|
||
|
この神戸の
石畳は知っています
トラディショナルジャズの
ファンも街も
|
今年のジャズストリートのパンフレットの言葉です。
神戸の北野坂はたくさんのジャズの
こんなに多くのジャズライブのお店が |
|
|
しかし、昔のアメリカにあったのですね。 52丁目と呼ばれるところだったそうです。
1930年代のアメリカ。
秋の爽やかなこの時期、2日間に渡って繰り広げられる楽しいジャズのライブめぐり。
|
|
スタートは通称"デコボコ山"と呼ばれる三宮北側の公園からの楽しい楽しいパレードです。
11時、デコボコ山に集まったたくさんの人たちは演奏が始まるともうじっとしていられません。
|
|
北側の北野坂入り口の方では神戸市消防音楽隊。 びしっと決まった制服で、パレードの先導です。
聖者の行進の演奏が始まるとパレードとそのあとを一緒に登る人々とで北野坂はいっぱいになります。
|
そしてそのパレードが終わるとそれぞれの会場で12時から5時まで、 2日間のプログラムでライブが始まります。
それぞれ好みのプログラムの会場をはしごするわけですが、狭いエリアに17会場が散在するとはいえ、神戸は坂道ばかりですからけっこう疲れます。
|
演奏は45分で移動に15分は当てられるのですが、演奏が長引いたり目指す会場が遠かったりすると次の会場では座れないことになります。
希望としてはもっと会場を増やして欲しいと思っています。
このジャズストリートは今年で24回目になるそうですが当初より企画しひっぱってくださっているのが末廣光夫氏と秋満義孝氏です。
そしてジャズを愛する多くのボランティア-Jazz Crewの皆様。 |
毎年オランダなどのヨーロッパから実力のあるプレーヤーを神戸ジャズストリートに招聘し、私たちを楽しませてくれています。
今、なぜジャズの本場であるニューヨークからではなくオランダなどのヨーロッパからなのかというと、
そのためアメリカのジャズは衰退し、今やヨーロッパにその舞台は移っているようなのです。
神戸ジャズストリートでは毎年、実力ある海外のジャズメンが神戸ジャズストリート賞として招待されます。
ちなみに今年の神戸ジャズストリート賞はイタリアのアルフレッド・フェラリオさんでした。
|
ジャズの楽しみはプレーヤー同士の掛け合いもその一つです。 私はジャムセッションが大好きですので特にこれは楽しみです。
解説によりますと本来ジャズはジャズメンが殺気立ってプレイするくらい野蛮なものらしいです。
だからジャム・セッションと呼ばずにカッティング・セッションといっていたそうです。 今はそのようなものはありませんが、海外のメンバーとのジャズ合戦のようなジャム・セッションはなかなか興奮するような火花が散ります。 |
|
ジャズ発祥の。。。といえば、トアロードの突き当たりにある神戸外国倶楽部も会場の一つなのですが、ふだんはオープンにされていないので毎年ここでプログラムの一つは選びます。 ここは昔東亜ホテルという豪華なホテルが建っていました。 そして大正12年日本で最初にジャズバンドが誕生して演奏されたそうです。 広い会場でめったに入れないところなので人気が高い会場です。 |
ジャズストリートは2日間でそれぞれ1日券、両日券とがあり、参加する人は入場券かわりのワッペンが渡されます。 このワッペンをつけているとどこの会場へも入れるのです。
有料の会場のほかに無料の会場も設けられ、昨年までは北野工房のまち3F会場がそうでした。
せっかくのこの機会にたくさんの人にジャズを聴いていただき、神戸の街中にジャズがあふれるようなそんな街になればと。 |
|
特に最終日の最終時間の盛り上がりは毎年すごいもので胸が熱くなるのですが、今年もすばらしいものでした。 海外のゲストはカナダからのサイモン・ストリンプリングさん。 トランペットの演奏は最高でした。 パーカッションも感激。 |
去年は”スターダスト”に感激し、今年は細川綾子さんの歌う”We will be again"に感動しました。 青空の下でまた会いましょう、微笑を持って。という歌ですが、胸に沁みました。
平和で、たくさんの人たちとこんな時間を共有することができることを幸せに思いました。 |
|
|
最後の曲"Black eyes"で目頭が熱くなりました。 皆の手拍子で会場は盛り上がり、演奏が終わっても鳴り止みません。
アンコールは”A列車で行こう!”
「これでお願いだから帰ってください。」と光廣氏。拍手と歓声。
今年も本当に楽しい神戸ジャズストリートが終わりました。
また、来年。
"We will be,again!"
2005年10月9日 |