★ あの時 神戸に
こんなものがあった!
その9

神戸にこんな建物があった…。
神戸にこんな会社があった…。
しっかりと記憶にとどめたいと思います。

中突堤の別府航路 最終便は「さんふらわあ こばると」

さんふらわあ あいぼり


◆〜2005年(平成17年)9月14日

中突堤にフェリー さんふらわあが寄港していました。
夏の夕方、ハーバーランドに入ると、しずしずと入ってくる大きな「さんふらわあ」にうれしくなりました。
小豆島季節便、別府航路の「さんふらわあ」です。
2005年9月15日からはポートターミナルに寄港変更となりました。

メリケンパークオリエンタルホテルを背景にしたこうした光景も見られなくなりました。

1912年(明治45年)、関西汽船の前身の大阪商船が阪神/別府航路を開設。
この時の発着場所は旧国産波止場でした。
そして1938年(昭和13年)に完成した中突堤に移りました。
以来67年、中突堤になじみの別府航路でした。

最後の便は「さんふらわあ こばると」9,245トン。 
9月14日午後10時42分、中突堤を出航。

ちなみに「さんふらわあ」 別府航路は「さんふらわあ あいぼり」「さんふらわあ こばると」「さんふらわあ こがね」「さんふらわあ にしき」が運行しています。

ポートライナー複線化 軌道切り替え 古い軌道よ、お疲れ様でした〜



◆2005年(平成17年)9月

ポートライナー複線化工事のため2004年11月20日、21日の軌道切り替えに続き、第二回目の切り替えによる 代替バス運行が2005年9月10日、11日に行われました。
この切り替え工事によってポートライナー開通以来長く役目を果たしてきた古い軌道は地上に降ろされ しばらくポートライナー車内から眺められる位置に置かれていました。

数え切れないほど多くの車両がこの軌道を通りました。
本当にお疲れ様でした!

中央区 ポートアイランド 中公園駅

ポートライナー複線化による軌道切り替えのための代替バス



◆2005年(平成17年)9月10日、11日

ポートライナー複線化による軌道切り替えのため、ポートライナーが2日間運休となり そのためポートライナー沿線の各駅と市役所の間で代替バスが走りました。
市役所前はバスが集結し、いつもと違う風景に驚く人もおられました。

しかし、住民にとって代替バスは2004年11月20日、21日に続く2回目のもので やや慣れた感じがしました。
長く続いた複線化工事もようやく終わりに近づきました。

★ポートアイランド住民にとって代替バスは、震災直後を思い出すできごとでした。

震災直後半年間ほど税関からの代替バスがポートアイランドとの交通手段でした。
当時はループバスも代替バスとなり、私達を運んでくれたものでした。

中央区 ポートアイランド沿線

サン虎神社 登場!



◆2005年(平成17年)9月8日

ポートアイランドのサンテレビ本社に阪神タイガース優勝祈願のサン虎神社が登場しました。
この神社は18年ぶりにリーグ優勝を果たした2003年の大晦日に「日本一早いV2祈願」のため 祭られたものを復活しました。

2005年9月7日、西宮の広田神社で祈祷をすましたお札を据えています。
この神社は出張もし、10日には梅田百貨店、17日には甲子園球場へと大忙しの神社でした。

中央区 ポートアイランド サンテレビ局内

新聞協会賞 「守れ いのちを」

◆2005年(平成17年)9月7日

日本新聞協会は、この日、2005年度の新聞協会賞(編集部門)を神戸新聞社の阪神大震災10年キャンペーン報道 「守れ いのちを」他3件に贈ると発表しました。

授賞式は10月18日神戸市で開かれる第58回新聞大会式典の席上で行われました。
この報道は報道側と被災者が同じ目線で取材を続けてこられたものです。

この受賞を市民も共に喜びたいと思います!

中央区 神戸新聞社

タイムズメリケン神戸からの発信館

元気の木


神戸を熱く語るばんばさん
2005.4.29撮影




銘菓ハーバーナイト

◆2005年(平成17年)4月21日
     〜2005年8月31日

タイムズメリケン神戸からの発信館が133日間、メリケンパークにオープン。
メリケンパーク海洋博物館内に開設されました。

洋菓子、ケミカルシューズなどの神戸文化をいろんな催しを通して発信し続けました。
1階には神戸の街のシンボルオブジェ「元気の木」
全国から集まった10歳の子供たちの笑顔が入ったミニTシャツが館内の壁面を飾りました。

毎週多彩なゲストを迎えてのコンサートやトーク。
また「133 Days Cafe」がオープン。
神戸の人気の洋菓子店が5週間ずつ入れ替わりで競演、登場するユニークなcafe
我らのパティスリー・ド・ロマンのsurubonさんも銘菓「ハーバーナイト」を初登場させ、大好評を博しました!

中央区 メリケンパーク海洋博物館内

タイムズメリケン シャトルバス

2005年7月16日撮影

◆2005年(平成17年)5月21日(土)
     〜2005年8月28日(日)

タイムズメリケン、人と防災未来館、三宮駅前を結ぶ無料シャトルバスが運行されました。
赤いバスはよく目立ち、タイムズメリケンを宣伝して街を走りました。
運行日は5月21日〜8月28日の土・日・祝日限定。

中央区 メリケンパークー三宮駅

歴史ある第一突堤

大成丸接岸の1突


海王丸が接岸


着岸の船を見に行く人々
 2003年7月26日撮影


解体前の最後の上屋
 2005年7月9日撮影


何もなくなった1突 2006年1月7日撮影

◆1907年(明治40年)
     〜2005年(平成17年)夏

1907年(明治40年)9月17日、神戸港の第一期修築工事の起工式が行われました。
それまで神戸港になかった岸壁を造る工事で、小野浜を埋め立てて第1突堤から第4突堤を築造。
この時に鉄道の引き込み線(臨港線)の工事もされました。
このうち第1突堤には神戸港に最初の外国航路の船が着岸するようになりました。

時代を経て外国航路の船は4突に移り、1突は主に練習船が着岸するようになり、帆船日本丸や海王丸のツーショットも よく見られました。
ここからの神戸港の眺めは素晴らしいものです。
神戸市が推進するウォーターフロント計画により2005年から始まった新港第1突堤の再開発で 市は約9億4千万円をかけて、突堤にプロムナードを造り事業コンペで商業施設を誘致することになりました。

やがてこの1突は観光地として、市民のいこいの場所としてよみがえります。
神戸港を支えた第一突堤の上屋の解体は2005年7月9日から始まりました。

この1突の基部は神戸港の発展の基になった網屋吉兵衛の船たで場があったところで、100年の歴史を経て大きく 変貌する神戸港です。

ありがとう三浦カズ選手!


市民からの寄せ書きを肩にかけ
別れを告げるカズ選手ー
神戸新聞より

◆2001年(平成13年)
     〜2005年(平成17年)7月26日

2001年、三浦和良選手は京都パープルサンガからヴィッセル神戸に加入しました。
日本のサッカー界の草分け的存在のカズが神戸にやって来る、それだけで街が元気付けられる気がしたものです。
それから4年半カズは見事にこの街に溶け込んで、”ご近所の”カズでした。
北野のマンションからスポーツカーが出て行った、夜の北野でカズを見た、前を歩いていた…等の話をよく聞いたものです。
気さくにお店に飛び込み市民との交流をはかったカズでした。
神戸での活躍も5季連続で主将を任され、129試合の出場を果たしましたが7月2日のジェフ千葉戦から5試合連続でベンチ入りできず、主将も外れ移籍先を探していましたが、J2の横浜FCに移籍が決定。
新天地での活躍が期待されることとなりました。

日本人として初めてイタリアのセリエAでプレーをし、数々の栄光の記録を残した彼ですからきっと新天地でも華々しい活躍をしてくれると思います。
最後の挨拶で市民に「大好きな神戸、ありがとう」と叫んだカズ。
その真摯に練習に取り組む姿は多くのものを私たちに教えてくれたと思います。
皆の寄せ書きを肩にかけてグランドを一周し、カズは去りましたが、市長より「神戸大使」に任命されました。
「神戸大使」として、また次のステージでの活躍を皆で祈っています!
ありがとう、カズ!三浦和良選手!

追記:
k新聞に「サッカー小僧」という連載コラムがありました。
これは彼自身がk新聞で、と希望した連載だったそうです。
この街になくてはならないチームでありたい。そんな想いがあったようです。
「このクラブには市民との一体感が欠けている。」これは連載初回にカズが言った言葉だそうですが、そんな街と一体化したチーム作りが常に頭にあったからこそ市民と一体化しようという彼の普段の行動があったのだと理解しました。

またヴィッセル神戸の選手が子供達に夢を持つことの大切さを教える訪問授業「夢で逢えたら」は選手会長だった 三浦知良選手の発案で始まり、今も続けられています。(2008年11月追記)
あらためて、ありがとうの言葉を!

神戸空港滑走路完成記念ウォーク



◆2005年(平成17年)6月25日
     〜2005年6月26日

神戸空港の滑走路が完成したのを記念して空港島ふれあいウォークが行われました。
神戸空港の愛称は「マリンエア」です。
空港が開港するともう入れない滑走路です。
最初で最後の滑走路ウォークにたくさんの方が参加されました。

スタートはキメックセンタービルの南側です。
ポートアイランドは広く空港島への橋にたどり着くまでがけっこう遠いです〜(^^;
空港島への連絡橋は「スカイブリッジ」に決まりました。
滑走路もそうですが、完成すると空港への連絡橋もこんな中央を歩くことはできません。

空港島へ上陸すると上陸証明書をもらいました。
本当に暑い日で滑走路にはかげろうがたっていました。
神戸空港は小さなコンパクトな空港ですが、歩いてみると相当広いです〜
暑さでヘトヘトになりましたが記念になるウォーキングになりました。

TVの取材もたくさん来ていました。

神戸市中央区 神戸空港

神戸港からありがとう




◆2005年(平成17年)4月21日(木)
     〜2005年6月21日(火)

震災10年 神戸からの発信「神戸港事業〜神戸港からありがとう〜」
「みなと、灯の輝き」「船舶イルミネーションパレード」

震災後光を失った港にあって「輝き」の大切さを痛感したことから 「輝き」を演出することで神戸港の誇りを取り戻しあわせて港の復興支援への感謝の 気持ちを表しました。

メリケンパークの樹木約100本にLEDの白色灯、青色灯、暖色灯(豆球)合計10万個による イルミネーション電飾。
青色は青い神戸の海を、暖色は神戸の暖かさを、白色は未来の神戸をイメージしているそうです。

神戸市の港務艇「きくすい」(26 総トン)、早駒運輸の「ロマン3」(60総トン)、神戸市のタグボート「竜王2」(194 総トン)、 神戸市の港務艇「おおわだ2」(187 総トン)の4隻がそれぞれイルミネーション電飾(チューブライト)を施し、 キラキラ輝かせながらパレードしました。
出発式と点灯式 「神戸は、海・港から始まった」をテーマに、 メリケンパークの電飾と船艇イルミネ ーションパレードをあわせ、海と陸でファンタジックな点灯式がありました。

震災直前に生まれた増田瑠偉ちゃん、震災直後に生まれた重村桃子ちゃんが点灯スイッチを押すと、 メリケンパークの樹木とポートタワー・海洋博物館などが一斉に点灯。メリケンパークに灯が輝く。
以上神戸市広報。

この日、一突の上屋もイルミネーションで輝きました。
解体されたのは2005年夏のことでした。

神戸港

ペーパードームの教会



2005.5.22撮影

◆1995年(平成7年)9月
     〜2005年(平成17年)6月

建築家にしかできない社会貢献があると、震災で消失した神戸市長田区のカトリックたかとり教会 の仮設礼拝所建築を申し出られたのは、建築家 坂茂さんでした。

地域が復興するまで再建するつもりはないという神父を熱意で動かし、仮設集会所ペーパードームを 建設されました。

ペーパードームは直径33センチ、長さ5メートルの紙管約60本を柱にして、布製の屋根を支え楕円形の形を しています。

できあがったペーパードームでの最初のミサは震災の年の1995年。
それから10年、人々の集う場所になりました。

ドームは2005年6月に解体され台湾中部大地震の被災地へ移送されました。

台湾でのドームの建設は2007年9月完成予定。
(追記:完成は遅れ2008年9月完成 台湾被災地 南投県桃米村
阪神淡路大震災で被災した神戸の住民ら約30人も台湾での完成式典に訪れました。)

また被災地の人々のお役にたちます。

ペーパードームの仮設礼拝所があった、この地には、2007年5月、やはり坂茂さん設計の新しい教会が たちました。
復活した鷹取教会

神戸市長田区 

市民還元神戸ワイン

◆2005年(平成17年)6月10日

神戸みのりの公社は神戸ワインの発売20周年を記念して367円の格安ワインを売り出しました。
4万本の限定。赤白2万本ずつ。
赤は2004年産に白を加えて、白は96年と2002年、2003年をブレンド。
在庫一掃を兼ねて市民に格安でといううれしい話だったのですが、当日は1時間で売り切れてしまったようです。
ほとんど予約で完売状態でした。
輸入物の安いワインに押されて神戸ワインは割高感があり味には定評があるものの、苦戦を強いられていました。
神戸ワインのおいしさをわかってもらえて販売が順調に伸びたらいいなと願っています。
それにしても市民還元とはいいながら市民にはいきわたらず、発売前から完売状態で市外に多く出回り、ネットで後日 多くのカートン数が販売されているのは、少し??でした。

エコカーフェスタ2005 


◆2005年(平成17年)5月21日
     〜
2005年5月22日

建設中の神戸空港にてエコカーフェスティバル2005が開催されました。

レース、ラリー、ジムカーナの三種類で順位が競われます。
マシンのスピード、コーナリング性能、走行効率、チームワークの総合で競われるのですが、 まだ開港していない広い広い神戸空港での開催はそれは気持ちのいいものでした。

神戸空港へのアクセスはまだ整備されていないため、ポートアイランドの南公園駅よりの シャトルバスで向かいました。
ちびっ子ソーラーカー体験やエコカー試乗会も行われ、建設中の神戸空港見学を兼ね 多くの人が訪れました。

神戸市中央区 神戸空港建設地


こうべ源平バス




◆2005年(平成17年)3月19日(土)
     〜2005年5月8日(日)

NHK大河ドラマ「義経」の放映に合わせて須磨区内にある源平ゆかりの史跡と観光施設を回る「こうべ源平バス」が 期間限定で運行されました。

期間は上記の土日祝日限定。

ルートは次の通りです。

須磨浦公園→須磨一の谷→須磨駅前→須磨寺→須磨寺公園前→離宮公園→村雨堂→綱式天満宮→須磨水族園→ シーパル須磨→須磨駅前→須磨一の谷→須磨浦公園となっています。

運賃は大人200円、子供100円。
使用バスは「こべっこ2世号」のボンネットバスでした。

須磨は源平の史跡が多いことをあらためて知らされました。

神戸市須磨区 

三宮交通センタービルからマルイへの陸橋開通式

開通式の様子


工事中の様子2004.1.29撮影

◆2005年(平成17年)4月29日

交通センタービルからセンター街方向へは信号を渡る方法、サンチカにもぐっていく方法、そして 新たに交通センタービルの2階からマルイに渡っていく方法ができました。
これで一挙にマルイに向かう人が増えるでしょうか。

雨のとき、地上を通行するとき傘がわりになる通路ができたということは いいことです〜。(笑)

神戸市中央区三宮 交通センタービル南側

星になった子象のモモちゃん


◆2004年(平成16年)3月2日〜
     2005年(平成17年)4月25日

2005年4月25日夜、急死。
国内の動物園で初めて生まれた王子動物園のインド象モモちゃん。

2004年3月にズゼ(雌)とマック(雄)との間に生まれました。
生後8ヶ月の11月にボール遊びをしていて脚を痛め立てなくなりました。
体重が重いため内臓が圧迫されて弱ってしまったようです。
大きな象が動けなくなるのはこんな事態になると初めて知りました。
飼育員さんたちは床ずれにならないように懸命の治療を続けられたそうです。

画像は2004年6月のものです。 生まれてからもなかなか会うことができず、皆は待望の日本初のインド象の赤ちゃんと対面するのを楽しみにしていました。
やっと公開され多くの人たちがももちゃんに会いにいきました。
恥ずかしがりやのモモちゃんなのかなかなか姿を見せてくれず、やっと撮影できた画像です。
これからの成長が楽しみだったのに本当に短い生涯でした。
モモちゃん、天国でうんと遊んでください。合掌

折りしもモモちゃんが急死した日は、JR西日本福知山線の悲惨な事故が起きた日でした。
心より犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。

神戸市灘区 王子動物園

ポーアイ西バース 再開発初のRORO船

2001.9.22撮影
世界一のコンテナターミナル
があった風景

◆2005年(平成17年)4月21日

ポートアイランド コンテナターミナル跡地(旧PC-4,5)にRORO船 Nilolay Przhvalskiy 8,467トンが ロシアに向けて出港しました。(寄港地:神戸、大阪、ウラジオストック)

昭和50年の神戸港のコンテナ貨物取扱量は輸出598万トン、輸入485万トン、合計1,083万トン。
コンテナ取扱貨物量世界一のコンテナ港に成長しました。
好調を続ける神戸港のコンテナ貨物取扱いをポーアイ西のコンテナターミナルが大きな役割を担いました。
比率は徐々に下がってきていても、それでも震災前までは なお神戸港は世界第六位のコンテナ貨物取扱量でした。
しかし、世界のコンテナ輸送船の大型化に伴いポーアイの西バースの役割は終わり、2001年の終わり頃より バースの再編が始まりました。

再編なった新しいコンテナターミナルの北側は大学が進出し、その南側は新たに神戸港に増えてきた 建機輸出等の拠点ともなります。
その新しい出発の輝かしい第一船の船出でした!
神戸市中央区 ポートアイランド 

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