それは一枚のお地蔵さんの写真の投稿からはじまりました。
玄太郎さんのHPの掲示板への投稿から路地裏談義がはじまりました。
1年ほど前のことです。
このたび玄太郎さんよりその「路地裏談義」を再掲したいとお申し出があり、毎夜続いたこのやりとりをこのHPでもUPいたしました。
路地裏談義
以下はサイト内掲示板での「路地裏」の話題をそのまま掲載したものです。投稿の皆様から承諾を得ておりますがご要望があれば玄太郎までお知らせください。またこれを読まれた方のご意見やご感想も歓迎いたします。メールもしくは掲示板までお気軽にどうぞ。お待ちします。 
作成にあたって快諾してくださりました皆様には深く感謝しております。
これからもどうぞよろしくお願いします。2003.05.11
路地 名前: MASAYO [2002/03/12,23:57:22] No.265 返信
ここが私が小さい時、近所の友達と遊んだなつかしい路地裏です。
ここでインサといっていましたが(インサイドボールというんですか?)、大きいお
兄さんがボールを回転させて魔球をうってきたり、ハチニクダン(八肉弾?耳で覚え
た遊びだから字でかけません。)をしたりしたところです。
当時はもちろんアスファルトじゃなかったですね。お風呂にいくよ〜とか、ご飯でき
たよ〜という声があちこちから聞こえてくるのですが、遊びに夢中の子供たちは帰る
のがイヤで暗くなるまでボールがみえなくなるまで一人ずつ抜けて最後の一人になる
までいたものです。
ここは震災後焼け野原になっていて、このお地蔵さんがひとり立っていたのでやっと
位置関係がわかったところでした。
盆地蔵のにぎわい、このお地蔵さんを囲んでそれぞれの家からのすいか、お酒が並ん
であり縁台では、おとうさんたちが将棋をし、走り回る子供たちの声が聞こえる気が
します。
お地蔵さんの前は仮設が建っていました。
ずっとこのお地蔵さんはこの場所で何があったかをご覧になっていたはずです。
画 像: お地蔵さん -(27 KB)


>> 裏路地の効用 名前: 玄太郎 [2002/03/13,21:15:36] No.266
MASAYOさん
 裏路地文化評論家を自認しています。((*^_^*))
 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Asagao/4786/fumoto/wadai/gyo-syo1.htm
 (4話 行商人 長編その1 2001.11.10)に詳しく記述しています。
 またこのトップページの最下段にも少し記述しています。
 裏路地はまたの名を”ガキ大将の空間”と呼び、”少年(女)期の錬成の場”
と呼んでもよいでしょう。 ここで少国民ならぬ少社会を経験し、ミニ社会経
験をします。 この時期が大切なんですね。 これがいまの子達にないから、
様々な問題を引き起こすと考えています。 これについては私のコラムに繰り返
し述べています。 近日アップします「はぁ?」と題するそれにも同様の趣旨を
盛り込んでいます。 ご期待下さい。 


>> 路地裏 名前: MASAYO [2002/03/13,21:45:33] No.267
玄太郎さん、こんばんは。
確かに昔の路地裏は、玄太郎さんの言われる少年少女期の鍛錬の場でした。
ここで小さいものは年上のものに従い、ミニ社会を経験し多くを学びました。
でも、玄太郎さんの言われるように今の社会では路地裏が失われたから、今の子供た
ちはそのような場がないかといえば、そうではないのです。
私どものマンションでは子供達がそれこそ昔の路地裏のように年上のものが小さいも
のをひきつれ、路地裏にかわるものがマンションの廊下、階段、近くの公園になりま
した。子供たちは今でもかつての路地裏にかわるものを見つけ出し、作り出していま
す。その仲間が高校生、大学生になっても、また家が変わりはなればなれになっても
路地裏ならぬマンションの廊下、公園仲間の絆は健在です。考えようによれば少しも
かわらない子供たちの世界だと思っています。


>> re:路地裏 名前: 玄太郎 [2002/03/13,22:31:25] No.268
MASAYOさん
 さすがレスが早いですね。
 ほう、そうなんすか。 マンションの廊下が裏路地の代用になるのですか?
 長い廊下があればよいですね。 私の住まいもいわゆるマンションなんですが
階段のみで廊下がないのです。 近隣公園は2町歩に及ぶ広大なもので、裏路
地のようなやや閉鎖空間ではありませんね。 まさかそこにネダイを並べて氷西
瓜を食べるワケには行かないでしょう。 井戸端会議もそこでは出来ませんね。
 表通りから少し閉ざされた空間が私的空間を感じさせるのですね。 地域共同
体の構成員として意識がもてますね。 裏路地に面して長屋のここの玄関が並び
ます。 台所からおかずを煮くニオイがしてきます。 隣の人は何を食べている
のか判りますね。 たまにはお裾分けがあります。 そしてこの裏路地内の子供
達は共同体の子供としてオトナが対処します。 他人の子供でありながら自分の
子供と同様に叱ります。 裏路地外で見かけても同じです。 私のところのマン
ションでは階段下はあっても長い廊下はありません。 階段下から駐車場までは
アスファルトの道路なんですね。 超ミニ公園と小さい公園が高い階段を上がっ
た位置にあり使い勝手がよいとは言えません。 しかもコンクリートで出来た遊
具とブランコのみです。 とてもこどもが遊べるところとは言えません。
 裏路地でしたらケンケンパ、とかドッジボール遊び、カゴメカゴメ、羽子板、
カクレンボなど空間を利用して様々な遊びが創造できますね。 しかも地面は
土。  そこにロウ石でいろんなものが書けますね。 これで又遊びが生まれま
す。 
 ここでいろんな可能性を育んでいたと思いますね。 

2002/03/13 10:28 PM


>> 路地裏という空間 名前: MASAYO [2002/03/13,23:19:01] No.269
玄太郎さん、
私の妹のところも団地のようなところです。
そこでは長い廊下もありません。階段ばかりです。
でも子供達は近くの公園で遊び、お母さん方は公園で子供たちを遊ばせながら木陰で
井戸端会議です。
私の子供もマンション内を我が物顔に出入りし、誰がどこの子かわからぬありさま。
晩ご飯もよそで食べてきたり、夜も泊めてもらったりまるで皆が兄弟姉妹のように育
ちました。
もちろん何かをもらったらすぐおすそわけです。
私たちはその絆で家をかわってもずっと月に一度は飲み会と称して集まります。
妹もおなじようなことをしています。
そしてマンションの廊下、階段には昔のようにおかずを炊く匂いがします。
何も閉鎖された空間がこのような場をつくるのではないのです。
と、ココまできて気がつきました。
これは女性の話しでした。
今、そのような場をもてなくて寂しく思っているのは世の大人の男性なのです。
それこそ公園ではおさまりもつきません。
そうなんです。確かに路地裏には縁台をおいて将棋をさせる場がありましたね。
近所でも公園であまりそのような光景をみかけません。
湊川公園、東出町の公園ではみかけます。(笑)

昔の路地裏をなつかしがるのは同じなのですが、それは空間としてなつかしいので
す。でもそこで作られたコミュニケーションは今でも同じように場を変えて作られて
います。

ただ、男性には今の世は夕方縁台で将棋をさすような場所がないですね。
それは男性についてだけです。だってそのようにのんびりした夕方にあまり女性の姿
をみなかったですもの。のんびりと男の方が将棋を指している間、一番忙しいのは女
性でしたからね!
要するにこれは男社会の話しだと思うのは私だけでしょうか。

そして、今、そのような空間もなくなりましたが、高度成長期に男性は会社一辺倒に
なり夕方のんびりとすごせるような時間もなくなったのです。

まさに男性は場所も空間も時間も無くしたのです。


>> 路地 名前: 山中一夫 [2002/03/14,03:41:28] No.270
私は入江小学校出身で、西出、東出、川崎町のあのあたりは昔のままで
あまり変わっていませんね。先日も歩きましたがあの路地、この路地に
子供の頃の思いでが一杯あります。
神戸で一番古い稲荷市場も昔は人で一杯で奥が見えない程でしたが今は
みる陰もありませんが、今もあそこは子供の頃そのままの通りです。
兵庫区南部も人口の減少で入江小学校も廃校となり、稲荷市場もさびれ、
あんなに沢山いた友達も今では片手で数える程度、でもあのあたりは川重が
あり、ドックがあり、古い路地があり、歴史も文化もあるから神戸芸工大の
学生達には大変な魅力が有るらしいです。


>> 路地 名前: MOON [2002/03/14,09:12:49] No.272
路地というと、巷という言葉を連想します。懐かしい響きがありますね。
大通りが「たてまえ」とすれば、路地は「本音」だと思います。
そこには、庶民の楽しさ、嘆きというものが、肌で感じられる空間です。
中国は北京の街の路地を紹介した番組が、NHKで放送していました。
京劇に取り組んでいる父と娘の暮らしを丁寧にルポしていました。
カメラが路地に入り込めなかったら、この番組は成立しなかったと思います。
最近まで、観光客に対して中国では、見学できるコースを制限していました。
みっこちゃんが中国へ観光旅行したときはどうでしたか?
旅行の面白さは、路地に入って庶民の暮らしに触れることだと私は思います。
お定まりのコースを見るだけだったら、絵葉書の図柄を確認してくるにだけで
これは味気ないですよね。


>> re:路地 名前: 玄太郎 [2002/03/14,22:03:31] No.274
山中さん、MOONさん
 折角お越し頂きましたが、対論のお相手MASAYOさんはもう一つの掲示板”陽
だまりの場”へ引っ越してしました。 続きはそこでと言うことになります。
 さて、山中さん、やはりあれですね。 少しの閉鎖空間は物語を造ります
ね。 古い町に注目する若い芽、何かいいですね。 レトロブームでしょうか? 若
い歌手が懐メロに手を染めていますね。 この懐メロは山中さんの時代で
はなくて私の時代のそれですが....。
 一時の熱病ではなく長続きすればよいのですが。
 にしやまさんが仰ったように地域の人たちインタビューして見る試みもよいで
すね。 下町のフォークロアといってお年寄りに来し方のことをお聴きするので
す。 そこでそれを記録することで新たな発見、生活感の見直し、世代間の理解
促進等がはかられます。 尼崎市ではそれが実践されそれのやり方を解説した本
が出版されていますね。 民俗学と言うといわゆる農山漁村の風俗その他を記録
して歴史のあとをさぐる学問と思われがちですがその創始者の一人の柳田国男氏
は、『明治大正史 世相編』を著し都市民俗学をうち立てていますね。 
 MOONさん
 あの番組は私も見ました。 中国では路地的空間を胡同(フートン)と呼びま
す。 かって蒙古が元と言う国家を中原(ちゅうげん)に持っていた頃首都は北
京でした。 その頃から言葉だそうです。 この胡同(フートン)「蒼穹の昴」
に浅田次郎氏が詳しく書かれていますね。 ただこの胡同は外部の人が入ったら
でてこれなくなる迷路の様に思われることがあるそうです。 少し理屈っぽくな
りましたね。
 観光でなくそこでの生活感覚を感じようと思えばさる番組のようにそこに滞在
しなければなりませんね。 そのために旅行記なり、ルポがあるのですね。 
 私のHPにも路地を扱ったコーナーがあるのはご存じですね。
 あまり長くなるといけません。 それでは”陽だまり場”へどうぞ


路地裏考 投稿者:MASAYO  投稿日: 3月14日(木)00時23分53秒

玄太郎さん、場所を変えました。(笑)
画像掲示板もいいですが、気分をかえて…。

人が集まるところに対話がうまれます。
路地裏は昼間は女性の井戸端会議の場、夜は縁台でお父様たちのくつろぎの場、対話
の場でした。
今、それに代わるものはマンションの廊下であり、ピロティーであり、子供を遊ばせ
る公園です。
でも、お父様がたの空間がなくなりました。
夜、会社から帰る時間はおそくなり、日曜日だからといって公園にいっても手持ちぶ
さたです。
路地裏がなくなったからそのような交流がなくなったというよりも、会社が全てに
なった今の世の中がそうさせたのではないでしょうか。
だって今のお父様方は定年になって、今まで会社での人間関係しか築いてこなかった
ので、とたんにすることがなくなり、奥様方のぬれ落ち葉になるという話ではないで
すか。
昔はぬれ落ち葉なんて言葉もなかったでしょうし、お父様方はちゃんと自分たちの近
所における場所をもっていました。
そして、子供たちも路地裏にかわる空間を持っています。
今の子の私たちの路地裏にあたる空間は、団地の階段の下であり、廊下であり、公園
です。
子供はそんな場所を見つけ出すのは天才的でもあります。
幸いポーアイはそんな場所は山ほどありました。
南公園の昔の防波堤に面した茂みには、皆があつまる隠れ家がありました。
皆で枯れ木を探してすごい秘密基地を作っていたのです。まるでスタンドバイミーの
世界のように。
それなりに自分たちの路地裏をもっています。
それをなくしたのはお父様方なのです。

女性もかつての路地裏での井戸端会議はスーパーで、マンションの廊下で、階段でい
たるところでやっていますよ。



RE:路地裏考 投稿者:管理者G  投稿日: 3月14日(木)22時37分04秒

MASAYOさん
 お待たせしました。
 一部だけに反応しますね。
 濡れ落ち葉にしたのは一体誰でしょうか?
 カラオケやカルチャーセンター、エステ、アスレチックセンター、テニス教室、グ
ルメ探訪等に現を抜かす嫁。 汗と血涙を流して稼いだお金を意見を入れられるこ
ともなくわずかばかりの小遣いで昼食難民と化しているその配偶者。
 本末転倒とまではいかないまでもなぜか悲しい存在ですね。
 男達はそれなりの世界を持っているのです。 私に二周り年上のメル友の方がい
らっしゃいますが、結構老後を楽しんでおられるようですよ。
 仕事を趣味とした方はその意味では哀れですね。
 もちろん私はそうならないですよ。 なぜならすばらしい仲間がいるからですよ。
 年齢・性別、経験は様々ですが語り合ううちに琴線の一部が判るようになってき
ました。
 それに、 最近私のHPのコンテンツを見てください。 それがわかるコーナー
があります。
 2002/03/14 10:25 PM


玄太郎さ〜ん。 投稿者:MASAYO  投稿日: 3月14日(木)23時22分43秒

こんばんは。
なぜに一部だけに反応するか、それは大筋において路地裏に対する思いは玄太郎さん
と同じだからです。
私が玄太郎さんと違うのは、

>裏路地はまたの名を”ガキ大将の空間”と呼び、”少年(女)期の錬成の場”
>と呼んでもよいでしょう。 ここで少国民ならぬ少社会を経験し、ミニ社会経
>験をします。 この時期が大切なんですね。 これがいまの子達にないから、
>様々な問題を引き起こすと考えています。

ここなんです。私が言いたいのは路地裏を失ったこと、それが今の子が問題を引き起
こす原因じゃないと言いたいのです。
ぬれ落ち葉うんぬんはつい、その話のついでにはたと一番路地裏を失って寂しい思い
をしているのは世のお父様方じゃないかと思ったわけです。

要するに、昔の路地裏にかわる少年少女の練成の場、ガキ大将の空間は今でも健在と
思います。
周りの子供たちを見ていてそう思うのです。
子供たちは自分たちなりに、そういう場を見つけ、作り出しているんですよ。
大人は知らないだけなのです。

決して路地裏に対する玄太郎さんの考察を否定するものではありません。
ただ、それを失ったことを短絡的に今の子供たちのありようと結びつけるのはどうか
と思ったのです。



RE:路地裏考 投稿者:MOON  投稿日: 3月14日(木)23時36分28秒

みなさんの会話を覗いていて
韓国、台湾にいきましたが、街の路地裏を通ると、お年よりたちが、
ひがな一日ゆったりとたたずんでいる風景に出会ったことを思い出しました。
そこは、時間が止まっているように感じられました。
お年より同士のコミュニケーションの場なんでしょうね。
彼らを見て、生活を楽しんでいる、と感じたものです。
そういえば、こんなゆったりとした風景は
日本には見られなくなったなあ、というのが実感です。
MASAYOさんが言われるように、日本では男の居場所が
なくなってしまったのでしょうかね。
これは経済効率だけを追いかけてきた、一つの結果のように
思われてなりません。



短絡的でしょうか? 投稿者:MOON  投稿日: 3月14日(木)23時50分55秒

玄太郎さんとMASAY0さんの会話は大変面白いですね。
どちらかと言えば、私は玄太郎さんに近いです。しかし
MASAYOさんのご意見を拝聴して、なるほど、と思いました。
MASAYOさんの生活実感から感じておられる言葉なのでしょう。
いずれにしても、女性や子供達に比べて
男の居場所・空間がなくなっている、というのは認めざるを得ませんね。

<決して路地裏に対する玄太郎さんの考察を否定するものではありません。
<ただ、それを失ったことを短絡的に今の子供たちの
<ありようと結びつけるのはどうかと思ったのです。

これは、短絡的でしょうか? 私は玄太郎さんの肩を持ちたいです。


MOONさん、 投稿者:MASAYO  投稿日: 3月15日(金)00時12分47秒

こんばんは。読んでいただきありがとうございます。
あ、MOONさんも玄太郎さん派ですね。
むむ、これは手ごわい。

私は今の子供達を見て昔の子の方がいきいきとしていたと思われないのです。
路地裏がなくなったからといってでは、今そのときにできていた遊びでできないもの
は何でしょう。今は小学校の運動場も開放され、野球少年が走りまわっています。
マンションの廊下ではベッタンというんでしょうか、男の子が交換して遊んでいま
す。
公園の地面に絵を描いて小さい子が遊んでいます。近所では年長にあたるものが皆を
ひきつれて野球につれていってくれます。
すぐ今の子は云々といいますが、まわりを見渡すと昔の子と少しもかわらぬ遊びをし
ているのです。遊び場の舞台が広がっただけなのです。

昔の路地裏で大きくなった子供と、どこが違いますか?


RE:路地裏考 投稿者:MSHIBATA  投稿日: 3月15日(金)11時29分02秒

> カラオケやカルチャーセンター、エステ、アスレチックセンター、テニス教室、

>ルメ探訪等に現を抜かす嫁。 汗と血涙を流して稼いだお金を意見を入れられるこ
>ともなくわずかばかりの小遣いで昼食難民と化しているその配偶者。
> 本末転倒とまではいかないまでもなぜか悲しい存在ですね。

昨日のasahi.comに出ていました。

「家事しない男、TV見続ける女 7カ国比較で日本1位」
詳細は↓を参照。
http://www.asahi.com/national/update/0314/018.html


子供の目 投稿者:MOON  投稿日: 3月15日(金)18時39分10秒

MASAYOさんの近所ではイキイキと少年達が遊んでいるようですね。
それを聞いてホットしました。しかし、一般的にはどうなんでしょう?
私たちの少年時代は、ともかくモノが無かった時代です。その中でいろんな
遊びを工夫して作っていった。大きな子供が小さい子供の面倒を見る。
ガキ大将がいて・・・そうそう、どらエモンの世界観がどの地方にも存在していて
子供の社会が厳然とあったのです。モノがなかったから、そこに創意工夫があった。
子供社会にもまれながら、一人一人の子供達は自分の位置や、得意とするものを
確認することができた。自然に自分の可能性を広げていくことができた。
ケンカもありましたが、ケンカをやって相手の痛みも知ることができた。
要するに社会に巣立つ前の訓練を、子供時代に自然のうちに体験してきたのです。
実はここのところが非常に重要だと私は思っています。
モノが溢れている現代はどうでしょう。外で遊ぶ子供がめっきり少なくなったように
私には思えます。
メーカーが制作したお仕着せのゲームに熱中し、ビデオやCDが身の回りにある。
学習塾へ通うも子供が多くなり、子供のスケジュールも空き時間が少なくなってい
る。
ですから、屋外で遊ぶ必然性があまりないという環境になってしまっていますよね。
この傾向は都会も田舎も、あまり変らないないのではないでしょうか。
要するに生身の人間とぶつかり、触れ合ってこそ、相手の欠点も良さも理解できる
のだと思っていますが、今の子供達はそれをゲームに置き換えてやっている。
ある意味で、それは恐ろしいとさえ感じるのは、私だけでしょうか?
MASAYOさんに反論しているようですが、私は現代の子供達を取り巻いている
これは一般論です。地方地方によって多少の違いはあるでしょう。
東南アジアの未開発国の子供の目が、キラキラしている。それに比べて
日本の子供達の目がどんよりしているのはナゼでしょう?
生き生きした少年の目を見なくなってから久しいように感じている昨今です。
あえて言わせてもらえれば、それは明確な目標をもっているかどうかの
違いなのではないでしょうか?


こんばんは、第3夜ですね。笑 投稿者:MASAYO  投稿日: 3月15日(金)21時15分

確かに私たちが過ごしてきた子育ての環境は昨今の他の地域と違って特殊なのかもし
れません。
一般の子供たちはもっと違った少年期を過ごしているかもしれません。
私は自分の周り、友達の話し等で昔路地裏で過ごした子供の遊びとそう違っていない
と思っているのですが、まったく違ったたとえばゲームでとじこもって過ごす少年期
を送っている子供がいるかもしれません。でも、それは何も路地裏がなくなったから
では、ないと思うのです。
それは、テレビ、ゲーム等の影響だと思うのです。
もし、今仮に路地裏が残っていたとしてもそのような子供は昔と同じような遊びを外
でするでしょうか。否です。路地裏があろうがなかろうが今はそのような世の中なの
です。
だから、路地裏がなくなったから今の問題のある子供たちができたといえないと思う
のです。
たぶん、路地裏という言葉に象徴されるテレビもゲームもないそのような環境がガキ
大将を頂点にし近所の子を引き連れてミニ社会の勉強の場になったのではないかと
おっしゃっているんだと思うのですが。
と、すると問題があるとすれば、路地裏がなくなったことではなく、テレビ、ゲーム
が子供の遊びにかわってしまったということですね。
問題点はそこに求められなければいけないとおもいますが。

路地裏がなくともりっぱに子供たちはミニ社会を経験し鍛錬されています。
私は結婚して御影のマンションにいました。
そこでは同じ年代の人たちがわんさかいて子供ができたのも同時期でした。
次々、弟、妹たちが生まれ、年長のものがガキ大将となり皆をひきつれあそびまし
た。
まるで長屋のようでした。現代の象徴のような団地、マンション住まいでも路地裏で
形成されるそのようなミニ社会ができるのです、いやもっと昔よりできやすいとさ
え、思っています。
これほど限られた土地に子供達がたくさんいるのですから。
ポーアイにひっこしてきてもそれは同じでした。


ハードとソフト 投稿者:MOON  投稿日: 3月15日(金)21時42分28秒

<問題があるとすれば、路地裏がなくなったことではなく、
<テレビ、ゲームが子供の遊びにかわってしまったということですね。

路地裏や空き地をハードとすれば、遊び方はソフトということになるでしょうか。
原因はどっちだ?というのはあまり意味がなく、ソフトとハード
すなわち遊び場と遊び方の変化、両面を合わせて考える必要があると思います。
昔と比べると、今の子供達の知識は大人顔負けの子供が多くなっています。
しかし、他社への思いやりに欠け、自分本位の子供が多くなっているように
私は感じていますが、MASAYOさんはいかがですか?


そうでしょうか。 投稿者:MASAYO  投稿日: 3月15日(金)22時00分13秒

今の子供たちは云々はよく聞くことですが、今の子供たちはそんなに自己中心的な子
が多いでしょうか。私が子供の頃と比べてそうは思えません。
たとえばどのようなことをとらえてそうおっしゃるのでしょう。
皆、やさしいですよ。お年寄りがいればさっとエレベーターに先にはいってボタンを
押して待っているし、小さい子がこけたら駆け寄って起こしてあげてますよ。
会社に入ってくる若い人も、気配り素晴らしい人がたくさんいますよ。
電車の中のマナーでは目に余る若い人もいますが、あつかましく足を広げ席を二人分
もとって新聞を広げている年配の方もよく見ますので、若い世代がどうこうといえま
せん。
私は今の子供たちも若い人たちもそんなに悲観的に見ていません。
自分がこのころはここまで気配りできただろうかと舌をまくこともしばしばです。


re:こんばんは、第3夜ですね。 投稿者:管理者G  投稿日: 3月15日(金)22時50分

MASAYOさん
 MOONさん、山中さん、MSHIBATAさんの参加が得られました。
 嬉しいですね。

>確かに私たちが過ごしてきた子育ての環境は昨今の他の地域と違って特殊なのかも
しれません。
>一般の子供たちはもっと違った少年期を過ごしているかもしれません。
 未来都市と呼ばれたポートアイランドでガキ大将がいるなんてやはりここも日本な
んですね。 ホッとしますね。
 
>私は自分の周り、友達の話し等で昔路地裏で過ごした子供の遊びとそう違っていな
>いと思っているのですが、まったく違ったたとえばゲームでとじこもって過ごす少年期
>を送っている子供がいるかもしれません。でも、それは何も路地裏がなくなったからで
>は、ないと思うのです。
>それは、テレビ、ゲーム等の影響だと思うのです。
 親が構ってやらないからそこに走るのではないでしょうか
 学校でのつきあいがありますからある程度必要でしょうが、家庭での個々人の場の
あり方を設定出来るのは親なんですね。 そう言う風に躾していないのですね。
 
>もし、今仮に路地裏が残っていたとしてもそのような子供は昔と同じような遊びを
> 外で>するでしょうか。否です。路地裏があろうがなかろうが今はそのような世の中
>なのです。だから、路地裏がなくなったから今の問題のある子供たちができたといえないと思
>うのです。
>たぶん、路地裏という言葉に象徴されるテレビもゲームもないそのような環境がガキ大
>将を頂点にし近所の子を引き連れてミニ社会の勉強の場になったのではないかと
>おっしゃっているんだと思うのですが。
>と、すると問題があるとすれば、路地裏がなくなったことではなく、テレビ、ゲームが
>子供の遊びにかわってしまったということですね。
>問題点はそこに求められなければいけないとおもいますが。問題は親なんですね。 
>路地裏がなくともりっぱに子供たちはミニ社会を経験し鍛錬されています。
 で、その結果はどうなんでしょうか。
 そこで学んだものはなんでしょうか。
 オトナとなるための訓練を積んだのでしょうか。
 MOONさんが言われているように生身の人間に触れることでイタミを覚えます。
 又”青春”もするのです。 
 生身の人間とのやりとりを通じてこそミニ社会は機能するのではないでしょうか。
 それでなくては時間の空費としか思えませんね。 限りある貴重な時間を空費するなん
 て、その後の人生を左右するかも知れないなんてあまりにももったいないですね。
 自分だけの人生だけなら自業自得ですみますが、この子達、ほんの一部でしょう
 が、社会に対し迷惑を及ぼすのですね。 公共の建造物に判らない落書きをするばかり
 か、商店のシャッターにもそれをします。 スケートボードであたり構わず駆け抜けます。
 コンクリートの縁はガタガタですね。 車道にもでたりしますから交通事故の元に
 もなりますね。 裏路地にはこどもばかりではないのです。 ご老人もいます。 主婦
 もいます。 やっと歩き始めた幼児ももいます。 そこでは周囲に気を配りながら、遊
 びます。 してよいこと悪いことを総合的に判断していくことを学びますね。
 その昔には若者宿なるものがありオトナになるための合宿所が村々で公認されてい
 たそうです。 司馬遼太郎氏の「菜の花の沖」にも詳述されていますね。 また記録映画
 作家の姫田忠義氏の作品にも取り上げられていますね。 一昨年でしたかNHK教育
 テレビで放送していました。 そこの文化を受け継ぐべきところなのですね。   
   
 ここまできびしくなくとも裏路地はさまざまな人たちの眼があるお陰でそこの構成
 員をオトナの仲間入りをさせる場にもなるのですね。
 そして「やや閉鎖空間」がその外部からの眼を意識せずに構成員の紐帯意識を育てます。
 そしてそこで教育するのですね。 オトナの眼もあるのです。 
 疑似体験ではない、直接のふれあいがあるのですね。


そうなんです。 投稿者:MOON  投稿日: 3月15日(金)22時58分48秒

現代の子供達に対しての評価が分かれてしまいましたね。
私の方が悲観的に捕らえていて、MASAYOさんは楽観的に捕らえていますね。
どちらが正しいか間違っているか、という問題でもないように思います。
MASAYOさんのご意見をお聞きし、捨てたものではないな、とも思いました。
どこを捉えて、ということでしたね。私は専門学校の講師を16年間やってきました。
学生は19歳・20歳の男女ですが、長年学生と触れ合ってきて、学生気質の変化を
感じてきました。もちろん全ての学生が自己中心的だということではありません。
中には、気配りの行き届いた若者もいます。総体的に言えば、自己中心的な若者が
多くなってきている、と感じています。これは若者だけの責任ではありません。
子供は大人の鏡といわれるように、大人社会の反映であり、これは大人の責任
だと感じています。


今も昔も 投稿者:MASAYO  投稿日: 3月15日(金)23時37分02秒

どうも、私とMOONさんや玄太郎さんとの昔の子供の認識の仕方がちがうようです。
昔の子供はよく躾られていたというのがご意見のようですが、私はちっともそう思わ
ないのです。
昔はよかったと思わないのです。今の方がよくなったとも思いません。
公文の助手を10年やりましたが、幼稚園児から大学生までくる公文です。
それは寺子屋のようなものでした。そこでの子供たちを見ていると自分たちと小さい
時と同じような遊びをやり外での遊びの約束をしていました。
勉強道具を置いて、年長のものは下のものをひきつれて教室を出て行き、遊びまわっ
て帰ってこないですよ。それはちっともかわらない子供たちの世界です。
けっこう今の子供は縦の関係を持って遊んでいるのです。昔に限ったことではありま
せん。
小学校でも積極的に地域で6年生が新一年生を朝、迎えにいくようにさせたり今思い
返しても自分の子供の頃よりもそのようなミニ社会の形成はすすんでいる気がしま
す。
外で遊んでいて転んでもお兄ちゃんたちが声をかけています。
密やかな閉鎖的空間であろうが広い運動場の真中であろうが、子供達は何も意識しな
いと思います。また、そのような閉鎖的空間が価値があるとすれば廊下、階段がその
ような場にあたるでしょうか。そこでも通行人がくれば道をあけ、階段でも邪魔にな
らないようによけようとします。
そこに住む人たちも声をかけ、交流もあります。
いろんなことも学べもします。昔の路地裏での人間関係そのままの世界です。

姫田忠義さんの仕事 投稿者:MOON  投稿日: 3月15日(金)23時39分21秒

>記録映画作家の姫田忠義氏の作品にも取り上げられていますね。 
>一昨年でしたかNHK教育テレビで放送していました。 
>そこの文化を受け継ぐべきところなのですね。

ETV特集として放送されたこの記録映画は私も観ました。感動しました。
深夜放送されたので見た人は少ないと思いますが、すばらしい記録映画でした。
「ねごや」という風習を、じっくり時間をかけて撮影した作品でしたね。
かつて、濃密な人間同士のふれあいがあり、文化の継承があった、
助け合いの精神を育んでいった制度が昔の日本にあった、ということを
あの記録映画を観て知ることができました。

民族文化映像研究所のホームページを私のHPのリンク集に貼り付けておいたので
興味のある方はご覧下さい。この映画を撮影した姫田忠義さんの画像も私のHPの
コラムのページに収録しておきました。(使用許可をいただいております)
姫田さんは、映像を通しての素晴らしい語り部として私が尊敬している方です。
この方は、今はダムに沈んでしまった新潟県奥三面(おくみおもて)の集落を
記録した「山に生かされた日々」という素晴らしい記録映画を撮っておられます。
この話については、私の拙文をHPのコラムに載せておきました。


RE:そうなんです。 投稿者:MSHIBATA  投稿日: 3月16日(土)07時55分02秒

>現代の子供達に対しての評価が分かれてしまいましたね。
>私の方が悲観的に捕らえていて、MASAYOさんは楽観的に捕らえていますね。
>どちらが正しいか間違っているか、という問題でもないように思います。

どうも平行線のまま行くようですね。世の中を象の体だと考えると、象の鼻を触って
それが象であると捉えるか、足の裏を触って象だと捉えるか、そんな感じです。

想像ですが、MASAYOさんの周りは同世代の家庭が多かったのではないでしょうか。
団地住まいも経験しましたが、子供の数が少なく、子供同士で遊ぶ光景に出会う
ことはまれでした。

>感じてきました。もちろん全ての学生が自己中心的だということではありません。
>中には、気配りの行き届いた若者もいます。総体的に言えば、自己中心的な若者が
>多くなってきている、と感じています。これは若者だけの責任ではありません。

私も感じています。若者は、今の政治屋とかを見るわけですから夢が持てる
わけがないでしょうし、鏡そのものが歪んでしまいましたね。じゃ、どうすれば
夢が持てるか、私にはわかりません。というより、私には何も出来ないなあ。
選挙に行っても、投票した候補はいつも落選ですからね。


課題 投稿者:MASAYO  投稿日: 3月16日(土)22時54分43秒

みなさん、こんばんは。
第四夜です。(笑)

路地裏がなくなったというハード面の問題は、それにかわるものを経験できることも
あるのです。
ただ、今の子供たちに問題があるとすれば路地裏がなくなったというハードの問題で
はなく子供達が接する文化、大人の問題だと思うのです。

私どもの環境は思えば今の世にあって稀有な環境だったかもしれません。
新興住宅であったため、子供達が通った小学校は日本一のマンモス校となり全国から
研修の先生方がやってきて、あらゆる面で研究対象になった学校でした。
子供たちは多くの友達と団子のように遊びました。
ポーアイに移る前の御影でもそのようでしたが。
要するに皮肉なことに路地裏生活とまるで正反対のような新興住宅地の団地でこのよ
うな現象が起きているのです。MSHIBATAさんのところは子供が少なかったということ
で、ちょっとわかりませんが。

>今の政治屋とかを見るわけですから夢が持てる
<わけがないでしょうし、

若者が夢をもてないというお話ですが、これも家庭の問題ですよね。
今の政治屋を見ていて家庭で話をする時、ここでの親の態度で政治を見る目が変わっ
てくるとおもうのです。夢をもてない後ろ向きの批評をするのではなく前向きに話を
するのです。
もちろん我が家では、そのようにできているとはまったくもって言えませんが、政治
屋をバカにするようなことではなく前向きにどのようにしたらいい方向にもっていけ
るだろうかということを一緒に話すようにしたいと…、これはうちの課題です。
(^^;)


課題 投稿者:MASAYO  投稿日: 3月16日(土)22時54分43秒

みなさん、こんばんは。
第四夜です。(笑)

路地裏がなくなったというハード面の問題は、それにかわるものを経験できることも
あるのです。
ただ、今の子供たちに問題があるとすれば路地裏がなくなったというハードの問題で
はなく子供達が接する文化、大人の問題だと思うのです。

私どもの環境は思えば今の世にあって稀有な環境だったかもしれません。
新興住宅であったため、子供達が通った小学校は日本一のマンモス校となり全国から
研修の先生方がやってきて、あらゆる面で研究対象になった学校でした。
子供たちは多くの友達と団子のように遊びました。
ポーアイに移る前の御影でもそのようでしたが。
要するに皮肉なことに路地裏生活とまるで正反対のような新興住宅地の団地でこのよ
うな現象が起きているのです。MSHIBATAさんのところは子供が少なかったということ
で、ちょっとわかりませんが。

>今の政治屋とかを見るわけですから夢が持てる
<わけがないでしょうし、

若者が夢をもてないというお話ですが、これも家庭の問題ですよね。
今の政治屋を見ていて家庭で話をする時、ここでの親の態度で政治を見る目が変わっ
てくるとおもうのです。夢をもてない後ろ向きの批評をするのではなく前向きに話を
するのです。
もちろん我が家では、そのようにできているとはまったくもって言えませんが、政治
屋をバカにするようなことではなく前向きにどのようにしたらいい方向にもっていけ
るだろうかということを一緒に話すようにしたいと…、これはうちの課題です。
(^^;)


ハードでしょうか? 投稿者:管理者G  投稿日: 3月17日(日)21時19分24秒

MASAYOさん
 昨日は友人と遅くまで会っていましたから参加できませんでした。
 随分話が進んでいて論点がずれてきました。
 
>路地裏がなくなったというハード面の問題は、それにかわるものを経験できることもあ
>るのです。
ハードではないのですよ。 地面と建物で出来ている狭い空間がそれだと言えば否
と言うしかありませんね。 ソフトですから代わり様がないのです。 表通りではない。
 自動車が入ってこない。 人と人とがふれあう場なのですよ。 人に優しい空間なので
す。そこには駄菓子屋がありその中での商行為を通じてではあるが、オトナである商店主
と消費者ではあるが微々たる額の貨幣を持って買いに来るコドモがいます。 その額で買
える物に夢を託して買い物をするコドモ。 それを見守るオトナがいます。 また紙芝居
のおっちゃんが飴を買えない子までもタダ見させるやさしさがあります。 そして次に
おっちゃんが何時来るか判らないのにその続きを待つこども達。 そして自分たちがそれま
で違う遊びをしていても拍子木が鳴るとその周りに集まる子達。 そんな空間なんです
ね。これがハードといいいきれるのでしょうか。 情緒的と言われればそうかも知れま
せん。 やはりこれはソフトでしょうね。 やや閉鎖空間これは”場”であり、ソフトなん
です。 こう考えて見ると代わるものは果たしてなんでしょうか。 ”場”は長屋の四畳半
一間の長屋みたいにユーティリティ空間なのです。 もっと言えばフレキシブル・スペー
スと言えるかも知れませんね。 これはいままで述べてきたことが含まれます。  

ポーアイに擬裏路地的行動様式があるとのご指摘嬉しいものがありますね。
 ところがご自身も言われていますようにこれが全国に普遍的な状況であるかどう
か、事例を集めて見なければ判らないですね。 これが一つの課題です。

   2002/03/17  9:07 PM


もとに戻りますが。 投稿者:MASAYO  投稿日: 3月17日(日)22時50分49秒

玄太郎さん、こんばんは。
何度も言いますが玄太郎さんの言われる路地裏の効用を否定するものではありませ
ん。
ただ、違うなとおもったのは画像掲示板の方で言われた玄太郎さんの次の言葉です。
これに反論してるんですよ。

>ここで少国民ならぬ少社会を経験し、ミニ社会経
>験をします。 この時期が大切なんですね。 これがいまの子達にないから、
>様々な問題を引き起こすと考えています。 

私はそう、思わないのです。
例えば今、このような路地裏のハード面とソフト面の環境があるとします。
子供たちはやはり、昔と同じように紙芝居のおじさんを待つでしょうか。
やはり昔の路地裏の世界がよかったと仮にそのようなものを作るとします。
子供たちはよくなるでしょうか。
路地裏がなくなったから子供達に問題がでてきたという玄太郎さんのお言葉に反論し
ているのです。路地裏とそれを含む環境がなくなったからではなく、今の世の中
(ゲーム、テレビ、強いられる塾通い)が子供たちを毒してるといいたかったので
す。
ビデオとかテレビのバイオレンスシーンが知らず知らず子供たちに影響してるんだと
思うのです。

路地裏はなくなってもそれに代わるものはその時代なりにあると思うのです。
児童館に行けば、ちゃんと紙芝居のおねえさんがいるのです。
子供たちは自分たちなりに楽しい遊びを知っています。
大人達が知らないだけで今の子は今の時代風に楽しいことをいっぱいもっています。
自分たちの時代だけがよかったとは思わないのです。
今の時代なりの路地裏があるのです。
そこでは昔では考えられなかった違ったふれあいの場もあります。
玄太郎さんの住んでおられるところでは、そのようなものを見られることはないので
しょうか。
うちの子でも小さいうちは自分のおこずかいで何が買えるか、またレジの方に言われ
て品物を交換にいったりしていました。
スーパーでも機械が売ってるわけじゃないので駄菓子屋さんとの昔のやりとりのよう
に、レジでのやりとりを通していろいろ学んできたのです。
これもりっぱな今型の社会勉強だと思うのです。

だから、現代でも路地裏にかわるものはある、といいたいのです。
今の子供に問題があるとすれば、他のものであろうといいたいのです。


RE:もとに戻りますが。 投稿者:管理者G  投稿日: 3月17日(日)23時37分26秒

MASAYOさん

> 路地裏がなくなったから子供達に問題がでてきたという玄太郎さんのお言葉に反論し
>ているのです。路地裏とそれを含む環境がなくなったからではなく、今の世の中
>(ゲーム、テレビ、強いられる塾通い)が子供たちを毒してるといいたかったのです。
>ビデオとかテレビのバイオレンスシーンが知らず知らず子供たちに影響してるんだ
>と思うのです。

 仰ることは理解できます。 映画の時代劇ブームが華やかなりし頃そのバイオレン
スシーンが即いま頻発している社会的弱者抹殺という行為につながったでしょうか。 
 お話はお話として割り切って、映画の直後は主人公然として肩で風を切って歩く人
もいたでしょうが社会的弱者抹殺と言う行為は聞いたことがありません。 
 爛塾期にある今の日本社会、嘗て塾は別勉(ベツベン)とよばれ、家庭教師が来な
い家の子が補習の場として通うところでした。 そしてその人達はあまり尊敬されなかっ
たと記憶しております。 何時しか塾に通うことがエリートへの階段を登る絶対条件と化
していました。 私なんか塾へ行ったことないですよ。 もちろん家が貧しかったから家
庭教師も雇えませんでした。 自分で勉強するしかありませんでした。 それでも一般大
学に入学できました。 そんなに今の子達は大変なのですか? 私の親戚が塾を開いてお
りました。 そこで講師もしたことがありますがそこでもやはり学校の補助でした。
 ゲームについてはつきあい程度を許せばよいと記述しました。 テレビも同じパターン
ですからそれを理解させ、お話を現実そのものとしないという家庭教育をほどこすべ
きですね。 そこに利用されるのが地域社会なんですね。 その最小単位が向こう三軒両
隣の言葉に集約される路地裏的閉鎖空間なんですね。 おかずのニオイがする”場”なん
ですね。 マンションのガチャンと重い音がする階段、廊下ではなく、地べたなんです
ね。  土から離れる、これがキーワードなんです。 土には日本人はたまらない郷愁を感
じる時があるみたいです。 コンクリート、人工芝生とは違う温かさがあるのですね。 
 この土の上でケンカしても大けがになることはコンクリートに比べて少ないです
ね。表通りではない空間で他人の子を叱るのは当然の行為でした。 それによってその
親が抗議するなんてありませんでした。 むしろ感謝したぐらいです。 それは地域の子
でもあるという発想からでした。 それによって少年犯罪が今よりもぐっと少なかったは
ずです。 もちろん他人の家の壁、公共の建造物にスプレーで大きな落書きをするなんて
もっての外でした。 


西出町 投稿者:山中一夫  投稿日: 3月17日(日)23時45分54秒

皆さん、活発な意見が展開されていますね。
ひょんな事から西出町と関わりを持ち、神戸芸工大の学生が応援している路地裏の
多い西出町のイベントがいよいよ21日から24日まで行われます。
学生達がどんな事をするのかなと興味を持ち西出町の掲示板と学生達の掲示板を
時々覗いていますが、学生達は毎週土日には西出町に来ている様ですし、私も学生
達とこの前初めて会いました。あの路地裏の多い西出町に不思議な魅力を感じている
様です、学生達の動きは西出町の掲示板から、学生達のHP掲示板を見れば分かりま
す。
http://www.nishidemachi.jp/
みんな一生懸命になっています、私も学生達とのトーク会に参加したくなりました。



映画とテレビ 投稿者:MASAYO  投稿日: 3月18日(月)00時27分06秒

>映画の時代劇ブームが華やかなりし頃そのバイオレンスシ
ーンが即いま頻発している社会的弱者抹殺という行為につながったでしょうか。 

玄太郎さん、それは全く違いますよ。
昔の映画と今のテレビ、ゲームの影響とは全く違います。
昔はいくら映画が全盛のいっても毎日子供は連れていってもらってたでしょうか。

今は違います。
子供たちは毎日テレビを見るのです。
ゲームに至っては何人相手を倒すか、手を変え品を変え毎日何度も何度も繰り返し
やっているのですよ。
そこでは現実と虚構との違いがわからなくなるのですよ。
いくら人殺しをしてもボタンひとつでよみがえるのです。
人の命のかけがえのないこともそれでは学べないのです。


re:映画とテレビ 投稿者:管理者G  投稿日: 3月18日(月)05時22分05秒

MASAYOさん
>昔の映画と今のテレビ、ゲームの影響とは全く違います。
>昔はいくら映画が全盛のいっても毎日子供は連れていってもらってたでしょうか。
 回数と衝撃度の深さはを混同してはだめですよ。
 映画の場合はテレビとは雲泥の違いの違いがあるのです。 あの広いとは言え”閉
鎖空間”なんですね。 大画面ですね。 それに大音響なのですよ。 迫力が全く違いま
すよ。 等身大どころかその何倍にもなって感動を伝えてきますよ。 超現実いや拡大
現実と言った方がいいのかな。 ぐっと心に侵入してきますよ。 それが当時は3本立て
の映画館がありました。 番組が毎週代わるのですよ。 それに映画館の数が今とは比較
にならぬほど多いのですよ。 私の場合板宿と大橋5丁目界隈の映画館に月に3回か
ら4回両親が連れて言ってくれました。 淀川長治さんとは回数が異なるものの同じことをし
ていました。 それに年何回かの劇場鑑賞を学校から行きますね。 あるいは学校で見ま
すね。 それにあの看板画の迫力がありますよ。 そして町中の掲示板に張られたポス
ターがあります。 映画館の前にはそれとは別にスチール写真などもありますね。 回数
が少ないかも知れませんが、そのワクワク度はそれだけに倍加しますね。

>ゲームに至っては何人相手を倒すか、手を変え品を変え毎日何度も何度も繰り返し
>やっているのですよ。
>そこでは現実と虚構との違いがわからなくなるのですよ。
>いくら人殺しをしてもボタンひとつでよみがえるのです。
>人の命のかけがえのないこともそれでは学べないのです。
 それだったらそれを教えれば良いし、それが出来ないのだったら与えないのがよい
のです。 尤もその親自身がそれにのめり込んで感覚が麻痺しているからどうしょうもな
いのですが...。 いわゆるコトナ現象に陥っているのですね。 コドモが子供を産ん
でいるのですね。 オトナになりきれない身体だけが成人のものが子供を産んでいるので
す。 して良いこと悪いことを分別できるのがオトナの基本ですね。 それがわからない
のですね。 実際の殴り合いのケンカをしたことをない人にその痛みはわかりませんね。
 取っ組み合いのケンカをしても殺すまでには至りません。 暗黙のルールがそこに
はあり、殺すまでには至らないのであります。 相手が抵抗を止めればそれで終わりで
す。 ところが今の子供達は親にだいじだいじに育てられますね。 少子化の影響です
ね。  親に手を挙げられたことのない子が多数でしょうね。 そこではイタミが判らない
でしょう。 親が真剣に幼児の頃から家庭で教育していますと子供は健全に育ちます。 
構ってやらないからゲームなりテレビに育てられますね。 カルチャーセンターその他の
余暇施設で親が遊びすぎですね。 もっと子供に接してください。 幼少の頃からそうす
れば善悪の区別をつけるようになりますよ。 閉鎖的小空間だから他人のこどもも平気で
しかれますしそれを当然と受け止めるその親が路地裏にはいました。 子どもは次代を担
う地域の”宝”でもあったのです。


re:西出町 投稿者:管理者G  投稿日: 3月18日(月)05時55分07秒

山中さん
 いよいよですね。 ようやく古い文化の見直しがこの地域に及んできたのですね。
 学生がなぜこの地域に興味を持ったのでしょう。 そしてそれを地域が受け入れた
のでしょうか。 大いにそそられるものがありますね。 先日それを聞きに”まちなか資
料館”を訪問させて頂いたのですが、ついスタッフの方の歓迎に甘えてしまい、肝心な
ことをお聴きするのを忘失しておりました。 歴史的に古い町だけに文化の蓄積が違いま
すね。 ところがですね。 ドーナッツ現象のによるインナーシティの過疎化があります
ね。 外部から窺い知れない伝統の継承がやりにくい問題があるのではと勝手に推量した
りしていました。 おそらくその危機感もあるのではないでしょうか。 地域の文化を見
直すことでひいては自分のアイデンティーの見直しが図れることに気づき始めているのか
も知れませんね。 サッカーのW杯開催と言うのがたぶんに影響しているのかも知れませ
んね。 すべて推量ににしかすぎませんが、そうはずれてもないと思います。 
 ハーバーランドでこのイベントのこと大規模店の店内で放送していました。
 多くの人があつまるでしょうね。 私も出かけて見ようと思います。 職場から歩いて
も15分の距離ですから近いものです。 未だ健在の路地にワープするのもよいで
しょうね。 
 イベントも大事ですが日常の取り組みも更に大切です。 にしやまさん達が新しい
取り組みをしたいと言われておられました。 それは尼崎の古い町で実践された取り組み
が先にあります。 もし本当に取り組まれるのであればそれに参加させてもらえたらなと
思ったりしています。
 何れにせよ、今時のイベントが成功すればよいですね。 そうしたら今後の取り組
みに一層弾みがつきますね。 


続テレビとゲーム 投稿者:MASAYO  投稿日: 3月18日(月)08時12分40秒

玄太郎さん、おはようございます。
私は今のテレビ、ビデオの方が影響が大きいと思います。だって毎日のことなんです
もの。
それに玄太郎さんのように親に何回も連れて行ってもらえるのは稀ですよ、それも大
きな街での話です。テレビは今やどんな地域でもないところは稀でしょう。
いくらよく連れて行ってもらっても毎日のことはないし、いくら影響力が大きかった
としても昔の映画のストーリーは勧善懲悪、何も子供に悪い影響は与えません。

むしろ道徳教育のようなところがあったのではないでしょうか。
しかしゲームの影響力は計り知れません。子供によっては毎日3時間も4時間もやって
いるのですよ。
今はビデオもホラー映画とか氾濫していますし、誰でも見ようと思えば見れるので
す。
事件を起こした人の家にいけばそのようなものが部屋中にあったということはよく
ニュースで流れるところです。

それにカルチャーセンター通いの母ですか?(笑)
私は子育てしている方でそのような方をみたことがありません。
私もそのようなところに通ったことがありません。
玄太郎さんの周りではいらっしゃるのでしょうか。
子育ての間はお金もそんな時間もないからです。
そんな余裕どころか皆さん少しでも子供がおおきくなって時間ができてたら生活費を
稼がないとと言われる方ばかりです。
カルチャーセンター通いをされているのはもうそのような時期をすぎた方でしょう。
話はそれますが、前に玄太郎さんがぬれ落ち葉に誰がしたんでしょうとお尋ねがあり
ましたね。
そこでも女性のカルチャーセンター通いというのがでてきました。
私が思いますにカルチャーセンターに通うのは暇ができたからでしょう。
前にMSHIBATAさんが貼り付けてくださっていたweb newsで家事しない男、テレビ見
る女というのがありましたね。どうして日本の女性はテレビを見る時間が長く、カル
チャーセンター通いをするのか、これは日本の税制度に問題があるからと思うので
す。
私の回りでももっともっと本当は学費やなんかで稼ぎたいのだけれど100万の壁があ
るので働かないという方だらけです。すると子供が大きくなってくると暇ができま
す。
で、テレビ、カルチャーセンターということになるんだと思います。
また、これは別の話ですが…。

今回は今の時代のテレビ、ゲームと、映画の影響力のお話でした。
子育てではそのような今のテレビ、ゲームとの付き合い方の問題は大きいと思うので
す。


re:続テレビとゲーム  投稿者:管理者G  投稿日: 3月18日(月)12時09分18秒

MASAYOさん

>私は今のテレビ、ビデオの方が影響が大きいと思います。だって毎日のことなんで
> すもの。
 それはそうでしょうね。 だから家庭が、地域が大事なんですね。 
 地域、家庭が見守るこれが基本なのですね。 他人の子を叱ることが出来る地域、
叱られたことを感謝する親がいる。 これが私達の子どもの頃でした。 少なくとも私の
住んでいたアパートでは。 ここの様子については
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Asagao/4786/fumoto/wadai/apart.htm
 から、どうぞご覧下さい。
 ここがちょう路地裏的空間になっていました。 老人の数は少なかったものの3世
代に亘る人たちがいたようです。 職業も様々でした。 ですから多様な価値観が混在し
ていました。 警察の課長さん、ケミカルシューズ工場勤務の人、工場主、造船工場勤務
の人タクシーの運転手、鉄工所の職人、電機工場勤務の人、張り工さん、電車製造工場勤
務の人、後家さん、等々。 出身地域も鹿児島、徳之島、岡山、京都府北部、兵庫県北
部、姫路、神戸等々。 それらの人々が夏の夜にはネダイを出し一種のサロンを形成するの
です。 よもやま話を繰り広げるのですね。 そこでたまに子どもの話も出ます。
 子どもの頃の話もでます。 自治会ではありません。 自然発生的に出来上がった
ものです。 オトナと並んでコドモもネダイを並べます。 そして口を挟むことなくオト
ナの話を聞いているのです。 そこで社会の一部を知るのです。 決してコドモを排除し
ていないのです。 これがポイントなんですね。 意識していたかどうかはともかく参加
させていたのですね。 教育の一種なんでしょうね。 
 もちろん床几で将棋などをするのは当たり前の光景でした。 隣のおっさんとコド
モが将棋を指している。 いまでは考えにくいかも知れません。 そこでもいろんな話を
しています。 親が忙しい時その隣のおっさんが映画に連れて行ってくれることも希では
ありませんでした。 費用はそのおっちゃん持ちです。 こんなふれあいを通じてコミュ
ニケーションがとられていました。 地域でコドモを育てる。 これが私の育ったところ
だったのです。 創作したかのように思われるかも知れませんが事実なんですよ。


西出町 投稿者:山中一夫  投稿日: 3月18日(月)16時07分13秒

私の取材に来た読売の記者が西出町と取り組んでいる神戸芸工大の学生に興味を
持った様で取材をしたいからと学生のリーダーの電話番号を聞いて来ました。
路地裏の多いあの町に興味を持ち頼まれもしないのに銭湯の掃除をしたり路地裏に
花を並べたり「町をギャラリー」に展覧会やファッションショーを計画している
学生に新聞社も興味を持った様で私も大変喜んでいます。
西出という女性歌手も西出町と同じ名前なので参加したいと申し込んで来て24日に
神戸ドックで歌うそうですし、過疎化のあの町に人が集まりそうで初めは大したイベ
ントではないと思っていましたが、面白くなりそうです。
どうぞみなさんもお出で下さいね。


路地裏感覚にもっと光を 投稿者:MOON  投稿日: 3月18日(月)18時47分43秒

山中さん
西出町のホームページをみました。意気込みを感じるサイトですね。
足が地に付いた活動が始まりそうで、
これからも注目していきたいと思いました。
玄太郎さん
貴方の路地裏に対する思いが伝わってきました。
世の中が殺伐としている現在です。みんなが貧しかったけれど
路地裏の空間が、人間を育んでくれた豊かな“場”だったんだなあ
と改めて感じました。
西出町の活動は、今は失いかけている路地裏感覚に光を当てて
具体的に動き始めようとしているかのような感じを受けました。


re:路地裏感覚にもっと光を 投稿者:管理者G  投稿日: 3月18日(月)21時37分

MOONさん
 エールを有り難うございます。
 そこに住んで体験したからこそ語れるものもあると思うのです。
 もちろんその場を先の震災で失いましたからよけいに郷愁があ
るのだろうと指摘されるかも知れませんね。
 でも、私が主張したことと現在進行している若者の悪質化は
眼を覆うばかりです。 そしてそれは路地空間をつくらなかった
ところから進行拡大しています。 それを偶然の一致とは思えな
いのですね。 ハードを継続させなかったからソフトが継承され
なかったとも言えます。 ハードとともにソフトの本質的なもの
が失われたのですね。 本日南海電車の鉄橋に来阪の記念置き土
産として巨大文字を落書きした横浜の会社員が本日逮捕されまし
た。 器物損壊の罪で最高3年の懲役になるかも知れないそうで
す。 ようやく行政も動き始めたようです。 たかが落書きとは
言えません。 大阪市の国道のトンネルの落書きを消すのに国費
で62万円かかったそうですよ。 地域で見守れなかった代償が
余分な税金を使わせるのですね。 

 その一方で西出町を含む3町の魅力を再発見した学生もいるの
ですね。 


たとえてみれば 投稿者:MOON  投稿日: 3月19日(火)00時43分32秒

玄太郎さん
路地裏談義が続いていますね。
環境論的に路地裏という場はどういう位置付けになるんだろう
と考えていました。自然環境で置き換えてみると、
干潟という場に似ていると思います。
干潟は海でもなく、陸でもない。時には海ともなり、陸ともなる。
そこには、各種の微生物、小魚、貝、藻、そして鳥が共生しています。
川で言えば川辺に当たります。川と陸の間にある水辺です。
これまで、人間の都合で、干潟や川辺という場を、どれほど破壊してきたでしょう?
この言わば、あいまいな場所がいかに大切だったかが見直されていますよね。
ラムサール条約は、そのことをうたっているのだと思います。

またしても、変なことを書いているようですが、いかがでしょう?
自然界と人工物の違いはあるにしても、どこか共通項があると思いませんか?
すなわち、世代や職業の壁を越えて交流、共生してきた場である路地裏は
自然界でたとえてみれば、生物が共生する干潟や水辺のような存在であり、
とても重要な場所だった、という気がします。

編集済


路地裏の喫茶店 投稿者:山中一夫  投稿日: 3月19日(火)10時58分26秒

みなさん、こんにちは。今、西出町が熱いです。
明日(20日・水)関西テレビ・の午前9時55分から始まる、桂南光さん司会の「痛快

エブリディ」のなかで、レポーターのタージンがレトロな喫茶店「思いつき」を訪
問。
録画放映されますので、時間が許せば見て頂きたいと思います。

今迄、過疎化で神戸の発展から取り残された、路地裏の多い町・西出町が脚光を浴び

います。路地裏で育った人には郷愁を、路地裏を知らない人にはレトロな魅力を感じ

いる様です。


re:生態系的路地裏考 投稿者:管理者G  投稿日: 3月19日(火)23時08分38秒

MOONさん
 興味深い例えですね。 遙か昔ですね、肺魚のような魚が上陸し更に進化して人類
にま
でなったというのが進化論の説明ですね。 そうすれば、なぜかしら懐かしい気がす
ると
いうか落ち着くのはそんなところでしょうか。
編集済



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生態系的路地裏考 投稿者:MOON  投稿日: 3月19日(火)15時58分03秒

関西テレビでは、新潟ではみることは出来ないのかー。残念(_ _)
前回は路地裏を自然界でたとえてみると、干潟、川辺に相当するのでは・・・
という愚考を述べてみました。
湖の岸辺に生えている葦は、水を浄化する作用がある、と報じられていたことを
思いだしました。岸辺も干潟も川辺も微妙で、まことにアナログ的な存在ですが、
海や川の水を、ここでも浄化する作用があるのでは、と私は勝手に想像しています。
川は、山の豊かな栄養素を海へと運んでいきます。川が海に注ぐ周辺の海底には
豊かな山のエキスをいただいて、豊穣な海の生命活動が営まれています。
そこには、絶妙な生命のバランスを保ちながら、
山のエキスと海と川と陸と空の生物が、共生していたのだと思います。
ところが、人間は山にダムを作り、川の岸辺にはコンクリートで護岸を作り、
そして干潟を埋めていきました。その結果、海や湖や川には自浄作用が衰え
生態系がズタズタに分断されて、生息していた魚介類が死滅していきました。
路地裏の話題から、ちょっと外れて申し訳ありません。
路地裏の効用については玄太郎さんが詳しく述べている通りだと思います。
路地裏という場も世代を超えての交流の場、
人間関係のバランスをとっていた場だったのでしょう。
路地裏が少なくなってきたのも、効率を求めるあまりに、
排除されていったという点で、干潟や水辺との共通点を私は感じています。
50年先、100年先の人の暮らしを考えた場合、人間も自然の一部であり、
顕著になって、自然から学ぶべきものが大いにある。
いささか強引な論法のようでありますが、そんなことを感じております。
編集済



”痛快!エブリディ”見ました 投稿者:管理者G  投稿日: 3月20日(水)23時04分
29秒

MOONさん、山中さん

 MASAYOさんもお出でになりませんから”路地裏談義”は終息と見てよいでしょ
うね。
 関係者の皆様有り難うございました。 御礼を申し挙げます。 新たな発見や、
知見を得ました。 実り多いものだったと思います。 又、機会がありましたらご
参加下さいね。
さて、本日の関テレの「痛快!エブリディ」、予約録画をして出社しました。
先ほど再生しました。 映像は2分くらいで、後3分は出演者のお喋りでした。
お店の名前と開業の経緯、店名の由来が主な内容ででした。 神戸の喫茶店という
ことの説明だけでした。 喫茶店の周りは映り、お店の経営に携わる四姉妹の方々
も映り以上のインタビューはありましたが、西出町の名前はでてきませんでした。
 神戸港や南京町界隈が前フリに使われていましたがお店の電話番号が兵庫区を示
しているほかその存在は薄いものでした。 
 このコーナーのタイトルは”日本一計画性のない喫茶店”でした。 お店の名の
通り姉妹のお母さんがある日「思いつき」で開業をきめ、喫茶店なのに飲み物ばか
りで定食等食べ物がないメニューでした。 何故そうなのかと聞いたらメンドくさ
いからせーへんねんとの答え。 そんなお店でも47年間地域に支えられて存立し
ている。 そんな人情のある地域だと思わせたいという内容の映像でした。
 関テレはドラマ作りは上手いのですが、タージンという中途半端な芸人を使って
のレポートはヘタなんですね。 この人は私も実際に彼が出演する番組に立ち会い、
極近くでその様子を見たことがあるのですが、すごく傲慢な態度でした。
 場所が小野市の半ば寂れた商店街に位置するスーパーだったことも作用したので
しょうか。 それ以来キライになりました。 
 テレビについての思い出をもう一つ披露しましょう。 西條笑児という神戸は北
区鈴蘭台に住むタレントはあの西條凡児氏のご子息なんです。 彼は紳士ですよ。
 西條凡児氏はみなさんご存じのように偉大な芸人でした。 晩年は、不幸な事件
に巻き込まれて不遇でしたがそれ以前は今の桂三枝、明石家さんま師の芸人系譜上
の祖先にあたる人なんですね。 それは話術の巧みな人でした。 それは人気があ
りました。 そしてその話芸に挑戦しようと関東から彼にインタビューするので
すがその度にしてやられます。 それは見ていて小気味のよいものでした。 先
頃終わった毎日放送の「素人名人会」の司会をして長寿番組に仕立て上げました。
 朝日放送の「凡児のお脈拝見」の話術は人を魅了しました。 この番組でのう
っかりの一言が命取りになるのですが...。
 先頃、彼の話したテープが大量に見つかったと言うニュースが新聞にでてきまし
たね。 芸人として殿堂入りもしていますね。 去年でしたか大阪府立”ワッハ
上方”に。 そんな偉大な父親を持つ笑児師はそれを鼻にも掛けないでわずか1
5分の番組に半日の収録時間を費やするのです。 リハーサルを何度していたこと
か休憩時間に一人で放送でしゃべることを繰り返し繰り返し練習しているのです。
彼ほどのベテランがそんな努力をしているのです。 そして本番前にインタビュー
する人の気持ちをほぐす、すてきな会話をするのです。 それは一生懸命に仕事を
愛する職人を見る思いでした。
  これを見ていますからよけいにタージンの態度が許せないのですね。 
      
    2002/03/20 10:57 PM

編集済


ゼネコンと路地裏 投稿者:MOON  投稿日: 3月20日(水)23時33分25秒

日本の状宅事業を考えてみました。
大規模の都市計画から計画された住宅の場合は別として、
小・中規模の分譲住宅の場合、売りやすいように狭く区切って1棟1棟の区画を決め
ます。
建築設計は、その狭い敷地の中に、目いっぱい使って設計し、家を建てていきます。
まさに建売住宅がこれです。高度成長の時代から、バブルの年にいたるまで、
山を崩し、田んぼを埋め立て、狭い国土をディベロッパーとして、大手のゼネコンが
分譲地
として開発し、住宅地として売ってきた。ゼネコンは急激に売上を伸ばしていったの
です。
そこには、路地裏という概念は、無駄なスペースとして見事に切り捨てられていきま
した。
こういう状宅が圧倒的に多いのが、日本の住宅事業の特徴だとは思いませんか?

一方、公共事業として、干潟を埋め立て、水辺にはコンクリートで護岸を作ってき
た。
考えてみると、ひどく貧しく、寒寒としたものを感じてしまいます。かくして
効率がなにより優先されてきた結果、人の心も、自然環境も閉塞状態に陥っている。
本当の豊かさとは何か、ということを、個人も、企業も、行政も、既成概念にとらわ
れる
ことなく、根本的に考え治していかなければならないように思います。

編集済


 投稿者:MASAYO  投稿日: 3月21日(木)09時11分53秒

おはようございます。玄太郎さん、みなさん。
たくさんの路地裏のお話、楽しいですね。
しばらく路地裏の効能、路地裏の意義?をみなさんのお話で聞いておりました。
私が路地裏生活なるものを垣間見たのは長田にいたときで、かすかな記憶をたどりま
すとちょっと玄太郎さんのお話とは違います。
そこでは縁台でおとうさん連中のみが将棋を指しており暇そうにしている女の人はい
なかったです。私の母も3人の子供を抱え家は鉄工所をしていましたから、従業員の
夜食を作らなければならなかったしそんな、忙しい父母だったのでゆっくり近所の人
たちといるのを見たことがなかったです。ただ私たち子供はそのように近所の人が集
う路地裏を走り廻ってはいましたが、そこでは将棋の邪魔をする子供を叱る怖いお父
さんたちの存在しか記憶にありません。
まず昔の路地裏のイメージはそういったところです。

玄太郎さんのお話による路地裏の生活はやはり私にとってこの新しい町、ポートアイ
ランドでの生活に重なります。この新しい町は過去のない皆でこれから作り上げる町
だという意識が住民にあったと思います。だから春には桜祭り、お地蔵さんも作り、
運動会や野球大会等、住民参加の催しがいろいろ企画され住民の参加も活発です。よ
その子供も叱りますし、玄太郎さんのおっしゃる昔の路地裏での生活の光景は、繰り
返しますがマンションでの廊下、階段、ピロティーでの私たちの暮らしと重なりま
す。
古い町ではもうそのようなものはないのでしょうか。
だとすればその再現はやはり住民の意識によるのでしょう。
新しい町ではそのようなうるおいのあるふれあいの場もないだろうし、何より子供た
ちにかけがいのない故郷だと思えるような町にしたいという思いから意識的にいろん
な試みがなされたんですね。ここで生まれた子供たちも大きくなりあちこちの地方で
学生生活を送っていたり、またよそへ転勤されたりするのですが、やはりポーアイの
生活は楽しかった、ふれあいがあったとよく話をききます。だから路地裏の空間がな
くなったからといってその役割をはたすものは今でも作りうるというのが実感です。
「閉鎖された空間である」路地裏がなくなったから今の子供たちに問題がでていると
いう玄太郎さんのお考えにはやはり?です。


少年時代 投稿者:MOON  投稿日: 3月21日(木)13時09分28秒

MASAYOさん、おはようございます。
路地裏についての思い出は、人それぞれあるものだと思います。
昔の路地裏よりも、今お住まいのポートアイランド
の生活の中で、地域の交流がなされているというMASAYOさんご意見ですよね。
それは非常に良い事であり、地域コミュニティづくりの
モデルケースとして推奨したいくらいです。

さて、私の少年時代の我が家について、ちょっとお話させてください。
路地裏というのは、広い表通りに対して、家の側面、あるいは裏側の狭い通りを
路地と言いますよね。
我が家の両隣りの家はほとんど隣接しており、奥行きが長い
家の裏側には、新井郷川という川が流れていました。
夏になるとふんどしを締めて、友達と水遊びをしたものです。
ですから我が家の周囲に面しては、路地裏はなかったのです。

右隣はお風呂やさんがありました。
お風呂屋の右側に路地があり、この路地ではよく遊んだものです。
お風呂屋の叔父さんから、将棋を教えてもらったり、昔話をしてもらったり
したものです。このお風呂屋さんは家畜として犬やにわとり
そして何十羽という鴨を飼っていました。
鴨の餌として長さが20センチもある巨大なタン貝という貝の肉を与えていました。
このタン貝という貝をとりに、一緒につれていってもらったことがあります。
家の裏側に流れている川から舟に乗り、福島潟というところに行ってタン貝を
とってきます。潟の底には累々とタン貝があり、お風呂やさんの叔父さんは
素もぐりをして、大きな貝をとって舟の中に入れては、また潜ってとってきます。
大量の貝を舟に積んで、家に持ち帰ってくると、貝殻を割って肉を出し、
鴨の餌として鴨に食べさせていました。
この福島潟には母親がこぐ舟に乗せてもらって
菱(ひし)やレンコンなどを採りにいったことがあります。
モノの形をあらわす言葉で、ひし形という言葉の由来は、この菱からきているのです
ね。
これをふかして食べるのですが、何とも美味な味なんです。
子供の頃の私にとっては、この福島潟は原始的で神秘的な原風景だったのです。
舟で福島潟にたどりつくと、海のように広く、対岸がかすんで見えました。
潟からは鯉やフナ、雷魚や、川蟹、タニシなど豊富な魚介類が採れます。
潟の周辺には、昔から潟の恵みで生計を立てていた猟師もいっぱいいたのです。
野鳥の宝庫そのもので、さまざまの鳥たちも生息していました。
福島潟は、少年時代の私に自然に対する畏敬の念を私に与えてくれました。

しかし、この自然の宝庫である福島潟の90%が埋め立てられてしまい、
農地になってしまいました。皮肉なことに、今は国から減反を迫られております。
自然の宝庫であった福島潟を、一体、何のために埋め立てしまったのでしょう?
我が家の裏に流れていた新井郷川も埋めたてられてしまいました。
長々と、今は昔の話をしてしまいました。
かくして、今の子供達は自然と触れ合う機会が、めっきり少なくなっているのが現状
です。

蛇足ですが昨晩深夜に、NHKで火星に行くことを目標にして、さまざまな
宇宙における人体の実験をやっている番組を見ました。
長期間宇宙に滞在した場合、人体の衰えのほかに、心の問題の取り組みでした。
密閉した空間の中に、宇宙士たちがどれだけストレスと戦うことができるか。
私が注目したのは、宇宙士たちが、麦を育てるという過程のなかで、
心を癒し、ストレスを抑えることができているという実験結果を得たということでし
た。
これは、示唆に富む実験だと思いました。

編集済


路地裏のイベント 投稿者:山中一夫  投稿日: 3月21日(木)16時27分00秒

今日は西出町のイベントの初日で見て来ました。
稲荷市場がメイン会場となっていました。
入口で学生さんがチラシで呼び込みをしていて、空き店鋪の壁をギャラリー代りにし
て、
空き地でファッションショーしたりで若い学生達で一杯でした。
読売、産経新聞の記者が来ていましたので土日は今日より人出が予想されます。
昔の知り合いと出会ったり、若い学生さんに話しかけられたり、今日は楽しい1日で
した。
23日5時から7時まで喫茶「思いつき」で学生達のトーク会があるそうで、時間が取れ
たら
行こうかな? と思っています。



今日は風が… 投稿者:MASAYO  投稿日: 3月21日(木)21時25分47秒

山中さん、今日はちょっとお天気が悪かったですね。
日曜はなんとか天気がよいとかニュースでいっていましたから、大成功になればいい
ですね。
空き地でファッションショーですか、山中さんは参加されなかったですか?(笑)

MOONさん、
>菱(ひし)やレンコンなどを採りにいったことがあります。
>モノの形をあらわす言葉で、ひし形という言葉の由来は、この菱からきているので
すね。
>これをふかして食べるのですが、何とも美味な味なんです。

菱の実という言葉を聞いたことがあります。
このことなんですね。
私が育った環境はほとんどそんなものを目にする機会がないところで、草花や木や鳥
に接するのは私の子供達の方が恵まれているくらいです。
鷺やひよもポーアイに来て初めて接しました。
それくらいですからMOONさんの少年時代はうらやましいです。
なんだか周五郎の青べか物語を思い出しました。

菱(ひし)やレンコンなどを採りにいったことがあります。
モノの形をあらわす言葉で、ひし形という言葉の由来は、この菱からきているのです
ね。
これをふかして食べるのですが、何とも美味な味なんです。


私は 投稿者:山中一夫  投稿日: 3月21日(木)22時42分06秒

MASAYOさん、私はフアッションショーは見ていましたよ。
女子学生がエレキギターの音楽で面白い格好でショーをしていました。
終わると学生達がヤッターッて感じでキャーキャー歓声を上げて喜んでいました。
市場の人もビックリしていました。ヤングパワーはスゴイです。
明日の読売、産経には載るかも。



遅かりし... 投稿者:管理者G  投稿日: 3月21日(木)23時49分30秒

 山中さん
 私も駆けつけたのですが、ついた時にはすでに午後5時でした。 
 学生らしい人が三々五々駅の方に歩いてゆきました。
 終わりが早い時間なのですね。 
 もしかしてと”まちなか資料館”へ足を向けてみてもクローズでした。
 近所で棟上げ式の後始末をしていました。
 明治2年の地図入りの”高田屋嘉兵衛と西出町”の解説板が近くに設置されていま

た。 そのそばにブルーシートでくるまれた”碑”がありました。
 中身はどんなんでしょうね。 早く見たいものです。


路地裏考:余談 投稿者:M  投稿日: 3月22日(金)18時07分37秒

はじめまして!
MOONさんの友人のMと言います。「路地裏談義」がおもしろいから、是非覗いて
みろとそそのかされて、皆さんのデベートを拝読させて頂きました。
この手の話には興味があり、MOONさん宛てに感想をメールしましたら、是非掲示
板にペーストしろと、またまたそそのかされました。それで、以下に私見を転記して
みます。


物理的な空間である「場」としての路地裏については、私は特別な想いは有りませ
ん。私の生まれは、日本一の豪雪地帯の山村で、そもそも「路地裏」なるものが存在
しませんでした。路地裏が出来るほどの家屋の集積が無かったのです。当時の山村部
や山添いの農村部では、大なり小なり似たような状況で、日本全国、路地裏の無い地
域は掃いて捨てるほど存在したでしょう。
ですから、「路地裏」という概念そのものが、どちらかと言えば人口集積の多い「都
市部」に限定された概念ではないでしょうか?
つまり、大人達の原風景として、それほど一般性が保証されているものではない……
私はそう思います。

次に、「関係性」を表す代名詞(同義語)としての路地裏であれば、山村社会にも
シッカリと有りました。私は当時、神社の境内や川原、刈り入れ後の田んぼ、学校の
グランドなどで、真っ暗になるまで大小入り乱れて一緒に遊びました。でも、その中
に「大人は不在」でした。大人達の近くで遊んだ記憶は有りません。その意味では、
都市部における路地裏とは「登場人物」が異なります。大人は野良仕事が忙しく、子
供にかまっている暇など無い……食べさせるための餌探しが最優先。
でも、大勢の子供同士の関係の中で、人間関係の基本や他人とのバランスの取り方は
学んだと思います。

たった一人、無人島で生きて行くなら「人」は「人」のままでも可。複数になった時
に「人」と「人」との間には「関係性」が発生し、それをコントロールする必要が生
じます……つまり「人」から「人間」へとステップアップする必要が出てくるわけで
す。
我々を含めおよそ生物と名のつくものは、他との関係性抜きにしては、生きて行けな
い宿命を持っています。植物同士・植物と動物・動物同士・植物と人間・人間同士・
生物と周辺環境諸条件………人間が生態系の一部である以上、逃れられないでしょ
う…たぶん。
そんな中で、親子の関係・友達との関係・地域の中の関係・隣国との関係………
どれ一つとってみても、「関係性」の中で日々生きていることを再確認させられま
す。1日たりとも、他人の世話にならない日など無い。
謙虚に心を清ませば、「生きること」は「関係性そのもの」だとも言えるでしょう。
逆から見れば、「関係不全に陥ると、生きにくくなる」ことは、当たり前の理屈じゃ
ないかと………。
そして今、社会全体があらゆる場面で「関係不全」に陥っている。

昭和20年8月15日、「鬼畜米英」だった最大の敵国・アメリカに「圧倒的な物量
の差」で、コテンパンにされた日本が目指したものは「豊富な物量」。
すきっ腹を抱えて、サイフと腹を満すために馬車馬のようにひた走ってきた50数
年。当然、占領国アメリカの政策の基本は「すべてをパーツに分けて分析し、それぞ
れを最も効率良く機能させることを追求する方式」。心臓は心臓の専門医に、腎臓は
腎臓の専門医に、目玉は…、耳は…、足は…、手は…
西洋医学では人間の身体ですら「精巧な部品の集まり」と見る。
ジグゾーパズルのピース1枚1枚を、どれだけ精密に調べても、全体の絵柄は分から
ないにも関わらず……我々は明治維新以来、西欧的な考え方に価値を置いてきたらし
い。
部分は部分だけでは成り立たない。部分は、全体の関係性の中ではじめてその存在価
値が確認でき、認められる性質のもの。
戦後50数年、夢にまでみた経済大国日本。しかし、夢を手にするために捨て去って
きたものの大きさが今問われている。歴代政府の施策に基づいて、全国民が50年間
もの長い期間、ずっと捨て続けてきたものこそ「関係性」そのものだったと私は考え
ています。

ですから、21世紀の最大の課題は「あらゆるものとの関係性の再構築」だろう
と…。地球にやさしい、人にやさしい「エコ」とは本来そう言うことでは・・・・・
??。
それを推進するための一つの場、一つの方法として、「路地裏の復活」はかなり有効
な手段でしょう。
これまで分断されてきた関係性が少しでも復活して、人と人の間に温もりが生まれれ
ば、町の景色も少しは変わってくると思います。
間違っても、大旱魃で瀕死状態のアフガンに対して「自国民だけの正義」を振りかざ
して最新兵器による報復攻撃をするような大人には育たないでしょう、路地裏では。
腹が減ってきたので、続きは後日に!(夜9:00)


投稿者:管理者G
Mさんご投稿頂きまして有り難うございます。
 思いの外ロングランになりまして困惑している状態であります。
 嬉しい悲鳴と言った方が通りが良いでしょうか。
 もちろん参加された人たちの力量がものを言っているのは言うまでもありません。
 それにしてもこれほど反響を呼ぶとは思いませんでした。 一言日頃思っていたこ
とを漏らしただけなのにと言うのが今の実感です。(^_^;)。
 ところでどうでしたでしょう? 少しかみ合わない場面もありましたが、第三者の
お立場からご覧頂きましたらどう映りましたでしょうか? 当事者は興奮の中に未だおり
ますから冷静に判断できません。 少なくとも私は...。 なんて書きますとまとめに
入っているようになりますね。 二日前にはそう思いました。 そしてまとめ的な文を認め
ました。 ところが昨日突如復活しました。 そして本日M様からの思いがけないご投稿
となりました。 MOONさんのご厚情とそれに応えてくださいましたM様に感謝致し
ます。 
 さて、仰られるように路地裏は都市にしか成立し得ないのかも知れない不思議な空
間なんですね。 事実、私が依拠しています路地裏があった頃の神戸市長田区の人口は現
在のおよそ2倍の約23万人でした。 面積は10平方キロでした。 これは現在も変わ
りません。 昭和30年代から40年代の頃です。 面積の中には北部に位置する独立峰
高取山を始め、観音山、南部に長田港と言った広大な住居地に適さないところも含まれて
います。 それらをのぞいて1平方キロあたりの人口密度を計りますとゆうに2万人を超
えます。 これでは少し分かり難いですから100メートル四方にしましょう。 それで
したら二千人になりますね。 これだけの人が犇めいているのが大都市の実像だったので
すね。 しかも全部が在地の人ではないのですね。 その中で私のところは賃貸アパート
だったのです。 何時しか一戸建ての住居を持ちたいと希望に燃えた当時二十代から三十代
の人たちが路地裏を形成していました。 出身地域、職場もそれぞれ異なっていました。
 
 つまりデラシネなんですね。 年齢もほぼ似通っている、当然コドモ達の年齢も同
じ、それでいて血縁のつながりは家族以外にはない、と言うことで対等なつきあいが出来
るところでした。 伝説のマンガ荘のトキワ荘のように何年か経てば構成員の何人かが代
わる流動的な小社会でした。 それでも平均で十年以上は居住していた方が多かったよう
です。
 これが農山漁村地帯の社会と違う社会のあり方でした。 一つの村が同姓、一族ば
かりと言うのも珍しくないようですね。 そして姓が二つなり三つというのも。 事実私
の祖母の出身の村がそうでした。 私が今校正をさせてもらっていますHさんの少年時代
のエッセイにもその様子が書き込まれています。 同族なり旧来の人で村を形成してい
る場合はそれなりの歴史があり、地縁という名の顔見知りがいますからいろんな柵があり
ながら相互に無視が出来ない存在で共同体が強固にあります。 ところが私のいた路地裏
は、そんな拘束するものが何もないのですね。 別に強制されたワケでもないのに生活を
扶助しあうのですね。 まさに人ではなく人間(ジンカン)なのですね。 これは社会を
意味するそうですね。 高校の頃”倫理・社会”と言う教科で習いました。 不安が一杯
の都市生活。 頼るものは若さと同じような境遇の隣の人だったのです。 そうして身
を寄せながら生活して明日の家族を夢見る人たちだったのですね。 だから本来の意味
(?)での路地裏生活を送ったのかと問われれば否と言うしかありません。 それでもこう
いうあり方も一形態かなというとらまえかたです。 そして時空が全く異なる処に同じよ
うな類例があるとのMASAYOさんのご指摘がありました。 発生状況、あり方は似ている
かのように思えたのですが似て非なるものでした。 決定的な違いは土の有無なんで
すね。
 これは些細なものに見えるのですがそうではないのですね。 その持つ特性が違う
のですね。 その持つ柔らかさ、水の浸透性、裸足になった時の感触。 この意味をみな
さんここで考えてみてください。 Mさんが特別に寄稿してくださいましたから嬉しくな
り、つい長文になってしまいました。
 M様、つづきをお待ちしております。

2002/03/22 8:50 PM


こんばんは。 投稿者:MASAYO  投稿日: 3月22日(金)23時26分57秒

Mさん、はじめまして。みなさん、こんばんは。
玄太郎さん、なんかうれしいですね。
みなさんでいろんなことをお話できて、Mさんのお話も感動しました。
いろんな地方の町のありかたを知ることができてとても興味深くまた考えさせられま
す。

まとめに入られようとした玄太郎さんをまた私が混ぜ返してますね。(笑)

> しかも全部が在地の人ではないのですね。 その中で私のところは賃貸アパート
>だったのです。 何時しか一戸建ての住居を持ちたいと希望に燃えた当時二十代から三十
>代の人たちが路地裏を形成していました。 出身地域、職場もそれぞれ異なっていまし
>た。  つまりデラシネなんですね。 年齢もほぼ似通っている、当然コドモ達の年齢も
>同じ、それでいて血縁のつながりは家族以外にはない、と言うことで対等なつきあいが出
>来るところでした。 伝説のマンガ荘のトキワ荘のように何年か経てば構成員の何人かが
>代わる流動的な小社会でした。 それでも平均で十年以上は居住していた方が多かったよ
>うです。

これは私が住んでいるポーアイのマンションのことかと思いました。
これはそっくり私の言葉です。
だから路地裏は現在に存在すると自分では思っているわけです。
でも、これは昔の路地裏ではありません。
夕方になってもお父様方が夕涼みにでてくることもなく(お父様方は帰りが遅いので
す。)、子供達が夕食前やその後にでてきて走り回り叱られることもありません。
(子供達は塾通いが忙しいし、小さい子はテレビに釘付けなのです。)
私どものマンションでも、昔の路地裏の人間模様が今にあるといってもちょっと様子
は違います。
それはお母さんと子供だけの昼間の関係です。
おとうさんは不在です。

今、路地裏の世界が再現できたとしても、このような生活ではとても昔のような路地
裏にはならないでしょうね。



路地裏考;余談、のつづき 投稿者:M  投稿日: 3月24日(日)19時22分38秒

皆さんこんばんは。先日のつづきです。

私達は「動物」として生まれ、「人」に成るべくして育てられながら、多くの人達と
の関係の積み重ねを通じて、少しづつバランスのとれた自立した「人間」へと成長し
て行くのだろうと思います。
「例え人間の子供でも、生まれて間もなく狼にさらわれ狼が育てれば、狼として育
つ」。
見た目は人間の形をしているが、知能も言語能力も行動パターンも人間のそれではな
く、まさに狼のそれである……という、実録に基づいて書かれた本を読んだことがあ
ります。
私が直接その場面を見た訳ではないので、真偽のほどは解りませんが、もし本当なら
(本当だと思っていますが)、「関係性によっては、人間の子供でも、人間以外にさ
え成り得る」ことになりますよね。
これって、すっご〜いことだと思いませんか?!?
何が言いたいかと言うと、「まわりの条件や他者との関係性が、その人の質を決定づ
ける重大な要素」である………と主張したいのです。
まさに、「朱に交われば赤くなる」…交わらなければ狼にはならない。
あたりまえかな?

社会がどんどん便利になり、他人と話さなくても物が買えて、生活も出来るこの時
代。支払いはカードですみ、パソコンでバーチャルにつながる。相手を気に入らなけ
れば「スイッチOFF」で済む。ほとんど全ての決定権を、あたかも自分自身が持っ
ているように錯覚させる今の社会構造……怖いですね〜〜。
こんな社会の中で、他とのバランスを身につけるのは、大人でも至難の業ですよ。第
一チャンスが少な過ぎるから。現に、私自身もこうして、逢った事も無い人達にIT
している自分がいることも含めて……です。

人に足を踏まれて初めて、「他人の足を踏んではいけない」ことが、知識としてでは
なく、生身の感覚として理解でき、自分のものになるわけでしょう。
生身の人間同士のふれあいを通じてしか「人」は「人間」にはなり得ない……これは
私の持論です。
ほいでもって、別に路地裏では無くても、「路地裏的空間、or路地裏的な関係;界
隈性」は21世紀に不可欠な要素だと私は確信しています、ハイ。

Gさんへ;「土」について私の考えを少し書かせて下さい。
大げさに言えば、地球は土の塊で(海の底も土)、生物は海で生まれて陸に這い上が
り、進化を続け、その「なれの果て」が今の自分達である……のでしょう、たぶん。
だとすれば、我々は土から生まれて土に支えられ、予定の寿命を終えれば再び土にか
える……DNAにはたぶんそのようにインプットされているんだろうと思っていま
す。神のみぞ知る……かな。
これまで、古今東西、土や水から離れて栄え続けた文明は無かったし、今後もそれは
変わらないでしょう。土から離れた時から「種の滅亡が始まる」のではないでしょう
か?? なぜなら、個人的にどのように頑張ろうと、世界がどうなろうと「人も生物
である」ことは絶対に変えられないと思うからであります。
もちろん、5年や10年のスパンではなく、100年1000年1万年のオーダーですけど。
「食べ物」が「食品」に変わり、野菜が工場生産されるような時代に突入したあたり
から、人間の足が地べたをはなれ、心のすさみ方が大きくなってきたような……そん
な気さえします、推測ですけども。

先日、こんな本を読みました。
「何も無かった昔よりも、何でもある今の方が、ずっとずっと生きにくい。特に子供
達は、今、そういう生きにくい大変な時代の中に居る」と。
みなさんは、どのように思われますか???


Re.路地裏考;余談、のつづき 投稿者:MOON  投稿日: 3月24日(日)20時50分
56秒

>別に路地裏では無くても、「路地裏的空間、or路地裏的な関係;界隈性」は
>21世紀に不可欠な要素だと私は確信しています、ハイ。

非常に明確な論理に裏付けられた、結論ですね。
私の主観的で、はちゃめちゃな論理と違い、非常に説得力があります。

>「食べ物」が「食品」に変わり、野菜が工場生産されるような時代に突入したあた
りから、
>人間の足が地べたをはなれ、心のすさみ方が大きくなってきたような……そんな気
さえします、

長年、土と樹木に携わってきた植物の専門家らしい、鋭い近代文明への警鐘ですね。
便利になった分、心がすさんできた。
モノの豊かさと心の貧しさは相関関係があるのでしょうか?

だとしたら、このすさんだ人の心に、どうしたら潤いを与えることが
できるのでしょう? 心の豊かさを取り戻すにはどうしたらいいのでしょう?
21世紀の社会を生きるからには、この厳しい現実を踏まえた上で、
そのことを一人一人が、真剣になって考えていなければいけない、と思います。
Mさんのご意見をお聞かせいただければと思います。


Re.路地裏考;余談、のつづき 投稿者:管理者G  投稿日: 3月24日(日)22時46分
50秒

Mさん
 ”つづき”のご投稿有り難うございます。
 インドで発見されたアマラとカマラの狼少女 及び同じくインドで発見された少年
の話ですね。 それらをモデルにしたのでしょうか、MOONさんのお兄さまの制作になるア
ニメに「狼少年ケン」がありますね。 今の若い人はもうご存じないかもしれません
が、私の子どもの頃は大人気でした。 映画からTVに移植されこれも又大当たりでした。
 人間は環境の子とも言われ様々な状況に対応出来るのですね。 鳥は最初に見たも
のをオヤと思うのだそうですね。 カッコウの行動でよく説明されますね。(託卵)
 それは本能なのですが、人間にも”生きる”ためにそんな本能がそなわっているの
でしょうか。 
 さて、Mさん仰ること一々ごもっともですね。 全く同感ですね。 私の言わんと
することをまとめて頂いたようで恐縮です。 そうですね、全く人間は土に埋まれ土に
還るのですね。 野に咲く花に心が和み、造花には後ろめたさを覚えるですね。 同じ生
きとし生けるものとしての共感を覚えるのでしょうか。 ご専門の分野に立ち入り恐縮で
すが小なりと言えど造園施工管理技士の免許があります。 土からいろんな恩恵を私たち
は受けていると言えますね。 嘗て専門だった考古学も土とは密接な関係があります。
 
 土の堆積で遺跡の年代が判るように研究されていますね。 土で器を作り、土饅頭
の大きなものが古墳です。 そして土が堆積することにより歴史が封印されます。 そ
してその大きな恵みに感謝しながら土で保護された歴史を知ることになります。 そうし
て得られた新しい知見から人生に大きな影響を得られることもあります。 先日の同窓
会ででもある遺跡が私の人生に与えた意義をスピーチしろと言われました。 私はかろう
じて応答は出来ました。 本日それを発せられた先生の答えが本日出かけました大学での
講演会で聞くことが出来ました。 古代に於いては土と離れることは夢に考えられず、土
との関わりがすべてであったと言っても過言ではありません。 つい最近まで日本人は関
わってきたのですね。 路地裏の玄関先脇には前栽があったものです。 あの狭い空間に
鉢に土を入れミニ土地として棚に並べているのでした。 そこまでして土と関わりたかっ
たのですね。 これはもう人間としての本能なのですね。 命を育てることで命を愛で、
命を慈しむのですね。 そしてそれの世話をすることで自分も癒されるのですね。 団地
の空き地でもミニ花壇を造ることを黙認していますし、ベランダに前栽的なものを設置す
るのも黙認しています。 地域によればそのコンクールをして表彰すらしています。 行
政もその”いやし”の効果に気づいているのでしょうか。 コンクリートだらけのマン
ションの長廊下では不能でしょうね。


麦と宇宙士 投稿者:MOON  投稿日: 3月24日(日)23時26分32秒

前にも書いたのですが、タイトルは忘れましたが、
今深夜放送でNHKから、宇宙ものの番組が流れています。
ものすごく、金をかけている番組です。みなさん見ていますか?
火星に行くことを目標にして、さまざまな
宇宙における人体の実験をやっている映像にひきつけられてみていました。
長期間宇宙に滞在した場合、人体の衰えのほかに、心の問題の取り組みでした。
その実験内容を非常に丁寧に記録した映像を見ることができました。
密閉した空間の中に、宇宙士たちがどれだけストレスと戦うことができるか。
私が注目したのは、宇宙士たちが、麦を育てるという過程のなかで、
心を癒し、ストレスを抑えることができているという実験結果でした。
狭い宇宙船の中で、育っている麦を慈しむように手で触っている、宇宙士たちの
何ともいえない満足そうな喜びの表情が忘れられません。
麦を育てていくことで、外部と長期間、完全に遮断された人間の癒されている。
この映像は、演出では絶対に表せない、記録映像だから伝わってくるものでした。
示唆に富む実験だと思いました。

編集済



土 投稿者:MASAYO  投稿日: 3月24日(日)23時59分49秒

Mさん、みなさん、こんばんは。
土の癒しの効果、おっしゃることはよくわかります。
私の子供の頃、もうすでに今のような文化住宅とよばれるコンクリートの廊下の世界
でした。
土の生活はほんの小さな時期の長田の路地の家でしか知りません。
それも家の前だけが土でした。普段あそぶ路地はすでにコンクリートでした。
でも、何もそれがどうだという感慨をもったことはありません。土の生活をそんなに
覚えてないからなのです。私の子供たち、いえこの近辺の生活すべてがそうです。
比較するものがないので別に何も思わないのです。
では、このような生活は人間の生活ではないのでしょうか。
私は自分がそのような環境で育ってきたのでこれが欠陥生活である、人間として生き
ていく環境でないと自覚できません。
もうポーアイのような環境で育つものに未来はないのでしょうか。



ポーアイと樹木 投稿者:MOON  投稿日: 3月25日(月)19時50分03秒

MASAYOさん、良い天気なのに何とも寒い新潟からです。
実はMさんと私は、新潟市役所で月一回、新潟市の景観アドバイザーとして
同席します。Mさんは植栽の専門家として、私は広告物の専門家として
今計画されている、建造物や屋外広告物について、市民の立場にたって
施主に対して、いろんなアドバイスをしてきました。
実は、私も土とか、植物とはあまり縁がなく、植物についての知識も乏しい
という人間なのです。しかし、3年間Mさんと景観アドバイザーとして同席し
街の景観や人間の環境に、樹木がいかに効用があるかということについて
啓発を受け、多くのことを学んできた、という実感をもっています。

ポーアイは人工的に作られた都市だと思いますが、街に樹木はないのでしょうか?
そんなことはないと思います。街に樹木が一本もない情景を想像できますか?
樹木のない街の景観というのは、殺伐として、非常に冷たいものです。
樹木は直線的で、人工的な空間に、潤いと安らぎを与えてくれているのです。
普段MASAYOさんは意識していないかもしれませんが、ポーアイの街の
樹木を改めてチェックしてみてください。街の並木、公園の樹木、公共施設や
個人住宅の樹木・・・四季おりおりに景観に彩りを与えてくれている樹木
樹木がいかに潤いと、安らぎを人間に与えていたのかを確認できると思いますよ。
それらの樹木は、良い土があってこそ成長繁茂するんですよね。


土と樹木 投稿者:MOON  投稿日: 3月26日(火)14時52分22秒

玄太郎さん、MASAYOさん、こんにちは
MASAYOさんが住んでいるポートアイランドには、十分な樹木があることを知り
ほっとしました。
都会の学校の屋外運動場は土でしょうか? コンクリートまたはアスファルトでしょ
うか?
田舎の学校は土です。都会の学校の子供達が、田舎の田んぼにきて田植えをやっても
らう、
そんなことが、学校の行事として行われるようになってきたのは、いいことだと思い
ます。
田んぼに入ると、子供達は泥んこになってはしゃぎ、
いきいきした子供らしさを発揮します。

安藤忠雄という建築家は、多くの建築の素材としてコンクリートを使ってきました。
しかし、土や樹木の効用を熟知している建築家だと、私は思っています。
私が生まれた豊栄市が、安藤さんに依頼して建設された建物に、豊栄市立図書館があ
ります。円形の形でコンクリートを使って建てられた図書館ですが、建物の周囲には、十分な
樹木が植えられ、内部に入っても非常に安らぎがあり、落ち着けるので私はこの図書館は好
きです。安藤さんの講演を聴きにいったことがありますが、彼は、樹木を植える運動のリーダー
もしていて、彼自身積極的に植樹の運動をしてきています。

何が言いたいのかと言いますと、これからの都市づくりや共同住宅を計画する場合、
土そして樹木が与えてくれる効用を十分に配慮して、設計するべきだということで
す。単純に昔に返ることはできない。時には再開発として、あるいは海を埋め立て、
山を切り崩して開発しなければならないことがあるかも知れません。

今までは公共施設、郊外型量販店、共同住宅にしても、計画や設計にあたって効率
が、何よりも優先されてきたように思います。
私は、コンクリートの住宅や、コンクリートの廊下がいけないとは思いません。
土と樹木が、その施設を使う人に、住む人に、街の人にいかに潤いと
安らぎを与えてくれるかを見直して計画してほしい、と思っています。
玄太郎さんの言われるように、住環境が土や樹木のないコンクリートだけの
空間だとしたら、そこに住んでいる人は潤いのある生活はできないような気がします。
人間は、自然を離れては生きてはいけない、と共に
人と人のつながりを絶って生きてはいけない存在だからです。
編集済


まったく同感です。 投稿者:MASAYO  投稿日: 3月26日(火)20時30分43秒

MOONさん、私もMOONさんがおっしゃることとまったく同意見です。
もちろん学校の運動場は土です。コンクリやアスファルトの運動場は全国どこをさが
してもないでしょう。
また、いくらコンクリートの建物であってもその住環境が緑にあふれたものであれ
ば、十分にそのうるおいは私たちを癒してくれます。
私はまた稀にみるノーテンキ、楽天家なのでなおさらです。(笑)
自分が住むコンクリートの住まいは建物全体が自分の家だと思っています。
マンションのの前には土の公園があり、これは私の家の庭です。
自分の家の後ろに広がる借景は青い海と行き交う船の見える神戸港です。
高層からながめるポーアイは小さくてさしずめ神戸港は我が池のようです。
周りに広がる公園の緑は広くて、我が庭ながら散歩に骨折ります。
このあつかましい私には緑いっぱい、土一杯の我が家に見えます。
あ、誰か笑いましたね!