あれから10年この街は。

-旧臨港線〜ポートアイランド-




三宮の東遊園地の南側にJR神戸港駅があり、神戸臨港線が走っていました。
かつては各突堤からJR神戸駅まで走っていた神戸臨港線。
2003年11月をもってその90年あまりの長い歴史を閉じました。

右上の写真は2003年10月の撮影。
神戸港駅です。
右下は2004年7月の撮影です。
もうすっかり線路も取り払われ空き地になってしまいました。

先に廃止された湊川貨物駅跡はハーバーランドとなりここ神戸港駅は神戸震災復興記念公園として整備されます。



写真提供:山口さん
この臨港線を走っていた神戸のSLはすべて鐘がついていて機関士が紐を引いて鳴らしていたそうです。
そして第四突堤に横付けされた大型客船から京都や奈良方面に観光に行くお客を乗せてボートトレインが走りカランカランと鐘を鳴らしながらのんびり海岸通りの臨港線を走ったということです。




の時、神戸にあんな橋があった!
ポートアイランドと市街地とを結ぶ神戸大橋。 
震災で大きな被害をうけました。
しかし、当時ポートアイランドへ行く唯一の橋でしたので、一日も通行を滞らせることはできません。
いったいどうやって橋の修理をするのか。
驚いたことにあっというまに新港第三突堤に臨時の橋がかかりました。
そして突貫工事で神戸大橋の修理をし終えました。
自然の大きな力で破壊されても人間は一生懸命、壊されたものを直し、尚負けまいと新たな知恵を尽くす。
なんだかとても感動でした。
この橋がかかったのは平成7年8月1日〜平成8年6月27日のことです。
    

 


神戸を留守にしてポートアイランドに帰ってきたとき、ポートライナーがこの広い車線のポートピア大通りをすべるように入っていきます。
ああ、帰ってきた〜と思う一瞬です。
しかし、神戸空港へのアクセスのためポートライナーが複線化されます。
今まで一方通行だったので三宮に出る時間が短くなり便利にはなるのですが、 3車線あった広いポートピア大通りは2車線となりかつての広々とした開放感がなくなりました。

上の写真が工事前です。
下の写真は新しい中公園のポートライナーの駅舎です。
2006年には神戸空港が開港され、このポートアイランドは どのような位置づけになるのでしょうか。

戸の成人式は2003年までポートアイランドのワールド記念ホールで行われていました。
新春の1月15日は華やかな新成人の晴れ着でいっぱいになりました。
しかし、今年2004年度からはHAT神戸にて執り行われることとなり、もうこのような風景もここでは見ることができません。


   


   
 


はじめのEの形の島から第二期の埋め立ても完了しました。
広大なテーマパークの話も立ち消えになりましたが神戸市はポートアイランドを医療産業都市の拠点にする構想を打ち出しました。
第二期の埋立地には次々と最先端の医療設備を備えた施設や、研究棟が立ち並びました。
ここでは生命の研究が行われているのです。
 

また震災時に目の前で助けを求める命を救出できなかった苦い経験からロボットによって壊れた建物に入り人を救出する研究がここポートアイランで日夜すすんでいます。
この神戸のポートアイランドで開発されたロボットたちが日本中、いや世界中の災害で活躍しますように。
中央緑地公園内のこの三角の建物で崩れた瓦礫と化した建物から人間を救うシミュレーションが繰り返されているそうです。
このように命にかかわる研究がこのポートアイランドで進められているのはうれしいことです。
 

 


震災の時、瓦礫の中に咲いていた花、ひまわり。
2000年、お世話になった皆さんへ”神戸からありがとう”の運動がはじまりました。
神戸市民と同じ数のひまわりを咲かせようという運動は次々に展開され、2001年ポートアイランド二期の土地にも見渡す限りのひまわり畑が出現しました。
ひまわりは希望の象徴の花となりました。
  
 

そのひまわり畑の跡に 広大なビオトープの公園ができました。
池には青サギ、かも、ゴイサギ、鯉などが住み、いずれは蛍もと夢はひろがります。
2003年には青サギの巣が池の中に作られ人々が見守る中で2羽の雛が生まれました。
この公園は三宮から車でほんの10分程でこられるため手ごろな都会のオアシスになり、バーベキューを楽しむ人々でにぎわいます。
でもごみが増え、鯉が泳ぐ池に浮いているのをみるのは悲しいです。

  


 

空港島の建設も急ピッチです。
埋め立てはほぼ終了し、空港の施設の建設に入りました。
新しい空港島には親水地も設けられるそうでその建設の様子はポートアイランドのキメックビルからよくわかります。
延伸されるポートライナーの軌道はこの橋を渡ります。     
 

キリンがいなくなりました!
日本初の本格的コンテナターミナルとして10年前まではこのポーアイ西バースには最大11基のキリンが働いていました。
しかし、コンテナ船の大型化による水深不足等のためにポーアイ東側などへ徐々に移され、あるいは売却されました。
2004年4月に最後のキリンがインドへ売却され、とうとう西バースはガランと何もなくなってしまいました。
この西バースには大学や倉庫などが建設されることが決まっています。
また海側はこの神戸港を望む絶景の場所を生かした施設が考えられているようです。

2004.10月 記

 

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