あれから10年この街は

 - HAT神戸 - --  

HAT神戸(Happy Active Town)は震災後に生まれた新しい街です。

震災で大きな被害を受けた市街地の住宅、産業の受け皿として120ヘクタールの広い土地が生まれ変わりました。

1998年(平成10年)6月街開き、東部副都心計画のシンボルとして位置づけられています。

街の中央を貫く東部副都心東西線は歩道が両側9mずつ、車道をいれて40mという広い道路に作られました。
これは震災のとき家屋が倒壊し、救難救助が非常に困難であったという貴重な経験から考えられました。
    

 

歩道やデッキ等もスロープがつけられバリアフリー化され電線も地中に埋められるなど、水辺と緑の多い安全で安心な街♪というのが うたい文句です。

水辺に沿って続くハーバーウォークは釣り人も多く、のんびりしたいい散歩道になりました。

 

なぎさ公園の地下には地震にも耐える貯水槽が作られいざという時の飲料水、消火用に備えられています。

公園に置かれたプランターには

「このプランターは平成5年までこの地で操業していた神戸製鋼所岩屋工場で 使用されていた機材です。」
と書かれてありました。

    



 

そうです。

ここは神戸の経済を支えてきた神戸製鋼所の脇浜工場と岩屋工場、川崎製鉄所の葺合工場があったところでした。

あちらこちらに置かれたオブジェが当時を忍ばせています。



  

 

王子にあった県立美術館も安藤忠雄氏設計の斬新なデザインの新美術館になりました。

コンクリート打ちっぱなしの県立美術館からは北は六甲の山並が見渡せ、南には行きかう船が見える神戸ならではの景観が楽しめます。

 

2002年(平成14年)1期施設の防災未来館、2003年(平成15年)4月には2期施設である、ひと未来館が開館され ました。

防災未来館では震災の教訓から、これからの防災のあり方を考える試みがいろんな方面から提示されています。

ひと未来館では「葉っぱのフレディ」が上映され命の大切さ、生きることの素晴らしさ、つなぐ命についても考えさせられます。


防災未来館の横のベンチには鷹取で焼け残っていた神戸の壁の一部がベンチとして残されました。

戦災にも震災にも耐えて残った神戸の壁は今は淡路島の震災記念館に移されましたが、このベンチに残された壁を見ると たくましく生き残った命を感じます。
   

 

神戸海洋気象台も中山手にありましたが全壊し、諏訪山の移住センターなどへ仮住まいの後ここ、HATの新しい街に 移されました。
公園には桜も植えられ、今は小さな細い木ですが毎年毎年、大きくなってここに暮らす人々を楽しませてくれるでしょう。

広い中央の東西線の街路樹も大きく育って夏の暑い日に木陰を作ってくれますように。

夏にここを歩いたときは木陰もなく駅から遠い住まいの方やお年寄りには辛いのではと思いました。

この新しい街がその名の通り、ステキな街になりますように!

2004.12.1  

 
追記:仮説住宅が解消した2000年1月〜2004年10月末まで
一人暮らしの入居者は59人亡くなりました。
このうち65歳以上の高齢者は40人、発見まで丸一日以上たっていたのは25人。
震災から10年で復興基金の期限が切れます。

 

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