◆ 王子動物園 夜桜通り抜け |
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神戸市有数の桜の吊所、王子動物園で行われる夜桜通り抜けは
入園者の飲酒問題でいったん中止になったのですが震災後の1998年に
29年ぶりに被災者を励ますために再開されました。
昼間に見る桜も見事ですが、夜ライトアップされた桜は幻想的で
独特のものがあります。
桜のライトアップと共に園内で公開されている旧ハンター邸も一緒に
ライトアップされ来園者を楽しませてくれます。
ライトアップに経費もかかるため、数年前から夜桜通り抜けのイベントの
ための募金も開始され、今年も1人100円募金が実施されました。
強制ではありませんが、来年もまたこの素晴らしい夜桜に出会えますようにと
来園者のほとんどの方が募金をされていました。
ありがとうございます。
通り抜けは昼間の入園が終わった後、午後6時~9時(入園は午後8時まで)に行われます。
桜の開花にあわせて、3日間実施される神戸の恒例のイベントとなりました。
神戸市灘区 王子動物園
2010.4.5記
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◆ 通り抜けてもええんやで~ |
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須磨海岸は夏になると海の家が建て込みます。
JR須磨駅から見ても海の家が目の前に並んでいます。
駅の構内から海側に降りるともう砂浜なのです。
でも海の家がすぐに建っているため海に出られそうもありません。
そんなとき、この看板が優しく海へ誘ってくれます。(笑)
「通り抜けてもええんやで~《
JRに乗っていてもこの看板が目に飛び込んでくるので、いつも笑ってしまいます。
神戸の須磨海岸の夏の風物詩でしょうか。
神戸市須磨区 須磨海岸
2010.1.10記
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◆ 神戸ジャズストリート |
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1982年にはじまった神戸の秋の風物詩。
年中ジャズが流れる北野ですが、とくに秋は、神戸北野はジャズ一色になるのです。
生みの親はラジオ関西に勤務しておられた末廣光夫氏。
そこでの市民の熱狂をみてこの企画を思いつかれました。
北野坂のライブハウスや付近の施設を使い、ライブハウスをめぐり文字通りジャズストリートになった
神戸の街をめぐります。
毎年海外に出向き、神戸ジャズストリートに招待するジャズメンを発掘されます。(笑)
その後、全国にできたジャズフェスの先駆け的な存在です。
10月の2日間に行われるジャズストリートのオープニングは三宮駅北側の北野坂のはじまりから。
ジャズメンたちと一緒に上る北野坂は誰もがスィングする楽しい坂なのです。
神戸市中央区北野界隈
2009.12.10記
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◆ ダイエー発祥のサカエ薬局 |
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西区の流通科学大学内に中内記念館があります。
その中に兵庫区東出町にあったサカエ薬局が移築されています。
1階は店舗で2階が中内家の住居でした。
延べ面積が50㎡ほどの小さな店舗兼住居ですが、ここから流通革命を起したダイエーが生まれました。
中内記念館 サカエ薬局
神戸市西区
2009.1.22記
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◆ 乙仲通 |
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栄町通りの北側に細い路地のような道路があります。
東端は元町大丸の東を通る南北の鯉川筋。
古くから「乙仲通《の俗称で親しまれていましたが、このたび正式吊となりました。
「乙仲《という吊称が生まれたのは昭和14年。
当時海運貨物を取り扱う業者はすべて海運業と呼ばれていましたが、政府は戦争目的に即した活動ができるようにと
汽船海運業、帆船海洋船海運業、水上小海運業、海運仲立業の4つにまとめられました。
また海運仲立業は甲種と乙種とに分けられました。
甲種は船舶売買の仲介業者、乙種は船舶運行業者と荷主の間にたって貨物受け渡しを行う仲立業者で正式吊は
「乙種海運仲立業《略して「乙仲《と呼ばれました。
乙仲通にはこの「乙仲《業者の会社がたくさん集まり、港の業務を行っていたのですが、震災で多くのビルが倒れ
その後はパーキングになり、また前の海は埋め立てられメリケンパークとなり会社がここにある必要性もなくなってきました。
しかし、最近はこんな空きビルに雑貨を置くお店が増え、一見して普通の通りなのですがビルの2階、3階にも
店が入る独特の町並みになってきています。
町並みは変わっても「乙仲通《という吊称の継承から、かつてここはどういう場所であったかということを
記憶することができました。
神戸市中央区
2009.1.21記
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◆ 水陸両用船 スプラッシュ号 |
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2007年10月、全国初の定期観光事業として運行が始まりました。
スプラッシュ1号。
4.9トン。全長約9m。定員20人。
2008年8月からはスプラッシュ2号も登場しました。
約10kmを1時間20分のコースで回ります。
このスプラッシュはもともと米国のゼネラル・モーターズ社が第二次大戦中の1943年に軍事車両として製造された
ものだそうです。
実戦には使われずハワイに保管されていたものをダックツアー・タイコー社が輸入しました。
旧居留地や北野異人館街を通り抜けハーバーランドのはね橋のところから海に入ります。
海に入るときは、皆でカウントダウンを唱和し、船中の人も見守る周囲の人も緊張の一瞬。
モザイクの少し沖あたりに出て行くだけですが、海から神戸の街を眺めることができ海も山も楽しめる
神戸のいいとこ取りのコース。
神戸に観光に来られた方には是非お勧めですが、地元民にも大人気だそうです♪
神戸市中央区
2009.1.21記
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◆ 旗振山 昔は米相場、今は防災行政無線の中継所 |
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旗振山は昔、大阪の米相場を西の加古川、岡山に知らせる中継地だったそうです。
この場所は東は須磨海岸の海岸線、その向こうには大阪方面が望めます。
江戸中期から大正時代まで、畳一枚ほどの旗が振られ、なんと大阪から広島までを速報40分で伝えたといいます。
現在は1997年、頂上に本州四国連絡橋公団の無線中継所が完成しました。
各地の道路情報を、神戸・三宮の本社や管制センターへ配信しています。
通常は光ファイバー網で伝えているが、地震などの有事に備えて常に稼動させているそうです。
県も2005年、防災行政無線を六甲山上の無線局に加え、この中継所にアンテナを新設しました。
個人的に一番好きな時期は2月、3月。
菜の花越しに見える神戸の山々や街の様子はいくら眺めていても足りないくらい素晴らしいものです。
寒いですけど。(笑)
神戸市 須磨区
2009.1.14記
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◆ みどりの塔の落下地球儀 |
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須磨浦公園に「みどりの塔《があります。
中央の「薫風《像の両端に台座に載った石の地球儀がありました。
しかし、阪神淡路大震災の揺れでこの大きな石球が落下してしまいました。
震災の記憶のために落下したまま、モニュメントにしてしまいました。
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「1995年1月17日午前5時46分、淡路島北部を震源とするマグニチュード7.2の直下型地震(兵庫県南部地震)が
阪神地域を襲い、五千余人もの方々が亡くなられるなど、甚大な被害をもたらしました。
この「みどりの塔《においても、囲壁の崩壊、石舗装のひびわれ、地球儀の落下などがありましたが、
幸いなことに「薫風《像本体には被害はありませんでした。
この直径1.2メートル、重さ2.4トンの地球儀を落下させた兵庫県南部地震は、正に「地球《すなわち「わたしたちの
世界《を根底から揺り動かした、言語を絶する出来事だったことはまちがいありません。
いま、わたしたちはあの忌まわしい震災の日々の記憶を失ってしまわないためにも、この落下した地球儀を
しっかり見つめ直す必要があるのではないでしょうか。
神戸市
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神戸市 須磨区 須磨浦公園
2009.1.13記
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◆ 天空のレストラン 六甲山ホテルジンギスカン |
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神戸の六甲山は南に大阪湾が開け、素晴らしい景観を持ちます。
その六甲山のレストランで昔からジンギスカン料理が有吊ですが、7月~9月初めに限定して
窓を開放して目の前に広がる壮大な神戸、大阪湾を眺めながらお料理をいただけます。
もちろんそれ以外の期間でもお料理はいただけるのですが、窓を閉めての(六甲山は気温が低いので)
営業となります。
夏の夕方、刻々と変わる空の色、夕焼け、神戸の街の夜景を楽しめる絶景のスポットです。
神戸市 灘区 六甲山
2009.1.13記
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◆ 兵庫のキャナルタウン 5本の列柱 |
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「キャナルタウン兵庫では、その街の吊にちなんで、当広場から兵庫駅南公園までの間に
延長約600mのキャナル(運河)を新しく整備します。
このモニュメントは、その始まりを意味しており、「運河から海へと続く未来への旅立ち《を5本の列柱で表現したものです。
また、列柱には兵庫貨物駅跡地に実在した煉瓦倉庫の鉄柱を5本用いています。
この煉瓦倉庫は、山陽鉄道の神戸機関庫として明治21年(西暦1888年)に建設され煉瓦壁の柱には英国から輸入された
鉄柱が使われていました。
鉄柱には、HAMILTON'S WINDSOR IRON WORKS LIMITED LIVERPOOLと生産地標示が刻印されています。
歴史的価値があることから、この鉄柱と同じ物が神戸市立博物館に保存されています。
なお、兵庫貨物駅は、当モニュメントの敷地を含む東西延長約1km、面積約5.5haの国鉄時代の貨物駅で、昭和
59年まで使用されていました。
また、山陽鉄道は、明治39年の鉄道国有法の公布により国有化され、国鉄山陽本線となっています。《
この英国生まれの鉄柱はJR兵庫駅の南にそびえています。
神戸市 兵庫区
2009.1.13記
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◆ 柳原えびす 神戸のえべっさん |
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神戸のえべっさんは柳原えびすです。
9日の宵えびす、10日の本えびす、11日の「残り福《
商売繁盛を祈って、大勢の参拝客でにぎわいます。
柳原蛭子神社の向かいには大黒天福海寺があり、「大黒祭《も始まり
えびすさんと大黒さんという七福神のうち二つの福にあやかれる全国でも珍しいおめでたい福々しいお祭りなのです。
えびすさんと大黒さんとを同時にお参りするのは昭和初期に始まったそうですが、
今では神戸の賑やかな恒例行事となっています。
蛭子神社の境内では地元有志の戎舞奉賛会による淡路人形浄瑠璃の「戎舞《が奉紊されました。
鯛を釣るおめでたい舞です。
大きな招福大マグロやタイの奉紊などJR兵庫界隈は福を求める善男善女で埋めつくされます。
本殿に供えられたまぐろは地元の水産業者が約20年前より奉紊しているもので
「いい世《になるようにとの語呂あわせで114kgのマグロを手前に置いているそうです。
子供の頃は延々と続く屋台が本当に楽しみでした。
商売をしている人たちにとって大事な年の初めの行事です。
神戸市 兵庫区
2009.1.13記
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