★ あの時 神戸に
こんなものがあった!
その6

神戸にこんな建物があった…。
神戸にこんな会社があった…。
しっかりと記憶にとどめたいと思います。


さよならキンシコウ

◆1992年(平成4年)〜
     2004年(平成16年)1月12日

1992年(平成4年)中国の天津市の北京頻危動物馴養繁殖センターから2頭を借り受け中国側と10年間の共同研究がすすめられていたキンシコウが中国に返還されました。
10年間の契約で2002年5月に終了の予定だったが2002年は日中国交回復30周年にあたり、また神戸市と天津市交都市締結30周年にあたっていたため返還が延長されていました。

その成果はオス2頭、メス2頭の出産が成功という大きなものでした。
それは1983年3月に中国以外で世界初となる赤ちゃんが誕生したのです。
その世界初の赤ちゃんアイアイは残念なことに阪神大震災の3ヵ月後に亡くなってしまいました。

今回返還されたのはそのアイアイのお母さんであるウェンウェン、それから神戸で生まれた4頭のうちの一頭であるリュウリュウ、そのお父さんであるケンケンです。
神戸を離れても神戸のことを思い出して!
神戸生まれであるリュウリュウ。
生まれ故郷の神戸を忘れないで!

写真上から
★ウェンウェン1992年5月13日来園(1980年中国生まれ)
★ケンケン  1999年12月30日来園(1994年中国生まれ)
★リュウリュウ 2001年5月3日 神戸王子動物園生まれ

神戸港第四突堤交番

◆〜2003年(平成15年)

  2003年11月末をもって神戸港臨港線は廃止されました。
神戸港第四突堤の根元、臨港線の第四突堤への引き込み線の根元のところに第四突堤交番がありました。
たいていは無人の交番だったのですが、神戸港の臨港線最盛期の頃は重要な交番だったと思われます。
臨港線がなくなってからしばらくして更地になり、看板が立ちました。
第四突堤交番は移転しました。
京橋ランプ入口南方です。
新港交番と名称を変更しました。
神戸水上警察署

神戸市中央区 神戸港第四突堤根元

北野浄水場跡

◆1900年(明治33年)〜2003年(平成15年)

神戸水道の正式給水開始は明治33年でした。
神戸開港によって急速に膨れ上がる神戸市の人口。
水道施設の完成は急務でした。

取水場は雌滝と鼓ケ滝。
雌滝取水場からの水は北野浄水場へと送水されていました。
北野浄水場へ送られていた水が奥平野へ送水されることになった時から、 長くこの施設は放置されていましたが、平成14年12月、北野浄水場跡地利用をコンペ方式に より募集しました。
その結果、神戸の街を見下ろすこの一等地はレストランを備えた結婚式場となりました。
しかし、今尚この付近には配水管等の重要な施設が布設されており、またこの敷地に 隣接するところには高層配水地、中層配水地等の施設があり常時稼動しているそうです。
神戸市中央区 北野町

ハードロックカフェ神戸

◆1999年4月(平成11年)
     〜2003年(平成15年)12月31日

ハーバーサーカスにひときわ目立ったギター
度肝を抜いたこのギターのシンボルとともに国内5号店としてopenしました。
1971年にロンドンに第1号店ができて以来世界中にそのグッズとアメリカンスタイルのレストランは親しまれています。
しかし、神戸では客足が伸びず早い撤退となりました。

そのグッズは世界中、そこでしか買えない地名入りの人気商品。マニアもたくさんいます。
この神戸店にはベッカムをはじめとするイングランドチームも来店したとか。

伝説のハードロックカフェとなりました。

ビートルズやプレスリーのプレミヤもののグッズが所狭しと並べられ、リズムにのりながらフィッシュアンドチップス。
まるでロンドン、アメリカの気分でした。

神戸市中央区 ハーバーサーカス

神戸のプラネタリウム第一号機 MS-20

◆1981年3月(昭和56年)
     〜2003年(平成15年)12月27日

青少年科学館にあるプラネタリウム投影機
ミノルタ式MS-20 多くの子供たちは折に触れこの機械で映し出された星空を見て夢を描きました。
夏の暑い時でも涼しい館内で星空を見ると別世界でつい星の世界から夢の世界へと誘われることも。(^^ゞ
新投影機GSS-KOBEに交代してからは青少年科学館入り口に飾られ、来館する子供たちを見守っています。
(注)GSS-KOBE 
神戸オリジナルの最新鋭プラネタリウム投影機。
投影恒星数 約25,000個、極限等級 7.4等級 

以下はそのMS-20の横にある説明書です。

神戸のプラネタリウム第一号機 MS-20AT

このプラネタリムム本機(天体投影機)は昭和56年3月、ここポートアイランドの完成を記念して開催された 神戸ポートピア博覧会(ポートピア’81)の人気パビリオン(神戸プラネタリウムシアター)で神戸市初のプラネタリウムとして 稼動を始めました。

その後神戸市に寄贈され「神戸市立プラネタリウム館」をへて、昭和59年4月から「神戸市立青少年科学館プラネタリウム」として活躍してきました。
22年を経過した平成15年12月27日をもって現役を退きました。
この間、教育活動や天文普及活動に貢献し、のべ約330万人もの人々に美しい星空への憧れや希望をお届けしてきました。
投影恒星数 約13000個 極限等級 約6.9等級

神戸市中央区港島中町 ポートアイランド

湊川隧道(会下山隧道)で初見学会とミニコンサート

◆2003年(平成15年)11月30日

湊川隧道は明治34年に築造された日本初の河川トンネルです。
新港川の災害復旧工事により新トンネルが2002年(平成14年)11月に完成。
河川としての役割は新トンネルが受け継ぎ、湊川隧道の役割は終わりました。

明治の近代土木遺産として一般公開ができるように隧道への入り口を整備していましたが、その工事完成を祝い 見学会とミニコンサートが開催されました。
コンサートや芸術展示はその後いろいろこの隧道で催されましたが、初の市民見学会とコンサート開催を ここに記録しておくことにしました。
トンネル内の内壁はすべて明治期に人力のみで積み上げられたものです。
初めて入った隧道はひんやりとして、地底の国に降り立ったようで明治の先人達のご苦労を偲びながら ゆっくりと歩きました。

ミニコンサートは「オーケストラ・ソノリテ」(トロンボーントリオ、弦楽四重奏)

神戸市兵庫区 湊川町9丁目

神戸臨港線

◆1907年(明治40年)
     〜2003年(平成15年)11月30日

国道二号線の南を走る臨港線。
ポートアイランドから三宮に歩くとき、神戸港駅の表示が見えるのでした。

港神戸を支えた神戸臨港線は2003年11月30日をもって最後の運行を終えました。
今後は鷹取にあるJR神戸貨物ターミナル駅に業務は統合されます。

1982年(昭和57年)11月、ひとあし先に役目を終えた湊川貨物駅はハーバーランドとなっています。
そしてこの11月30日をもって廃止された最後の東灘信号所〜神戸港駅の東の一部は震災メモリアルパークとして整備される予定です。

かつては突堤から突堤へと張り巡らされ港神戸の発展の原動力となった神戸臨港線はこれで完全に神戸の街から消えてしまいました。

90年あまりのお役目、お疲れ様でした!

神戸臨港線の歴史
正式名称はJR貨物(旧国鉄)東海道本線貨物支線
1907年、灘(後の東灘)−小野浜(約3.2km)が開業。
1928年、湊川貨物駅まで延伸。

日本初の構内食堂「みかど」

◆1901年(明治34年)〜
     2003年(平成15年)11月29日

新橋ー横浜間に日本初の鉄道が開通したのが1872年(明治5年)、その2年後の1874年5月11日大阪ー神戸に第二号鉄道が開通しました。
ここに神戸駅の歴史がはじまりました。東海道線の終点である神戸駅には皇室も多く訪れそのため貴賓室も設けられていました。
日本の列車事業食堂は明治32年山陽電鉄の直営になり、1901年(明治34年)には神戸の自由亭ホテルに、その後うけつがれた「ミカドホテル」に引き継がれ、日本初の構内食堂が生まれました。
そのためメニューは列車食堂と同じ洋食で、ハイカラ好みの神戸っ子に大人気だったとか。

最初高級レストランとして開業するもその後、大衆食堂へ。
そのころ好調であった神戸の重厚長大産業の大きな工場を南に控え、夜は酒場として多くの人に親しまれました。
しかし、平成に入り神戸の産業にもかげりが見え始め、JR神戸駅の大改修に伴い今まで南側にあったその場所を北側に移し、ビアレストランと姿を変えリニューアルをはかるも売り上げは減り、ついに閉店となりました。 店の一番奥にあった皇室が使われた「貴賓室」、どうなるのでしょうか。

JR神戸駅構内

阪神タイガースリーグ優勝神戸パレード

◆2003年(平成15年)11月3日

午後2時〜2時半、阪神タイガースリーグ優勝神戸パレードが行われました。
あいにくの降りしきる雨の中、大阪御堂筋パレードを終えた選手たちや大阪からなだれこんできた熱狂的な トラキチたちと共に三宮フラワーロード、三宮中央通り一帯は異様な興奮状態となりました。

何度も繰り返す万歳と歓声の中、41年ぶりの神戸パレードがけが人もなく無事終了しました。

詳しい模様は阪神タイガースリーグ優勝神戸パレードで。

神戸市中央区 フラワーロード、三宮中央通一帯

三代目 神戸丸

◆1991年(平成3年)
     〜2003年10月(平成15年)

四国フェリー三代目神戸丸。
1991年〜1998年の四国フェリー定期航路が廃止されるまで青木(神戸市東灘)と高松を往復していました。
定期航路を退いた後、ジャンボフェリーで予備船として使われていました。
長くポートアイランド西バース岸壁に係留されており、対岸のハーバーランドからや ポートライナーから同じようにぽつんと1基残されたキリンと一緒によくその姿が見えていました。

神戸キリン物語にその時に様子を 記しました。

姿が見えなくなったと思ったら2003年10月に韓国へ売船されており、2004年から全羅南道高興郡鹿洞ー済州間に就航。

今もがんばって活躍していると思います。

神戸市中央区 ポートアイランド西岸壁

NHK跡 更地のジャズストリート



◆2003年(平成15年)10月

NHKのビルは震災で全壊しました。
再建されたのは2005年1月17日のことです。
更地であったこの地の板囲いにジャズストリートの絵が出現しました。
毎年この時期には、ジャズストリートの会場になったNHK神戸放送局でした。
さびしい跡地にこんな素敵な絵が!

神戸ジャズストリートはがき絵展に寄せて

神戸は日本のジャズ発祥の地といわれ、なかでもこの界隈にはジャズの生演奏が聴けるお店が たくさん集まっています。
昭和57年に始まった「神戸ジャズストリート」は、今では神戸を代表する秋恒例のイベントとなり、 今年で22回を数えます。
NHK神戸放送局でも、当初からこのジャズストリートに参加し、「NHK神戸ふれあいパーク」として 多くのジャズメン達の演奏をこの地でお楽しみいただきました。
こうしたことから、新しくできる放送会館でも1階オープンスタジオを利用して定期的なジャズの 演奏会などを開きたいと考えています。
神戸在住の里見吉郎さんは、神戸ジャズストリートの風景をずっとはがき絵に描き続けています。
私たち神戸放送局のジャズに対する想いを込めて、ここに里見さんの作品を展示させていただきました。
今にもジャズの演奏が聞こえてくるようですね。
2003年7月 NHK神戸放送局

タイガース優勝の日

◆2003年(平成15年)9月15日

タイガース18年ぶりのセリーグ優勝を決めた日。
ポートアイランドのホテルではこんな素敵な演出をしてくれました。

新聞で優勝が決まったその日には、宿泊客の協力を得てお祝いの文字を描き出すということを 知らせていたのですが、夕方日が落ちて実際目にした光景は感動でした。

阪神電車は翌日から全列車、記念副標を掲げて走りました。
またこのような光景を今年こそみたいものです。

そしてハーバーランドのコンチェルト船上はこのとおり。
街が沸き立ち、興奮した一日でした。 

神戸市中央区 ポートアイランド ポートピアホテル

トアロードのアーチ

◆〜2003年(平成15年)


三宮神社前トアロードのはじまりにこんなアーチがありました。

これはトアロードの名の由来であるトアホテルにあったという鳥居を模して作られたということです。

そのトアホテル跡は今は外国人倶楽部となっていますが入口付近にその鳥居はあります。

柱は腐食して修理をするものと思っておりましたが、まったく新しいモニュメントに作りかえられてしまいました。

http://www.torroad.com/torikumi.htm

←トアホテルのシンボルの鳥居です。
画像提供:またの様

ポーアイが揺れたサザンライブ


◆2003年(平成15年)8月23日、24日

キリンが1頭になったポートアイランド西コンテナバース跡地で熱狂のライブが開かれました。

何ヶ月も前からライブのHPが開設され、アクセスを検討する書き込みが殺到していました。

18:00〜20:00の2時間のライブで、西岸壁は7万人の人が熱狂で飛び跳ね、人工島は少し沈下したのではないでしょうか。(笑)
ポートライナーは約130本を増設。
警備の警官、警備員は約1,700人。

神戸国際展示場がグッズ売り場となり、そこからポーアイのコンテナバース南端まで南下。
そこから西バースを北上して会場へ到達です。

延々と続く人波に、停泊していた神戸丸やキリンはさぞ驚いたことと思います。

パワフルなライブにポーアイの気温もあがりました!

神戸市中央区港島1

◆ 遊覧船 プロムナード




◆2001年(平成13年)8月
     〜2003年(平成15年)7月

プロムナード 神戸ベイクルーズ2隻目の保有船。
高速遊覧船です。
撮影日は2003年(平成15年)7月12日ですから、引退直前の写真です。
波しぶきを蹴立てて走る姿がかっこいいです。

現在は清水港でがんばっているようです。

神戸市 中央区 神戸港

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