★ あの時 神戸に
こんなものがあった!
その4

神戸にこんな建物があった…。
神戸にこんな会社があった…。
しっかりと記憶にとどめたいと思います。

コーベブックスさんちか店

◆1965年(昭和40年)
     〜2002年(平成14年)

コーベブックス さんちか店 1965年〜2002年(平成14年)廃業 設立は1963年(昭和38年)。
後のコーベブックスの前身である神戸出版販売です。
神戸出版販売は海文堂など神戸の老舗書店同士が出資してできた本屋でした。

1965年、さんちか店オープン25坪。
1967年に同じさんちか内の南に63坪で移転オープン。
交通センタービル2階にも文庫専門店ができ、阪急やJRの駅との連絡が非常に便利だったため、よく待ち合わせに利用されたりも していました。



神戸市中央区 さんちかタウン内
 

六甲天文通信館

展示物:
電気通信の展示コーナー
マルチメディアのコーナー
六甲山の歴史
六甲山の自然



画像提供:ふくださん
天体望遠鏡でコロナも見ました!



まさに1000万ドルの夜景です。
画像提供:ふくださん


◆〜2002年12月23日(月)
六甲カンツリーハウスの近くにNTTの天文通信館がありました。自動追尾装置付き50CM反射望遠鏡というのを備え、その場でその時点で見られる星を望遠鏡で見られました。親切な解説員さんが詳しく解説してくださる無料の施設でしたが、突如閉鎖になりました。
近辺には十国展望台もあったのですが、これも施設の老朽化で閉鎖になりどうやらここら一帯はまったく新しい展望施設をそなえた公園になるようです。流星観察の夜には資料つき、解説つき、缶コーヒーつきで宿泊料¥1,000で宿泊させていただけたアットホームな通信館でした。閉館は惜しいです。
入口を入ったところに次のようなメッセージが掲げられていました。

六甲天文通信館 誕生
電話事業満100年を祝い 国際都市みなと神戸を望む
六甲山上に
最新鋭天体望遠鏡を据える

ここNTT六甲無線施設は 電波の交差点
数多(あまた)のアンテナをとおして
メディア信号群が行き交う

「六甲天文通信館」
1000万ドルの夜景の上 遥かにきらめく星座を追い
ドームのスリットを開ける

50センチのレンズの力は 数億光年の彼方の天体にも 夢を馳せ
私たちの目に宇宙の神秘を
無辺虚空の一隅の地球で今
  新しい時代が 世界の人々に呼びかける
 永遠(とこしえ)の平和と万民の幸福を

人間にとって 地球はかけがえのない天体
数億年を経た生命(いのち)の歩みを
護りはぐくむ責任を負って 母なる宇宙に誓おう
星たちとのメッセージ交歓

「六甲天文通信館」
 

所在地:神戸市灘区六甲山町(六甲山頂)  

さよなら初代興興(コウコウ)

写真提供:としさん

◆2000年7月16日(来神)
〜2002年12月5日 中国帰国

 6歳の時に中国と神戸との共同研究のため、また震災で打ちひしがれた市民の心をなんとか励まそうと来神。名前も神戸の「コウ」、大震災からの復興の「コウ」、六甲山の「コウ」、神戸港の「コウ」、皆が幸せになろうという「コウ」ということで興興「コウコウ」と名づけられた。
しかし来神から2年目の2002年4月、健康診断で繁殖のための外部生殖器が確認できず、コウコウは本当に雄なのかという失礼な疑惑のため中国より検査官が来神。検査の結果、雄ではあるが生殖能力が低いと判断され、中国に返還されることになった。やんちゃな初代コウコウは皆から愛され、惜しまれながら二代目興興と交換された。中国に帰っても神戸を忘れないで。
ありがとう興興。ずっと覚えています!

神戸での居住地:神戸市灘区 王子動物園  

ポートピア大通りは広い3車線だった!

2002.6.22撮影

◆1981年〜2002年 

ポートアイランド開島以来のメイン道路です。
島の中央をめぐるポートライナーは一方通行の単線でしたが、2006年の神戸空港ができるのと同時に複線となりました。

そのため広い3車線あったポートピア大通りは2車線となりました。
ポートライナーに乗りポートアイランドに入るとき、広いこの大通りが非常に気持ちがよかったです。
特につつじの頃は本当に素晴らしい眺めでした。



神戸市中央区 ポートピア大通り  

回る十国展望台
◆1957年(昭和32年)〜2002年11月24日
六甲山上凌雲台(海抜約900m)に完成。山城、大和、摂津、河内、和泉、紀伊、丹波、播磨、淡路、阿波の10カ国が一望できるところからこの名前がついた。回る部分の外側の円盤台(直径16.5m)は満州の回転橋をモデルにしたといわれている。最大約350人を乗せ、約5分で一周する。当時このような施設は全国的にも珍しく天皇陛下や皇太子殿下もおいでになられた。ピーク時の90年には約37万人がこの風景を楽しんだが震災の年には6万人に激減。それから徐々に回復するも低迷を続け、施設の老朽化もあり撤去がきまる。中の喫茶室でお茶を飲んでいても時々つんのめる振動がレトロな感じでテーブルのコーヒーも揺れるようなものでしたが、妙にそれもなつかしく感じました。 24日には別れを惜しむ人々により「さよならツァー」も開かれたもよう。

所在地:神戸市灘区六甲山町

 

W杯ブラジル優勝応援ありがとうパレード




◆2002年10月13日

ブラジル移民がたどった道をサンバでにぎやかにパレードしました。
王者ブラジル。
強かったですね!
サッカーW杯でたくさんの応援への感謝のパレードでした。

神戸移住センターを出発し、鯉川筋を下り、メリケンパークまで。
にぎやかなパレードは元町周辺のたくさんの道行く人々を驚かせました。
このたどった移住センターから元町までの鯉川筋を「移住坂」として移民された人々のメモリアルとして 整備しようとする動きがあります。


神戸市中央区 神戸移住センター〜メリケンパーク
 

トアガーデン




◆〜2002年10月

震災で全壊したNHK跡にガーデンカフェができたのはいつの頃だったでしょうか。
トアロードにあるトアガーデン。東側は駐車場に。
ガーデンの中でほっと一息、お茶を飲んだら気持ちがいいかなと思いながらとうとう一度も入る機会もなく閉鎖になってしまって残念!
2002年10月13日〜14日のジャズストリートのオープン会場になりそれを最後にNHKのいよいよ再建が始まりました。(2002年10月)  

NHKの再建は今、基礎ができている段階ですが、建築現場を囲む塀にはジャズストリートの楽しい絵が描かれています。
そしてその塀にはNHK神戸放送局の歩みとこんな言葉が書かれていました。

「そして2005年1月17日(震災10年)NHK神戸放送局は再びトアロードに帰ってきます。」
(2003年10月)

所在地:神戸市中央区 トアロード  

コウズ最後の日


◆1992年10月〜2002年8月31日

「コウズ」は創業者である中内功氏の名前にちなんで名づけられました。

ハーバーランドに広大な会員制量販店が出現しました。

震災で壊滅的な被害を受けたダイエーは、多くの店舗を整理し、1995年3月ハーバーランドの「コウズ」を ポートアイランドのバンドールの敷地に移し、その年の8月から24時間営業を開始。
営業悪化により2002年8月31日に閉店しました。

最後の日は閉店を惜しむ人たちが入り口に集まり、シャッターが降りたあともたたずんでいました。

コウズの閉店と共に、エキゾチックタウン内の飲食店も2〜3の店舗を残し、閉店してしまいこの付近は 長く建物だけが残されたゴーストタウン状態になりました。

所在地:神戸市中央区ポートアイランド
 

ピエロがいた日

◆〜2002年8月

ハーバーランド、スペースシアターのエレベーター前にピエロがいました。
(ハーバー)サーカスだからピエロがいたのでしょうか。

いつもそこにいるのが当たり前だったピエロ。
まさかいなくなるとは。
カムバック!ピエロ君。
あなたがいなくなって寂しくなりました。
失踪時期は2002年4月7日〜2002年8月31日の間のようです。
のんきさんが失踪前のお写真を撮ってくださっていました。
WANTED!! 君はどこに?

所在地:神戸市中央区ハーバーランド
 

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