震災からもうすぐ11年。でもいっこうに元気を取り戻せない神戸。
失業率も全国平均より、又兵庫県平均より高い神戸。
やっとなんとか震災からがんばってきたのに息が切れて倒産する老舗のお店。
そんな神戸の街にエールを贈ります。
この歌は大好きな曲でポートアイランドの港島小学校でも皆さんが
上手に歌われていました。
そして震災10年の年、夢野中学の皆さんが3番を作ってくださいました。
この演奏曲はkmakowさんにいただきました。

この曲を神戸を拠点に活躍されているCooley High Harmonyが歌ってくれました。
臼井先生と明親小学校の皆さんも一緒に出演です。
「しあわせ運べるように」の動画

しあわせ運べるように 作詞・作曲 臼井 真

☆1.
地震にも負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも
毎日を大切に生きてゆこう

傷ついた神戸を元の姿にもどそう
支え合う心と明日への希望を胸に

響き渡れぼくたちの歌
生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌
しあわせ運べるように

☆2.
地震にも負けない強い絆をつくり
亡くなった方々のぶんも
毎日を大切に生きてゆこう

傷ついた神戸を元の姿にもどそう
やさしい春の光のような未来を夢み

響き渡れぼくたちの歌、生まれ変わる神戸の町に
届けたいわたしたちの歌しあわせ運べるように
届けたいわたしたちの歌しあわせ運べるように

☆3.
地震から10年苦しい事ものりこえ
当り前のようにすぎていく毎日を大切に生きて行こう
これからの神戸を僕たちが支えてゆこう
次は僕らが支えて行く神戸の街を

響き渡れぼくたちの歌、生まれ変わる神戸の町に
届けたいわたしたちの歌しあわせ運べるように
届けたいわたしたちの歌しあわせ運べるように

2005年12月3日。
1年にわたってくりひろげられた「震災10年 神戸からの発信」のフィナーレが神戸ウィングスタジアムでありました。
〜ありがとう!そして、明日からも〜

その開演は伴奏:小曽根実さん、神戸市立桂木小学校、中央小学校の皆さんによる合唱「しあわせ運べるように」でした。
その澄んだ声に震災からそれぞれが越えてきた10年を想いました。

そしてパンフレットに、この曲を作られた臼井真さんの言葉がありましたのでここに記載します。

★歌に託して
私が、この歌を作ったのは震災から約2週間後でした。

生まれ育った、神戸市東灘区の自宅は全壊、勤務先である小学校も2千人以上の方々の避難所という状況の中で、 親類宅で創作しました。

私は、自分が生まれ育った神戸の街が瓦礫と化し、変わり果てた状態になった時に、初めて 自分は神戸という街をとても深く愛していたのだということを知りました。

あんなに悲しいことがなければ、永遠に気づかなかったことかもしれません。

この歌を作ったときほど胸が痛く、切ない気持ちになったことはありません。

その時に、私は神戸の街を人間のようにとらえて思いを綴っていました。

神戸の街は傷ついただけなんだ、死んではいない。

神戸に住んでいる子供達の清らかな歌声が、苦しんでいる神戸の街に響きわたれば、 いつの日にか必ず傷も癒され元の姿に戻ってくれる…そんな願いを歌詞と曲に託しています。

神戸市立明親小学校 臼井真

2005.1.17 記
2009.1.13 動画追記