=================================プロジェクトN〜灘の挑戦者達 01
■灘駅よ永遠に〜灘駅弁をめぐる灘人達の果てしなき闘い
語り:灘口トモロヲ
平成16年、春。
JR灘駅の橋上化が決定された。
灘人達は愕然とした。
このままでは終わらせたくない。
誰もがそう思った。
灘駅のあのかわいい駅舎が壊されるのをこのままだまって見るだけで
いいのか?
お世話になった灘駅舎になにか我々でしてあげられる事はないのか?
naddist読者内に重苦しい空気が・・・漂った。
「そうだ!駅弁をつくってあげよう!一度も駅弁が売られることのなか
った灘駅舎のために、灘愛がつまった灘駅弁をつくってあげよう!」
声をあげたのは、
五毛(地車)ダンジリストの高羽乱麻だった。
急遽読者による「灘駅弁製作チーム」が結成され、熱い議論が始まった。
灘幕の内弁当。灘うなぎめし。灘洋食弁当。灘王子パンダ弁当。 灘女子
高坂弁当。灘インド弁当・・・様々なアイデアが展開された。
「灘区にとことんこだわった食材がぎっしり詰まった花見駅弁にしよう!
まずは、都賀川のさくら祭りで販売してみよう!」
みんな・・・うなずいた。
しかしこれは序章でしかなかった。
当たり前だが、誰も駅弁なんて作ったことが・・・なかった。
しかもその数は・・・100食だった。
それは灘駅弁製作チームにとっては、天文学的な数字・・・だった。
その時だった。
「ウチに手伝わさせてください!」
東畑原市場、『新家』の店長、テルが名乗りをあげた。
「うちは元々寿司屋ですから、100食の仕出しは可能です!」
『新家』のオーナー、ヒロが力強く続けた。
こうして特別仕出し部隊「新家灘駅弁仕出しチーム」が結成された。
そしてまた新たなハードルにぶつかった。
桜まつりはオオヤケの祭りである。
そんなところで駅弁なんて勝手に売っていいはずが・・・なかった。
「昨年の『灘印良品』の実績があるから、いけると思いますよ!
実行委員会にかけあってみます!」
灘区役所、桜まつり担当のA係長だった。
みんな、ほっと胸をなでおろした。
さらに灘の様々なエピソードを元に、様々な灘食材が議論にあがった。
「下町グルメ、水道筋のコロッケははずせない!」
叫んだのは、灘駅舎研究の第一人者、ドクターフランキーだった。
「ソースだ!プリンセスソースが必要だ!」
そして、つけあわせの野菜にはケンコーマヨネーズも必要だ!」
開発主任のnaddistがたたみかけた。
しかし、市販のケンコーマヨネーズはボトルタイプ、弁当に入れるものは
非売品・・・だった。
開発陣は皆あせった。
そこに1通のメールが届いた。
「弁当用のマヨネーズ、無償で提供しましょう!!」
それは、都通のケンコーマヨネーズ神戸工場管理課からのメールだった。
みんなの目に光が・・・戻った。
「春の弁当には灘の春が感じられる、たき合わせが欲しい。
灘の湯葉を使った湯葉巻はどうか?」
しかし、販売当日は調理の時間が少ない。乾燥湯葉を戻している時間など
・・・なかった。
製作をあせって湯葉が破ける恐れも・・・あった。
開発陣は皆黙り込んだ。
「うちの半乾燥湯葉使ってください!生湯葉と乾燥湯葉の中間の食材です。
神戸南京町でも使っている業務用の湯葉なんです!これだと戻す時間は
いりませんし、破けません!」
神戸唯一の湯葉専門工場、徳井町の北山食品の社長が誇らし気に言った。
みんなの目に光が・・・戻った。
「都賀川の鰻をモチーフにした『鰻飯』を入れたい」
鰻は焼き立てがうまい。焼き立てに限る。
しかし『新家』には、当日大量の鰻を焼く設備など・・・なかった。
開発陣はため息をついた。
「うちで、朝一番で焼きますよ」
マイスター系、鰻の名店、大石南町『山信』の主人が、さらりと言った。
鰻が焼き立てなら和牛コロッケも揚げたてを!という声もあがった。
「まかしといて!朝一番で揚げるからっ!」
熾烈を極める、水道筋コロッケ界の東の雄、灘中央市場『土居精肉店』の
主人が笑顔で答えた。
みんなの目に光が・・・戻った。
こうして9品の試作品が完成し、いよいよ試食会の日を迎えた。
「この『西郷酒ゼリー桜のトンネル風』・・・ていうやつ?
もう少しぴりっとした色使いが欲しいわね・・・」
試食に駆け付けた、食にうるさい畑原通『ままや』のママだった。
開発スタッフは低く・・・唸った。
「・・・そうね、赤、ビビットな赤が欲しいわね・・・何がいいだろ?
そうだ!梅肉に蜂蜜混ぜたものを爪楊枝でピッと入れてみたらどう?」
naddistは膝をたたいた。
そうだ!青谷の梅園を忘れていた。
かつて青谷には梅園があったのだ。
東の「岡本梅園」と並び称された「青谷梅園」
灘の記憶の食材を彩りに使おうというのだ。
軽く霞んだゼリーを通して見える桜の花びら、そしてピッと添えられた
梅肉ジャム。
これは、春の霞みの向こうに見える摩耶山の山桜、そして
記憶の風景である「青谷梅園」の鮮やかな赤を表している。
それは、初春から晩春にかけての灘山麓の記憶の風景に灘西郷の新酒の
香りが重ね合わされた灘の春の様相がレシピとして昇華した瞬間だった。
しかし大きな問題があった。
弁当のパッケージが見つからなかったのだ。
naddistはビジュアルにこだわった。
ある程度のビジュアルクオリティーは確保しなければ灘区民は納得しない。
そして、何より、灘にこだわった9品のおかずが美しく見えるパッケージ
でなくてはいけない。
パッケージ屋に問い合わせてみた。
「弁当箱?初めてのお客さんには、卸せないなぁ」
「うちのは、1個1500円だけど」
「300個からじゃないと売れないなぁ」
「お宅、何屋さん?審査に2週間はかかりますよ」
パッケージ業界は灘区に冷たかった。
どこからも冷たくあしらわれた。
どうする?
どこでどう仕入れれば良い?
開発陣は・・・途方に暮れた。
「うちで弁当箱、安く仕入れてあげますよ!協力しますよ!」
灘和菓子の名店『美吉堂』のおかみさんが、声をあげた。
正に救いの声で・・・あった。
開発スタッフ、仕出しスタッフ、灘企業、灘職人、灘おかみさん、灘主人、
灘区役所、みんなの灘愛が一つに・・・なった。
開発主任のnaddistは胸が熱く・・・なった。
そして「灘駅弁プロジェクト」の成功を深く・・・信じた。
その時だった。
naddist編集部の電話がなった。
「灘駅弁6つ予約します!」
「駅弁とっといてください、2つです」
「うちの分、8つね!」
「家族で食べるから3つお願いします」
それは灘駅弁発売の噂を聞きつけ、4月3日の発売日を待切れない、
灘区民からの予約電話・・・だった。
ヘッドラ〜イ テールラ〜イ・・・・・・・・・・・
時計は4月1日の午前11時を指していた。
4月3日の灘駅弁発売まで
あと48時間しか・・・なかった。
まだパッケージができて・・・なかった。
ヘッドラ〜イ テールラ〜イ・・・・・・・・・・・
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