神戸散策
トアロード
元町大丸の東の端からまっすぐ山の麓まで1kmのゆるやかな坂道 この道にブティック、デリカテッセン、画廊、レストラン、写真館、国際学校などが並んでいます。 一番山の突き当たりが神戸外国倶楽部。
昔、トアロードの名前の由来ともなったといわれるトアホテルが、このトアロードの突き当たり、今は外国人倶楽部になっているところにありました。 それは赤いとんがり帽子が3つ並んだまるでお伽話のお城のようなホテルだったそうです。 クラッシックな英国調、庭園は日本風、89の客室はすべて室内の色が違っていて客は好きな色が選べたとか。
夜毎にくりひろげられる紳士・淑女のダンスパーティー、また、食堂、バー、テニスコートも調い、海岸通のオリエンタルホテルと環境、設備、サービスで競い合い、当時スエズの東では最高級のホテルと称されたそうです。
このトアホテルのトアですが、なぜトアという名前がついたのか。
それはこのホテルが建つ前イギリス人F.J.バーデンズがここに大邸宅を構えThe Toaと称していました。
このトアホテル、時代は移り経営は米英からの日本、スイスへと変わり、その後川崎重工の病院、分院となり空襲も免れ終戦となりました。 そして運命の日、1950年4月22日午前零時出火!
そして1959年トアロードの丘の上のトアホテルの跡地にはKOBE CLUB(神戸外国倶楽部)が建てられました。
第二次大戦下、この元NHK、トアガーデンの道路を隔てた西側に難破船と称されるような安ホテルがありました。
-水枕 ガバリと寒い海がある。-
この句を読んだのは西東三鬼という俳人です。 ホテルの窓はトアロードに面しており、その窓に頬杖をつき三鬼はそこを行き交う人や、窓の下にくる人を眺めながら暮らすのでした。
そのあたりを歩いていると、そのころのエキゾチックな情景が浮かんできます。
今のトアロードは人通りこそ東の北野坂より少ないですが、独特の雰囲気を持ち、今又そのあたり一帯の東西を含めトアイースト、トアウェストと呼ばれ脚光を浴びています。
参考文献 ふりむけば港の灯り 轄品社
TOR ROAD STYLE BOOK (COSMOPOLITAN STREET) |