★ あの時 神戸に
こんなものがあった!

神戸にこんな建物があった…。
神戸にこんな会社があった…。
しっかりと記憶にとどめたいと思います。

London Bus Kobe 「夢の落書き」プロジェクト





◆2013年(平成25年)2月23日(土)、24日(日)


三宮センター街に突如現れたロンドンバス。
ロンドンバスの車体にあなたの夢を落書きに!というイベントです。

この夢の落書きを描いたロンドンバスが神戸市内を走りまわるという企画。。。ではなくこの上に塗装し直したバスが神戸の街を走り回るというもの。

3月にみなとのもり公園で行われた食の遊園地「神戸アミュゼ」でも展示されていました。

このロンドンバスは英マンチェスター市内で実際に運行していた1964年製の2階建てロンドンバスだそうです。
高さ4.4m、長さ8.4mで、イベント企画会社が購入。
どうして、落書きかというと、塗装し直すまえに車体へ将来の夢などを描いてもらおうというもの。
2日間で通行人など約2,300人が参加しました。

皆の夢を乗せたロンドンバスが神戸市内を早く走り回ってほしいですね。

神戸市中央区三宮センター街 2013.9.20記

ジョイプラザ、大丸新長田店 閉店



◆1977年(昭和52年)4月
     〜2013年(平成25年)1月31日(木)

住宅都市整備公団(現・UR都市機構)が「一般市街地住宅方式」により新長田駅前ビルを建設。
うち商業施設部分を財団法人神戸市都市整備公社(現・神戸すまいまちづくり公社)が「ジョイプラザ」として 物販店、飲食店などのテナントを誘致し、運営。

1977年4月に開業。

地下1階から地上2階部分は大丸新長田店がテナントとして入りました。
新長田地区は阪神・淡路大震災で非常に大きな被害を受けたところでしたが、大丸新長田店は震災2日めには早くも一部食品などを販売し、地域の住民のために貢献しました。

しかし、震災後の地域人口の減少の影響で売り上げも減少、閉店しました。

37年間にわたり、地域の核となりにぎわいの中心であり続けました。

神戸市長田区新長田駅前
2013.10.7 記

ケーニヒスクローネnext店の建物



◆1982年(昭和57年)
     〜2013年(平成25年)1月31日


1982年ケーニヒスクローネ三宮店としてオープン。
1987年にケーニヒスクローネNEXT店となりました。
この建物が建替え工事による休業。
長く親しまれて、商品の紙袋にも描かれたこの建物がなくなりました。
1階でスィーツとコーヒーを求め、2階でゆっくりと過ごせた懐かしい建物。 
3階建ての華やかな印象でした。
2階のセルフサービスの喫茶室「ドン・リカルディーナ」はケーニヒスクローネ随一の広さを誇り 100席以上もありました。

神戸市中央区三宮町2-3-10
2014.10.13記

明治屋神戸元町ストアー 閉店



◆1899年(明治32年)
     〜2013年(平成25年)1月20日


神戸元町商店街に1世紀以上も営業を続けた、老舗商店が閉店しました。
輸入食材店として、珍しい外国の食品を販売し、ハイカラ神戸の象徴でもありました。

しかし、珍しい輸入物も近年では、どこでも手に入るものとなり、売り上げも減少。

とうとう閉店となり寂しい限りです。

開店当初は元町通1丁目にあったが、手狭になったため1913年(大正2年)に現在の元町2丁目に移転。
第二次世界大戦の末期1945年6月5日に大空襲で焼失したものの、翌日には兵庫区新開地の高架下に拠点を移し 営業を続けたと100年誌には記されているそうです。

閉店の挨拶は以下の通り。
当神戸元町ストアーを永年に亘りご利用、ご愛顧頂き深く感謝御礼申しあげます。
さて当店は誠に勝手ではございますが、店舗の賃貸借契約の終了に伴い、平成25年1月20日限りで閉店させて戴きました。
皆様にはご不便をお掛け致すことになりますが、何卒ご理解賜りますようお願い申しあげます。

またしても、元町らしいハイカラな老舗を失ってしまいました。

神戸市中央区元町通2-6-3
2013.10.7記

「KOBE de 清盛」のヘッドマーク



◆2012年(平成24年)3月17日
   〜2013年(平成25年)1月14日


「KOBE de 清盛」キービジュアルヘッドマークを掲げた地下鉄の電車が走りました。
西神・山手線27編成(オリックス試合時を除く)、海岸線4編成の地下鉄電車につけられました。
このヘッドマークはかっこよかったですね♪

神戸市地下鉄沿線
2014.9.10記

ハーバーランド ドラマ館






◆2012年(平成24年)1月21日
     〜2013年(平成25年)1月14日


ハーバーランド会場にできたドラマ館は大河ドラマ「平清盛」の放送と同期し、ドラマを紹介する映像や パネルの展示、出演者たちの紹介、衣装や小道具の展示などのあるパビリオンです。

そしてドラマの舞台であり、清盛ゆかりの地である神戸を紹介するパビリオンでもありました。
パビリオンの中は撮影禁止だったのですが、松山ケンイチさん扮する平清盛の等身大フィギュアが圧巻でまるで本物。
松山さん本人が感心するほどの出来ばえで、来館者を驚かせました。
パビリオン内では唯一、このフィギュアだけは撮影OKだったので、一緒に並んで撮影される方も多く大人気でした。

またパビリオンの外ではいろんなグッズやパネル展示が人気で、楽しいフロアになっていました。

また福原京再現のCGとジオラマは素晴らしく、ドラマ館が閉館されたあと、神戸海洋博物館に移設され展示されています。

神戸市中央区東川崎町1-3-3 ハーバーランドセンタービル内

蝶紋広場

2013.1.13撮影


2013.1.31撮影




◆2012年(平成24年)1月
     〜2013年(平成25年)1月14日


蝶紋広場

清盛隊がいつも出現していた広場です。

歴史館の横にあり、平安の世から平成の世に清盛隊が現れたところ。
いつも蝶紋広場の周囲にはたくさんの人々がいました。

ここで清盛隊は平成の世の人々と交流し、なんと運動会も行われました。(笑)

1年間の清盛隊の活動の後、歴史館は取り壊され、跡には蝶紋広場が寂しく残っておりました。
神戸中央市場跡に現れた1年間だけの夢でした。


2012.4.1撮影

神戸市兵庫区 神戸中央市場本場跡 「歴史館」前 蝶紋広場

神戸清盛隊 平安の世から平成の世に



◆2012年(平成24年)1月
     〜2013年(平成25年)1月14日


神戸の観光をPRする神戸清盛隊。
2011年8月にオーディションを行い男性6人、女性1人の構成で結成されました。
平安の世からやってきた 結成から1ヶ月、神戸の歴史やダンスを習得し、9月29日に市役所でお披露目式を実施。

リーダーの平清盛を筆頭に長男・平重盛、三男平・宗盛、四男・和盛、五男・重衡、甥敦盛、 そして年齢性別不詳のGIONの7人。
GIONは平安の世から平成へ清盛たちを呼び寄せて、物語の進行のストーリーテラー的な役割です。

主に活動は兵庫区の「歴史館」前の蝶紋広場で行われ、多くのファンがつめかける人気者になりました。

2013年1月14日の「KOBE de 清盛2012」の閉幕と共に解散し、平安の世に帰っていきましたが 復活の声が多く聞かれました。

平安の世に帰る時の挨拶の動画です。↓
「KOBE de 清盛」最終日 清盛隊の挨拶

神戸市兵庫区 神戸中央市場本場跡 「歴史館」前 蝶紋広場

神戸水上警察署の玄関柱頭レリーフ





2005.7.9撮影


◆〜2013年(平成25年)1月13日


2013年1月13日にポートアイランド北公園に移転した神戸水上署ですが、その玄関の柱頭にレリーフがありました。

玄関柱頭のレリーフ
このレリーフは、当庁舎建築に際し彫刻家 林 康夫氏(大阪芸術大学教授)が
「日夜公平中立の立場で明るく誠実に、神戸港の安全を守り、勇気ある決断と行動、さらには 冷静沈着に治安の維持にあたる神戸水上警察署」
をシンボライズしたものです。

と、説明書にあります。

神戸水上署は解体されて、この柱頭のレリーフはどうなったのか気になっていましたが、ポートアイランドの 新水上警察署の玄関を入ったところに移設されてありました。

今度の場所は建物の外観からは見えないところです。

この柱頭のレリーフが元はどこにあったかを記録するために、「神戸にこんなものがあった!」に 登録することにしました。

神戸市中央区波止場町1番4号 旧神戸水上署 2013.9.24記

神戸水上警察署 波止場町庁舎


2014.9.14現在の跡地
南側から北側を望む


◆1980年(昭和55年)11月5日
     〜2013年(平成25年)1月13日


管轄区域は陸上では神戸市中央区の一部。
(ポートアイランド・神戸空港島は全域)
水上面では神戸港、及びその他神戸市沿海一円。

ポートアイランドの交番も水上警察の管轄です。
庁舎移転により2013年10月に取り壊し中の旧庁舎の礎石から埋められていたアルミニウム製のタイムカプセルが 発見されました。

33年前に埋めたタイムカプセルには27代前の署長の坪田さんの書による銅板や当時の署員207人分の名簿がありました。
解体を知ったOBからの知らせで礎石を割るとアルミ製のタイムカプセルが出てきたそうです。
礎石を埋めた日は1980年11月5日。
その日の新聞も埋められ、「王貞治選手、現役を引退」を伝えていました。

移転後の旧庁舎の跡地は公園になり、旧居留地の山手の方からも海が見えるようになります。
ここは明治の初め、居留地ができたとき、神戸に住む外人が散歩した海岸通りです。

神戸市中央区 海岸通り

神戸にこんなものがあった!目次