★ あの時 神戸に
こんなものがあった!
その10

神戸にこんな建物があった…。
神戸にこんな会社があった…。
しっかりと記憶にとどめたいと思います。

新開地のびっくりうどん



◆1914年(大正3年)〜2006年5月11日

びっくりうどん閉店
新開地のびっくりうどん。
4代92年に渡り新開地で営業を続けられてきたびっくりうどんのお店が閉まりました。

後継者がなくやむなく閉店に至ったそうです。

戦災をのりこえ、阪神淡路大震災でも店舗が半壊。
製麺の機械も壊れ、一時は廃業も考えられたそうですが、常連客の励ましもあり4ヵ月後に再開。
今日まで安くておいしいうどんで地元の皆さんに親しまれてきました。

びっくりうどんは素うどんで\200、名物のきつねうどん\280は大きなアゲが2枚入っています。
昔もびっくりだったでしょうが、現在もその安さにびっくり、その大きなアゲにびっくり。
新開地の劇場で楽しんだ後、あるいは映画に興奮したあと、びっくりやぁ〜と言いながらこのうどんを食べたでしょうか。

5月11日の最終日。
普段の二倍の材料を仕込まれましたが閉店時間の1時間前には完売したそうです。
長年の常連さんに惜しまれながらその長い歴史を閉じました。


兵庫区、新開地

びっぐあーす 神戸寄港



◆2002年3月3日〜2006年4月27日

高松ー大阪を運行していた五島産業汽船鰍フびっぐあーすはUSJを訪れる乗客のために 小豆島と神戸に全便寄港することになり、神戸港でもびっぐあーすを見ることが できるようになりました。

神戸から大阪南港に行くのは乗換えなどけっこう面倒なのですが、このびっぐあーすの 「すきっぷ」は500円で南港まで快適な高速船で40分で運んでくれました。

2006年4月27日をもち、この航路が廃止になったのは本当に残念なことでした。
またハーバーランド、モザイクからこの船が入ってくるのを見れなくなったのは 寂しい限りです。

ポートピアランドで暮らしたコウノトリ





現在の様子

◆1981年3月〜2006年3月31日

神戸ポートピアランドに長く暮らしたコウノトリのつがいがいました。
仲良く巣作りに励んでいましたが、ポートピアランドの閉鎖により路頭に迷いました。
どうなることかと心配していましたが、今は元気にポートアイランドの中央緑地公園に新しい住まいを 得ました。

以前はポートピアランドの屋根の上でしたが、中央緑地では花いっぱいの恵まれた住まいです♪
また元気にしているか見に来てください。

中央区 ポートピアランド


ギネスにも載ったポートピアランドのジャイアントホィール

2002.6.19撮影


2002.8.25撮影


2002.12.23撮影

◆1981年3月〜
     2006年(平成18年)3月31日

神戸ポートピアランドは2006年3月31日に閉園されました。
最終日の様子です。 そのポートピアランドにあったジャイアントホィールは1981年3月〜1985年まで世界一の高さを誇る観覧車でした。

全高(最高点)63.5m
直径     61.0m
36基 約15分で一周
1984年のギネスに載りましたが、翌年1985年につくば科学博覧会の観覧車テクノコスモス(85m)ができたので 世界一の座を譲りました。

ポートピアランドが閉園されたあと、解体されイタリアの遊園地に買い取られたと聞きましたが その解体された部品は長く第四突堤に置かれていました。
全部船積みされたのが2007年3月くらいだったと思います。

イタリアの皆さんを乗せて活躍しているでしょうか。。。

ポートピアランド閉園






◆1981年3月〜
     2006年(平成18年)3月31日

ポートピアランドは1981年3月〜9月に開催された神戸ポートアイランド博覧会の遊戯施設としてオープン。
博覧会終了後の10月1日より単独で営業が行われました。
あまり小さな子供たちには向かない大人向けの遊具が多く、当初は最新鋭の遊戯施設を海外からいち早く 取り入れることで人気を博しました。

しかし、1995年の阪神淡路大震災のため休業、その後再開したあとも施設の老朽化、新しいテーマパークなどの オープンなどの影響のためか客足が伸びず当時の経営者である阪急東宝グループの阪急電鉄が2003年に廃止を決定しました。

しかし、ポートアイランドの地盤沈下を心配した神戸市が買い取り、経営を引き継ぎましたが客足は戻らず 結局廃園となりました。

最終日の3月31日の営業終了後、支配人のあいさつのあと、最後の花火が打ち上げられ中央の帆船より打ち上げられた 「25年間ありがとう」の文字が浮かびました。
シャッターが降りた後も多くの人が楽しかったポートピアランドの思い出にひたり、写真を撮る人たちが 多かったです。

神戸市中央区 ポートピアランド

二葉小学校 閉校



2006.2.18撮影

◆1929年〜
     2006年(平成18年)3月25日

神戸の歴史ある小学校の一つが閉校になりました。

二葉小学校のHPの沿革によりますと、

1929年(昭和4年)神戸市二葉尋常小学校 開校
1938年(昭和13年)双葉山を招き、土俵開きをする。
         この年、阪神大水害
1941年(昭和16年)神戸市二葉国民学校と改称
1945年(昭和20年)神戸市二葉小学校と改称 
6.3制開始
2003年(平成15年)西隣の旧長楽小学校との統合が決定
2006年(平成18年)駒ケ林小学校となる

校庭には「ありがとう 二葉小学校」の垂れ幕がありました。
お別れ会は2006年3月25日に開かれその様子はHPに載せられていました。
二葉小学校 お別れ会

校庭には恐竜が閉校になる小学校を見つめていました。

----恐竜説明案内-----
この恐竜の正式名は「プラ記尾ザウルス」(腕竜)という草食恐竜で・…体重100tで恐竜では 最大種のひとつです。
前肢が後肢より長く腰の高さは尻より低いのが特徴です。
「アスタ」の「アス」はUS(我々)、明日(あす)と(タ)はタウンの造語で 新長田駅再開発地区の愛称に決まりました。
それでこの恐竜の愛称を「アスタザウルス」と命名しました。

夢と力 復興大バザールin長田実行委員会
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なお校舎は卒業生たちの努力により震災資料館として保存されることが決まりました。

神戸市 長田区 

JR三ノ宮駅前 ダイエーのオレンジマークの最後

2006.1.2撮影


2006.2.19撮影


2006.2.25撮影


◆2006年(平成18年)2月19日

とうとう三宮駅前のダイエーにもシンボルマークが変わる日がきました。
長年親しんだ駅前のこのマークも新しい若葉のマークに変わりました。
大きな変化としては震災後プランタンだったこの店がダイエー三宮駅前店に変わって 以来のことです。

中央区 JR三ノ宮駅前

神戸空港 開港


◆2006年2月16日

市街地から本当にアクセスのいい空港がオープンしました。
神戸空港に到着して荷物を受け取ってから、なんと2分ほどでポートライナーに乗ることもできます。
そして三宮まで16分。
他の空港に比べるとこれは驚きです。
国内97番目の空港で、第三種空港では建設・運営を市がてがける初めての市営空港です。
愛称は「マリンエア」。

オープン当日は夜遅くまで、報道関係や空港見物の市民、初めて神戸空港へ降り立ったお客様で にぎわいました。

中央区 空港島

メリケンパークオリエンタルホテルの空港開港記念ライトアップ

2006.2.19撮影



◆2006年2月

毎年メリケンパークオリエンタルホテルの東壁面を飾るライトアップですが、神戸空港開港記念らしく テイクオフのデザインでした。
街をあげての空港開港の記念行事が行われ、祝賀ムードに包まれました。

中央区 メリケンパークオリエンタルホテル

ありがとう仰木監督




◆2006年(平成18年)1月24日
     〜1月31日

「ありがとう仰木監督」展を神戸市役所にて。
「がんばろう神戸」のワッペンをつけた震災直後のオリックスブルーウェーブの活躍は神戸市民は元気と励ましをもらいました。

今でもあの年のことを想うと胸が熱くなります。
仰木監督は平成14年に「神戸大使」に就任され各地に神戸をPRしてくださいました。

この仰木監督に感謝の意を表し、神戸市は「ありがとう仰木監督」展を開催しました。
会場には大きな仰木監督の笑顔の写真が飾られ、訪れた人たちは静かに 仰木監督を懐かしがっておられました。

「天国に送る会」は2006年1月21日午前11時からスカイマークスタジアムで行われました。


中央区 神戸市役所にて

神戸空港開港前秒読み 一般公開


◆2006年(平成18年)1月29日

神戸空港開港目前。
直前公開が行われました。

おみやげ店も準備万端。
商品が運び込まれていました。
コンビニだけは一足先にオープンしていました。

各お店のスタッフはオープン前の指導を受け、いよいよあわただしさを 加えていました。

空港オープンにあわせ、ポートライナーも延伸されました。
そのポートライナー延伸線開業までのあゆみ展も同時に開催され珍しい開業当時の写真を見ることが できました。

一番下の写真は昭和55年4月15日川崎重工業から8000型車両搬入の時のものです。
「ポートライナー延伸線開業までのあゆみ展より」


神戸市中央区 神戸空港

神戸空港開港記念ライトアップ


◆2006年(平成18年)1月15,16日

神戸空港開港を祝し、空港から一番近いホテルである神戸ポートピアホテルが飛行機の形に ライトアップしました。
客室のお客様に協力していただき、夜空に大きな飛行機が!
このホテルはタイガースのリーグ優勝のときにも優勝を祝すライトアップをしてくださいました。

明治元年の神戸港開港に続く第二の開港による神戸の発展を祈って。

2008.5.15記

神戸空港開港のヘッドマーク ポートライナー


◆2006年(平成18年)1月

神戸空港開港直前、空港までのアクセス手段になるポートライナーは空港開港を祝うヘッドマークをつけて 走りました。

街はいっきに神戸空港開港の祝賀ムードに包まれました。

2008.6.26記

中突堤整備後、初着岸は”飛鳥”


◆2006年(平成18年)1月11日

外航客船はもっぱらポートターミナル(第4突堤)に着岸していましたが、中突堤旅客ターミナルに税関・ 入管検疫の出入国機能を設けて着岸できるようになりました。
2006年1月11日。
整備後初の中突堤旅客ターミナルに着岸は「飛鳥」でした。
盛大に式典が行われ飛鳥の船長さんに記念盾が贈られました。
「飛鳥」はこの後まもなく「飛鳥U」と交代し、ドイツの船会社に売却が決まり船名は「アマディア」となりました。
「飛鳥」は、これが最後の神戸寄港となりました。

2008.7.3記

貯木場としての兵庫運河




◆戦後〜2005年(平成17年)

1896年(明治29年)に完成した兵庫運河でしたが戦後は水路利用の他に貯木水面として利用されるようにも なりました。
しかし、木材の輸入が原木輸入ではなくコンテナによる製材輸入に変化するとともにこうした貯木の役割も なくなりました。
この写真は2005年(平成17年)3月19日の撮影ですが、貯木場として利用されていた名残の木々がまだ 浮かんでいました。
この木々を利用して芸術活動が行われたりしたこともありますが、兵庫運河をレガッタ競技場などに利用 する新しい運河利用の機運に2005年中には材木も取り払われ整備されました。

2009.3.17記

初代24時間働く人 ハーバーランド




◆1991年〜2005年(平成17年)

ハーバーランドの煉瓦倉庫近く、雨が降ろうと風が吹こうと、台風がやってこようと、真夜中になろうと ひたすらペンキ塗りをされる8人の方々。
本当に頭が下がる方々でした。

この方々は整備工事中の臨海部に少しでも潤いをと がんばってくださっていたのでした。
しかし、高波の時は足を洗いそうになり、また幾度も心ないいたずらで海に投げ込まれたりし (けっこう治療費もバカにならないのです!)大分ガタがきましたので全員リタイアすることになりました。
メンバーは若干ハンサムになりまして今は元気に元の場所に戻っております。
本当に旧メンバーの皆様、ありがとうございました。

このよく働く人たちは1991年に11人で作業を開始されたようです。

2008.2.28記

鍵だらけのヴィーナス




◆〜2005年(平成17年)12月

諏訪山展望台と金星台とを結ぶ螺旋橋。
1971年に完成したヴィーナスブリッジ。
ここからの眺めは素晴らしく神戸港を一望できるところです。
いつの頃からか、好きな人とここを訪れ、一緒に鍵をかけると結ばれると信じるカップルが 鍵をかけはじめ(これは全国的な傾向のようです。素晴らしい眺めに感激すると鍵をかけたく なるようです〜)、2001年頃には隙間もないくらいに鍵でいっぱいになっていました。
フェンスもサビが目立ち、メンテナンスもままならず、せっかくのこの素晴らしい神戸を 代表するヴィーナスブリッジも目も当てられぬ状態になりました。
しかし、大事な思い出の品を勝手に撤去するわけにもいかず、考えた市はこの鍵をどうするか アイデアを公募することにしました。

その結果、鍵をかけるモニュメントを新たに設置することになり全国から寄せ集められた 案の中から東京の大学院生の方の案が採用されました。

そして、この見苦しい(失礼!)鍵がかかった光景も2005年12月をもって見ることが なくなりました。

ハーバーランド ダイエー オレンジのシンボルマーク 

◆〜2005年(平成17年)12月10日

ダイエーハーバーランド店閉店に伴い、長くシンボルとしてあったダイエーの オレンジのマークが撤去されました。

見慣れたこのシンボルマークは以後徐々に街から撤去されていきます。

2008.5.7記

ポーアイや神戸の街が戦場になった! 



◆2005年(平成17年)12月3日

ウルトラ怪獣がポートアイランドで大暴れ!
この人工島が踏み荒らされ、壊されてしまいました〜。

神戸が舞台の映画「ウルトラマン40周年記念映画」の撮影が神戸各地で行われました。
エキストラも大募集され多くの方が出演されましたが残念ながらウルトラマンや怪獣とは 会えませんでした。(泣)
何度も演技を繰り返された皆さん、お疲れ様です!
素晴らしい記念映画ができました。

2008.7.23記

「震災10年 神戸からの発信」フィナーレ 

◆2005年(平成17年)12月3日

〜ありがとう!そして、明日からも〜
2004年(平成16年1)2月から始まった「震災10年 神戸からの発信」も2005年(平成17年)12月3日(土)神戸ウイングスタジアムにて フィナーレを迎えました。
この1年、さまざまなイベントを通じて元気な神戸を発信しました。

そのフィナーレの式典です。
出演者は次の通りでした。
ばんばひろふみ、堀内孝雄、杉田二郎、大江千里、真野響子、平松愛理、小曽根実、松浦亜弥の皆さん。
いずれも神戸と縁が深く震災イベントに活躍していただいている方たちでした。

トークと音楽で神戸から元気を発信!

2009.7.28記

ハーバーランド ダイエー閉店 







地下食料品売り場の様子

◆〜2005年(平成17年)11月30日

ハーバーランドにあったスポーツワールドが2005年11月29日閉店、続いてメガバンドール、ダイエーが閉店しました。
このハーバーランドダイエーはハーバーランド開業時からあり、会員制Kou'sが1階、2階、それより上階がダイエーでした。
震災でポートアイランドにあったバンドールがハーバーランドに移り、メガバンドールとして2階〜6階に入り、ダイエーは 縮小して地階と1階に移りました。

このダイエーハーバーランド店はKou'sがあった時からよく通いましたので思い入れのあるところです。
本当に寂しくなりました。

ダイエーは1972年8月に三越を抜き、小売業売上高日本一を達成。
1980年2月には売上高が業界初の1兆円を超えました。
1984年には登記上の本店を大阪から神戸市中央区港島中町4-1-1 ポートアイランドビルに移転。
しかし、業績が徐々に悪化。
ハーバーランドの商業施設の中心をなしていたダイエーも撤退となりました。

最後の日は、11月30日午後6時。
1ヶ月ほど前から始まっていた大売り出しにより店内の商品も少なくなっていましたが、最後の日は たくさんの人が買い物につめかけ、最後の時間には報道関係、閉店を惜しむ人々であふれました。

店内は午後5時半から「蛍の光」が流れ始めました。
6時の閉店のあと、支配人の挨拶があり、従業員の方々の挨拶と共にシャッターがしまりましたが、 いつまでも本当になくなってしまうのかと寂しさで立ち去りがたい思いでした。
シャッターが降りたあと、いつまでも立ちつくす多くの人の姿が印象的でした。

神戸市中央区 ハーバーランド

神戸から台湾へ 台湾新幹線

2005.1.26撮影


2005.2.11撮影


最終の新幹線 TOMさん撮影

◆2004年(平成16年)5月15日
     〜2005年(平成17年)11月1日

日本の新幹線が初めて海外輸出されるプロジェクトでした。
台湾新幹線

台湾高速鉄道「700T型」新幹線。
700系に良く似たオレンジと白とのスマートな車体が船のクレーンで吊り下げられ はしけに乗せられる光景がよく見られるようになりました。
ポートアイランドの北公園、物置場に置かれた新幹線をはしけに積む光景、また川崎重工から 運河で運ばれる光景は多くの人に目撃されワクワクさせられました。

台湾まで運ぶ船はPOSEIDON TRIUMPH,GAIA TRIUMPHが多かったので、この船を見かけると またあの新幹線吊り下げが見られると興奮したものです。

およそ1年半にわたって見守った作業ですので、2007.1.5に開通した台湾新幹線は非常に親近感がわきます。
いつの日か、この台湾新幹線に乗ってみたいものです♪

中央区 北公園物置場、ポートターミナル、兵庫運河

がんばろうKOBE 10th


◆2005年(平成17年)4月
     〜2005年(平成17年)11月

オリックスは2004年12月1日に球団経営の立て直しを目的とし大阪近鉄バッファローズと合体。
球団名は「オリックスバッファローズ」となりました。

球団の出資比率はオリックス80%、近鉄20%。
オリックスブルーウェーブという美しい神戸を象徴するチーム名はここに終わりました。

本拠地も大阪ドームに移り、スカイマークスタジアムは準本拠地となりました。
2005年度は阪神淡路大震災から10年。
あの時、「がんばろうKOBE」を肩につけて大いに市民を元気付けてくれたように「がんばろうKOBE 10th」のロゴワッペンを スカイマークスタジアムで行われる試合でユニホームの左胸にとりつけることになりました。

球団広報は「震災10年を機に当時の気持ちを忘れずもう一度、神戸の皆さんと一体となって戦うため」と しています。

しかし、あれほど震災後の快進撃の時は市民と一体化したこの球団も、市民の応援およばず 神戸の市民球団ではなくなりました。
残念な気持ちでいっぱいです。

うろこの家に魔女飛来

2005年10月30日撮影


◆2005年(平成17年)10月のとある日
     〜2005年(平成17年)10月31日

北野異人館のうろこの家に魔女がやってきました。 
なんと身長3mもの大魔女です。
うろこの家の屋根のてっぺんにすわりこんで神戸の街を見下ろしていましたが、どうやらハロウィーンで 飛んできたもののようでした。
しかし、魔女なのに高いところは苦手なのか塔に体をくくりつけていました。(笑)

神戸市中央区北野町 うろこの家

下山手カトリック教会



◆1910年(明治43年)9月18日
     〜2005年(平成17年)10月

この市電が開通した年に下山手カトリック教会の落成献堂式を迎え、日本人のための本格的聖堂として神戸に初めて 建立されました。
戦争により司祭館が焼失、畳敷きの聖堂は被害者の避難所になりその際畳が傷んだために椅子式の聖堂になったそうです。
1990年には居留地時代のものを受け継いだ洗礼名簿が発見され、1869年(明治2年)5月5日からの記録が明らかになりました。
しかし、阪神淡路大震災で全壊となり、2005年(平成17年)10月に中山手カトリック教会と統合。
あのステンドグラスが美しい教会は思い出の中になりました。

今は門柱のみ残されています。

所在地:神戸市中央区 下山手
 

遊覧船 ポートオブコウベ

2003年9月13日撮影

◆2001年(平成13年)8月
     〜2005年(平成17年)10月

神戸米クルーズの初代就航のフラッグ・シップです。
「コウベ」の名を冠して神戸港を走り回りました。

QE2の神戸寄港時も港外へのお見送りクルーズで活躍しました。
現在は横浜港で活躍しています。

山は海へ行った! 最後の土砂運搬船


最後の土砂運搬船


上の写真3枚はHiisanにいただきました。


住宅街を走るベルトコンベア
上の写真はsurubonさんにいただきました。


◆1964年1月〜2005年(平成17年)9月12日

2005年9月12日、須磨ベルトコンベアーで運ばれた最後の土砂を乗せた運搬船は午後2時すぎ、神戸空港に向けて出航しました。
山を削り、海を埋め立て新たな土地を生み出す「山、海へ行く」の神戸株式会社の象徴は、その役目を終えました。
1964年1月に稼動した総延長14.5kmのベルトコンベア。
運び出された土砂は計5億7800万トン。
削られた山の跡には7つの大型団地が生まれ、海へ行った山はポートアイランド、六甲アイランド、神戸空港島となったのです。
搬出能力は1時間に9000トン。

土砂はダンプが運ぶものとの概念を打ち破る画期的な運搬方法でした。
市内をダンプが走り回ることなく、公害に配慮されたこのベルトコンベアは市民の頭上をなんとたくさんの土砂を運んだものか。
西区の複合産業団地から国道2号線、JR、山陽電鉄の各線の上を渡り、もくもくと運び続けていたのです。
このベルトコンベアは須磨海岸の風景に溶け込み、このあたりの風景と一体化した存在でした。
この神戸市の開発事業の終了と共に、ひとつの神戸の時代が終わりました。






ベルトコンベア全景

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