- 武庫離宮(離宮公園) その4-  
傘亭

武庫離宮「庭園」には傘型四阿舎(通称、傘亭)が存在していました。
1945年(昭和20年)3月の空襲で、六角形の屋根の部分が焼失しましたが、
中央の柱、地面の六角形の「土間」が現存しています。
その場所は噴水公園の南東の小高い月見台にあります。


説明書にはこのように書かれています。

「月見台と傘形四阿舎(あずまや)」
この地を月見台と称するのは旧・武庫離宮建造の際、
かねてより須磨の名勝とされていた在原行平ゆかりの
「月見の松」(三幹の老松)付近に、石灯篭や傘形四阿舎を建てた
ことによります。

在原行平は古今和歌集や源氏物語にも登場する平安期の歌人で、
九世紀半ばにある事情から都を離れて須磨にわび住まいを
致しておりました。

秋の夜のつれづれに度々月見に訪れた裏山が、
後世に月見山と名づけられたそうです。
古来、月見の名所は静かな水面に月が映える眺望の良い場所が
選ばれましたが、築造当時の記録でもこの地を「海面展望好位置」
としています。

四阿舎の屋根は六角形の竹穂葺きで作られておりましたが
太平洋戦争の空襲で焼け落ち、立ち木に似せた青銅鋳物の
支柱のみが当時のまま現存しております。
この月見の名所を復活すべく、四阿舎の復元や周辺の樹林整備を
近く行う予定です。

 
    
  
  
この四阿舎(あずまや)の建設当時の 写真が残っています。
上の写真のように今も残る支柱は、ブロンズ製で
本物の木肌そっくりです!


これもまた今も現存する石段から
当時のように下から見上げて写真を
撮ってみました。

天皇も大阪湾に映る月影を楽しまれたであろう傘亭を復元しようと
市民グループ「傘亭復元実行委員会」の皆さんが募金活動も行って
おられます。
現在、少しずつ竹穂作りに取り掛かっておられますが募金が集まり次第夏ごろから
本格的に仕上げていき、なんとか今年のお月見を楽しめるようにしていきたいと
おっしゃられていました。


植物園の北の温室で竹穂作りが進んでいます。
離宮公園の東隣にある須磨高校の皆さんも、
来年には高校が統合され移転することになるので
この地に自分達がいた思い出にこの傘亭作りに
参加されているそうです。


幸い宮内庁に武庫離宮の傘亭の建築資料が残っていたので、
当時のままの方法で 復元される予定です。
屋根の表面は竹穂葺き。
下の防水は杉皮葺きだそうです。
竹穂は園内の孟宗竹を使用。
竹穂葺きは国内では使用例がなく実現したら貴重なものになります。


竹穂から笹の葉を手でちぎり落とす。
竹穂だけになったら40本〜50本(直径30cm)の束にしてビニールのひもで
2箇所しばる。
現在360束くらいできあがっています。(2009.2.11現在)
全体で2,000束以上必要だそうです。


竹穂の束ができあがったら、少しずつずらして傘を
形作っていきます。(8月以降)
けっこう大変な作業です。


これは復元委員会の会長さんが作られたイメージ絵葉書ですが、

こんな傘亭の復元を夢見て、行平の昔の月見、月見山の名前の由来のとおり
ロマンチックなお月見がきっとできるでしょうねっ!

武庫離宮(離宮公園)その5 天皇の水
↑今、工事中です〜m(_ _)m

 

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