★ あの時 神戸に
こんなものがあった!

神戸にこんな建物があった…。
神戸にこんな会社があった…。
しっかりと記憶にとどめたいと思います。

旧臨港線神戸駅周辺の商業ビル





◆     〜2008年12月(平成20年)

旧臨港線 神戸港駅周辺にはいくつかの商業ビルがありました。
おそらく臨港線を利用される人々に愛されたお店だったと思います。

また第四突堤が近いため神戸港の貨物が多かった頃は、きっと活気溢れた商店街だったと思います。

臨港線がなくなってからも営業は続いていましたが、臨港線神戸港跡が震災メモリアルパークに生まれ変わる ためとうとう撤去されてしまいました。

グーグルでは2007年のデーターのため、残されておりそのときの建物がわかります。
南側にあった商業ビルの跡は、市民の皆さんが育てたどんぐりの木々が植えられました。
この木々はメモリアルパークで百年の森になる予定です。

神戸市中央区旧臨港線神戸港駅周辺 商業ビル

エフエムわぃわぃ旧建物



2005年5月22日撮影


◆1995年(平成7年)4月16日
     〜2008年(平成20年)

エフエムわぃわぃは阪神淡路大震災によって生まれた外国人向けのFM放送局です。
震災で被災地に住む外国人の方たちは必要な情報が得られず、大変な苦労をされました。

震災2週間後の1月30日に新長田に「FMヨボセヨ」ができました。
これは韓国・朝鮮語及び日本語による放送でした。
「FMヨボセヨ」の立ち上げに力をかした大阪生野区の在日韓国・朝鮮人向けFM局「FMサラン」が ベトナム人への情報を伝えようと「FMヨボセヨ」と協力してFMユーメンでした。
FMユーメンはベトナム語だけでなくフィリピン人向け(タガログ語)、英語、南米人向け(スペイン語)の 放送も同時に鷹取教会内で開始し、7月17日、両者が合体、FMわぃわぃとなりました。

翌年の1996年1月17日にはFMわぃわぃは正式認可され、コミュニティ放送局「エフエムわぃわぃ」が 開局しました。
長年このスタジオでがんばっておられましたが、2008年鷹取教会が完成し、新しい建物に移りました。

神戸市長田区 鷹取教会内

シネカノン神戸




◆2003年末(平成15年)
     〜2008年12月20日(平成20年)

神戸ハーバーランドの映画館「シネカノン神戸」が閉館しました。
「単館系」と呼ばれる作品を上映する映画館でした。
2003年10月に閉館した映画館「abシネマ」の施設跡を改装して開館。
結局abシネマもシネカノン神戸もどちらも行くことがなかった映画館でした。

閉館の理由は入場者が減少し、入居する商業ビルへの家賃支払いが難しくなったということです。
これで神戸での単館系と言われる映画館は旧居留地のシネ・リーブル神戸だけになりました。

このシネカノン神戸は東京の映画制作・配給会社「シネカノン」による関西発の直営館として 注目を集めた映画館だったそうです。
12月には今までの同館の上映作品の中から秀作を上映しました。

シネカノンの案内には次のようにありました。
「ヨーロッパやアジアなど国内外のよりすぐりの作品を2つのスクリーンで上映。
毎週火曜日の"レディースデー"(女性は\1,000均一)や毎週水曜日の"水割"(男女問わず\1,000均一)お得な ポイント型会員制度など、ますますサービスを充実させて、皆様のご来場をお待ちしております。」

12月6日からは今まで上映した作品から厳選した46本を再上映。
入場料も500円とし、ファンへの感謝としました。
最終日は「誰も知らない」「パッチギ!」「フラガール」。

神戸市中央区ハーバーランド プロメナ神戸内

南京町の最後の外人バー スカイラーク


2008.12.7撮影

◆1978年(昭和53年)頃
     〜2008年(平成20年)11月30日

神戸南京町の南側にはたくさんの船員バーがありました。
全盛期には数十軒が連なったそうです。

消え去り行く船員バー
上記に掲載されてまもなくスカイラークは店を閉じられました。

貨物のコンテナ化で船員の数も少なくなり、船員バーも消えていきました。
新聞に掲載されている店主さんによりますと、ギリシャ語を覚えられたとかでギリシャ人の船員さんも多かったのでしょう。
店内もギリシャの地中海のサントリーニだと思われる白い家の 絵がかかっています。(新聞掲載の写真で)

店名のスカイラークは大好きな美空ひばりから取ったそうです。
スカイラークは南京町の南の狭い路地にありました。
船員バー全盛の頃の様子は想像するだけですが夜になるとこの狭い路地にきらびやかなネオンが 灯ったことでしょう。

神戸市中央区、南京町南側路地

タワーサイドホテル

2008.3.4撮影




◆1970年(昭和45年)
     〜2008年(平成20年)11月

神戸市と市の外郭団体「神戸港振興協会」が所有していた神戸タワーサイドホテル。
13階建て約200室。

2002年からはホテル経営コンサルタント会社(東京)が運営していましたが経営悪化で破綻。
営業停止は2008年11月でしたがレストランはその後も営業していました。
鉄板焼き「粋膳」、レストラン「メリケン」

高校野球の宿舎としても使われ、シーズンには応援看板がホテルの前に出ていました。
このホテルはユーミンが神戸に観光で来られたとき、初めて泊まったホテルだったそうです。
ユーミンの歌で「タワーサイドメモリー」
この歌はそんなユーミンの思い出の歌だと思っています♪

霧雨に誘われてタワーサイドに出れば
最終モノレールが東の空を流れ
あの娘は今も忘れないの
初めてここでキスした日

Kobe girl 「いちばん素敵な
Kobe girl  きみだけを見てた」
Kobe girl  彼のささやきを

しかし、「最終モノレール」とは。。。
謎。


中央区 波止場町

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