神戸キリン物語


あれはどのくらい前のことだったか。。。
ボクはたくさんの仲間たちと一緒に
ポーアイに立っていたんだ。

その頃はにぎやかで、昼間一生懸命働いた後、
仲間たちと素晴らしい夕焼けをみて歓声をあげていたっけ。
仕事も忙しく活気があったなぁ
そう10年前までは。
    

 

それは寒い冬の日だった。
もうすぐ夜明けだと夢うつつの時に足元が、
大地が動いた!
信じられないことが起こったんだ、この神戸に。

ボクの大好きな神戸の街がメチャクチャになってしまったんだ。
仲間が地響きをたてて、たくさん倒れた。
輸出の荷物がたくさん海中に落ちてしまった。

 

大変なことが起きたとわかったのは
大分あとになってからだった。
長いこと仕事の船が着かなかった。
岸壁が壊れてしまったから。
そして岸壁が修理されてからも帰ってこない船があったっけ。
その頃から仲間たちがいつのまにか減ってしまったんだ。

そんな時にボクの隣にきてくれたのが神戸丸だった。

気がつくと、あれ?ぼく一人。
寂しかった。。。
一人で夕陽を眺めるそんなボクに皆は気がついてくれた。
    

 

それからは寂しくなんかなかったよ。
ボクを見まもってくれるたくさんの視線を感じたから。
そしてボクと一緒に夕陽を見ていた人が
いっぱいいたとわかったから。


そして神戸丸とボクはいつも一緒だった。
  

 

そうそう忘れられないのは神戸港の海上花火大会。
あの時はまだまだ陽が高いうちから
ボクの周りに三脚を立てる人、お弁当を広げる人、
場所取りをする人でとてもにぎやかだった。
花火を待つ間に隣の浴衣姿のお嬢さんを撮る人がいて
僕はクスリと笑ったよ。

 

だんだん陽が落ちてきて、
息も止まるほどの夕焼け空になった。
もう空が雲がこの世のものとも思われない色に
なってきて、我を忘れてしまった。

大空の壮大なドラマを見た!
目の前に行きかう船と空と海と。
そしてそれを皆が一緒に見ていたと思うと
胸がいっぱいになった。

目をつぶると今もその時の様子をまざまざと思い出す。

それから花火がはじまった。

 

皆の歓声が響き、
どっかぁ〜んと大きな花火が神戸港に広がった。

皆と見る花火は最高だったなぁ!

その夜ボクは花火の夢を見た。

    

 

ボクの目の前にある大きな造船所で進水式があるんだ。
大きなクス球が割れて
僕の目の前に生まれたての船が進水してくる様は
胸が震えた。

昔はたくさんの船が作られた神戸。
またいっぱい船が作られたらいいなぁ。
   

  

 

それからボクのいるポートアイランドに
たっくさんの人がどっとやってきたことがある。
サザンのコンサートが開かれたんだ。

なんでも7万人もの人が僕の周りで
大音響の音楽にあわせて叫び、歌い、踊った。
もう大地が揺れて揺れて、ちょっと震災の揺れを思い出してしまった。
近くの市民病院の方はうるさくなかったかな、ちょっと心配。

でも、もう楽しくて楽しくて皆と一緒に歌ってしまった〜
気がつけば神戸丸も歌ってた。

思い出せばあの頃が一番、
にぎやかで楽しかった日々だった気がする。
   

 

そして…
神戸丸がいなくなったんだ。

神戸ー高松のフェリーの代船で時たま
行き来しているのを見ていたので
がんばってるなぁと思っていたけど、
いつのまにか姿が見えなくなった。

風の噂に韓国に行ったとか。
元気にしてるかな〜
 

 

そしてボク。
ロクアイの2頭の仲間たちと
インドへ行くことになったんだ。

それを知ったとき、涙がでたよ。
大好きな神戸を、神戸の夕陽を
毎日、いつまでも見続けていたかった。。。

ボクはお迎えの船に乗った。    


画像提供 TOMさん
 


画像提供 けろさん
そう、ボクは神戸キリン。
ボクが立っていたポートアイランドは
神戸で一番仮設住宅がたくさん建ったところだった。

あれから10年。
涙をふいてたちあがった人たちをボクは見てきた。
  

 

辛い時、苦しい時
神戸で見たあの楽しかった花火大会、
皆と見た夕陽を思い出すよ。

神戸の皆さん、最後まで見送ってくれてありがとう。
いろんなところからボクを見つめてくれてたんだね。

海から
山から
ビルの上から。

忘れない。神戸のことは。
忘れない。皆のことは。

-2004.4.12 神戸キリン旅立ちの日に-   


画像提供 TOMさん

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