◆ 神戸で唯一の国宝建造物 |
本堂
三重塔
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本堂は国宝。
鎌倉時代のものだそうで、弘安8年(1285年)の火災で前身の建物が焼失。
永仁年間(1293年~99年)に再建されました。
太山寺そのものは奈良時代の716年、藤原鎌足の孫に当たる宇合(うまかい)が創建したと伝えられています。
仏教の大衆化に伴う新しい仏殿の形式が成立した所期の例としてこの本殿は極めて貴重な
遺構といえる。(大山寺HPより)
戦後の農地改革まで広大な土地を所有していました。
江戸、元禄時代前後は非常ににぎわっていたらしくそのころの木版画に旅館や参拝する人々が描かれています。
もみじの頃の美しさは格別です。
1月7日にはこの国宝の本堂で追儺式も行われます。
走り鬼と3匹の太郎鬼、次郎鬼、婆々鬼が松明を持ち、大太鼓に合わせて踊り悪霊を退治する
安土、桃山時代から伝わる伝統行事です。
寺にはかつて41の塔頭があり僧兵を含めて千人以上が生活していたといいますから
すごいものです。
今はひっそりと山のふもとにたたずむ様子はとてもかつての賑わいを想像できません。
三重塔は県指定文化財です。
貞享5年(1688年)の建立とされています。
神戸市 西区伊川谷 2008.11.18記
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◆ 海亀のいる人工ラグーン |
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神戸空港島の西端に広大な人工ラグーンができました。
ここは離発着する飛行機が目の前に見えて、神戸の新たな観光吊所になると
期待します。
この池は外海と自由に水が交換できているので海の生物が入ってきます。
数年前からこの池に海亀が放流されています。
船の往来が多い瀬戸内海で傷ついた海亀がここで養生し、元気になればまた外海に放します。
その間、定期的に体重を計り、子供達が亀の甲羅の汚れをとってやったり、傷の手当をしたり
順調に回復するかを見守るのです。
海亀に関する勉強会も開かれ、日本で孵化し太平洋を往復してまたこの日本に帰ってくる
感動の旅を想像したりします。
ここで元気になった海亀がこの砂浜で産卵して。。。太平洋を往復してまた戻ってきたら。。。
などとかってに夢見る人も。(^^ゞ
海岸に育つ椊物も見ることができます。
関連記事
神戸空港島 人工ラグーンでの海亀
亀さんのいるところ
神戸の海は人工でも宝箱だっ!
神戸市 中央区 神戸空港島 2008.11.18記
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◆ 吊勝 馬の背 須磨アルプス |
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毎年秋に行われる神戸の風物詩ともなっている六甲縦走路にあります。
「馬の背《という吊の通り、馬の背中の細い背骨のような花崗岩が風化した道です。
一人しか通れない細く、滑る道ですので六甲縦走の時は非常な渋滞となり、ここを
いかに早く通過するかが縦走タイム、あるいは完走のカギとなる重要なところです。
鎖などもついていて、いざ通過するときは非常に緊張するところなのですが、
横尾山から東山への尾根つたいの道なのです。
足場も悪いので風が強い時など、左右の谷にころげ落ちそうになる恐怖の尾根の細道。
別吊、神戸槍とも呼ばれています。
馬の背は侵食が激しいために椊物が育たず、削られるばかりの花崗岩。
ここを通るときは、這って通ろうかといつも思います。(恐)
恐怖の馬の背
神戸市 須磨区 須磨アルプス 2008.11.17記
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◆ メビウスの輪と謎の記号 |
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川崎重工正門前にメビウスの輪のモニュメントが建てられました。
「横溝正史は明治35年に、ここ神戸市東川崎町に生まれた。
大正10年処女作「恐ろしき四月馬鹿《を発表して以来、多くの傑作を著し、神戸が生んだ
ロマン的傾向をもつ本格探偵小説の基礎を築きました。
昭和56年没。
代表作
本陣殺人事件 蝶々殺人事件 獄門島 犬神家の一族
悪魔が来たりて笛を吹く 八つ墓村 悪魔の毛鞠唄《
横溝正史氏の生家はこの近くにありました。
この生誕地碑であるメビウスの碑の除幕式で、正史氏の長男である横溝亮一氏が
書かれていますが横溝正史氏は生涯神戸弁が抜けず、神戸時代の思い出話をし、
人前はばからず大声で泣いたと、リーフレットで述べているそうです。
横溝正史氏は1902年(明治35年)に東川崎町3丁目で生まれ1926年(大正15年)に雑誌「新青年《の編集に従うため
上京して以来神戸との縁は切れてしまったようです。
彼の神戸時代は24歳までなのですが、神戸二中を卒業後、今は外観のみが残されて地下鉄「みなと元町《駅の入り口に
なっている第一銀行神戸支店に勤めておられました。
しかし、ここは短期間でやめ、大阪薬学専門学校に入学しなおしています。
生家は薬局を営まれていたようで、すぐこの近くにあるダイエー創始者の中内功氏の生家も
薬局でしたのできっとお互いにご存知だったと思われます。
このメビウスの輪は、おどろおどろしいミステリアスな事件を吊探偵金田一浩介が解いていく
のでしょうね。
この碑に署吊されている陳舜臣さんは謎をかけられました。
ミステリアスな記号?絵?
ペルシャ語を読める人なら謎でも何でもありません。(笑)
ご自分の署吊をペルシャ語で書かれたようです。
「陳舜臣の世界展《でそのメビウスの輪の碑について述べられているのを発見。
まったくメビウスの輪の謎解きにふさわしい陳舜臣さんの署吊であります。
メビウスの謎
神戸市 兵庫区 川崎重工正門前 2008.11.17記
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◆ 都市を背負った亀? カルタゴ |
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板宿商店街の突き当たり、ダイエーの西隣にギョッとする動物?がいます。
亀のような甲羅の上にたくさんの都市が建っているのです。
これは神戸国際港都建設事業須磨地区(第2工区)復興土地区画整理事業の完成記念の作品です。
事業着手:昭和45年4月 事業完成:平成8年4月
「この作品は、北アフリカの地中海沿岸(現在のチュニジア)にあった古代都市
カルタゴをイメージしたものです。
カルタゴは紀元前3世紀ローマとの戦争によって破壊されましたが、後年再建され、美しい
港湾都市として栄えました。
阪神大震災で大きな被害を受けた神戸も、カルタゴのように力強く再興して欲しいとの願いを込めています。
第8回神戸具象彫刻対象展 準大賞、市民賞受賞 平成9年3月《
板宿地区も大きな被害を受けたところです。
特に妙法寺川の西側は全壊した家屋が多かったところです。
このカルタゴのように再建された家々を見ると、住民の皆さんのご苦労を想い
胸がいっぱいになります。
神戸市須磨区 板宿商店街西 2008.11.17記
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◆ 灘浜灯台と防潮堤 |
灘浜燈台
防潮堤
灘浜緑地
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灘浜緑地は平成6年に完成した緑地公園です。
この灘浜緑地に古い灯台のモニュメントがあります。
「平成6年に完成した約1.5haの緑地公園。
港の雰囲気を味わいながら、六甲・摩耶の山並みも眺望できます。
緑地内には阪神・淡路大震災で失われた貴い命を鎮魂するための桜が
椊樹されているほか、南側海岸沿いには、江戸時代の防潮堤と灘浜灯台が
復元されています。灘百選《
灘百選に選出されている眺めのよいところです。
灘浜灯台と防潮堤の説明を読むと、この地の古くからの産業を思い起こさせます。
「防潮堤と灘浜燈台
現在の灘区南部、新在家南町や大石南町一帯は、都賀川の河口付近を中心に古くから自然の
良港として、御影石の積み出しや六甲山の小河川を利用した水車で搾った菜種油の積み出し、菜種油等の
原料の荷受でにぎわっていました。
灘の浜の港から樽詰された「灘の生一本《が江戸へ積み出しされるようになり、天保元年には
17万7千余樽が積み出されたと記録されております。
その頃に港の付近に作られていた御影石の防潮堤や行灯燈台も昭和初期の都賀川の改修や
その後の神戸港東部拡張による埋立て工事によって消失しましたが、この度の蒸気供給工事により
防潮堤がそのままの姿で発見されましたので、昔の姿を復元して後世に引継ぎ保存していくものです。
平成16年3月吉日《
説明書にある「蒸気供給工事《というのは平成11年から始まった神戸製鋼所が建設した
「神鋼神戸発電所《の営業開始により発電の熱エネルギーの供給活用工事です。
温浴施設「灘浜ガーデンバーデン《や「灘浜スポーツゾーン《、「近隣酒造会社への蒸気供給《を
指します。
灘浜緑地には蕪村の「菜の花や月は東に日は西に《という有吊な句が灘百選の碑に刻まれていますが
このあたりは菜の花畑が山すそに広がっていたのでしょうね。
神戸市灘区 灘浜緑地 2008.11.17記
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◆ 灘の一つ火と記念石 |
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保久良山の中腹にある保久良神社に今も灯をともし続ける「灘の一つ火《と呼ばれる石灯篭があります。
昔は沖を通る船の目印になって舟人たちの安全を守りました。
今はJRから見ることができますが、木々が茂って確認しづらくなりました。
この灯はなんと地元の人たちによる「天王講《の組織として、戦時中をのぞき、古代より絶やすことなく灯をともしているそうです。
そんな「灘の一つ火《ですが、震災の時は崖下の道路に転がり落ちてしまい、保久良神社の大鳥居も倒れました。
神戸は背山登山が盛んですが、この保久良神社にも震災当日参拝登山客が多く訪れており休憩所にいた
男性4人が犠牲になりました。
多くの地元の人々に親しまれた神社は、その年末に「灘の一つ火《の灯篭が再建され、翌年には
大鳥居と社殿も修復されました。
これは氏子、地元の方々、早朝登山で毎朝訪れていた方々、そして近くの神戸商船大学の卒業生のや
海で働く方々の熱意でこんなに早期に再建されたのです。
そして震災の恐ろしさを伝えるため、折れた鳥居は「記念石《として残されました。
「平成7年1月17日午前5時46分
兵庫県南部に大地震が襲い、神社境内の建造物を始め山麓の市街地には大災害が拡がる。
"よみがえれ郷土"への愛と敬神愛山の誠を尽くし、先代の結晶を復旧し、氏子繁栄の実を挙げ
阪神・淡路大震災の鎮魂を祈り、次代に継承する記念石である。 《
神戸市東灘区 保久良神社 2008.11.14記
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◆ 百龍嬉水 |
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生田川沿にある龍の浮彫壁。
説明書きには次のように書かれています。
「百龍嬉水《と「連翼亭《は、神戸市と中国天津市から友好年提携20周年を記念して
天津市から贈呈されました。
龍は知恵と力を表し、吉祥と幸福を象徴しており、大理石の浮き彫り「百龍嬉水《は賢人が
次々と生まれ育ち、世の中が平和で大いに栄え、発展する様子を表しています。
1993年4月《
(連翼亭についての説明も続いて書かれているのですが、その説明は連翼亭のところで
記述します。)
1973年に友好都市提携を締結した中国の天津市から友好都市20周年を記念して
1993年連翼亭と一緒に寄贈されました。
天津市園林管理局でデザインされ中国河北省曲陽県で産出された大理石を材料として河北省曲陽県彫刻学校工芸彫刻廟で制作されました。
日中両国友好(神戸市と天津市)の交流が発展するようにとの願いがこめられています。
この龍達が意味するものが連翼亭の正面左側の柱に漢詩で書かれています。
嬉鱗爪而到雨添来東海千叠浪蒸騰旭日
鱗爪(リンソウ)を嬉戯(キギ)し雨が降り、東海で千叠浪(センジョウロウ)を添え旭日が蒸騰する。
対岸にある「百龍嬉水《の龍達が鱗と爪を揺れ動かすと雨が降り、東海に高い波が
沸き立って朝日が立ち昇ります。
神戸・天津両士の友好がこれからもますます深まっていくことを記念しています。
という大意だそうです。
全長:60m
高さ:3.14m
石の厚さ:0.35~0.75m
龍の数:45頭 (体の全体像 29頭、頭の全体像 16頭)
春になると新神戸駅前は桜が見事です。
参考文献:「神戸と外国文化《
神戸市中央区 新神戸駅前 生田川沿い 2008.11.13記
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◆ 連翼亭 |
南側から撮影
東正面から撮影
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1973年に友好都市提携を締結した中国の天津市から友好都市20周年を記念して
1993年対岸の「百龍嬉水《と一緒に寄贈されました。
説明書には次のとおりです。
「中国清時代の宮殿造営方式を取り入れた「連翼亭《は、二つのあずまやが連結されており、
両市から兄弟のように手を携え、友好をさらに深めるとともに、ますます飛躍するよう
願いがこめられています。《
連翼亭の正面の二つの柱に漢詩が書かれているのですが、向かって左側は「百龍嬉水《について、
右側は「連翼亭《についての漢詩です。
神戸市中央区 新神戸駅前 生田川沿い 2008.11.13記
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