◆ 廃墟と化した北野異人館 ペルシャ館 |
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北野異人館。
異国情緒あふれる北野の坂道で、塀の中に朽ち果てた建物を見てぎょっとするときがあります。
風見鶏の館の東、山側にある、いえ、あったペルシャ館。
震災の前年までペルシャ美術館として公開されていました。
この建物はイラン総領事の自宅(バジャージ邸)で、大正時代の木造2階建て建築でしたが、戦後売却され、北野異人館のあたり一体が
重要伝統的建造物群保存地区に指定された1979年に、付近の建物と一緒に保存地区に指定されました。
その後1981年から1994年7月まで公開されていました。
所有者は海外にいる4人の外国人だということですが、閉館後すぐ起きた阪神大震災で
再起不能なまでに倒壊したこの建物を再建の意思はないようです。
所有者の再建の意思がない限り、公的援助も出ない状態でこのまま12年が過ぎてしまいました。
まわりの異人館はきれいに修復され、賑わいを取り戻した北野の街の中で、たった一つ
震災の傷跡を残し、神戸に来られた観光客の皆さんに生々しい震災を実感させる建物と
なっているのはなんとも皮肉なものです。
中央区 北野町
2007.5.22記
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◆ ポートアイランドのスクリュープロペラ |
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スクリュープロペラの説明
このスクリュープロペラはフルコンテナ船あめりか丸(大阪商船三井船舶株式会社)に
装備されていたものです。
あめりか丸は昭和43年10月に建造され神戸港から北米航路に就航して活躍した最初のフルコンテナ船です。
フルコンテナ船あめりか丸
船の長さ 187メートル
幅   25メートル
深さ  155メートル
積載重量 15,440トン
コンテナ積載数 716個
主機関(ディーゼル) 28,000馬力
最高速力 26.38ノット
建造 三菱重工叶_戸造船所
スクリュープロペラ
翼の直径 67メートル
ボスの長さ 2.335メートル
ボスの最大径 1.48メートル
翼一回転の進む長さ 7.76メートル
翼の表面積 24.378メートル
回転方向 右廻り
材質 ニッケルアルミブロンズ
重さ 31.57メートル
あめりか丸が最高速力で航海するとき、このスクリュープロペラは1分間あたり108回転
し26.38ノット(時速約49キロメートル)という最速力で走ります。
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このスクリュープロペラはポートアイランドの南公園入り口にあります。
ポートライナーからもよく見えます。
ポートピアランドがあったころは、ここから観覧車がよく見えました。
夜にはライトアップされ非常にきれいです。
見慣れたこの噴水も、神戸生まれの神戸港から北米航路に活躍したあめりか丸のものと知り
よりいっそう愛着が湧きました。
神戸市中央区 ポートアイランド中央区港島中町
2007.5.17記
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◆ 神戸のランドマーク 錨山の錨 |
風力発電施設
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神戸の夜は山にランドマークが灯ります。
錨と市章と帆掛け舟。
そのひとつの錨です。
これは明治36年(1903年)明治天皇行幸の観艦式を記念して松を錨の形に植栽したのに
始まりました。
電飾が始まったのは昭和56年(1981年)
人工島ポートアイランドの開島を記念して行われたポートピア博覧会を記念して永久電飾が始まりました。
風力発電と太陽光発電を電源としているので市内が停電しているときにもこの電飾は輝いているのです。
2007年の阪神大震災の日も市内は闇に包まれましたがこの電飾は輝いていたといいます。
震災のときもそれから何日たっても、この灯りを見る余裕はありませんでした。
2003年からは神戸市民の特別な日にはマリンブルーに輝くようになりました。
これは1902年に神戸市が六甲山で大規模な植林を始めてから100周年となったことを記念して
特別な日には青く輝くように改修しました。
・神戸市民の主要な日である震災の日
・ルミナリエ
・神戸祭りの期間中
・国民の祝日
・市民球団であるオリックスバッファローズ、ヴィッセル神戸の勝った日
・外国観光船の滞在日
錨山に登ってみると神戸市街地が手に取るように見えます。
そして山の勾配は急で、斜面は意外とでこぼこになっているのに驚きます。
錨山にある案内表示です。
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明治36年、神戸港沖での明治天皇臨幸の観艦式の際に、学童や市民15,000人が日章旗を持って
錨を形づくり歓迎しました。
これを記念して、錨の形に松を植樹したのが「錨山」の始まりです。
その後、年月を経て錨の形が不鮮明になったため昭和41年に現在のウバメガシに植え替えられました。
この電飾の設備は、昭和56年に神戸ポートアイランド博覧会を記念して設置されたものです。
電飾に必要な電力は、風力発電施設と太陽電池で発電した電力を使用しています。
市街地から見るときれいな錨の形に見えますが実際には地形に合わせて、ゆがんだ形に植樹されて
いるのが、ここからはよくわかります。
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神戸市中央区 錨山
2007.5.8記
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◆ D51は今も! |
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JR神戸駅と元町6丁目入り口の間にD51がいます。
このD51がいる場所はJRが高架化される以前は線路でした。
ここをD51が走っていたのでした。
平成4年8月の元町西広場の再整備の際、元のこの場所へ移されました。
煙をあげて疾走する機関車を想像します。
人々はもっと身近に機関車を見ていたのでしょうね。
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昭和19年から昭和50年まで30余年の長い間活躍した君を、神戸市民は
東海道本線、山陽本線の起終点近く相生橋跡のこの地に迎える
近代の鉄道史に不滅の功績を残した君の融資は地域の象徴としていつまでも
神戸市民に称賛され親しまれ続けることだろう
昭和53年7月15日
神戸市長 宮崎辰雄
D511072
新製年月日 昭和19年2月27日
休止年月日 昭和50年12月10日
全長 19.73メートル
全巾 2.93メートル
全高 3.98メートル
全重量 87トン
所有 日本国有鉄道
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いつまでもその雄姿をたたえたいですが、車体に落書きされ
周囲にゴミが落ちている姿は可愛そうです。
D51が泣かないようにしてやりたいです。
神戸市中央区
2007.5.7記
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◆ 野寄の大石 |
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神戸市東灘区西岡本の道端にこんな大きな石がありました。
金網を突き破っています!というか、フェンスの方があとからできたのですね。
説明書にはこう書かれています。
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野寄の大石
この石は花崗岩の岩塊です。
地面より高さ2.1m周囲1.4mあり100万年〜数10万年前の侵食された穿孔が多くみられる
どこから転がってきたのか?
貝類の侵食でこの地が海岸線だったのか謎である
野寄財産区管理会
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非常にロマンを掻き立てられる大きな石なのです。
神戸市 東灘区西岡本
2007.5.6記
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◆ ブラジル風の建物ー元町交番 |
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JR元町駅南側に人目を引く建物があります。
この建物はブラジルの建物を模した交番なのです。
最初に出現したときは、本当に驚きましたが、この場所が北側に建てられている移住センターから
ブラジルへ移住された方が昔通られた「移民の道」であることを知ると納得がいきます。
元々元町交番はこの西側、食堂の隣にありましたが、場所がわかりにくいということや老朽化のための
建て直しでこの目立つ場所に移されました。
ちなみに旧交番は昭和15年(1940年)にJR高架下、丸玉食堂の隣に設置されました。
この交番は車椅子でも利用できるトイレも完備しているそうです。
上部は美しいステンドグラスになっており、これは移民の方々が現地に到着してまず目に
されるブラジルの青い海をイメージしているそうです。
この部分はJR元町駅のホームからもよく見えます。
神戸市 中央区 JR元町駅南側
2007.5.1記
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◆ 「神戸の壁」ベンチ |
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「神戸の壁」ベンチ
1927年に建てられた新長田・若松市場の防火壁が阪神淡路大震災で残り「神戸の壁」として
保存されることとなった。
この壁の基礎を造形した一部が神戸の壁保存実行委員会代表、三原泰治氏から「人と防災未来センター」
に提供され、これを利用してベンチを製作した。」
1927年神戸長田の公設市場に築かれた防火壁は高さ7.3m、幅13.5m、厚さ23cmの大きな壁でした。
阪神淡路大震災でも周囲はすべて焼けてしまったのに、焼け残って一人建つこの壁の姿は人々に大きな
感動を与えました。
「神戸の壁」自体は14のブロックに分けられ淡路島、津名町に運ばれ展示されていますが
この基礎部分は、HAT神戸の「人と防災未来センター」前と、長田区の再開発ビル「アスタくにづか」の
地下通路に「鎮魂と復興のベンチ」として置かれています。
神戸市 中央区 HAT神戸「人と防災未来センター」 長田区 アスタくにづか地下通路
2007.3.26記
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◆ 南京町の夜光龍 |
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2001年7月19日(土)20時。
突如神戸南京町に現れました!
南京町21世紀、花と光の復興際/夏の部 福光祭
復興と福光をかけて、元気な南京町をアピールしました。
蛍光塗料を塗られたイェンロンがブラックライトにより、闇の中から現れます。
神戸南京町舞龍隊により、春節祭、秋節祭に光る龍が南京町を疾走します!
神戸市 中央区 南京町
2007.3.17記
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◆ 六甲山中の看板 |
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六甲山中、登山の途中で見かけた看板です。
爽やかな感動が忘れられません。
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自然を愛する皆様へー!
人は誰しも明日と云う日を夢み今日を生きている。
未だ見ぬものとの出会いに、人生は、感動の連続でありたいー!
人生と云う長い長い山道ー!
その道の途中でめぐり会った自然の美!
通いなれた道にも季節がめぐると、新しい発見があるように、
誇りあるあなたの人生の中で、明日は、
今日よりもさわやかな笑顔の日である事を祈ります。
いつまでもお健やかに…
兵庫登山会
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六甲山中
2007.3.6記
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◆ メリケンシアター |
一つ一つの玉石については 玄太郎さんのサイトの メリケンシアターに 詳しいです。
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日本で最初に映画(キネトスコープ)が上映されたのは花隈の神港倶楽部でした。
そして映画王チャプリンが神戸を訪れたとき、上陸したのはメリケン波止場でした。
メリケンパークにあるこのメリケンシアターはそれを記念して、神戸港120年のイベントにあわせて1987年に作られました。
映画のスクリーンをイメージして石のモニュメントの真中がくり抜かれてあります。
この中からのぞくとまるで映画のワンシーンのような風景が広がります。
この中からポートアイランドのキリンが見えたのも映画のワンシーンだったようです。
スクリーンの前の40個の玉石は神戸出身の映画評論家の淀川長治さんが選んだ有名映画スターたちです。
それぞれの石にその名と出生年とが刻まれています。
このモニュメントを作られたのは三人の彫刻家からなる造形集団ー環境造形Q(神戸出身の増田正和氏、西宮出身の山口牧生氏、滋賀県出身の小林陸一郎氏)
ここから眺める映画のシーンは格別です!
神戸市中央区 メリケンパーク
2007.2.13記
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◆ 須磨霊泉 |
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須磨寺門前に沸いている地下水です。
須磨霊泉
いかにも古い感じのする水汲み場。
傍らに大正13年に建てられた石碑がありますが、いつからこの霊泉があったかは
わからないそうです。
須磨寺町にある堂谷池周辺から湧いているといわれているが、これもよくわからないそうです。
ちゃんと調査をして水源をつきとめてほしい気もしますが、このまま神秘の霊泉として
人々に親しまれるのもいいのかも。
1938年(昭和13年)の阪神大水害のときにも、1995年(平成7年)の阪神大震災のときにも
この霊泉はつきることなく周囲の皆さんに命の水を提供してくれました。
上水(飲料水、野菜洗い等)、下水(洗濯用)と分けられているのも地元の人たちに
親しまれているようすがわかります。
しかし、飲料水としてはこのまま飲んではいけない、煮沸してから飲むようにと注意書きが
書かれています。
向かいの喫茶店ではこの霊泉の水を使ったコーヒーを出しているとか。
今度須磨寺に行った時に、じっくり味わってみたいです。
神戸市須磨区 須磨寺門前
2007.2.5記
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◆ 東郷井 花隈 |
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阪急花隈駅から坂道を登っていくと、左手に「東郷井」の碑が何気に建っています。
ん、東郷。。そうなのです。
あの日露戦争で活躍した東郷平八郎氏が神戸に1年ほど滞在されたことがあったのです。
神戸の小野浜造船所で作られつつあった初代大和の監督官として来神。
ここに住まわれ、毎朝、この東郷井の碑が建てられているところで顔を洗われました。
初代大和は明治18年5月1日に進水。
翌19年に東郷平八郎氏はその大和の監督官の任務につきました。
今では川重の健保ですが、当時は神港倶楽部でした。
そして東郷平八郎氏が滞在した10年ほど後の明治29年(1896年)11月25日〜12月1日、ここ神港倶楽部で、エジソンが発明したキネトスコープ(映画)が
日本で初めて上映されました。
映画の日が12月1日とされているのは、この神港倶楽部での上映が12月1日までだったことからということです。
最初のキネトスコープが公開されたのは1894年ニューヨークのブロードウェイ1155番でのこと。
それからわずか2年後のことでした。
2007年1月31日 記
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◆ 神戸港第一防波堤東灯台 神戸港 |
この灯台は今整備されつつある
ポートアイランド西バースの遊歩道
から目の前に眺めることができます。
ここからは美しい夕陽も眺められ、
完成が待ち遠しいです。
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1931年〜
設置点灯年月日 昭和6年8月15日
位置 N34-39-16 E135-12-09
灯質 単明暗緑光 明6秒暗2秒
光達距離 12.5海里(約23km)
構造物の高さ 19M
光までの高さ(海抜)19M
神戸港内に現存する灯台では、点灯年月日が遠矢浜の神戸灯台
(明治5年点灯,その後改築)に次ぐ古い灯台です。
灯台の壁面に「神戸港」と書かれています。
遊覧船に乗って神戸港を出るとき、必ずこの灯台の「神戸港」を見ます。
「これは,昭和39年と昭和40年に2年連続で台風により西神戸・遠矢浜地区の護岸が
大浸水を起こす被害を受け、この災害の惨事を伝え聞いた女流書道家の長浜 洸さんが
昭和42年に港の安全祈願のために自費で製作した『神戸港』の大看板を第五管区海上保安本部長の
許可を受けて神戸市が灯台に取り付けているものです。(一文字のプレートの大きさは縦横各2メートル)」
海上保安庁のページより。
印象的な大好きな灯台です。
2006年12月26日 記
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◆ ランターンフェア 南京町 |
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1996年〜
元町、南京町ではルミナリエが始まる1日前からランターンフェアが始まります。
約500個の中国提灯が華やかに南京町を彩り、ルミナリエでにぎやかな街に活気を添えます。
阪神・淡路大震災の翌年から、南京町でも自分達なりの感謝の気持ちを伝えたいと南京町
商店街振興組合が始めました。
点灯式には行ったことがないのですが、爆竹やドラの音とともに一斉にランタンに灯がともされるそうです。
この点灯式にも是非行ってみたいものです。
2006年12月15日 記
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◆ 外壁のみは明治の面影 市営地下鉄みなと元町駅 |
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市営地下鉄駅番号K03
1908年(明治41年)竣工の旧第一銀行神戸支店
辰野金吾氏設計。
1964年からは大林組神戸支店。
1995年の阪神淡路大震災でこの歴史ある格調高い赤レンガのビルも大きな損傷を受け、
修復不可能に思われましたが、新しい市営地下鉄の駅としてこのビルを保存しようとする動きが
市民や各方面から出てきました。
その結果、素晴らしいこの外壁を残して平成13年に完成。
横から見ると本当に壁一枚だけが残されて切なくなりますが、たくさんの方々の努力のおかげで
この姿が残されたかと思うと感謝でいっぱいです。
2001年7月7日。第二回近畿の駅100選認定駅。
明治の建築物は赤レンガの重厚な建物です。
かつてこの駅がある栄町一帯は神戸の金融街でした。
2006年11月19日記
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◆ やすらぎの泉 JR神戸駅 |
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「やすらぎの泉」
「この水呑器は昭和5年、3代目神戸駅開業以来60年余りコンコースに設置されていました。
長距離列車を降りた多くの旅人が、ここで喉を潤して神戸の街へと出て行きました。
平成9年10月」
これは神戸駅改札口の前にできたヴィエント神戸の中にあります。
昔の改札口はここにありました。
たくさんの人が行きかう中で、この水呑器に気づく人は少ないかも知れません。
よくあるグリーンポットとしか見えません。
しかし、この水呑器でどれほど多くの人たちが汗をぬぐい、顔を洗い、喉を潤してほっとされたことでしょう。
オアシスのように。
1874年(明治7年)開業の初代駅舎は煉瓦造りでした。
三代目の駅舎は国鉄最初の高架駅でした。
JR神戸駅 構内
2006.10.25記
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◆ 恐怖の踏みガラス 明石海峡大橋プロムナード |
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明石海峡大橋の舞子アンカレイジから海上プロムナードを歩いていくと海上展望台に行き着きます。
ここにはレストランやライブカメラがあり、海上47mからの360度の絶景の眺めが得られます。
ライブカメラは主塔に据え付けられており、そこからの眺めは迫力があります。
プロムナードには真下47m下の海面が見えるのぞきガラス窓があり、その上を歩いて渡ることができるのですが
安全だとわかっていても、なかなか踏んで渡るのは勇気がいるのです〜(^^ゞ
神戸市垂水区明石海峡大橋
2006.10.16記
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◆ 湊川神社 タイムカプセル |
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震災で崩れてしまった湊川神社の鳥居。
その鳥居は1999年8月18日に再建されました。
新しい鳥居はステンレス製です。
そしてその鳥居の完成を祝い、タイムカプセルが笠木部分に収められました。
震災時の記録やその頃の街の様子等を収めています。
開封は100年後。
その時、開封した人たちはどのように今の街の様子をみることでしょう。
湊川神社鳥居完成 タイムカプセル
神戸大学付属図書館、大木本美通氏撮影。
神戸市中央区 多聞通り3丁目 湊川神社
2006.10.16記
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◆ がんばろや We Love KoBe |
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震災の年にオープンした、今や神戸のシンボルともなったメリケンパークオリエンタルホテル。
このエントランスの壁にはめられたプレートです。
「がんばろや Kobe」
神戸市中央区 メイケンパーク
2006.9.12記
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◆ 現存するのは神戸だけ?須磨浦山上遊園カーレーター |
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山陽電鉄須磨浦公園駅から須磨浦ロープウェー、そしてカーレーターに乗り換えて鉢伏山頂です。
カーレーターは全長91m、勾配25度のゴンドラ。
須磨浦山上遊園開園の1959年からの現役で、このゴトゴト動く素晴らしい乗り心地(笑)の乗り物は
TVナイトスクープでも紹介されました。
このようなカーレーターは琵琶湖バレーでもあったそうですが、1975年に廃止。
現存する貴重な乗り物は神戸にあったのでした!
ここからの眺めは素晴らしく、須磨の海の輝き、明石海峡大橋の雄大な景色も見ることができます。
「神戸在住」第7巻65話で、洋子ちゃんが「ちょー乗りたい物」でありました。
和歌ちゃんと洋子ちゃんと桂も「ぎこん ぎこん」と乗りました♪
神戸市須磨区
2006.8.25記
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◆ 生田神社は松がお嫌い。 |
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新年を迎える日が近くなると生田神社では「杉盛り」作りが始まります。
3.5m位の支柱に稲藁の束を重ね、その上に約2000本の杉の枝を巻きつけて作るそうです。
生田神社では「門松」ではなく「杉盛り」なのです。
お正月の初詣にはこの杉盛りのまわりにたくさんのおみくじがくくりつけられます。
砂山(イサゴヤマ)、新神戸駅の背後の山、布引の滝がある山です。
昔、生田神社はこの山に祀られていました。
大洪水がおきて麓がくずれ、神社が押し流されそうになったので住民がご神体を背負い、今の生田神社の
位置まで担いでいったそうです。
このとき、砂山の生田神社のまわりにはたくさんの松があったのにお守りすることができなかった。
ものの役にたたない木々め!
ということで、以後生田神社は松を忌み嫌い神社の境内には1本の松もありません。
それにしても大昔から山からの洪水がくりかえされてきたのでしょうね。
神戸市中央区
2006.8.24記
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