★ あの時 神戸に
こんなものがあった!
その11

神戸にこんな建物があった…。
神戸にこんな会社があった…。
しっかりと記憶にとどめたいと思います。

ポートタワー北側の住宅展示場

2005.12.23撮影


2006.10.29撮影


取り壊しの始まった直後

◆2000年〜2007年3月

もともとは国産倉庫の前の海だったところですが、震災後埋め立てられ住宅展示場として 使われていました。
最新モデルハウスや1億を超える豪華ハウスで話題になりTVでも取り上げられました。
住宅展示場ができる前は中内氏の中華街構想がありましたが震災と経営悪化のため白紙に戻った 土地でした。
やっと商業施設として使われることになり、展示場施設は取り壊されました。

2009年春開業予定のホテル、商業施設(神戸ミッドポート)ですが、2008年8月現在保留の状態で どのようになるか未定のようです。

中央区 ポートタワー北側、カモメリア東用地

ポートアイランドの三角屋根

2004.8.5撮影


倒壊家屋実験施設 2005.6.12撮影


2006.1.29撮影


◆2004年7月〜2007年

国際レスキューシステム研究機構の倒壊家屋実験施設です。
最初、突如現れたときは謎の物体でした。
時折、中の様子が見えることがあるのですが、中は倒壊した建物をあらわす瓦礫の山でした。

国際レスキューシステム研究機構はこの建物より南側に建つキメックのビル内にあります。
2002年に設立され、震災時の人命救助の研究のため全国から使命感を持った研究者が集まりました。

KOBE未来工房 ロボット作りの現場からー神戸新聞ー

毎年行われている「ロボットxレスキュー」の大会にはその成果が現れています。

一定の成果をあげたからでしょうか、いつのまにか三角屋根は姿を消していました。
きっと有意義な実験結果が得られたと確信いたします。

中央区 ポートアイランド二期 中央緑地内

スイス菓子ハイジ




◆1970年(昭和45年)〜
2006年(平成18年)12月30日

灘のおいしいケーキ屋さん。
アルハンブラというお菓子が大好きでした。
一時は東京にも店を出されていたそうですが、突如の貼紙に仰天。
2002年に民事再生法の適用を申請。
ハイジのHPでも従業員の皆さんのがんばっている様子が伺えていたのですが。。。
近くを通るときはよくおいしいアルハンブラをいただきました。
2階は喫茶店になっていました。
ここの人気商品アルハンブラはオーナーがスペインを旅行されたときのアルハンブラ宮殿の夕陽に感動して 作られたお菓子だと聞いています。
パティシエをされていた小山シェフは2000年に独立されて三田にパティシエ・エス・コヤマを開業されました。

その他にもハイジ出身のパティシエは多いようです。
パティシエ・エス・コヤマの他にも白川台の「ダルセーニョ」もハイジの常務取締役であった伊藤シェフが開業されています。
ハイジの名菓アルハンブラを再現しようと両ケーキ屋さんが新しいおいしいケーキを作られています。

今もハイジの店舗は残っており、他のケーキ屋さんになっていますが、かつての面影はうかがえます。

2009.3.13記 


灘区 水道筋南 

新神戸オリエンタルホテル




◆1988年〜〜2006年12月15日

1988年、新神戸オリエンタルホテルはダイエー系列のホテルとして誕生しました。
2004年米証券大手、モルガン・スタンレーに買収され、ダイエーの手を離れましたが名称は「新神戸オリエンタルホテル」のまま受け継がれていました。
しかし、2006年12月15日、世界的ホテルチェーンのインターコンチネンタルホテルグループの系列に入り、 名称を「クラウンプラザ神戸」と改称。
客室料金体系も43から16に集約し、海外からの客にわかりやすくし予約しやすくしました。

名門オリエンタルの名を冠したホテルはロビーに居留地時代のオリエンタルホテルの絵を飾っていました。


中央区 新神戸

須磨ベルコンが残したもの





◆〜2006年12月

須磨ベルコン施設(土砂運搬施設ー須磨ベルトコンベア)が海岸にあったため長く付近は鉄柵に囲われた 立ち入り禁止区域となっていました。
皮肉なことにその立ち入り区域の中は鳥の天国、また貴重な海浜植物が自生していました。

海浜植物の種類は次のとおり。
オカヒジキ、コウボウムギ、コウボウシバ、ハマヒルガオ、ハマボウフラ、ツルナ、ハマダイコン、ハマゴウ、 ハマエンドウ等。

人間が立ち入らなければ絶滅する動植物も元気を取り戻すのでしょうか。


須磨区 須磨海岸

トアウェスト山手の街並み

2005年9月24日撮影



2,3枚目2008年12月10日撮影


◆〜2006年12月

トアロードホテルの西側は小さな路地で古くからの中国料理のお店がたくさんありました。
震災でも大きな被害を受けましたが、それでも仮設で営業を続けてこられファンの多いお店が多かったです。
しかし、再開発のためこの地域は高層のビルが建設され店舗もその中に入ることになりました。

写真1枚目が以前の街並み、下の2枚が高層ビル完成後の新しい街並みです。
いつまでも前の街並みを思い出せるように記録することにしました。


中央区 下山手 トアウェスト山手

相楽園にヤマテノキツネ 現る



◆2006年11月3日

都心の中の静かなオアシス、相楽園。
その相楽園にたくさんのキツネが出没しました。
夕方日が暮れると池には灯がともり、いつもは静かな園内はキツネたちの世界が。
大きなオコン様の前にはたくさんのお供え物が山積みされました。
1年のうち、秋の一日しか現れないのです〜。
2007年にも現れましたが、その後の出現は不明。


中央区 相楽園

新港1突 山本船具店

2006.8.19撮影


◆昭和初期〜2006年10月

第一突堤の根元に建っていた船具店です。
第一突堤の再開発に伴い、撤去されました。
この建物は窓にアーチがあり、壁に厚みがあるのことでこの新港ができた当時に作られたと いうことがわかります。(川島智生氏談 神戸建築物語 海と空・二つの神戸開港物語にて)
神戸の築港は大正11年までに順次4つの大きな埠頭が作られたのでこの頃のことかと思われます。

小さな建物ですが、一突に帆船が停泊しているときいつも前を通りますので市民の皆さんは 目にされている建物です。
撤去されたあと、山本船具店は近代的な建物として少し西側に移動して生まれ変わりました。

旧建物は震災で少し傾きましたがすぐに商売の方は再開されたそうです。
神戸港を中心として内外の入港船にワイヤロープや船舶部品、日用品などを売る船具商(シップチャンドラー)。
神戸港の歴史を知る建物だったのですね。


中央区 第一突堤根元

ミント神戸オープン



ミント神戸から見る三ノ宮駅前



◆2006年10月4日

震災で全壊した神戸新聞会館跡についにオープンしました。
跡地は長く実に10年あまりも駐車場として使われ、見下ろすJR三ノ宮駅からも、ポートライナーからも さびしい風景が広がっていましたが、ついに新しい三宮の核となるべき商業施設が開業しました。

朝から大勢の人々がつめかけ、入場制限も行われました。
たくさんの人がこのミント神戸、神戸新聞会館の再建を待っていました。 

HPによりますと、「ミント神戸」の名前は次のことから名づけられたようです。
「海(Marine)と山(Mountain)に囲まれ、待ち合わせ(Meeting)に ぴったりな駅前の好立地に、情報発信企業の神戸新聞グループ(Media-mix)が プロデュース。

映画(Movie)や食(Meal)、流行(Mode)のテナントも含め、ビルのさまざまな 特色を象徴する「M」を集大成(INTegrate)した、との意を込めました。
ビル名称となった「ミント」には、「ハッカ」「新鮮な」「源泉」などの語義があり、 外壁タイルの鮮やかなミントグリーン色とイメージを合わせ、爽快感、新鮮さを大切にし、 神戸市民の方々に広く親しんでいただけるよう、覚えやすさや言いやすさにも配慮しました。」

ロゴも神戸の坂道を表し下端を斜めにそろえるという凝りようがうれしいです。
三宮の中心街に震災後初めて主役が帰ってきた気がしました!


中央区 JR三ノ宮駅前

ミント神戸 オープン前の壁面を飾る踊るリーフ


◆2006.10.2〜2006.10.3

阪神大震災で全壊した神戸新聞会館の跡地は長く駐車場になっていましたがやっと待ち望んだ 新しい新聞会館が再建されました。
その名も「ミント神戸」です。
駅前のシンボルとなる、ミント色のさわやかな本当に素敵なビルができました。
オープンは10月4日ですが、オープンを目前にして壁面をゆらゆら揺れる可愛いリーフが投影されました。

夕暮れ、日が落ちるとその美しい姿を撮影しようとたくさんのカメラマンが押しかけました。


中央区 三宮

神戸空港の「一村一品」キャンペーン



◆2006.4.15(土)〜2006.9.30(土)

One-Village One-Product
開発途上国の「一村一品」キャンペーンです。
オープンまもない神戸空港の一角で行われました。

「2006年2月〜9月を開発途上国一村一品キャンペーン期間として、アジア、アフリカ、大洋州、中米などの 途上国の民族豊かな工芸品、織物、加工食品など魅力ある商品を日本の皆様に積極的にご紹介します。」

神戸空港としては4/15(土)〜9/30(土)で、展示、販売コーナーが設けられ、神戸空港を 利用された方々がたくさん訪れました。


中央区 神戸空港

JR灘駅 お別れ会 



◆2006.9.24

住民の交通を南北に妨げる存在であったJR灘駅が高架化され取り壊しになることになりました。
住民の不便のために出た駅の高架化ですが、ずっと一緒に毎日を過ごしてきたこの駅に対する愛着は ひとしおです。
そのため灘駅お別れ会が付近の住民、かかわり、思い出をもつ多くの人々により開かれました。
萩原コーヒーの社長さんや古くからこの駅のことを知っておられる方々による駅の思い出が次々と 語られ尽きることはありませんでした。

木造の小さな駅。
多くの市民は王子動物園に行くときに降り立つ駅かもしれません。

名残を惜しむ人々で暗くなるまでいっぱいでした。
また非常に美しい意匠を構内で説明していただくこともできました。

灘区 JR灘駅

ミント神戸に宇宙線 

点灯前


nova点灯により宇宙線が光に


めぐる君


発行された号外


宇宙線の光の様子


◆2006.9.19

再建された神戸新聞会館(ミント神戸)のオープンに先立ち、ミントビルの壁面を飾る「スーパーノバ」の 点灯式が行われました。
この「スーパーノバ」は筑波大学の逢坂教授が考案された、宇宙から降り注ぐ宇宙線を感知し光に変換する ビル照明です。

環境と呼応する光のアートとして最近注目されているものですが、ビル照明として採用されるのは初のこと だそうです。
神戸再生、復興のシンボルとして素晴らしいものを作ってくださってとてもうれしいです。

逢坂教授によりますと、
「宇宙線は毎秒200個以上が飛来、身体を貫いているといわれる。
光としてとらえた宇宙線が、紀元前に発せられたものか、6分前の太陽のフレア(爆発)か、知ることは できない。
しかし、時の断片を見ていることは確かだ。
深遠な宇宙からのメッセージはさまざまな世界像と新しい美意識を私たちに提示している」

ロマンチックな宇宙からのメッセージ。
確かに受け取りました。

1枚目は点灯される前。

2枚目は宇宙線が走り美しい6本の光が走るところ。
宇宙線の強さによって明るさも違います。
また光が上から下へ走り、宇宙線が走る様子も観察できます。
光の様子がうまく現れていないので5枚目に拡大写真をupします。

3枚目は神戸新聞の広報車、めぐる君。
なんと社内で号外を作ることができます。

4枚目の写真はめぐる君で作成された号外です。

中央区 三宮駅前

国道2号線を跨ぐ須磨ベルコン 深夜の撤去 



撤去される直前のベルコン




撮影はHiisanさん


◆2006.9.1 午前3時

「山海へ行く」のプロジェクトは2005年9月12日に幕を閉じましたが、その後もベルトコンベアは 残されておりました。
しかし須磨一の谷の国道2号線上とJR、山陽電車をまたぐベルトコンベアもついにこの日、 撤去になりました。

車で国道2号線を通るとき、山陽電車やJRでここを通過するとき、頭上のトンネルを くぐるのが当たり前のようになっていた通過点でした。

この場所は一の谷の とにかく交通の激しい場所ですので、作業は1日の深夜午前3時頃に行われました。
神戸の歴史を知るひとつが姿を消した日でもありました。

須磨区 一の谷 2号線

三宮東映劇場、三宮東映プラザ 閉館




◆〜2006年8月31日

震災後神戸の映画館は激減しましたが、ここにきてシネコンが主流となり古くからの映画館が統合され 閉館が相次ぎました。
ここで上映されていた東映配給作品は三宮フェニックスと109シネマズHAT神戸に引き継がれます。

ここの映画館は三宮センター街に面し、ジュンク堂も同じビル内にあり非常に便利な位置にありました。
センター街をぶらつくうちに、映画の宣伝を見てフラリと入られた方も多いと思います。
被災しながらも今まで営業を続けて来た映画館ですが、今度は再編の嵐に巻き込まれてしまいました。

東映劇場、東映プラザが入っていたところにはジュンク堂が拡張されました。

中央区 三宮 センター街

OS三劇 幕を閉じる



OSプレイランド

◆1947年7月〜2006年8月31日

OS系列が相次いで統合されています。
長く阪急電車の音がする映画館に慣れた感覚からすると、大きな快適な映画館は居心地がいいですが 懐かしい思い出からなかなか抜け切れません。
OS三劇は2006年8月31日をもって閉館しました。
最後に観た映画は「LIMIT OF LOVE 海猿 」となりました。

「お知らせ
拝啓 ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
この度、諸般の事情により平成18年8月31日をもってOS三劇を閉館することになりました。
昭和22年7月より60年近く営業出来た事を感謝致します。
尚、当社は平成18年10月4日JR三ノ宮駅前(旧神戸新聞会館跡地)「ミント神戸」内に 「OSシネマズミント神戸」を開業致します。
OS三劇と変わらぬご愛顧賜りますようよろしくお願い申し上げます。
敬具 OS株式会社」

震災で新聞会館が全壊し、建て直しをしていなかったら統合されることもなく、もう少しその歴史を続けることができたかもしれません。
震災が運命を変えた映画館かもしれませんね。

OS三劇と同じように高架下に軒を連ねていたプレイランドOSも同日に一斉に閉店しました。
中央区 三宮 阪急高架下

名門コスモポリタン製菓 閉店



2007.4.1撮影
このビルは自社ビルだったようです。
cosmopolitan buildingの文字が。


ポートアイランドの本社事務所、工場


◆1926年(大正15年)〜2006年8月15日

「いいものを作ればお客様に必ずわかってもらえる」と妥協を許さず自分たちの目指すチョコレート造りを 続けてきた神戸の老舗、コスモポリタン製菓が閉まりました。
あたりまえのようにあったこのチョコレート菓子のお店。
まさか本当に閉まるとは思ってもみませんでした。
工場はポートアイランドにあり、現在も建物は残っています。(2008.8.21)

いつも華やかな店内で奥にはおいしいボルシチを食べさせてくれるレストランもありました。
クリスマスの頃には俄然賑やかに、より華やかになりクリスマス気分をいち早く味わえる店でした。
隣接していたジョイントも閉まってしまいかつての面影がまったくなくなったこの界隈です。
1926年(大正15年)ロシア革命から逃れて日本に亡命したフヨードル・モロゾフがトアロードにロシア菓子店 「モロゾフ洋菓子店」を開店したのが元ですが、神戸大空襲で店舗が焼失したあと共同出資者と対立、 裁判で敗訴の後、「モロゾフ」を名乗れなくなりました。
しかし、「コスモポリタン製菓」としてチョコレート業界の中で不動の地位を築き、1999年には 開業以来最高益を記録しました。
営業不振が理由で廃業ということですが、本当に残念なことです。

なお店長さんの言葉として東京のコスモポリタン製菓銀座店は昭和を思わせる雰囲気、神戸店は大正の 雰囲気を漂わせる店ということでした。

忘れてはならないのは日本にバレンタインデーにチョコレートを贈る習慣を導入した店のひとつです!

最後のバレンタイン モロゾフさんからの挨拶状です。
「お得意様各位
拝啓 残暑の候、時下ますますご清祥の段、お喜び申し上げます。
平素は格別のお引き立てを賜り、ありがたく厚く御礼申し上げます。
さて、開業以来80年になろうとするところ、突然ではございますが本年8月15日をもって閉業することになりました。
大正15年にトアロードで開業して以来、皆様のご愛顧に支えられ、チョコレートのコスモポリタンとして 歩んでこられましたこと、誠に感謝の念に耐えません。
本来ならば参上して、ご挨拶申し上げるべきところ、略儀ながら書面にてご挨拶申し上げますことを お許しください。
これからの皆様のますますのご発展、ご健勝をお祈り申し上げます。敬具
平成18年8月
有限会社コスモポリタン製菓
代表取締役社長 バレンタイン モロゾフ<」br>

中央区 三宮町1-3-16

山ケ坪第一踏切




◆〜2006年(平成18年)7月21日

2008年3月15日、JRに新駅が誕生しました。
JR鷹取駅とJR須磨駅との間の須磨海浜公園駅です。
須磨水族園に行くのに非常に便利になりました。

ここは新駅ができる前は「山ケ坪第一踏切」という名の距離のある踏切があったところで渡るのが非常に怖かった記憶があります。
何しろ渡るのに時間がかかるのでその間に踏切が閉まるのではないかと恐怖心を起こさせるところでした。
調べてみるとやっぱり「開かずの踏切リスト」という中に載っていました〜
なかなか開かない踏切でしかも距離が長いというところだったのですね。

この踏み切りも新駅工事のため、2006年7月21日に通行止めとなり、この踏切があった場所は 「かもめの水兵さん」の音楽が鳴る新駅となりました!

須磨区 松風町

磯上の古いビル 門屋ビル解体

2006.5.21撮影



◆戦後〜2006年6月

三宮南の磯上には戦後まもなく建てられたという古いこんな倉庫がたくさんありました。
こんなビルを利用して近年、カフェやレストランが開店し、人気を呼んでいますがそれでも 老朽化で倉庫が解体されていきます。
この門屋ビルも解体が決まり、解体の前にアート展が開催されたりしました。
「ARTイマジネーションin KOBE 磯上・2006」
「地力」というポスターが貼ってありました。
これからも磯上は変貌を遂げていくと思いますがこのようなビルがたくさんあった 地域だと記録に残したいと思います。


中央区 磯上

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