-想い出のコウベハイボールのバックバーとの再会-

成田一徹氏の著書『To the Bar』中で北新地サンボアの項目にコウベハイボールの
バックバーは店主の新谷尚人氏が特別に頼み込んで譲り受けたものだとの記事が目に
留まった

そして初めてその経緯を知る。
コウベハイボールと言えば30年余も通い続けてきた名店である。
閉店後16年になるが今でもあの雰囲気とハイボールの味は忘れられない。
これは何としても北新地サンボアを訪れ、あのバックバーと対面して
あの懐かしい雰囲気をもう一度味わいたいものである。
いざ出かけようとしたが一人では寂しい
しかし一緒にコウベハイボールに付いて語り合える相手でないと意味が無い。
一緒にコウベハイボールに通った連中も寄る年波か意外と少なくなっている。

やっと念願が叶い北新地サンボアへ行くことになる。
そして想い出のバックバーと対面することが出来た。

さすがに80有余年の歴史を誇るサンボアである。
控えめなサービスは積み上げてきた伝統の成せる業なのだろう。
サントリー角のハイボールも薄皮つきのピーナツも満点だ。

しかし、例のピクルスだけは真似できないらしい。

有難いことに3時から6時までは「ハッピー・アワー」として65歳以上の高齢者に
半額のサービスをしているのは嬉しいことだ。
それからコウベハイボールのファンから寄贈のマッチ箱が
バックバーの正面に飾ってある。
マッチ箱も居心地よさそうに我が家に帰った如く心地よく鎮座しているように
見えるのは思い込み過ぎかな?

マスターのコウベハイボールに対する思いも相当なものだと思ったのは引き取った
バックバーを1994年に自分の店を開店するまでの4年間も倉庫に預けていたいと
いうのだから並大抵のコウベハイボールに対する思い入れがなければ出来ないことだ。

マスターにとって自分の店を持つと決めた時にコウベハイボールの光景を一つの目標
にしたのだろう。
そうでなければ何年もバックバーを倉庫に寝かせて置く訳が無い。

  偶然に隣り合わせた、サンボア歴50年という老紳士とコウベハイボールについて
サンボアについてバーに関して語り合えたのも大いなる収穫だった。
バーテンダーも耳を傾けて静かに我々の話に聞き入ってくれている
という素晴らしい雰囲気だった。

ただ残念だったのは店主の新谷尚人氏が銀座店の勤務が主で北新地店には偶にしか
帰ってこないということで会えなかったのが心残りだったが仕方ないことである。

その後に店主の新谷尚人氏とは所在を確認してから、再び訪れて願望が叶いました。
他に客いない時間帯に色々と話を聞くことが出来た。
コウベハイボールの古い写真を
持ち出してきて話がはずみ楽しい時を過す。
河村さんの逸話については私の記憶との
違いは感じられなかった。

初耳だったのはコウベハイボールの開店に関してサンボアの重鎮4名が
連名で出した「開店御挨拶」の紙を見たことだ。
文面では当時のサンボアのプライドが如何に高かったが伺われる。
その疑問を解明すべく再び訪れて話をする機会を得た。

京都サンボアの主人が神戸の朝日会館地下の東端の店にバーを開いて「サンボア」と
名乗ったのは昭和22年のようです。
残念ながら後継者が育たず閉店することになる。
その店を譲り受けたのがミナミの「フランセ」に勤めていた河村親一氏ということです。

彼は「百円でまともなハイボールの飲める店がやれたら」と以前から考えていたようだ
「コウベハイボール」はそんな思いを込めてつけたそうだ。
最後は450円になったがその思いは最後まで貫き通していた。
多くのコウベハイボールのフアンを楽しませたあのバックバーが
サンボアに帰り咲いた姿を見ると何か因縁めいたものを感じます。

 

 

その後のコウベハイボール