- 布引貯水池の底ざらえ 100余年ぶりの池の底現る! -

 

布引ダム、正式には布引五本松堰堤
平成7年(1995年)の阪神淡路大震災ではこの布引ダムも被害を受けました。
しかし、震災が冬季で水位の低い(-5.6m)時期だったこと、また堰堤軸が南北であったこと
などから 大きな被害は免れました。 

神戸市は布引災害復旧工事として、
震災後すぐ堰体補強工事にとりかかりました。

平成7年(1995年)9月2日〜平成9年(1997年)3月31日

クラウト注入作業です。
この時のセメントミルクはラインに242.6t、堤体に312.2tが注入されました。 


しかし、余震の続く市街地にあまりにも近いため、布引ダムの安全性をはかるために大掛かりな改修工事が 計画されました。
漏水の増加も確認されました。
なにしろ100年あまりもたつ日本最古の重力式ダムなのです。
そして平成13年(2001年)8月29日から
平成17年(2005年)3月31日に渡る大改修工事が始まりました!

2001年11月18日撮影

工事目的は
1.堰堤の耐震補強
2.貯水池内の堆積土砂の搬出(約20万立方メートル)
3.土砂の搬出により貯水容量を約60万立方メートルに増やす

2004年6月5日撮影

工事概要は次の通りです。
貯水池の水抜き
資機材搬入路工
堆積土砂撤去工(202,430m)
補強コンクリート工(3,350m)
管理橋復元・公園整備・野鳥観察所の新設・配管取替


水を抜いたあと、まず堆積土砂搬出、機材搬入のための工事用道路の建設が始まりました。
これは山の中にトンネルを掘りました。
延長321.5m、幅5.1m、高さ4.8mのトンネルを掘り、既設道路とをつなぎ布引貯水池への進入道路を確保しました。
そしてこの道路を1日あたりのべ100台のダンプを走らせ、土砂の搬出を行いました。

左の図のダムの向かって左の赤いところが補強されるところです。
この工事の間は布引ダムの水が抜かれているのでダムからの放流はなく 下流の布引の滝は渓流からの水だけでした。

 
2004年6月5日

 
2004年9月12日 ロープウェー夢風船より

管理橋の復元も行われましたが、これは明治のレールが使用されていました。
昔は鉄は貴重なため、よくレールが使われていたようです。
この貴重な建設当時の施設を可能なかぎり残すため専門的な補修が行われました。


2004年6月5日

工事を進めていくうちに明治の偉大な土木技術に驚きの連続だったと水道局の方が おっしゃっていました。
建設当時の取水管は英国製が使われていました。
英国の製造工場の刻印と神戸市水道局の六剣水マークが刻印されていました。

2004年10月16日

池の底には工事のための道路がたくさんできました。
山の中の工事用のトンネルへと続きます。 
たくさんの土砂を運び出しました。


2004年10月16日

底をさらうと泥と一緒に流木も山積みに。
ここは山の中の貯水池です。

★池の底を見るのも最後!!
 2004年12月4日
次の年になると長かった工事も完成して貯水がはじまります。
今までの工事の総括として市民説明会が行われました。

巨大な水甕、布引貯水池の底に立つ人間はアリのようなものです。
点々と小さく見えるのが見学者。
もうすぐここは水の底になります。

ダムに斜めにかかっているのは、貯水池に漕ぎ出すボートに乗るための乗り場への階段です。
ダム壁に黒く4つほど見えるのが取水管。

取水管をズームしてみました。
12インチあるそうです。
堰堤本体は耐震性向上のため下部に勾配をつけた補強コンクリートを施工しました。
ダム左岸の堰体底部の岩は風化が進んでいたので、一部コンクリートに置き換えました。

ダムの底はゆるやかに 
すりばち状に中心部に向かって
深くなっています。

五本松堰堤の石目地は100年たったと思えないほどしっかりしていたそうです。
この度の改修は明治の技術との出会い、先人の偉大さを再確認した工事だったと目を輝かせて おられた水道局の方のお話が印象的でした。
明治の人はダムの改修の時もあろうかと、水を抜いた時に流す放水路も山の中に用意していたそうです。
明治の先人達に教えられ、助けられたことがたくさんあったとおっしゃっていました。

 

♪最後に。
この貯水池には水を抜く前、たくさんの魚達がいました。
大きな主のような鯉や鮒。
けっして食ってませんと。(笑)
この魚達は工事の間、神戸の他の烏原貯水池などに嫁にやったそうです〜
2008年1月23日記

 

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