(大正9年)
     〜1995年(平成7年)1月17日

海洋気象台の標本木。
震災で全壊した海洋気象台はHAT神戸に機能と建物を移転しました。
旧海洋気象台の跡地には残された標本木がいくつかありました。
その中には全壊するまでの気象台で神戸の標本木として桜の開花を知らせた木がありました。
今もその木は海洋気象台の跡地で毎年花を咲かせています。

大正9年(1920年)8月25日、日本で初めての海洋気象台が神戸・中山手の高台に開設されました。
鉄筋コンクリートの地上2階・地下1階の瀟洒な洋館の建物は民間からの寄付によって建設され、 当時の所管官庁であった文部省に引き渡されたもの。
海洋気象台の前身は、明治29年(1896年)12月に設置された県立神戸測候所。
神戸では出入港船に気象情報を提供するため、初代の神戸港長イギリス人ジョン・マーシャル氏が すでに明治8年(1875年)10月から港務所で1日1回の提示観測を始めていました。」
神戸新聞

所在地:神戸市中央区 中山手

日東館書林

震災直後に撮影しました。

◆1926年(大正15年)以前
     〜1995年(平成7年)1月17日

震災以前、神戸にはここに来れば、探す本は必ずあると言われた本屋がありました。
元町を歩いたとき、ぶらっと用がないのに寄った本屋さんです。
元町商店街1丁目の東口。
隣は花屋さんでした。
神戸市内の教科書もここで調達できたのでした。

阪神淡路大震災で全壊。
その元の姿をまったくとどめない潰れた建物を見て、涙を流した人も少なくないと思います。
高速長田の駅ビル、垂水にも支店?がありました。

神戸都市計畫圖 大正15年3月10日印刷 大正15年3月20日發行
・合資會社 日東館書林(神戸、發賣所)
・縮尺10,000分ノ1

という本もあるようですから、神戸の老舗だったのですね。
跡地は今は今はホテルになってしまいました。
あの前を通ると、たくさんの本が並んでいた店内に入るときのワクワク感を思い出します。

所在地:神戸市中央区 

栄光教会

画像はfalconさん提供

◆1922年(大正11年)
     〜1995年(平成7年)1月17日

設計は曽根中条建築事務所。
70年余り神戸の街の象徴としてありました。
このあたりの中心をなすものとして、深く心に刻まれた風景でしたが、震災で倒壊。
倒壊後、10年近くも仮設の教会で信者さんたちのお祈りが続けられました。

このゴシックの重厚な外観は再建された栄光教会にも受け継がれています。

所在地:神戸市中央区下山手通り
  2008.12.7記

大興ビル


◆1919年(大正8年)
     〜1995年(平成7年)1月17日

設計は設楽建設事務所。
鉄筋コンクリート3階建てのビルにはポロ・ラルフローレンが入っていました。
重厚なビル内におしゃれな装いが良く似合い、神戸らしいところでした。
前年のクリスマスの頃、このビルでラルフローレンのファッションを眺めたのが最後です。
クリスマスの飾り付けが窓辺に美しく、街を彩る素敵な雰囲気でした。
このビルを撮ったたった一枚の写真が震災で壊れた姿でした。

1985年〜1989年には現在高砂ビルに入っている「突撃洋服店」が入っていました。
内田汽船本社ビルとして大正8年に建てられました。

所在地:神戸市中央区播磨町45
 

幻の軍艦ホテル 摩耶観光ホテル





◆1932年(昭和7年)春
     〜1994年(平成6年)営業停止

鉄筋五階建て、L字型アールヌーボー風。その形から軍艦ホテルと親しまれた。20畳敷きの岩風呂、屋上ビアガーデンがあったらしい。ここから眺める景色はすばらしく屋上ビアガーデンが今にあれば絶対人気となると確信する眺め。1944年戦争激化に伴い摩耶ケーブル運行停止、摩耶観も営業停止。ケーブルの線路は資材提供。終戦後いったんは再開するもののケーブルがなければ人はこず、また営業停止となる。1955年摩耶ケーブルが設置されたがロープウェイは山頂行きとなり摩耶観は通過点となり取り残されてしまった。1962年改装、再OPEN。しかし再開からわずか6年で台風、塩害のため閉鎖においこまれる。1974年より学生のコンパ等に使われるようになりゼミ、サークルの宿泊施設として1994年まで営業。しかし1976年の天上寺炎上により摩耶山頂は登山する人も減りさびれてしまった。1995年1月17日阪神淡路大震災。再び摩耶ケーブル・ロープウェイは休止。かくも数奇な運命をたどる摩耶観光ホテルは全国の廃墟愛好家の格好の話題の的となり密かに訪れる人が絶えない。その間、吉川晃司、田村正和などの出演するTVドラマの舞台となったこともある。最近では2003年1月小泉今日子主演の「風の又三郎」でも使われた。(残念ながら見逃してしまったので見ることはできませんでした。)阪神大震災にも耐えたこのホテルは今も静かに神戸の街を見下ろしている。

神戸市灘区 摩耶山

コウベハイボール

コウベハイボールのマッチ
(またの様提供)






旧朝日会館


上記の写真は1990年に廃刊
となった「雑誌バッカス」7月号より。


◆1954年(昭和29年)
     〜1990年(平成2年)閉店

「コウベハイボール」
多くの人に惜しまれて閉店した「コウベハイボール」は旧朝日会館の地下にありました。
今でもその店、マスターを懐かしむ声をよく聞きます。
成田一徹さんの「神戸の残り香」にも紹介され、バーとは無縁だった私にとっては、この神戸の名バーを想像するばかりです。
この「コウベハイボール」の常連でいらした、またの様よりその粋なバーの素敵なエッセイを いただきましたのでお願いしてここにupさせていただくことにしました。
神戸にこんな素敵なバーがあった!

その店は1954年〜1990年の36年間に亘り、同じ場所で同じスタイルを貫き通してきた店だ。
変わったのは値段だけで、サントリーの白マルのハイボール1杯が開店した昭和29年が100円で 平成2年の閉店した時が450円だった。私が常連として通いだした頃は確か140円だったと思う それ以来は店が無くなるまでの30年以上も飽きもせず通い続けた。
今でもこの店のハイボールが 何処の店のハイボールよりも美味かったと信じている。(要は惚れていたのである)
 マスターの話では当時流行しだしたトリスバーより高級感のある店を目指したそうだ。
真っ白い バーコートに蝶タイで客とは一線を画して毅然たる態度で客と接していました。
好人物だが頑固な マスターと気軽に話しのできる迄には相当な時間を要したと思う。
閉店して既に15年が経つから マスターも84歳になる。
小耳に挟んだ所では今も元気で時に請われて後輩の指導に当たっている という、ご同慶の至りである。
神戸のGood Barとして戦後の復興から高度成長時代、バブル時代 バブル崩壊時代と時は移り変わっても通い続けた。
如何にも神戸らしい立飲みスタイルの粋な店で マスターの作るハイボール目当てに夜毎に紳士然とした常連客が集まってきたものだ。
その素敵な 店も無くなってしまったのだ。
「昭和は遠く成りにけり」と言うことか。(或る酒飲み老人の戯言)

また、スガさんもこのような記事を書かれています。
私の好きだったバー

ー最後のハイボールー
この春一軒のバーが店をたたんだ。
バーの名前は「コウベハイボール」
主は河村親一、68歳。 
ホワイトの炭酸割とピーナッツ。
そしてじゃがいものピクルス。
ただそれだけのメニューに36年間こだわり続けてきた頑固オヤジだ。
最後の夜、いつもは紳士然とした常連客も少し顔を赤らめ、声を上ずらせていた。
そしてマスターの作るハイボールには、いつものように微かなレモンの香りが漂っていた。
1990年7月号 雑誌バッカス記事より

またの様より、コウベハイボールのバックバーのお話をお聞きしました。
コウベハイボールのバックバーは大阪北新地に今もなお健在!
神戸調査隊は北新地に向かいました。
その後のコウベハイボール

関連記事追加
思い出のコウベハイボール Bar Heaven2008.5.7

神戸市中央区旧朝日会館地下
2006.2.15記

フェスピック神戸大会




◆1989年(昭和64年)9月15日(祝)
     〜9月20日(火)

この大会は身体障害者がスポーツを通じて自立とリハビリテーションの促進を図るとともに、障害者問題について 社会の理解と認識を深めることを目的に開催されました。
正式名は「極東・南太平洋障害者スポーツ大会」
金メダル5、銀メダル4、銅メダル3を獲得
開催は夏季パラリンピックの中間年が原則で神戸大会のあと、1994年中国・北京大会、1999年タイ・バンコク大会、2002年韓国・釜山大会、2006年マレーシア・クアラルンプール大会が開催されました。

1989年日本・神戸大会のシンボルキャラクターはモー太
今でも神戸農業公園でトーチを持って走っています。
大分走り続けてお疲れでしょう〜

参加37カ国、1,800人参加

神戸市北区しあわせの村等市内5会場
2008.2.6記

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