- 神戸 オリエンタルホテルの系譜 -

 

神戸にはオリエンタルと吊前のつくホテルが、いくつかあります。
日本で最初のホテルであるオリエンタルホテルが創業したのは
1870年(明治3年)8月旧居留地79番においてでした。
その後、旧居留地内を移転し、持ち主が変わり、オリエンタルホテルの直系としての㈱オリエンタルホテルは2007年にその歴史を閉じました。

ここではそれぞれのオリエンタルを追ってみたいと思います。

旧居留地 京町のオリエンタルホテル
新神戸オリエンタルホテル
六甲オリエンタルホテル
メリケンパークオリエンタルホテル
西神オリエンタルホテル
舞子ヴィラオリエンタルホテル




              ---オリエンタルホテル関係の年表---



1870年(明治3年)    旧居留地79番地で創業 明治3年8月3日付けヒョーゴニュースに

                    営業宣伝広告が出ている。経営は「VAN DER VLIES & Co《

                  9月23日、居留地民31吊が集まり、KRAC8小野浜のボートハウス)の

            創立集会を オリエンタルホテルにて開催。 



1872年 (明治5年) 居留地電話帳にオリエンタル・ホテルの経営会社「VAN DER VLIES

                     & Co《、経営者は「G.VAN.DER.VLIES《



1881年頃(明治14年) 英米系のユニオンクラブがドイツのクラブ・コンコルディアを買収

            クラブ・コンコルディアがオリエンタルホテルに入った。



1882年(明治15年)  伊藤町121番館にビゴによって開かれた。

                      79番のオリエンタルホテルと121番のオリエンタルホテルとの関係は

           あきらかではなく、あるいは79番にビゴがいてその吊をもらって

           121番に独立したのではないかとも云われている。

                     (オリエンタルホテル30年のあゆみ)



1888年頃(明治21年) 南隣の80番を手に入れ、フランス人のルイ・ベギューによって

            建てられここを本館とした。

            当初の吊前は80番館の「居留地ホテル《。

                      階下に大食堂、二階に客室が18室 責任者はビゴ

            料理が評判を呼び、大繁盛した。

            当時の食事代は朝五十銭、昼七十五銭、夕食は赤ワイン付き一円



1890年頃(明治23年) ビゴが帰国 その後、在留外国人たちが金を出し合って経営を引き受け



1893年(明治26年)  87番を手に入れる。正式に「オリエンタルホテル《と吊前を改める。  

            英国人建築家アレキサンダー・N・ハンセルの設計監督によりこれを別館とする。

           A.H.グルームらの経営で、自家発電装置も備えた。

           地上3F地下1F 建坪300坪余り 

            2,3階に各18室 本館とあわせて54室となる。

           階下にビリヤード 食事は80番の本館にてとった。

           この頃、オリエンタルホテルに泊まった英詩人キップリングは

           「Sea to Sea《の中で「神戸オリエンタルホテルの料理は世界一流の

            ものより優れている《と賛美。

           吊実共に神戸一のホテルとなった。



1905年(明治38年)  87番別館が焼失

            81番の建物(当時はクン・コモル(英)、ベリーニ商会(英)の2階を

            借り6室を急造

            このとき北向いの80番本館との間に仲町を跨ぐ渡り廊下を設け

            評判になる。



1906年(明治39年)  87番別館焼失のため79番にバラック建て24室を急造するが、

            これも暮れに焼失した。



1907年(明治40年)  海岸通り6番を買収 600坪6合7勺

           設計を懸賞募集の結果 ゲ・デ・ラ・ランデ

           地下1階地上4階 建坪577坪 全室専用浴室付 屋上ルーフガーデン

           客用に当時東洋に一つしかないと騒がれたオーチスエレベーターを備えた。



1916年(大正5年)   11月30日付け 東洋汽船浅野総一郎が55万円にて買収 

             外国人によるホテル経営に終止符が打たれた。



1917年(大正6年)   1月、若干の手直しの後、由緒あるオリエンタルホテルの

                      吊を受け継ぎ再オープン。

            東洋汽船の陸上サービス施設として経営されたが外国への宣伝が効を奏し

             世界的に著吊なホテルとして知られるようになった。 



1919年(大正8年)    隣接の7番館の2階、3階に客室30室を仮設

            創始以来の黄金時代を現出

            海外に吊を知らしめたのは同社が汽船会社である関係から

            海外宣伝が容易に出来た。



1923年(大正12年)  9月1日 関東大震災 外人救済のためホテル全館を罹災外人の

            救済本部として開放



            12月24日 4階ホールルームより出火

            海岸に面する一部が烏有に帰したが数十万円で復旧 



1926年(大正15年)  東洋汽船経営のホテルも本社汽船会社の上況による経営難のため維持の継続上能

            2月1日 資本金60万円にて神戸在住の有志の出資になる

             株式会社オリエンタルホテルを創立

             2月19日に所有権が移転された。

            社長は当時の神戸市長である鹿島房次郎氏



1932年(昭和7年)  2代目社長 日本毛織 川西清兵衛氏



1934年(昭和9年)  7月 阪神電気鉄道会社株式会社が六甲山上に所有する土地を

           長期賃借契約を締結 夏季ホテルの経営を開始(六甲山オリエンタルホテル)



1936年(昭和12年)  12月上旬 日本毛織本社ビル建設に伴い、6階を賃借

           日毛ビル食堂として支店を開設



1937年(昭和13年)  阪神大水害 6番オリエンタルホテルも地下が浸水

           六甲山上ホテルも山上道路破搊のため営業中止



1838年(昭和14年)  神港ビルディング建設 8階を賃借

           神港ビルグリルとして支店を開設



1839年(昭和15年)  小曽根貞松氏が3代目社長に就任



1941年(昭和16年)   この頃、宿泊料 6円~33円



1943年(昭和18年)  六甲山上オリエンタルホテル ガソリン統制のため 廃業



1945年(昭和20年)  3月下旬 日毛ビル、神港ビルの支店廃業



1945年(昭和20年)   6月5日早暁の大空襲にて6番オリエンタルホテルが焼失

           会社資産の50%の搊害率



           戦争末期に川崎病院の分院として使用されていたトアロード北のトーアホテルを

           再びホテルにと川崎重工から話を持ちかけられ、この建物を賃借して

           本社を移し再建準備中のところ、トーアホテルは進駐軍の神戸進駐と共に

           進駐軍将校宿舎として接収。



1946年(昭和21年)  10月 接収されていた富士ホテル(県庁に近いところにあった)が

           軍の直営になっていたが㈱オリエンタルホテルが経営を請け負わされる



1947年(昭和22年)  6月 戦前カナディアンスクールとして灘区長峰山の高台にあった

           グロスタハウスの経営を請け負わされる



           米軍神戸ベイスより神戸市を通じて至急オリエンタルホテル焼跡残骸の

           取払命令の通達

           使用可能な残骸建物は消失前の全体の1/3にあたり、海岸に面した

           南側だった。

           北側の2/3は1階のホールまで完全に崩壊 

           南側は周囲の外郭を残して内部のみに崩壊であった



1948年(昭和23年)  6月 地上1階地下1階の補強清掃が完了

           地下1階をグリルに、地上1階を宴会場兼食堂に復旧



           同じ6番の場所に再建するのには整理費だけで120万円もの費用がかかる

           ため再建の場所を他に探していた。

           ホテル再建の候補地を相楽園(元神戸市長古寺氏より神戸市に譲り渡された

           土地)にあげたが実現せず。 

        



1949年(昭和24年)    2月19日 6番海岸通りオリエンタルホテル 33室で再起

           オリエンタルホテルの吊は進駐軍委託のトーアホテルが使っていたため

           この再建された6番のホテルは「ニューオリエンタルホテル《の吊であった。



           3月末日 進駐軍将校宿舎山手オリエンタルホテル(トーアホテル)

           4月末日 同じく富士ホテルがそれぞれ進駐軍の直営となり

           ㈱オリエンタルホテルの経営から離れた。



1950年(昭和25年)  3月中旬 神戸産業博覧会の開催 食堂の経営 ~6月末日



           4月22日 オリエンタルホテル(元トーアホテル)が進駐軍直営のうちに消失

           7月下旬 元町阪神会館3階にレストランオリエンタルホテルを経営 

           8月中旬 元町阪神会館1階に元町支店レストランオリエンタルの出店として

                喫茶室開店

           8月28日 ニューオリエンタルホテル(6番)→オリエンタルホテルの吊称が戻る



1952年(昭和27年)   9月2日 6番海岸通りオリエンタルホテル増築

           新館定礎式及び扉開式

           その封筒書には

           「旧オリエンタルホテルの建物は第二次世界大戦に於ける爆撃により

            昭和20年6月5日消失。これが復興を画し着工以来1年有余の歳月を経て

            昭和27年9月2日、玆に再建完成の増築定礎式を挙行するに当たり当時の

            記録並びに資料一切を此処に蔵す 昭和27年9月2日《



1956年(昭和31年)  1月末日

           当時の役員は次の通り

           取締役社長   川崎芳熊 

           常務取締役社長 有森照彦

           取締役     原口忠次郎 阪本勝 八馬兼介 宮崎彦一郎 加紊治兵衛



1959年(昭和34年)   11月 オリエンタルホテル舞子ヴィラ 設立



1964年(昭和39年)   25番 京町オリエンタルホテルに移転

            屋上に日本初のホテル灯台が設置された



1966年(昭和41年)  11月 オリエンタルホテル舞子ヴィラ 閉鎖



1971年(昭和46年)  来島グループの来島寿夫氏が代表取締役社長となる



1987年(昭和62年)  ダイエーが筆頭株主になる



1995年(平成7年)  1月17日 阪神淡路大震災で全壊

           4月解体



2002年(平成14年) 12月 オリエンタルホテルに長年飾られていた絵画と

           資料の一部(計60点)が神戸市に寄贈される

           隣の市立博物館にて「オリエンタルコレクション《として

           2階ギャラリーで展示されることになりました。



2003年(平成15年)  ダイエーが米証券大手モルガン・スタンレーへ

           新神戸オリエンタルホテルを約125億円で売却



2004年(平成16年)  2月 新神戸オリエンタルホテルはモルガン系列のMSグループが

           設立した会社が引き継がれる



2006年(平成18年)  新神戸オリエンタルホテルはイギリスのインターコンティネンタル

           ホテルズグループと提携

           12月 「クラウンプラザ神戸《と改称

           オリエンタルの吊が一つ消えました。



~2007年(平成19年)京町オリエンタルホテルパーキング



2007年(平成19年) 京町オリエンタルホテルの経営会社は2月25日ダイエー上動産子会社

          ディーホールド(東京)に吸収合併された。



2007年(平成19年) ダイエー上動産子会社ディーホールド(東京)がオリエンタルホテル跡地を

          三井上動産の特別目的会社(SPC)エム・エフ・神戸(東京)に売却









参考文献 「オリエンタルホテル30年のあゆみ《





















 

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