★ 今! 神戸に
こんなものがある!
Part3

ないげない建物が
なにげない物体が
実はすごいものだったりします。

南京町のパンダ



南京町広場に12支の石像があります。
でも、よく数えてみると13体。
ん?パンダが!

南京町広場に12支の石像を置こうということになり中国に発注したのですが、 言葉の意味が伝わらなかったのか、猪のかわりにパンダがやってきました。

で、猪を追加注文したのですが、このまま13体になったそうです。

この広場はいつもたくさんの人でにぎわいますので、こんなにたくさんの 石像があっても人にまぎれてわからないくらいです。
そしてその中にパンダも仲良く仲間に入っているのです♪

神戸市中央区南京町 2007.12.12記

二屯ハンマー



兵庫の津を歩いていると、造船会社や船会社がたくさんあります。
そんな中にこんなハンマーと説明書が道にど〜んとありました。

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二屯ハンマーの歴史
1934年10屯のターニングホイストと共に設備されたスチームハンマーで戦前戦後を通じて 主機として活躍した。

1949年ボイラーがコンプレッサーに置き換えられエアーハンマーとなる。

1950年3屯ハンマーに主役の座を譲る
1956年水圧プレス設置に伴いやがて3屯ハンマーが引退する中でこの2屯ハンマーは 片隅でながら生産に寄与してきた。

1972年ハンマーによる生産を全面的に休止することによりその生命を終えた。
生誕50周年を記念してここに永久保存することにした。

1984年5月 岡本鉄工合資会社 社長 岡本好弘

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苦楽を共にしてきたこの機械に対する愛情がとても感じられました。

神戸市兵庫区東川崎町 2007.12.11記

こうべバイオガス

神戸市が下水処理施設で発生したガスを精製した「こうべバイオガス」
精製技術は神鋼環境ソリューションと神戸市との共同開発。
このガスを用いて2007年10月27日、28日に近畿タクシーとボランティア団体「KOBE地球おもてなし倶楽部」が神戸北野で 観光無料タクシーを走らせました。

二酸化炭素の削減効果は年間1,200トンにもなる予定。
昨今の原油高のようなときには強い味方。
環境に優しい上に、安定した価格で提供できます。

こうべバイオガスは神戸市が国の支援を受け東灘処理場(東灘区)の試験施設で精製し、市バスなどに 提供しています。
実用化に向けた施設が2008年4月に完成、本格運用。
2008年7月の北海道洞爺湖サミットの前に神戸市で5月に開催される環境大臣会合に「こうべバイオガス」を燃料にした天然ガス自動車が使用されます。世界的に注目されたらいいですね。
神戸生まれのガスです!(2008.4.18記)

「こうべバイオガス」が家庭への供給を開始しました!
2010年10月12日、都市ガスへの供給を記念して東水環境センターで式典が執り行われました。
これは全国でも初めての試みで、約2,000世帯が1年間に使う量に相当する都市ガスをまかないます。
(2010.11.13記)

2007.11.7記、 2008.4.18追記、2010.11.13追記

はばタン



はばタンの誕生日は阪神淡路大震災から8年後の2003年1月17日。
2006年9月30日〜10月10日まで開かれたのじぎく兵庫国体のマスコットとして 登場しました。

なにしろ子供達の間では絶大なる人気。
はばタンのいくところ、子供達が群がります。
国体が終わったあともその人気はすごいもので、とうとう兵庫県のマスコットに なってしまいました。
運動能力抜群のはばタンですが、暑さには弱く、熱中症にかかります。
辛そうにしていたら気をつけてあげたいです。

はばタンの後姿は不思議です。
なにしろ、しっぽととさかがあるのですから♪

出現場所:県下のイベント、催し物があるいたるところ

2007.10.9記

しらいみちよさんのレクイエムロード



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この桜は阪神・淡路大震災から6年が過ぎ新しい世紀の始まりにあたり震災で亡くなられた 方々の鎮魂、並びに今後の地域の発展と美しい神戸のまちを願って植樹しました。

皆さんで大切に育ててください。

2001年4月1日
宮本公園管理会
しらいみちよレクイエムロード実行委員会
神戸葺合ライオンズクラブ25周年記念事業
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しらいみちよさんのレクイエムロードの桜の植樹は2005年3月21日、神戸市灘区都賀川公園沿いへの 植樹で6,500本目となりました。
震災で亡くなった方の命の数だけ桜の木を植えようとの思いで、1999年、「レクイエムロード 実行委員会」を作られました。

初めての植樹は1999年3月21日、灘区の灘丸山公園。
海から山へと桜並木をつなげようと思われたのです。
震災で亡くなられた方の命を超え、全国にこの思いをつなげる植樹を続けられています。

所在地:神戸市灘区 しらいみちよさんの桜並木は市内のいたるところ

2007.10.4記

徳川道の飛び石



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徳川道の飛石渡し

徳川道の川を渡る場所には橋が架けられたり、飛石渡しの石が置かれていました。
「飛石渡し」というのは、川の中に大きな石を数個平らな面を上に向けて置き並べ、その上を 歩み渡るようにしたもので、現在この川に置かれている一列に並んだ石と同様のものと思われます。

工事関係の古文書によると、置かれた石の大きさは長さ2尺から3尺(約60〜90CM)、 幅1尺5寸から2尺(約45〜60CM)でした。
杣谷の登り口からここまでの間に19ヶ所の飛石渡しがあり、1カ所には平均して4個の大石が 置かれていたそうです。神戸市」
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この徳川道は明治維新(慶応3年 1867年)兵庫開港にあたって(実際は兵庫ではなく神戸) 開港場のすぐ近くをつっきる西国街道を、外国人とのトラブルを避けるために開港3ヶ月前から 突貫工事で付け替えた六甲山中のバイパスでした。

今は徳川道と呼称されていますが、当時は西国往還付替道と命名されていました。
この道を初めて利用したのは、外国人と備前岡山藩との衝突事件(神戸事件)で西国街道が通れなくなった 同じ岡山藩の後続部隊約600人だったのでした!

所在地:神戸市灘区 六甲山中

2007.10.3記

汽笛時計


ハーバーランドのカモメリア方面からモザイクに行く途中で、ボォ〜と 汽笛の音とともに煙があがるのが見えて驚かされます。
これは汽笛時計。

2001年神戸港復興のシンボルとして、1時間ごとにこの汽笛と煙にみせた 蒸気があがります。

中央区 ハーバーランド
2007.9,27記

海洋気象台のステンドグラス



1920年(大正9年)、日本で初めての海洋気象台が神戸中山手に建ちました。
そして1995年1月17日。
この地で818ガルの記録的な揺れを観測し、全壊しました。

あこがれだった神戸海洋気象台。
子供の頃からいつも耳にする気象ニュースは、神戸の山手にある気象台で観測されているんだ と見たことがないこの建物にあこがれていました。

神戸散策 神戸海洋気象台

全壊したこの建物の機能は、現在HATに移りました。
HATの新しい建物のエントランスに、旧海洋気象台に飾られていたこのステンドグラスが あります。

奇跡的に壊れずに残った美しい海鳥の描かれたステンドグラスは、今も神戸海洋気象台のHPの隅にも upされています。

神戸市中央区 神戸海洋気象台エントランス 

2007.8.8記

神戸水道発祥の碑




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神戸の水道は明治33年(1900年)4月1日に布引貯水池を水源とし、北野浄水場と 奥平野浄水場において給水を開始しました。
その後、給水区域の拡張を重ね、市民生活の向上と神戸市発展の礎となってきました。
この間、水害、戦災、震災等幾多の苦難を乗り越え今日に至っています。
神戸水道の100周年にあたり、先人達の努力に感謝するとともに、今後の水道事業の発展を願い、 この碑を建立するものです。

給水開始百周年を記念して
      平成12年4月
    神戸市長 篠山幸俊
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奥平野浄水場構内の「神戸市水の科学博物館」への入り口付近に神戸水道発祥の碑があります。
1900(明治33)に お雇い外国人技師 バルトンの計画をもとに, 布引貯水池を水源に 「北野浄水場」と「奥平野浄水場」が作られました。

これが 神戸市の水道の発祥。
日本で7番目の近代水道です。

またこの碑が置かれている笠石とレンガは北野浄水場で使われていたものだそうです。

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この笠石とレンガは、創設時の北野浄水場ろ過池に使われていたものを再利用しています。
記念碑石は大容量送水管の住吉川立杭千節現場から出たものです。
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神戸市兵庫区 奥平野浄水場 
神戸市水の科学博物館 

2007.8.5記

神前の大楠



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県指定文化財
神前の大クス

指定年月日 昭和49年3月22日
所有者・管理者 春日神社奉賛会

本樹の推定樹齢は約500年である。
根周りは17.4メートルで、樹高は約18メートルとなっている。
もともと2株あったものが癒着したものと考えられ、根元から二つに分かれ、 さらに、それぞれが2分して、4本の太い幹が伸びている。

また、春日神社は、このあたり都賀庄の荘官若林氏が奈良の春日大社から分霊して、 この地に移したものといわれ、その創建は、天正年間(1573年〜1592年)で、今から およそ400年前である。

平成5年11月

兵庫県教育委員会

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住宅街に人目を引く春日神社の大クスです。
大きなりっぱな木を見ると、落ち着きます。
この500年、この街をみて大きくなった木です。

神戸市 灘区 春日神社境内 

2007.8.3記

水道給水90年のモニュメント



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このモニュメントは水道が1900年にこの付近から給水を始めて 90年になったことを記念してつくりました。

池の縁石は、創設時の北野浄水場で使用されていたものです。

1990年 神戸市長 笹山幸俊

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東遊園地の噴水の北側。
目立つようで誰も気づかない不思議なモニュメント。
蛇口をひねると水が出る、今では当たり前のことが今から100年ほど前の時代では 画期的なできごとでした。

神戸市中央区 東遊園地 

2007.8.2記

ポートピア博のなごり






1981年3月20日〜9月15日。

世界初の人工島ポートアイランドの完成を記念して神戸ポートアイランド博覧会が開かれました。

愛称は「ポートピア'81」

今では当時の面影を残すものはずいぶん少なくなりましたが、UCCコーヒー館、島内の公園となっている せせらぎの森、神戸市立青少年科学館はその施設が今に残っているものです。

ポートアイランドを歩くとさすがにこの島で博覧会が催されたのだなぁと実感するものに、 いたるところに置かれているフラワーポットです。

特に島の東側の住宅エリアの車道に面して、ずらりと並んでいる様子に今もりっぱにお役に立っている フラワーポットたちが誇らしげです。

ポートアイランド内のせせらぎの滝もポートピア博のなごりです。
浅いプールがあり、会期中の夏には子供達の歓声が溢れていました。
今は静かな住宅地とビジネス街との間で、鳥達がさえずる憩いの空間となっています。

神戸市中央区 ポートアイランド 

2007.8.1記

元は映画館 ビッグ映劇




震災前まで神戸に映画館は28もあったそうです。
そのうち、三宮には14。
そして三宮の震災被害は相当なもので、半数が閉館。

震災にも残ったビッグ映劇ですが、惜しくも閉館、47年間の歴史に幕を閉じました。

跡地を借り受けたのはアレックス楊さん。
「子供の頃から親しんだ映画館の伝統を残したい」と、高い天井やスクリーンの記憶を残して、 チャイニーズレストランに再生されました。

TAOシアター。

もう10年ほど前になりますが、北野にTAOという独創的な中華料理を出す店がありましたが ここも楊さんのプロデュースされるレストランだったようです。

北野のTAOにもあった版画家黒田征太郎氏の壁画がここにも。

誰にでもある映画館の懐かしい記憶。

レストランの中央には映写機が飾られています。

神戸市中央区 小野柄通り 

2007.7.10記

カモメリア前からがんばろうKOBE



ポートタワーの足元にこんなにたくさんの神戸を励ます言葉があります。
全国から寄せられたたくさんの言葉。
中にはオリックスのイチローやあの人、この人!
さすがに世界のイチロー、神戸と縁の深いイチローの言葉は人々が手でさわったのか 薄黒く汚れています。
震災後、復興したメリケンパークやカモメリアに置かれたこの言葉はいつも 前を通る人たちを励ましています。

神戸市中央区 カモメリアとポートタワーの間 

2007.7.9記

六甲山にいるキベリハムシ




------------------------------------------- 体長13-15mm。
我が国にみられるハムシの中で最大の種類です。
もともと日本にいたものではなく、明治時代に中国から入ってきた「帰化昆虫」です。
六甲山に多いことから、神戸港から船の荷物に着いて侵入したと考えられています。

兵庫県各地でみつかっていますが、六甲山以外ではあまり数は多くありません。
幼虫は5-6月に見られ、成虫は7-8月に出現します。
成虫、幼虫ともヒナンカズラという植物の葉を食べます。
------------------------------------------- 六甲山上記念碑台にある自然保護センターの中の展示物です。
日本で六甲山に一番多くいるハムシだそうです。
神戸市灘区 六甲山上 記念碑台 
2007.6.4記

六甲山 記念碑台





六甲山上に「記念碑台」とう地名があります。
バス停も「記念碑台前」

この”記念碑台”の名前は六甲山の開祖とされるアーサー・ヘスケス・グルーム氏の功績を たたえた記念碑に由縁します。

この記念碑台一帯はかつては六甲山で最もにぎやかなところだったそうです。
毎年7月の第一日曜日にはグルーム祭が開かれ、六甲山が山開きします。

現在、記念碑は自然保護センターの中に、グルーム氏の胸像や101番の碑と共にあります。
初代の記念碑は明治45年地元の有志達がグルーム氏の功績を称えるため「六甲開祖之碑」を建てました。
しかし、後の太平洋戦争中に、敵国人を称えたということで取り壊されてしまいました。
昭和30年7月に「六甲山の碑」としてこの地に再建されました。
すなわち、今の記念碑は2代目です。

------------------------------------------- 碑を建てることば
六甲山は古くからの名山であるが今日のように多くの人々が親しみ楽しむことができるように なったのは英人グルーム氏はじめ多くの先覚者たちに負うところが多いこうしたいとぐちが 開かれてからでももはや半世紀以上を経たそれを記念しまた将来この山がさらに多くの人々の 楽しめるものになることを念願してここに碑を建てた
昭和30年7月
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記念碑台の隣には101番の石柱もあります。
101番というのは居留地にあるグルーム氏の商館があったところで、グルーム氏は「百壱 (番館)の旦那」と呼ばれていたそうです。
今も三国池畔に残るグルーム氏の101番館山荘跡石柱のレプリカもグルーム氏の胸像の近くに設置されました。

震災で傷ついた神戸の街を励まそうと集められた激励の言葉が焼きこめられたレンガも 一緒に敷き詰められました。
神戸市灘区 六甲山上 記念碑台 
2007.5.23記

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