★ あの時 神戸に
こんなものがあった!
その8

神戸にこんな建物があった…。
神戸にこんな会社があった…。
しっかりと記憶にとどめたいと思います。

ピンク色にされたフィッシュダンス


◆1987年4月2日〜2005年4月20日(お色直し完了)

メリケンの鯉のオブジェ「フィッシュダンス」
元はグレーの鯉だった!

このオブジェは神戸港開港120年を記念して世界的建築家であるカナダのフランク・ゲーリー氏が制作されました。
しかし海からの潮風でさびで真っ赤になり1999年(平成11年)にさび止めのためにお色直しをされました。
この時になんとピンク色になったのです!
塗られたばかりの時は鮮やかなピンクいろだったのでしょうが、いつのまにかまたさびが出てピンク色だということも気がつきませんでした。(汗)
これは制作者の本意ではなく不満をもらされたようです。
いや、これはアートですからね。
上から2枚がピンク色だった鯉のオブジェ。
一番下が今回お色直し完了した制作当初のグレーの鯉です。

場所     :神戸市中央区波止場町1-3
所有者    :社団法人 神戸港振興協会
竣工年月日:1987年4月
設計者   :フランク・ゲーリー
監修    :安藤忠雄
高さ    :約22m
塗り替えは今回で竣工以来7度目

  

まるい地球 出会いの門

◆2005年4月18日〜4月24日

三宮センター街南の三宮中央通、出会いの門。
これは2003年4月25日に設置されたものですが、当初のデザインにはこの上に乗せる球体がありました。

2005年4月18日、櫨谷小学校児童や神戸芸術工科大学の学生たち40人によって直径5mの球体を作り上げクレーンでこの上に乗せました。
この球体は地球。この不安定な世界情勢の中、皆で地球を支えようというメッセージでした。
一週間だけの限定の設置でした。

この出会いの門は、この地が古くは西国街道の要所であり南は神戸開港以来の居留地、西は華僑の人たちの 南京町、北には旧神戸移住センターがあり遠く南米等に移住された方々が出発までの日々をすごされた ところでもあります。
この地はちょうどその中心に位置し、まさに世界の人々が出会いを求める出会いの門だったということから このモニュメントの設置を考えられました。
この「出会いの門」はアフリカのブビンガという環境に優しい温かみのある大木を使って作られました。
このモニュメントの木はやがては朽ち果て消えるでしょうが、200年後アフリカに植樹されたこのブビンガの 木が大きく育ち再び神戸に帰ってくる…そんな壮大な夢をたくし、製作された方々はアフリカに苗を植えに行かれました。
素晴らしいロマンの出会いの門、大切にしたいです。 なお、この木はまるい1本の原木を縦に4つに割り、中心部を外側に向けて(内なるものを外に向けて) 新たなる出会いを求めるという意味だそうです。

不二家元町店


◆〜2005年(平成17年)4月15日

元町の不二家は元町通り1丁目の山側にありました。
子供の頃、不二家の喫茶店に連れていってもらうのがとても楽しみでした。
パフェなどの華やかなスィーツと洋食が注文でき、子供の頃はパフェやプリンをよく食べました。
不二家の目印は店の前のペコちゃんの等身大?のお人形です。
よく頭をたたきポコペコと頭を振るのを楽しみました。


営業終了の貼紙をみたときはがっくりしました。
いつまでもあるのは当然と思っていたお店だったのです。

跡地には2006年3月29日、サンマルクカフェが入りました。

神戸市中央区 元町通1丁目山側

阪神電車開業100年


◆1905年4月12日〜

2005年4月12日(火)で100周年
明治38年(1905年)4月12日午前5時阪神電車の一番列車が発車しました。

当時は三宮ー出入橋間を90分(同年9月には72分)で結びました。
その頃の阪神三宮駅は木造でした!
以後100年でスポーツ、レジャー、ホテル等に事業を広げ、阪神電鉄グループを形成。
昭和8年(1933年)6月に岩屋ー三宮を地下化。
これにより本線は専用軌道となり梅田ー三宮間を35分で走れるようになりました。
平成7年(1995年)の阪神淡路大震災では大きなダメージを受け、高架から落下した車両を多く目にしました。
不通区間も必死の復旧作業によりその年の6月26日に全線開通。
震災前まであたりまえのように走っていた電車が走行する姿に感動したものです。
電車の先頭につけた100周年の記念ロゴマークは開業時の旧1形車両(群青色)をモチーフにした 車両正面図が描かれています。

布引貯水池改修 100余年ぶりの池の底!

◆2001年8月29日〜2005年3月31日
1995年の阪神淡路大震災による被害を布引堰堤(布引ダム)も蒙りました。
が、幸いなことに布引堰堤は堰堤軸が南北方向であったため、また冬季であったため水位が−5.6mであったこと等に より最大の被害を蒙ることはありませんでした。

が、しかし、漏水被害が大きくなってきたため、 平成7年(1995年)9月2日〜平成9年(1997年)3月31日に震災後初の堰堤補強工事が行われました。

平成13年(2001年)8月29日より堰堤の水を抜き、体積土砂を撤去する堰堤の建設以来の大改修工事が なされました。
貯水池内の堆積土砂約20万立方メートルを搬出、貯水容量を約60万立方メートルに増やしました。

堰堤の完成が明治33年ですから実に100余年ぶりに貯水池の水が抜かれ池の底が現れました!
この工事には景観に配慮し、また明治の先輩達の今でも驚く技術を最大限に残してやりとげるという 非常に綿密な計画が立てられ貴重な土木遺産を残すという工夫がいろんなところに見られました。
神戸市水道局の皆様、素晴らしいお仕事、ありがとうございます。

改修の様子はこちらで
神戸市中央区 布引貯水池

たった2年の「Yahoo!BBスタジアム」

◆2003年4月〜2005年3月末

2年前までは「グリーンスタジアム神戸」
突如、命名権なるものの行使で名前が「Yahoo!BBスタジアム」となりました。
広告料が球場維持費となるということでプロ野球では初の試みでした。
その2年後ソフトバンクの孫社長は新たにダイエーホークスを買収し、神戸のこの球場の命名権を更新しないことになりました。
写真は2年前、名前が変わったために表示が間に合わず、急遽セロテープで止められた駅前の表示です。 
この球場は2005年4月から神戸空港への乗り入れを表明しているスカイマークエアーラインが命名権を獲得。
「スカイマークスタジアム」となりました。

神戸市西区

神戸電鉄 菊水山駅休止


最後の写真はHiisanにいただきました。
菊水山上からの撮影です。

◆1940年10月5日〜2005年3月26日(土)

神戸電鉄 菊水山駅休止
以下のように告知がありました。

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平成16年 9月24日
菊水山駅の営業休止について
神戸電鉄では、有馬線菊水山(きくすいやま)駅の営業を休止することといたしましたのでお知らせい たします。
概要は下記のとおりです。


1.休止時期
平成17年3月下旬
2.休止理由
同駅につきましては、永年にわたりご愛顧いただいておりましたが、お客様のご利用が著しく少なく、 今後もこの状況が続くと予想されるため。
3.菊水山駅の概要
(1)所 在 地
神戸市北区山田町下谷上字中一里山11−6
(2)開   業 昭和15(1940)年10月5日
(3)1日の平均乗降人員
18人
以上
************************

山の中の小さな駅。 六甲縦走の時だけは通過点にあたるため駅周辺は多くの登山者でにぎわいました。
全国的にも秘境マニアには有名らしくHPを検索すると遠いところからも来られていたようです。
ほとんどの電車がこの駅に止まらなくなっているので、この駅に降り立つことは非常に時間的に難しく、へたをすれば帰りの 電車がなくなるような状況でした。
この付近からは神戸電鉄から川の流れを見下ろすことができ、ほんの市街地から10分ほどで山の中に迷い込んできたような 変化に富んだ眺めが見られるところです。
駅のベンチにはノートが備え付けられ、さまざまな人々のコメントが書き綴られていました。
小さな山の駅を惜しむ声でいっぱいでした。

まるで宝石箱 パルデメール


2001.9.22撮影 
このころはウッドペッカーの
ペインティング


2004.10.23撮影

◆1990年〜2005年3月4日
684トン 旅客乗員460名
神戸港の遊覧船の中でもひときわ目立つ存在でした。
設計事務所が宝石箱をイメージして設計。
パルデメールとは「海の真珠」を意味するフランス語だそうです。

吹き抜けのロビー、椅子は特注。
建造費20億円の力の入った豪華遊覧船でした。
レストラン船で昼は4種のコース、夜は5種のコース。
日本産業デザイン振興会の「グッドデザイン賞」も受賞。
1993年には10億の売り上げをあげたが豪華なパルデメールの建造費用と大震災後の観光客の減少により 経営母体である神戸観光汽船の経営が悪化。

2000年に民事再生法適用を申請。
2005年3月4日、裁判所に仮差し押さえ処分を受け広島に曳航されました。
フェリー高知とともに広島で寂しくつながれている様子はネットで皆さんが撮影され 胸つまる光景でした。
神戸市中央区 ハーバーランド カモメリア

フロインドリーブ 中山手本店


◆〜2005年2月16日
神戸ハンター坂に長くあった中山手本店が、2月17日より新しい店舗の本社旧ユニオン教会と統合されました。

この店の前を通ると東京や地方発送用に焼かれたパンが所狭しと並んでいるのが見えました。
きれいな新店舗、新本社になりましたが、この小さな間口のフロインドリーブがとても懐かしいです。

中山手店に貼りだされていた挨拶状です。
「毎度ありがとうございます。
「フロインドリーブ中山手店」は諸般の事情により平成17年2月17日(木)から本店と統合させていただきます。
皆様方には、ご迷惑をおかけしますがご了承のほどお願い申し上げます。
本社 中央区生田区4丁目6-15」

神戸市中央区 ハンター坂

遊覧船 ベイ・ムラマサ

2003.7.26撮影


2003.7.26撮影 


2004.4.24撮影

◆2003年7月19日〜
     2005年2月

神戸港にあまり見かけない平たい船が2003年7月神戸ベイ・クルーズに就航。
見かけない姿だと思ったら川船だったようです。
川船は橋をくぐり抜けないといけないのでこんな形をしているようです。
かっこいい名前だったので由来を知りたかったのですが、わからないまま2005年2月に横浜に行ってしまいました。

乗船すると天井が低く、波が近いのでしぶきが窓にかかりました。
今は元気で横浜にいます。

神戸市中央区 神戸港

震災10年展 「守れ命を」及び 国連防災世界会議開催記念フォーラム




◆2005年1月17日

震災10年の催しの一つです。
ポートアイランドの展示場にて、震災10年展「守れ いのちを」。
震災時の写真の展示、及び防災、減災についてのフォーラムが行われました。

国際会議場では「減災と情報フォーラム 情報は人を救えるか」というテーマで討議されました。
これは神戸で行われる国連防災世界会議開催記念としてのフォーラムです。

また震災時におけるラジオの役割についての「ラジオ・フォーラム」も開催され多くの人たちが参加し、 災害時のラジオの役割を再認識することができました。

神戸市中央区 ポートアイランド 

震災10年の1.17

◆2005年1月17日
震災10年の行事は2004年の年末くらいから始まっていました。
10年の月日が流れた神戸は朝から夜まで祈りが続きました。
報道陣も市民の追悼会場である東遊園地にぎっしりとつめかけ、朝から2回目の5時46分の黙祷から7時のニュースまで 取材が続きました。

震災からもう10年、まだ10年。。。

神戸市中央区 東遊園地 

南京町震災復興の象徴 西安門

2004.12.19日撮影 お披露目前


◆2005年1月15日
2005年で阪神大震災から10年。
南京町では老朽化した古い門を撤去し、「南京町復興の象徴」として高さ約9m、幅約5mの「西安門」が 建設されました。
金色の瓦、大理石の柱が使用され、北総時代にあたる1000年頃の建築様式をもとに設計されました。
北宋時代は中国で最も商業が栄えた時代だといわれています。
その北宋時代に栄えた中国の河南省開封市から取り寄せた瓦や装飾物で建設されました。

内側の額には復興を意味する「光復」の二字が記されています。
「西安門」の文字は井戸兵庫県知事、「光復」の文字は矢田神戸市長の筆です。

神戸市中央区 南京町 

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