あれから10年この街は。

- 税関からメリケンパーク -

税関からハーバーランドへの道は大好きな散歩道でした。
網屋 吉兵衛顕彰碑の前を通り、京橋を渡ります。
勝海舟の海軍の碑も長く倉庫に預けられていましたがやっともとどおりの京橋のたもとに帰ってきました。
ここは今、ポートアイランドにある商工会議所があったところです。
    
 

海沿いに歩くと、神戸海洋少年団の古びた小さな小屋。
水上警察の裏側はいつもたくさんの警備艇が並んでいる光景は変わりません。


冬になるとカモメがたくさん浮かんでいます。
 

このあたりから、まわりの光景は激変です。

この前の道を歩きながら、篠崎倉庫の角をまわると(そこは狭い道になっていて、竹垣か何か垣根のようになっていたと思います。)もうハーバーランド。
今、そこはホームセンターになってしまいました。

震災前、国産倉庫の前は海でした!

震災直後はここにたくさんの車が海に沈んでいました。
その衝撃的な光景は今でもまざまざと思い出します。

そして国産倉庫の前は埋め立てられ、住宅展示場や遊覧船が着くカモメリアになりました。
そしてメリケン、ハーバーランド間がとても近くになりました。
    




 



メリケンパークの岸壁も龍馬の碑の近くまで割れていましたが、きれいに修理されました。。

ここは昔、海外に移住される方が船に乗られたメリケン埠頭でした。
1908年(明治41年)4月28日 第1回ブラジル移民船「笠戸丸」の出航を記念して「希望の船出」の碑が多くの方の尽力で建てられました。平成13年4月28日
「神戸移民船乗船記念碑」と記されています。
移住される方が祖国に別れを告げた場所。
家族が遠い彼方の海を見つめ、今まさに移民船に乗ろうとする「希望の門出」です。

無残に割れた岸壁はすさまじい地震のエネルギーを示すモニュメントとして残され、ここはメモリアルパークとなりました。
ここには陸路を絶たれ船で行き来した日々、倒れたガントリークレーン、苦闘し混乱する市民の様子の写真が展示されています。
  

 

また神戸は映画発祥の地です。
多くの歴史的名優に見立てた石の観客が並んでいます。

メリケンシアターです!

石をくりぬいてフィルムの一こまを表しています。

このフィルムは震災で思わぬ一こまを映し出しましたが、二度とあのようなシーンは見たくありません。

復興なった美しい神戸をいつまでもいつまでも写しだしますように。



 

2004年メリケンパークが建設されたときから置かれていたサンタマリア号が半焼しました。
おりしも風雨にさらされ非常に傷んでいたため修理に取り掛かったばかりのときで、本当に悲しいできごとでした。
写真は焼ける前のサンタマリア号です。
すぐに新しいしっかりしたサンタマリア号が修理建造されましたが、若干もとの色より黒っぽい色合いになった気がします。

2005年は震災10年の市をあげての行事があります。
ここメリケンパークはその中心となりいろんな催しがある予定です。

広大なチューリップ畑も予定され来春には色とりどりの花にあふれたメリケンパークになるでしょう。

あ、この写真は震災の時の写真ではありません。
来年の震災10年に向けての工事だと思われます。
   

 

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