神戸縁の名店・名企業

がんばれー神戸の地場産業・神戸のお・み・せ
神戸の産業はドラマチックな歴史を秘めています。
調べていくうちになんとロシア革命、関東大震災もかかわってくる創業の物語。
そんな神戸のお店の紹介です。
   
好日山荘 1928年(昭和3年)〜
大正13年(1924年)日本で初めての登山用品店「好日山荘」が大阪にでき、続いて4年後の1928年に神戸好日山荘ができました。

藤木九三氏を中心として神戸で創設されたROC(Rock Climbbing Club)の仲間が東京店を開店。
神戸・好日山荘はフラワーロードと三宮センター街本通りにありましたが、現在は三宮御幸通りに移転。
以前は山小屋風の店がシンボルでしたが、今はおしゃれなお店になっています。
社名は「人の世の交わりは日々好日でなくてはならない」日々好日とは「天候がどうであれ、よい日と思えば その日は自然を受け入れて幸せな一日になる」という思いをこめて「好日山荘」としたそうです。

戦後、神戸店が法人化し、全国にチェーン展開しましたが、これは登山・スキー専門店としては初めての ことだったそうです。

神戸・好日山荘は新田二郎の小説「孤高の人」のモデルである神戸出身の加藤文太郎氏など登山愛好家のサロンとなって 多くの登山家が集まりました。

今もその歴史は続き、登山用品、スキー用品、スポーツ用品専門店として多くの人のよき相談相手、パートナーであります。
      その歩みは好日山荘物語 で詳しいです。

一時、取扱商品をテニス、ゴルフなど拡大。
1985年には山のイメージから脱却しようと社名を「コージツ」と変更しましたが、その後売り上げ不振のため 150近くあったチェーン店の7割を閉鎖。
原点にたちかえり「好日山荘」の名を復活しました。


本社所在地 神戸市中央区御幸町
2007.11.5 記(一部2008.12.10追記)

潟Eエシマコーヒーフーズ 1927年(昭和2年)〜
創業当時はトアロードに面したところにお店を出していたのですが、その後都市計画で現在の場所に 移りました。
お店を開いた頃から外国人のお客様が多かったそうです。
外国人は部屋に写真を飾ったり、絵を飾る習慣があったので神戸に居られる外国人、また観光で来られた 外国人がよく店に立ち寄ったようです。

額縁のことならプロフェッショナルな神戸の老舗です。


本社所在地 神戸市中央区
2008.12.16 記

潟Eエシマコーヒーフーズ 1925年(大正14年)〜
ユ・コーヒー・ウエシマグループの食材は10,000種類を超えました。
輸入・製造・加工・販売の一連のビジネスをトータルにカバーする企業です。
1970年(昭和45年)潟Eエシマ 設立
1999年(平成11年)潟Eエシマコーヒーフーズに社名変更
珈琲が香る街 神戸から全国へ
上島一泰社長は在神ブラジル名誉領事館の名誉領事です。
潟Eエシマコーヒーフーズ

本社所在地 神戸市中央区三宮町1丁目
2007.1.7 記

春陽軒 1925年(大正14年)〜
 

新開地の豚まんのお店。
大正14年創業の老舗です。
豚まんは小ぶりで、珍しいことに味噌味で、タレも味噌味です。
これはおやつというよりビールに合います。

昔は豚まんのお店というより中華料理のお店だったようです。
古い創業の頃の写真が掲げてありましたが、「元祖和風中華料理店」とあります。

本社所在地 神戸市兵庫区新開地
2008.12.10 記

フロインドリーブ 1924年(大正13年)〜
1924年(大正13年)ドイツ人で、敷島製パンの初代技師長を務めたハインリッヒ・フロインドリーブ氏が神戸市中央区に開店。
1955年(昭和30年)有限会社ジャーマン・ホームベーカリーを設立。
1995年の阪神大震災で本店が被害が出、一時休業状態になりましたが、近くの1928年に建てられたゴシック様式の 教会、旧ユニオン教会を買い取り2年かけて改築。
1999年11月11日、新本店としてオープンしました。
1階を店舗、2階の礼拝堂をカフェとした素敵な本店です。

実はこの教会は現フロインドリーブ代表取締役社長であるヘラ・フロインドリーブ上原さんご夫婦が38年前に 結婚式を挙げられた思い出深い教会でした。

7歳から「神戸っ子」、いえもう生粋の神戸っ子である、ヘラさんは「もっと神戸を愛してほしい」と おっしゃいます。
どれほど人気が出ても「基本は神戸でしか売らない。」、百貨店への出店も「神戸だけ」。
神戸にこだわったお店です。

本社所在地 神戸市中央区生田町
2008.12.7 記

オリバーソース 1923年(大正12年)〜
前身は「道満調味料研究所」
大阪のしょうゆ醸造業の次男が神戸で独立し、英国産と自社生産のソース販売にのりだしました。
輸入ソースの製造音がイングランド・ウスター市の「Oliver」社だったそう。
外国人居留地などでうりだしたところ好評を博しました。
昭和の初めごろまでに輸入元と日本の代理店が廃業したため商標権や意匠を引き継ぎ、自社製品も「オリバー」の 名で売り出しました。
1966年(昭和41年)に、社名自体もオリバーソースにあらためたそうです。
元は英国の都市名ゆかりの商品名だったのですね♪
TVではすっかり全国的におなじみです。

「神戸生まれ日本育ち」、このキャッチコピーが最高です。
日本でとんかつソースが誕生して今年(2009年)で60年だそうです。
それを記念して「復刻版とんかつソース」も売り出しました。

本社所在地 神戸市中央区 ポートアイランド
2009.12.4 記

ばら食品 1920年代?(大正時代)〜
神戸の長田にはお好み焼き屋さんがたくさんあります。
そしてそのお好み焼き屋さんはそれぞれ、おいしい地ソースを使っています。
その中の神戸が誇る地ソースのひとつに、ばらソースがあります。

昔のお好み焼きは醤油かウスターソースを塗っていたそうなのです。
さらりとしてすぐ鉄板の上に流れてしまいます。
昭和30年、このばら食品の当時の当主である浦野正義氏が流れないとんかつソースを開発 されました。
今では明石から大阪まで約200店のお好み焼き屋で使われているそうです。
ばらソースはウスターソース、とんかつソース、焼きソバソースがあります。

長田に行くとこのお店がある六間道の端にまで足を伸ばすのですが、残念なことに よく行く日曜日はこのお店はお休みなのです。(泣)
また、次の機会まで。
お好み焼きソースが切れてしまいました。

所在地 神戸市長田区 六間道
2006.12.7 記

富士通テン 1920年(大正9年)〜
1920年(大正9年)川西機械製作所創立
1949年(昭和24年)財閥解体により解散、神戸工業株式会社設立
このころ、江崎玲於奈氏が神戸西代の社員寮に住まい、神戸工業株式会社でカソード(陰極)から の電子放射の研究をされていた。
1968年(昭和43年)神戸工業株式会社、富士通株式会社が合併。
         ラジオ部門は富士通株式会社神戸工業部の所属となる。
1972年(昭和47年)富士通株式会社からラジオ部門が分離・独立。
         富士通テン株式会社設立。

「富士通テンは音を通じて社会に貢献します。」
この音へのこだわりからコンサート主催・協賛など音楽を通じたさまざまな社会貢献活動に取り組んでいます。
神戸ジャズストリートでもおなじみの協賛会社です。

また1997年から市社会福祉協議会と連携し、楽器を福祉施設に贈り続けています。

所在地 神戸市兵庫区
2008.12.22 記

新明和工業梶@1920年(大正9年)〜

ー1920年 川西機械製作所
神戸市兵庫区に開設された川西機械製作所の一部門として飛行機部を設置。
これが川西航空機鰍フ母体となった。 

ー1928年 川西航空機 世界的な優秀機である二式飛行艇、海軍局地戦闘機紫電改など多数の航空機を製作したが 終戦により航空機の製造を中止。

ー1949年 新明和興業
航空機の製造を中止したので、社名を変更。
「明るく和していく」という意味を込めたそうです。
川西航空機鰍フ蓄積された飛行艇、航空機作りのノウハウを基に航空機、産業機械、 特殊車などの産業分野に進出

ー1960年 新明和工業鰍ノ社名変更
US-1A型 救難飛行艇
水陸両用飛行艇「US-1A型救難飛行艇」「US-1A改」

甲南工場(神戸市東灘区)で製造する飛行艇は海上自衛隊が運用。
新明和の開発した消防飛行艇は山火事等の消火に内洋や湖水等からだけでなく外洋に着水、取水し 消火にあたることができる画期的な飛行艇です。
この飛行艇は13秒間に15トンの水を取水することができ、何度も往復して消火にあたることができます。

また空港ロビーと航空機とを結ぶ航空旅客搭乗橋は圧倒的なシェアを誇ります。

本社は宝塚市新明和町ではありますが、神戸市生まれの会社として掲載させていただきました。
写真は「US-1A改救難飛行艇」けろさん撮影です。
2003年12月18日、神戸六甲アイランド東で初飛行に成功。

本社所在地 宝塚市新明和町
2007年2.4記

★★★追記 2007年3月5日 up
2007年2月、神戸市東灘区青木で見つかった不発弾は、1945年5月11日米軍が空襲で使った 250キロ爆弾だということです。
攻撃目標は現在の東灘区深江南町にあった川西航空機甲南製作所。
投下された爆弾は計460トンに上りました。
多くの市民が犠牲になりました。
この不発弾は時を超え、62年後の2007年3月4日処理されました。

ビオフェルミン製薬株式会社 1917年(大正6年)〜
1917年(大正6年)2月12日
神戸市中央区北長狭に叶_戸衛生実験所として設立。
(当時は日本ではなじみが薄かった乳酸菌の効用に着目した神戸の医師らがドイツから菌を取り寄せて培養した。)
乳酸菌整腸薬「ビオフェルミン」を製造。
販売を兜嵩c長兵衛商店(現在の武田製薬梶jに委託。
1919年(大正8年)5月、神戸市長田区2番町2丁目に社屋移転。
1949年(昭和24年)6月、商号をビオフェルミン製薬鰍ノ変更。
1995年(平成7年)1月 阪神淡路大震災により被災。本社、工場の倒壊。
1996年(平成8年)3月 本社を神戸市長田区三番町に移転。
お腹にやさしい下痢止めで全国に有名です。
長寿研究で注目される乳酸菌を日本で商品化した会社です。

震災の時は、本社、工場が全壊。
会社の命の乳酸菌は会社近くに住む社員が倒壊した社屋に入り埋まっていたところを掘り起こし リュックに入れて運びだしました。
温度の変化に弱い乳酸菌なので、社員の協力で電源が確保できるところまで 運ばれました。
命をつないだ社員のリレーで現在の会社があるのですね。

初代から使っている「フェーカリス菌」は従来の整腸効果に加え、血圧を下げる働きもあることが 近年判明しました。

この会社が神戸の会社だと知ったのは最近のことでした。(恥)
小さい頃よく飲んだ記憶があります。
ビオフェルミン ホームページ → http://www.biofermin.co.jp/

老祥記  1915年(大正4年)〜
南京町 老祥記
1915年(大正4年)1代目曹松h氏が神戸南京町に開店。
「ぶたまん」とう名の発祥の店です。
その歴史は老祥記の軌跡に詳しいです。

店の前にある南京町広場は区画整理前にはなかったようです。
今、南京町広場にはこのお店のぶたまんを買うために、いつ行っても行列が作られています
長い歴史を経て、ガラス戸口にあいた穴はあまりにも有名。
ぶたまんは非常に小さく、ぶたまんの皮はパンのようというよりもまさしく皮という気がします。
最近、南京町広場を隔てて2店舗目を出店しました。
南京町 南京町広場前

海文堂  1914年(大正3年)〜
 

店内は二階に通じる階段のところにいつも神戸の風景の絵が飾られ、うれしくなるお店です。
本を探す時以外でも展示にいろんな工夫がしてあり、ぶらっと立ち寄ると何がしかの楽しい思いをします。
2階の海事書コーナーはさすが、海文堂の名のとおり、海に関する書物であふれ貴重なコーナーとなっています。

1981年から使われている現在のブックカバーは帆船が描かれいかにも港神戸を表しています。
書店のブックカバーの収集団体である「書皮友好協会」より「第22回書皮大賞」に選ばれました。

個性的な神戸の書店、自慢の書店であります。

HPも充実しており目が話せません。
また「本屋の眼」は隠れたベストセラーと思います。(笑)
海文堂 HP

神戸 元町商店街

住友ゴム工業  1909年(明治42年)〜
1909年10月4日
住友ゴム工業の前身、住友護謨(極東)株式会社は英国ダンロップが浪速町62に本社を置いて 創業。
この会社の創業は神戸に大きな影響を与えました。

神戸港の生ゴム輸入は、ぐんと増え明治14年には国産タイヤ第一号が生産され、ダンロップはタイヤの 代名詞にもなりました。


本社:神戸市中央区脇浜3-6-9

バンドー化学  1906年(明治39年)〜
1906年 前身の阪東式調帯合資会社が創業。
1906年4月14日
阪東直三郎氏が発明した我が国初のコンベアベルト…阪東式木綿調帯の伝動ベルトの生産を開始

1909年 広島県海軍工廠から、欧州製鋼板切断機に木綿ベルトを採用するための試験使用の誘いがあり その試運転の際、阪東直三郎氏はちぎれた調帯の直撃を受け亡くなられるという悲しい出来事がありました。
しかし、神戸で英国のダンロップ社がゴム工場を起し、同社も木綿ベルトにゴムを圧着する改良を重ね1913年に 新製品として発売すると安くて丈夫なこのベルトは大いに売れ、第一次世界大戦の影響で海外からの輸入ベルトが 入ってこなくなるとさらに同社のベルトは売り上げを増しました。

1937年 株式会社に改組。阪東調帯護謨に社名変更。
1961年 阪東調帯ゴム
1970年 バンドー化学と社名変更。

1995年 3月本社を三宮グランドビルに移転
2007年 10月本社をポートアイランド新社屋に移転

2006年4月、創業100周年を迎えたのを機に2007年10月にはポートアイランド二期に本社を移転。

同社は運転中のベルトの蛇行を防ぐ制御部品を開発したり、ベルト自体も素材を見直すなどの改良を重ねています。
現在も従来の断面がV字型伝道ベルトに変わり断面が平型の伝動ベルトを使った稼動システムを開発しました。
創業者が開発した木綿製品のベルトは今も本社ショールームに飾られています。
ベルトをはさんだアクリル製の箱には「1910年(明治43年)当時の阪東式木綿調節帯 カットサンプル」との 説明文が記されています。

2009.6.9追記 
2009年度中をもって創業の地である神戸工場(兵庫区)の生産を中止する方針と発表。
非常に残念です。


本社:神戸市中央区ポートアイランド

ドンク 1905年(明治38年)〜
2008年4月にドンクのパン職人、西川さんがフランス・パリで開かれるパンの世界大会、ベーカリー ワールドカップに日本代表で出場されます。

今までもたくさんの優秀なパン職人を生み出してきたドンク。
神戸市兵庫区御旅筋商店街に1905年、藤井パンを開業。
当時は神戸造船所の外人技師向けのパンでした。
1918年陸軍省のパン供出命令で差し出したパンが広く世間に知られるようになりました。
それまでは一般の人はあまりパンを食べなかったようです。
1923年現在の神戸電鉄湊川駅の隣にミルクホール併設のパン店を開業。
戦災で兵庫区の店が全焼したため1946年2月元町通に店を開店。
1947年に三宮センター街3丁目に移転。
1951年商標をドンクと改めると共に本店を三宮トアロード筋角に構えました。
ドンクの名はドンキホーテからとったそうです。

1995年1月 阪神淡路大震災で本社屋全壊。
が、くじけず翌1996年には早くも本社屋を再建。
2005年には創業100周年を迎えました。

今や全国、全世界に乗り出す神戸の自慢のパン屋さんです!

ドンクには商品開発部門というのはなく国内外のグループ180店がそれぞれパンや菓子を企画・製品化しています。
そのためグループの店から独自のヒット商品が次々と生まれ、全国で商品化されているのです。
京都店が開発したうぐいす豆入りの「アリコベール」、九州の店の明太子入りのフランスパン。
銀座発祥のチョコブレッド。
静岡市内の店舗から生まれた「コーンパン」など各地のアイデアが商品となって実りました。

また現「ビゴの店」の社長であるフィリップ・ビゴ氏による店舗と工場とを直結させるアイデアにより 焼きたてのパンを出すことができるようになり大いに人気を得ました。

ドンクは各地グループのパン職人によって新しいアイデアが次々と生まれ進化していっています。

ドンク 

神戸市中央区三宮街2丁目 本店
2007.7.24記 2008.12.14追記

三菱重工業 神戸造船所(神船) 1905年(明治38年)〜
三菱重工の基幹造船所の一つ。
「長崎は長男坊、神船は次男坊」と例えられる。
コンテナ船、潜水艦、深海潜水調査船などを得意とする。
兵庫区にある本工場、明石市二見町にある二見町、三菱神戸病院(神戸市兵庫区)からなる。

戦後の過度経済力集中排除法による旧三菱重工業の分割で誕生しました。

1905年(明治38年)8月8日のことです。
船の修繕基地としての出発でした。
翌年1906年、新船建造。
1917年にはなんと量産自動車を製造。
この日本初の技術は後年の三菱自動車工業となります。

蒸気機関車D51(デゴイチ)を生産したのも神船です。

潜水艦を作る技術にも長けた神船ですが、1930年のロンドン軍縮会議で日米英で軍艦の保有数を制限。
潜水艦の製造中止に追い込まれた神船は、日露戦争で沈んだ巡洋艦「アドミナル・ナヒモフ号」の金塊を引き揚げる 仕事の注文を請負ました。
そしてこれを機に探査船の建造をすすめるきっかけとなったのです。
探査船の初号機は秘法探しの「開洋」(かいよう)、1989年には神船が造船した「しんかい6500」が有人探査船では 世界最深の6527mの潜航に成功しました。
これはチタン加工のノウハウを持つ神戸製鋼所との技術の結束のたまものでした。

掘削技術でも得意のシールド掘削機で1989年貫通のドーバー海峡トンネルで威力を発揮しました。
環境対策にも力を入れ、プロペラや船体の設計で多くの特許を持っています。
たとえば自動車運搬船の船首や側面の角を落とす船体、プロペラの後ろの羽根車あのような装置 「ステータフィン」(プロペラを回して船が動いている間、回転に伴って水中に巻き起こる渦を、船の 推進力に変える)などの特許です。

神戸港内で、沿岸のどこからでもよく見え、次に進水する船の建造を市民の皆さんが 見守っている神戸の誇りの造船所です。

神戸市兵庫区 本社
2008.11.21記

三菱製紙  1898年(明治31年)〜
三菱製紙のHPでは岩崎久弥氏がウォルシュ氏兄弟が経営していた製紙会社を譲り受け 合資会社神戸製紙所を設立したときを会社の創立としています。

元は三宮1丁目にウォルシュ兄弟が製紙工場を建設。
米国から製紙機械を輸入し1879年(明治12年)から上質紙(洋紙)の製造を始めました。 

これがコーベ・ペーパー・ミル(神戸製紙所)です。
経営は順調でしたが輸入製品のダンピングなどで行き詰まったところに手を差し伸べたのが 岩崎弥太郎氏でした。
岩崎とウォルシュ兄弟は以前長崎での時代からの知り合いで協力関係にありました。
三菱の手にわたった神戸製紙所は工場を高砂に移し、「三菱製紙株式会社」となりました。

1925年(大正14年)、本社を高砂市から東京都千代田区有楽町に移転。
1981年(昭和56年)、本社を東京都千代田区丸の内3丁目4-2に移転
現在に至ります。
古い写真には三宮京町の海側にけむりを吐いているコーベ・ペーパー・ミルの煙突をみることが できます。

神戸風月堂  1897年(明治30年)〜
神戸元町で最初に洋菓子の製造販売を始めました。
創業111年の老舗です。

明治30年12月12日、東京風月堂からのれんわけをしていただいた吉川市三氏が、現在の元町通3丁目に 神戸風月堂を開店。

フランス菓子に和のテイストを加えた和洋折衷のお菓子、ゴーフルは昨年で誕生80周年を迎えました。
それを記念してマンゴー・ブドウ・バナナのクリームをサンドした「ゴーフル・オ・フリュイ」が 新発売されました!

ゴーフルは創業者・古川市三氏が考案発売しました。
元は常連客がフランスから持ち帰ったお菓子を日本人好みの味と生地を薄くしクリームをはさむなど して変えたものだそうです。
第二次大戦時には缶の生産停止、製造中止に追い込まれましたが1951年に復活。
1995年の阪神大震災の時には西区の西神工場や東灘区の工場も半壊。
しかし、生産を再開したのは半月後、神戸市民にあの味の復活で希望を与えてくれました。
1966年頃より缶のデザインを多様化。
神戸の風景など盛りだくさんでお土産に喜ばれています。


本社:神戸市中央区元町通3丁目
2008.12.7記

川崎造船所  1896年(明治29年)〜
1896年 株式会社川崎造船所設立
1939年(昭和14年)川崎重工業株式会社となる。
2002年(平成19年)川崎重工業株式会社から独立。創業当時の社名、株式会社川崎造船所となる。

神戸工場では民間用船舶のみならず、艦艇や海洋機器の製作、それらに関係する各種部品も扱っている。

大正2年には巡洋戦艦「榛名」が進水。
当時の艦船建造技術からすれば記録ずくめの巨艦でした。
海上自衛隊や海上保安庁の船の修理も行っています。
これらは遊覧船から見ることができ、神戸ならではの風景となっています。

国内工場は神戸と坂出。
神戸工場は潜水艦、高速船、バラ積み運搬船を。
坂出工場はLNG船、コンテナ船など大型で付加価値の高い船を扱っています。


本社:神戸市中央区東川崎町3-1-1

本高砂屋 1877年(明治10年)〜
    

本高砂屋 神戸元町に「紅花堂」の屋号で瓦せんべいを作り始めたのがその創業。
瓦せんべいは亀井堂も同じ頃より作っておりますが、その頃の神戸で爆発的に人気になったものだったのでしょう。
その後、しばらくたって明治の終わりごろ、丸い形のきんつばである江戸きんつばに変わって「高砂きんつば」を考案されました。
「高砂きんつば」神戸ではきんつばといえばこれしか思いつかないのですが、四角い六面焼きのきんつばです。
昭和45年(1970年)「エコルセ」登場。
今に至るまで神戸の銘菓です。
瓦煎餅の技術が「エコルセ」に伝わっている気がします。
元町6丁目

放香堂 1874年(明治7年)〜
元町 放香堂
その前身は天保年間の京や江戸へ出荷していた東源兵衛の和束茶(宇治茶)の商いでした。
和束茶は神戸開港と同時に貿易の主流となり神戸の居留地にも商館が建てられました。
その頃の居留地の建物を調べてみると実に多くの茶貿易の商館、倉庫があったことに驚かされます。
明治7(1874年)年からは茶貿易をおこなう一方で小売りも展開し、 神戸に和束茶(宇治茶)の専売機関として放香堂を創業しました。

明治11年12月26日の讀賣新聞に載っている広告です。
「珈琲豆販売および店頭にて喫茶ご自由」
なんと「コフイー」の字も見えます。
これは日本で初めての喫茶店の広告なのです。

今日も元町3丁目のこのお店からは「お茶どうぞ♪」と元町通りを歩く人にお茶を勧める声が聞こえてきます。
このときばかりは紅茶もコーヒーもいいけれど、日本茶はなんといい香りだろうと引き寄せられます。
そして一杯の熱いお茶をごちそうになるのです。
いつもご馳走様です。

震災のときも、自社の貯蔵タンクを使い温かいお茶を配っていただきました。
看板商品は放香堂の前身の東源兵衛の名を冠した「源兵衛シリーズ」
天保年間から京都で続く自家農園で作った茶葉を使っています。
なお、現在販売されている商品は初代の弟子で、茶審査技術鑑定士7段の6代目茶師、酢田恭行さんが すべて監修されているそうです。



元町3丁目

亀井堂総本店 1873年(明治6年)〜
亀井堂総本店 屋根瓦の形に焼いた瓦せんべい。
誰でも知っている神戸の銘菓であります。

神戸では何かというとこのお菓子が目に付きます。
亀井堂総本店は1873年(明治6年)創業。
湊川神社は1872年(明治5年)創建。
そして神戸駅も同じ頃1874年(明治7年)にでき元町から湊川神社への道は参拝客で大いににぎわったそうです。

卵をふんだんに使ったこのお菓子はとても高級で当時はぜいたくせんべいと言われていたそうです。
今ではとても日本的に見えるせんべいが当時はとても目新しい洋風せんべいとさわがれたとか。
同じ頃にできた湊川神社の菊水のマークが入っています。

そして今年は阪神タイガースが活躍しましたが、ここ亀井堂総本店は元町にあって店の前はいつもタイガースであふれていたのです。
今ではどこでもタイガースグッズやタイガースマークの食品があふれていますが、ここはもうずっと前からの本家です。

元町6丁目

菊水総本店 1868年(明治元年)〜
    

菊水総本店 瓦せんべいで有名な菊水総本店。 
楠公さんと神戸っ子に親しまれている湊川神社の前にあります。
瓦せんべいは神戸の名物で必ず登場するもので、瓦せんべいで有名なお店はたくさんありますが、 ここは一番老舗でしょうか。

お正月には楠公さんへの初詣客が、店頭に湯気をあげて売られている酒まんじゅうを ほうばる姿がみかけられます。
熱々のお饅頭は、それはおいしいです♪

震災前は7億円の売り上げをあげましたが、震災で大きな被害を受け工場、店舗等の補修、 建て替え、売り上げの減少で苦境に陥りました。

現在は本社を初め、神戸・大阪の百貨店やホテル、駅売店など18箇所で販売。
経営不振でUCCに支援を要請。
菊水の6代目当主とUCC社長とは大学の同窓のため、由緒ある老舗の名前を残すため支援を決定。
ここに2006年11月9日付けでUCCウエシマ珈琲の子会社となります。
神戸港開港の頃からの老舗。
がんばってほしいです!

神戸市中央区
2006.10.1記