◆ 神戸に北京城があった! |
| ◆震災後〜2007年(平成19年)12月
震災後、突如赤い目立つ建物のこの北京城が目の前に現れたときはびっくりしました。
中国食材、レストランが隣り合っていましたが、以後南京町の入り口の写真は
あでやかなこの北京城と長安門でした。
ルミナリエの頃は美しい夜景が人目を引き、神戸らしい風景として多くの
写真に登場していました。
しかし2007年に取り壊され、空き地は駐車場として利用されています。
北京城を経営していたのは「東栄酒家」でした。
HPを見ると北京城で提供されていたお料理はこの「東栄酒家」でいただけるようです。
2008年になってホテル建設が始まりましたが、神戸南京町の入り口にふさわしい
建物になると期待しています。
2008.5.7記
中央区 南京町入り口
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◆ 京町オリエンタルパーキング |
2002.5.4撮影
| ◆1995年(平成7年) 〜2007年(平成19年)秋
阪神淡路大震災で全壊した京町オリエンタルホテル跡です。
長くパーキングとして利用されていました。
いつか歴史あるオリエンタルホテルの再建がなされると信じておりましたが
残念ながら潟Iリエンタルホテルは消滅してしまいました。
このパーキングも新しいホテルとして生まれ変わります。
しかし、いつまでも忘れません。
この地に我が街が誇る歴史あるホテルがあったことを。
この場所は旧居留地25番 26番です。
ここはルミナリエの会場にあたり、長くぽっかり空いた空間が寂しかったです。
思えば12年間も空き地になっていたわけです。
中央区 京町
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◆ 神戸ビエンナーレ2007 |
以上2007.11.11撮影
センター街にて
| ◆2007年(平成19年)10月6日 〜11月25日
港で出会う芸術祭。
さまざまなアート展が開催されました。
いけばな未来展
間伐材アートに挑むいけばな野外展
エイブル・アート「仲間たち」展
ユニバーサルデザインポスター展
こども絵画展
現代陶芸展
ロボットメディア・アート展
大道芸コンペティション
神戸光プロジェクト
神戸JAZZ2007 Biennale Special
など他にもたくさんの催しが会期中を通して開催されました。
写真はメリケンパーク・メイン会場で行われたコンテナアートです。
たくさんのコンテナが並べられその中で、いろんなアート展示がありました。
これがコンテナの中?というような不思議空間があったり非常に楽しめ感動しました。
センター街、元町商店街では浮遊するアート作品がアーケードに飾られ、アート商店街へと
変身しました。
中央区 メリケンパーク一帯(メイン会場)
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◆ ハーバーランド 神戸スイーツハーバー |
| ◆2004年(平成16年)12月 〜2007年(平成19年)11月25日
ハーバーランド内ビーズキス(当時)の地下1階にスイーツのフードテーマパークがオープンしました。
それまでは地下に飲食店がありましたが、地元神戸だけでなく関東、北海道のスイーツの有名なお店も揃い
大正時代の港をイメージしたテーマパークができました。
周囲に配置されたお店から買ったスイーツを船をイメージした部屋のテーブルでいただくという
楽しいテーマパークでオープンした当初は中に入るのさえ数時間待ちの盛況でした。
店内は薄暗く、波止場の汽笛の音を演出したりして人気を博しましたが残念ながら
閉店してしまいました。
中央区 ハーバーランド
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◆ 祝神戸開港140年 日本丸 海王丸セイルドリル |
| ◆2007年(平成19年)11月23日
2008年1月1日をもって神戸港は開港140年を迎えました。
開港140年を記念して帆船日本丸、海王丸の神戸港入港、続いて両船のセイルドリルがあり港は大いに
にぎわいました。
やっぱり帆船は華やかですね♪
中央区 神戸港 新港第一突堤
2009年5月19日記
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◆ 大容量送水管ウォーク |
| ◆2007年(平成19年)11月11日(日)
神戸の水道の送水管は東西に伸びているのですが、阪神淡路大震災の教訓から災害時の危機分散から
新たに耐震性の高い送水管を整備することになりました。
神戸市街地下を走る大容量送水管
そのうち王子立杭〜布引立杭までの約1.5km区間の送水トンネルの開通記念ウォークが行われました。
このウォークのあと、送水管には水が通されるのでこのように歩けるときはもうありません。
布引立杭のところまで来たときに、落書きコーナーが用意され、めいめい思いを書き残しました。
大きな災害がありませんように!
中央区ー灘区
2009年5月20日記
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◆ 交通社会実験(KOBEST2007) |
| ◆2007年(平成19年)10月18日(木) 〜2007年(平成19年)11月4日(日)
都心、ウォーターフロント地域を対象に、環境に優しく魅力的な都心を実現するため循環バスによる
交通社会実験(KOBEST2007)が実施されました。
KOBESTとは「KOBE」「EST」「BEST」を組合わせたこの交通社会実験の愛称。
地球温暖化防止のため、マイカーの使用を少し控え、公共交通機関を使いながら歩くことを楽しめる
都心づくりを目指した取組みということです。
歩行者が気軽に乗れる料金、運行間隔などに配慮した「KOBEちょいのりバス」が北野工房のまちや旧居留地などを
結ぶ延長約3kmの循環ルートで運行しました。
バス停は10箇所。
運行間隔は約10分間隔。
運行車両は4台。
1回乗車運賃は100円。
1日チケットは200円。
PiTaPaカードを提示すれば無料に。
ちょいのりバスの利用者に対して、協力店舗、施設などの利用特典がありました。
しかし、昨今の交通事情はこんな運動とは逆行する動きがあり??です。
中央区 ハーバーランド
2009年4月25日記
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◆ 最後のダイエー村 ジョイント閉店 |
2007.9.24撮影
神戸新聞より
| ◆1988年(昭和63年) 〜2007年(平成19年)9月24日
最後のダイエー村のメンバーでした。
ジョイントはジーンズ、カジュアル衣料の専門店です。
第一号店は1977年センタープラザにて開業。
全国に21店舗を展開しています。
三宮店は1988年にセンター街南のコスモポリタンビルに移転しました。
地下1階、地上5階、売り場面積約1,380u。
ダイエー系列の集まったこの地には最盛期には「電気館パレックス」「スポーツワールド33」などの6つの専門店がありました。
1995年の阪神・淡路大震災やその後のダイエーの経営不振で閉店が相次ぎ、これをもって神戸地区に一時代を築いたダイエー村が消滅しました。
ダイエー村に親しんだ私達にとっては寂しい限りです。
中央区 センター街南
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◆ 幕末神戸に夢はせて- 幕末のあの人たちの子孫たち |
徳川恒孝氏
勝芳邦氏
西郷隆文氏
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◆2007年(平成19年)7月7日
神戸・ハーバーランドの神戸市総合教育センターで「神戸開港140年・ハーバーランド街開き15周年記念歴史シンポ
ジウム」が開かれました。
出席者は徳川宗家18代当主の徳川恒孝氏
勝海舟玄孫の勝芳邦氏
西郷隆盛曽孫の西郷隆文氏。
神戸を舞台とした幕末を語られました。
さすが歴史の舞台を彩った幕末の偉人の子孫らしくそれぞれに面影があるのが不思議なようで面白かったです。
話は幕末。
それぞれに祖先になりきって幕末の話をされタイムスリップをしたようで非常に会場も盛り上がりました。
140年前の神戸は激動の政治の舞台だったのです!
徳川恒孝氏は日本郵船株式会社に入社され、神戸にも仕事がらみでご縁がある方でした。
その後財団法人徳川記念財団の初代理事長に就任されています。
勝芳邦氏は曽祖父は徳川慶喜公です。
東大理学部 大学院で海洋物理学を専攻され理学博士(地球物理学)。
やはり海運業と縁がありデンマークの企業グループでIT部門を担当、コンテナ船予約システム等の
設計開発などに従事されたあと現在は大手IT系企業で国際データ資源活用戦略の推進に携わっておられます。
西郷隆文氏は鹿児島経済大学を出られ日置南州窯築窯で地域に根ざした芸術活動をされています。
中央区 ハーバーランド神戸市総合教育センター
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◆ 街の情報館 神戸カフェ |
2005.10.22撮影
2007.7.21撮影
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◆2005年(平成17年)9月 〜2007年(平成19年)6月30日
JR元町の南東、センター街の西出口近くに「街の情報館 神戸カフェ」がオープンしました。
名前はカフェですがカフェにあらず、神戸の街歩き、街遊びの情報がいっぱい揃っている情報館でした。
地下はパソコンが数台そろい、インターネットであらゆる情報を集めることができます。
気軽にお店などを検索でき、重宝していたのですが、閉店してしまいました。
フリーペーパーも発行されていたり、チケットぴあもここにありました。
もうひとつ、宣伝が行き届いていないなぁと思っていた矢先に閉店のお知らせで、本当に残念に
思いました。
中央区 JR元町駅近く
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◆ 六甲オリエンタルホテル |
2007.8.11撮影
シンボルの風見鶏
中庭から見たジンギスカンレストラン
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◆1934年(昭和9年)7月10日 〜2007年(平成19年)6月15日
阪神電気鉄道が六甲山開発の一環で設置したホテル。
当時の旧オリエンタルホテルに営業を委託しました。
六甲オリエンタルホテルからは神戸の東、大阪方面が望めその素晴らしい眺望は多くのファンをひきつけました。
またホテルのサービスも申し分なく、西側の六甲山ホテルと共に神戸っ子自慢の山上ホテルでした。
2006年10月1日の阪急・阪神経営統合により、阪急阪神第一ホテルグループの一員となります。
このことによりホテル部門が集約され、六甲オリエンタルホテルの閉鎖が決まりました。
2007年6月15日営業停止、12月に閉鎖されました。
このホテルには安藤忠雄設計の結婚式用教会「風の教会」があり、その建物、施設がどうなるのか
今現在も未定のようです。
灘区 六甲山上
2009.5.21記
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◆ 大正銀行 灘支店 |
2006.2.25撮影
| ◆1936年(昭和11年)〜 2007年(平成19年)5月25日
国道2号線大石川付近を歩いているときに撮影しました。
重厚な建物が目を引き撮影したのが最後になりました。
この建物は最初は旧三和銀行大石川支店として建てられました。
鉄筋コンクリート造2階建て。
神戸支店と統合のため老朽化した灘支店を解体しました。
最終営業日は2007年(平成19年)5月25日。
昭和初期のりっぱな建物がまた一つ消えました。
灘区 鹿ノ下通3-5-19
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◆ 三宮阪急会館 閉館 |
最後の挨拶
2007.5.22 上記3枚 ヘビィさん撮影
| ◆1946年(昭和21年) 〜2007年(平成19年)5月22日
正式には神戸阪急ビル東館にある「OS阪急会館1.2」という映画館です。
1946年(昭和21年)にオープンした老舗の映画館でした。
洋画系ロードショー館として多くの人に親しまれました。
震災後は、入っていた阪急ビルが全壊し、そのあとに建てられた仮設の現ビルで営業していました。
いずれは震災前のような阪急のりっぱなビルが建ち、その中に入るものと思っていましたが
ミント神戸(神戸新聞会館)がオープンしOS系の映画館は集約されることになりました。
建物は阪急電鉄に返還されました。
旧ビルからこの映画館に愛着を持つ人々は大変多いと思います。
阪急電車のゴトゴト通る音がした懐かしい映画館でした。
閉館の4日前から「さよなら興行」が始まり、数々の名画が上映されました。
61年間の最後の上映は以下の映画でした!
OS阪急会館
さよならフェスティバル
阪急会館1(209席) 阪急会館2(100席)
5月19日(土) 荒野の七人 アンタッチャブル
5月20日(日) ウエスト・サイド物語 イージー・ライダー
5月21日(月) ゴッド・ファーザー トップガン
5月22日(火) 大脱走 ローマの休日
中央区 三宮 阪急ビル内
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◆ D-K ライブ 湊川神社 |
光が投射される前
| ◆2007年(平成19年)5月3日 〜2007年5月8日
日没〜22時
神戸ビエンナーレ2007のプレイベントとして湊川神社でD-Kライブが行われました。
「大楠公 670年祭を迎えて 新装の社殿と静寂の森に 日本人の心は蘇る」
D-Kライブというのは「デジタル掛け軸」の意味だそうで、さまざまな色彩の文様を造形物に投射して、
それが時間と共に刻々とその色形が変化します。
神社ということもあり非常に幻想的な空間を作り出しました。
湊川神社もちょうど改修が終わり、きれいになったところでそのお披露目の意味もあったかと
思います。
光が投影されたところを人影が通るとそれがまたくっきりと浮かび上がり
面白いと思いました。
D-Kライブは5月の湊川神社の後、神戸ビエンナーレプレイベントとして6月-県立兵庫美術館、7月-ポルトバザール、8月-商船三井ビルディング、
10月から11月は神戸ビエンナーレメイン会場にて行われました。
一見D-Kは静止した抽象画のように見えますがこの光は絶えず動きいろんな色、形を作り出す現代のアートです。
中央区 湊川神社
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◆ 鉛筆のマークのナガサワ本店 |
| ◆1882年(明治15年) 〜2007年(平成19年)3月16日
文具店のナガサワ本店は7階建てビルを借りて本店としていました。
各階にちらばった売り場をひとつにまとめたいと考えられていたのですが、ちょうどナガサワ本店の北側センター街
に面したジュンクが増床することから両者の客層に便利なようにジュンクの売り場の3階に移転することになりました。
移転をもって鉛筆のマークのシンボル看板はなくなりました。
3月17日、新本店、店舗はジュンク堂の増床オープンと同時オープン。
広いワンフロアーの売り場は利用する側としても便利になりました。
中央区 三宮町 センター街ジュンク堂南側
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◆ 板宿 あれから12年写真展 |
| ◆2007年(平成19年)2月10日 〜2007年3月10日
板宿商店街ダイエー内で震災後12年たった街の様子を映し出す写真展が催されました。
商店街は震災の直前に行われた補強工事で最小限の被害でしたが、付近は大きな被害を受けました。
あれから12年。
住民の皆さんの努力で更地も少なくなり、元気になった街の様子を写真展にしました。
須磨区 板宿商店街
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◆ ホームセンター ムサシ |
| ◆2006年(平成18年)3月 〜2007年(平成19年)2月12日
まったく早い撤退でした。
同種の店が同時期に開店という不運もありました。
「ムサシ」を経営するアークランドサカモトは1年もたたずにポートアイランドから撤退しました。
売り場面積3万4000平方メートルの広大な土地には園芸や大工道具、カーテン生地、手芸、その他
ものづくりのユニークな品揃えで大いに期待していましたが、売り上げが伸びず開店9ヶ月の時点で見切りを
つけたようです。
閉店セールで大いににぎわったあとは、商品を近隣の京都その他に送る作業が手早く行われて
いました。
いや〜鮮やかな撤退ではありました。
しかし、さびしかったです。
なお、敷地は神戸市から10年間の定期借地権方式で借りているそうです。
他社への転貸の可能性を探り、神戸市と相談中。
中央区 ポートアイランド2期
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◆ ツルヤ食料品研究所 幻のネーポン |
| ◆1963年(昭和38年) 〜2007年2月(平成19年)
1954年(昭和29年)頃から、ツルヤ食料品研究所は、
元々は製菓店だったが昭和30年代にでまわっていた合成清涼飲料水の常識を覆そうと1963年ネーポンの製造を開始されました。
ネーポンはネーブルとポンカンの合成語。
果汁10%のオレンジ味の優しい味の飲料です。
ジュースの王冠の鶴が矢をくわえる図柄は徳島出身の創業者が徳島の"巡礼おつる"からとったものだそうです。
ネーポンが一躍有名になったのは1994年頃「探偵ナイトスクープ」でとりあげられ話題となったこと、また中島らも氏が著書の中で語っていること、またその優しい味が多くの人に受け入れられました。
中島らも氏はエッセー集「西方冗土」の中で「ネーポンを飲んだら、そのま外界に帰れなくなるような、そんな
気がしたのである」と書いています。
製造は手作業のためオーナーの方が一人で製造されるのにも限界があり、また後継者がないということから
惜しくも2007年2月に廃業。
ネーポン製造中止のニュースを聞き、2006年2月7日に会社を訪問しました。
そのときは会社を廃業するということは決まっていなくて後継者を探されている段階でしたが、その会社の
中のまさに「研究所」という様子に本当に驚きました。
夜の訪問だったために撮影ができず本当に後悔しています。
広い「研究所」の中でまるで実験装置のような製造機械でした。
たくさんのネーポンのシールもいただき親切に応対していただきました。
ネーポンの瓶は出払ってしまっていたため、ネーポンの中身はミスパレードの瓶に入ったものをいただきました。
1本300円。
まさに神戸にこんな異色の会社がありました!
ツルヤ食料品研究所
幻のネーポン製造中止
兵庫区
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◆ 川重 従業員食堂 りょうりん |
2006.2.18撮影
| ◆〜2007年(平成19年)
川重の進水式の時に会社の中に入った時に、とても楽しそうな従業員食堂がありました。
その名も「りょうりん」
一般の人も入れるそうだったのですが、いつか入ってみたいと思ううちに
閉店になってしまいました。
川重の誇る最新鋭の電車、また栄光の機関車などの絵が表に貼り付けてあり中はどんなに
すごいことになっているのだろうと想像させました。
わくわくするこの従業員食堂、「りょうりん」に代わるすごいものができているのでしょうか。
進水式の時には気をつけてみてみたいと思います♪
兵庫区 川重構内
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