★ あの時 神戸に
こんなものがあった!
PartV

神戸にこんな建物があった…。
神戸にこんな会社があった…。
しっかりと記憶にとどめたいと思います。

神戸市中央区 旭通り
老舗靴店 「コウベヤ」


◆1895年(明治28年)
     〜2008年(平成20年)10月31日

元町商店街の老舗、創業113年目の靴屋さんが閉店しました。
創業当時の社名は「神戸屋製靴所」といって、靴を製造し、販売していた店でした。
古くからの老舗らしくここの工場から技術を学んだ人々は200人にものぼるそうです。

閉店してからも店頭には靴が並び、古くからの馴染み客が店内で名残惜しそうに靴を手にとる姿が見られました。
小売業は終了しましたが、「足と靴の橋渡し役」となる今後を考えておられるようです。

神戸市中央区元町通2丁目

老舗蕎麦 「布引庵」




◆1923年(大正12年)
     〜2008年(平成20年)10月31日

国体道路 生田川西角にありました。
評判の味でしたが店主の体の都合で2007年頃は水曜日と土曜日の数量限定でお店を開けて おられたようです。
2代目店主が大手術をされたあと、閉店も考えられたそうですが常連さんの惜しむ声で 体調がいいときだけ開けられていたということです。
残念ながら前を通るだけで賞味したことはありませんでした。
webであげられている写真を見ると、珍しい幅広の白い麺で本当においしそうでした。

神戸市中央区生田町3-1-16

神戸パンダbabyは星になった!

◆2008年(平成20年)8月29日

8月26日、王子動物園に待望のパンダの赤ちゃん!
4月にインド象諏訪子が亡くなってさびしい想いでいる市民に朗報が駆け巡りました。
人工授精によるパンダの出産は上野動物園に続く、国内では20年ぶりのことだそうです。
実は昨年も人工授精に成功したのですが、残念ながら死産だったのです。

この出産は王子動物園としては挑戦6年目にして報われた快挙でした。
今回は無事誕生と聞いてすぐにお祝いセールやイベント企画が持ち上がる中、たった3日でベイビーは天国の星に。
毎年春の発情期と夏の出産期に母親の旦旦が育ったパンダ保護研究センターの職員が来園しアドバイスを受けていたのですが5月の四川大地震で来日できなくなったという不運もありました。

悲しい経験を乗り越え動物園の飼育員の皆様の努力で、しかし確実に神戸パンダ誕生の可能性は高まっています。
来年の今頃にはきっと朗報が聞けると確信しております。

神戸市灘区 王子動物園

三宮観光バスステーション

2008.4.11撮影


2008.7.14撮影



◆2003年(平成15年)2月〜
     2008年(平成20年)8月1日

旭通4丁目地区市街地再開発事業が着手されたため、平成15年2月に開設されて暫定利用されていた このバスステーションが閉鎖されました。
バスツァーの際、集合場所として多くの方が利用されたことと思います。

三宮貸切バス運営協議会が管理されていました。

平成20年8月8日に事業者である潟Oローバル・ツゥエンティワンから土地に返還を受けました。
広さは約1.0ヘクタール。
長く空き地であった場所にいよいよ再開発の建物が建ちます。

旭通4丁目地区市街地再開発事業は平成19年度〜平成25年度を予定されています。
総事業費は約290億円(そのうち補助金総額約66億円)
権利変換計画時の権利者数は56人。
(土地所有者27人、借地権者14人、借家権者15人)

この周辺には終戦直後、全国有数の問屋街として知られた「国際マーケット」がありました。
1947年(昭和22年)に戦災復興区画整理事業が始まりましたが、3度の火事、1993年にはバブル崩壊で 一度決まった開発事業者が撤退など挫折を繰り返し、空き地のまま暫定的に三宮観光バスステーションとして 使われてきました。

2013年(平成25年)には敷地面積約8,400平方メートル、建築面積約5,800平方メートルの住宅棟(最高高さ約190メートル)、商業施設棟(地価1階、地上10階建て)、駐車場棟(5階建て)の建物が出現します!

神戸市中央区旭通4 三宮東地区

北野工房のまち 10周年



◆2008年(平成20年)7月26日(土)

昭和6年建築のこの建物は阪神・淡路大震災までは北野小学校の校舎でした。
旧北野小学校は1908年(明治41年)開校の歴史ある小学校でしたが、震災で校舎が全壊。 
そのため1996年(平成8年)に87年間の歴史を閉じ閉校となりました。

校舎自体は昭和6年の建築でこの建物を惜しむ声が大きく、場所柄も神戸ハイカラのシンボルといってよい トアロードにありましたので昔のようににぎやかなトアロードにとの商店会の皆さんの声や震災等でダメージを受けた 神戸地場産業復興のため「北野工房のまち」として1998年(平成10年)7月11日にオープンしました。
10周年にあたる2008年7月「現在の神戸の姿」を表現した美しいステンドグラスが設置されました。
全体像を見るには外からしか見えませんが、建物に灯りがついた時により美しく見えると思います。
中からは本当に心に沁みる神戸の青が表現されていて、素晴らしいです。

”赤い靴のモリタ”はウルトラマンと共に!



上記3枚目はのんきさん提供



◆1958年(昭和33年)
     〜2008年(平成20年)6月29日

神戸のセンター街入り口で50年に亘り、赤い靴とウルトラマンのシンボルマークと共に 店頭に並んだ靴がにぎやかでした。
あたりまえのようにあったウルトラマンもなぜウルトラマンと深く考えもせず通り過ぎる毎日でした。

突如閉店のお知らせがあってから、改めて調べてみるとこの靴のお店のオーナーは元タカラジェンヌの風さやかさん。
そういえば神戸のイベントの時には顔をよく出される方でした。
どうしてウルトラマンが店頭にあれほど並んでいるのかもやっと解決。
「神戸が素敵な117の理由」の117人の一人として、述べられています。
「他人が集まって、ひとつの星で力を合わせる絆」こんな意味だったと思います。

最後の挨拶文が貼りだされていました。

「お客様各位
拝啓
時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
さて、弊店は創業以来50年に渡り、皆様方のご厚情を頂き今日まで営業を続けて参りましたが、諸般の 事情により平成20年6月29日をもちまして閉店させて頂きました。
皆様の長年にわたるご愛顧に心から感謝申し上げますともに、皆様の今後のますますのご健勝を お祈り申し上げます。
略儀ながら書面をもちましてご挨拶申し上げます。
平成20年6月29日 靴のモリタ」

赤い靴の目印とウルトラマンがなくなるのは非常にさびしいです。

サンパルの風車

2002年8月24日撮影


2008年1月20日撮影


◆1981年(昭和56年)
     〜2008年(平成20年)6月

サンパルビルができたときからあった屋上の風車。
サンパルビルのシンボルのような大きな風車でした。
どうして風車が据えられていたのか理由はわかりません。
たぶん最初の頃、その屋上に遊具があったので遊園地のような雰囲気で建てられたのかもしれません。

数年前、台風で羽根がひとつなくなりました。
そしてだんだん、羽根がなくなりとうとう哀れな姿になってしまいました。
それからそのままの姿で長い間立っていたのですが、とうとう撤去されてしまいました。
しかし、この風車が立っていた屋上は「風車のひろば」と記されていたので、また新たな風車が据えられるのか 注目です。

神戸市中央区サンパルビル

「神戸の水」がブラジルへ


◆2008年(平成20年)5月28日

日本最初のブラジル移民が神戸を旅立って5月28日で100年。
移住前の人々が出国手続きのために滞在した神戸移住センターや船中で飲んだ水を 懐かしんでもらおうと「神戸の水」がブラジルに寄贈されました。

「神戸の水」として寄贈されたのはミネラルウォーター「六甲のおいしい水」。
ハウス食品が500ミリペットボトル4万本を無償提供しました。
輸出手続きは「山九」と商船三井が無償協力。
この日、2008年4月14日ポートアイランドをブラジルに向けて出港しました。
笠戸丸と同じく西回りの南アフリカ経由です。

5月24日にパラナグア港に到着後、6月に現地である式典で移民一世らに配られました。

この「六甲のおいしい水」は今回特別仕様で「祝ブラジル移住100周年」の記念ラベルが貼られ ポルトガル語の成分表示が記されたようです。
ブラジルでの陸揚げ式の後、式の出席者は神戸の水を試飲。
「赤道を越えても腐らない」と昔から言われた「神戸の水」はおいしかったそうです!

センター街、角にあったナガサワ






◆1944年(昭和19年)
     〜2008年(平成20年)5月18日

いつも角にあったナガサワ文具店。
昨年2007年に本店がセンター街ジュンク堂書店三宮店3Fに移転しましたが、センター街の京町筋といくたロードの間にあったセンター店も本店の横に移転しました。 
このセンター店に開店してから戦災、阪神大水害、震災と神戸の大きな災難を乗り越えてきた店舗でもあります。
長くこの角の場所にあったのでいつのまにか界隈のシンボル的な存在となり、目印にもなっていた同店でした。

移転の案内は以下のとおり。
「昨年度、移転オープンさせていただきご好評を頂いております本店に続き、この度品揃えにおきまして ご不便をお掛けしておりましたセンター店のステーショナリーアイテムも「すべて一箇所にてお選びいただけるように」と本店の隣に4/15移転オープンさせて頂きました。
特に今話題の万年筆と厳選した周辺アイテムには、本店にて所狭しと並んでいる数々のペーパーアイテムとの 組合せが、より発想を豊かにし、きっと皆様にご満足していただける事と思います。
ご来店を心からお待ちしております。
スタッフ一同

4月18日から5月18日まで売り尽くしセールが行われましたが、道行く人もこのセンター街の顔ともいえる文具店が この角から消えることに寂しさひとしおです。
年末、ここの前で次の年の手帳を眺めたものでした。
しかし、案内にもありますように本店売り場での品揃えは非常に充実し、万年筆など文具では並ぶもののない 名店として今後も発展されるよう応援しています。

ポートライナーがまるごとIKEA!




◆2008年(平成20年)4月1日
     〜2008年(平成20年)5月6日

2008年4月1日に誕生する「IKEAポートアイランド」のオープン記念として、ポートライナーとIKEAとのコラボ 「IKEAホームファニッシングライナー」が期間限定で運行されました。

車両の外装、座席もすべてIKEAカラー。
ブラインドとして使われているファブリック(布地)にはプライスタグまでついています。
知らずに乗車した人は目をぱちくり、あたりを見回していました。
カラーが違うとこんなにも印象が違うのかと再認識したものです。
ポートライナー全6車両は"スカンジナビア"、"カントリー"、"モダン"の3大スタイルのコーディネートに 分けられそれぞれ違った雰囲気が楽しめました。

神戸市中央区 ポートライナー沿線

ブラジル移民、笠戸丸出港から100年








◆2008年(平成20年)4月28日

1908年(明治41年)4月28日、つまりちょうど100年前、移民船「笠戸丸」が神戸港を出港しました。
記念式典は兵庫県公館で行われ、笠戸丸の出港時間だった午後5時55分には神戸港に停泊中の船が一斉に 汽笛を鳴らしました。

また旧神戸移住センターの屋上で採火した「友情の灯」がブラジルへと送りだされました。

この「友情の灯」は炎を電気エネルギーに変え、地球儀を模した装置に内蔵して運ばれます。
メリケンパークでは、移民船「ぶらじる丸」の船長だった川島裕さんが「友情の灯」を抱え、神戸市公務艇「おおわだ2」で笠戸丸の出港時間であった午後5時55分に港内の船の汽笛が鳴り響く中で離岸。
商船三井のコンテナ船まで届けられました。
この「友情の灯」は約1ヶ月の船旅の後、サンパウロ市で行われる日本移民100周年記念式典でその炎が 披露される予定です。

現地の日系新聞によりますと「友情の灯」は6月初旬にサントス港に到着、その後ブラジル各地を回り 特にレジストロ市ではこの灯の意味を知ってもらいたいとレジストロ各地を3日かけてまわり 市立、州立、私立の幼稚園から大学まで31校を回ったそうです。\(^0^)/

各学校ではブラジル国家と君が代を歌い、日本の歌や「海を渡って100周年」を合唱。
詩を朗読したり踊ったりして「友情の灯」を迎えられたそうです。
日本で思う以上に現地では熱い想いで迎えられた「友情の灯」。
かの地に渡られた先輩たちのご苦労を思うと胸が熱くなりました。

旧神戸移住センター建物内部






2007.7.6撮影


◆1928年(昭和3年)2月
    〜2008年(平成20年)4月

2007年に旧神戸移住センターの建物の保存、再整備が決まり、ブラジル移住100周年を記念する2008年4月28年に 着工宣言が行われました。

この歴史ある建物は「海外移住と文化の交流センター」として生まれ変わります。
2008年5月に工事着工。
完成は2009年6月です。
外観は変わりませんが、内部は旧移住センターの面影を残しつつ、リニューアル。

旧建物の内部を記録したいと思います。

1930年代まで南米へ向かう移民の一時的な居住に使われたこの空間は、1942年から短期高等海員養成所となったことも ありましたが戦後1971年5月まで移民の居住に使われました。
その後1972年4月から1983年3月まで神戸市立高等看護学院として使われ、また1994年3月まで神戸市医師会準看護婦学校 として使われました。
1995年4月からは、阪神淡路大震災で被害を受けた神戸海洋気象台が一部を仮庁舎として1999年9月まで使用。
その後はNPO法人CAP(芸術と計画会議)がアートスペースとして使用、1階は神戸移住資料室が設けられていました。

2013.9.6記
神戸市中央区山本通3丁目19番8号。

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